日本看護協会出版会の編集者の村上さんから最後の『インターナショナルナーシングレビュー』誌(以下、INR誌)が届いた。先日、休刊のお知らせがあった。びっくりしたし、とっても残念だった。
ICN機関誌の翻訳版として1978年のICN東京大会の翌年に刊行が開始された歴史のあるジャーナルだ。看護の国際動向の専門ジャーナルとして、学術や臨床関係者にも支持者が多かったが、今の形では歴史的使命を終えたと判断したようだ。これに代わる新たな国際看護系のジャーナルはぜひ、刊行してほしいと思っている。
話は外れるが後で関連付けるので、日本の歴史について少し触れる。国際政治や歴史からは、徳川時代、日本は世界でベストな農業国家を築いたといわれている。300年間、国民を食べさせる食料を十分確保し、社会福祉も充実させ、内戦を起こさず、鎖国の中で独自の高い文化を築いてきた。そうした伝統は、明治以後、第二次大戦後もしっかり生き続け、独自の質の高い技術、システムを作ってきた。国民皆保険もその一つだろう。
ただ、問題は、情報技術の発達したグローバル時代に内だけ見て、それでやっていけるとしていたのでは、どうしてもガラパゴスになってしまう。思考が停止してしまう。海外とはシステムが違うので、そのやり方をそのまま日本に当てはめることはできないかもしれないが、そこで練って叩いて積み上げられてきた戦略、視点、考え方、論理は、大変、参考になり、ヒントになる。INR誌に代わる国際看護のジャーナルがどうしてもほしいと思うのは、そうした理由だ。
私個人として残念なのは、INR誌 連載4回目のコラム「通訳ブースから見える世界」も今回が最後になる。まだまだ、書きたいことはあるので、また、いずれかの機会を期待したい。
その最後のコラムの題名が、標記の「和製英語“コメディカル”再考」である↓。
渡部富栄(2012):「通訳ブースから見える世界④ 和製英語「コメディカル」再考」、インターナショナルナーシングレビュー158号、35巻5号、pp.100-101.
神戸大学附属病院の看護部長の松浦正子氏がそのブログで「宝石箱効果」という題名で、このコラムについて取り上げてくれた↓。松浦さん、ありがとうございます。
http://kobe-u.jugem.jp/?day=20121001
「コ・メディカル」という言葉の不適切さは、このコラムでも以前、説明した。それももう一度、ぜひ読んでほしい↓
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=236bb42da09f5592a28d6a954c20b49c
「コ・メディカル」は看護とナースを尊重した言葉ではないし、チーム医療の理念にも則さない。日本癌治療学会からも使用自粛の通知が出されているが、カタカナ表記によって深く考えることなく多用されるようになった言葉はダイハードだ。少なくともナースが率先して使わないようにしてもらいたいと思う。
松浦さんとは、何年も前にアメリカの看護団体の視察で通訳者として随行したときにご一緒した。楚々として芯が強く、一歩一歩着実に物事を進め成果を出される方で、大変刺激を受けた。
さて、冒頭のINR誌休刊のことに戻るが、私は1990年代から翻訳もしてきたので今は大変さみしい気持ちだ。編集長の村上さん、ありがとうございました。国際看護のジャーナルを含め、新たな企画をぜひ、お願いします。
ICN機関誌の翻訳版として1978年のICN東京大会の翌年に刊行が開始された歴史のあるジャーナルだ。看護の国際動向の専門ジャーナルとして、学術や臨床関係者にも支持者が多かったが、今の形では歴史的使命を終えたと判断したようだ。これに代わる新たな国際看護系のジャーナルはぜひ、刊行してほしいと思っている。
話は外れるが後で関連付けるので、日本の歴史について少し触れる。国際政治や歴史からは、徳川時代、日本は世界でベストな農業国家を築いたといわれている。300年間、国民を食べさせる食料を十分確保し、社会福祉も充実させ、内戦を起こさず、鎖国の中で独自の高い文化を築いてきた。そうした伝統は、明治以後、第二次大戦後もしっかり生き続け、独自の質の高い技術、システムを作ってきた。国民皆保険もその一つだろう。
ただ、問題は、情報技術の発達したグローバル時代に内だけ見て、それでやっていけるとしていたのでは、どうしてもガラパゴスになってしまう。思考が停止してしまう。海外とはシステムが違うので、そのやり方をそのまま日本に当てはめることはできないかもしれないが、そこで練って叩いて積み上げられてきた戦略、視点、考え方、論理は、大変、参考になり、ヒントになる。INR誌に代わる国際看護のジャーナルがどうしてもほしいと思うのは、そうした理由だ。
私個人として残念なのは、INR誌 連載4回目のコラム「通訳ブースから見える世界」も今回が最後になる。まだまだ、書きたいことはあるので、また、いずれかの機会を期待したい。
その最後のコラムの題名が、標記の「和製英語“コメディカル”再考」である↓。
渡部富栄(2012):「通訳ブースから見える世界④ 和製英語「コメディカル」再考」、インターナショナルナーシングレビュー158号、35巻5号、pp.100-101.
神戸大学附属病院の看護部長の松浦正子氏がそのブログで「宝石箱効果」という題名で、このコラムについて取り上げてくれた↓。松浦さん、ありがとうございます。
http://kobe-u.jugem.jp/?day=20121001
「コ・メディカル」という言葉の不適切さは、このコラムでも以前、説明した。それももう一度、ぜひ読んでほしい↓
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=236bb42da09f5592a28d6a954c20b49c
「コ・メディカル」は看護とナースを尊重した言葉ではないし、チーム医療の理念にも則さない。日本癌治療学会からも使用自粛の通知が出されているが、カタカナ表記によって深く考えることなく多用されるようになった言葉はダイハードだ。少なくともナースが率先して使わないようにしてもらいたいと思う。
松浦さんとは、何年も前にアメリカの看護団体の視察で通訳者として随行したときにご一緒した。楚々として芯が強く、一歩一歩着実に物事を進め成果を出される方で、大変刺激を受けた。
さて、冒頭のINR誌休刊のことに戻るが、私は1990年代から翻訳もしてきたので今は大変さみしい気持ちだ。編集長の村上さん、ありがとうございました。国際看護のジャーナルを含め、新たな企画をぜひ、お願いします。