goo blog サービス終了のお知らせ 

ピンピンコロリ

2011-11-05 21:44:19 | 医療用語(看護、医学)
  11月になった。例年より暖かな日がつづく。通訳の仕事は月末まで一気に進む。この秋の仕事の佳境に入る。体調だけが心配だ。それと喉の調子も気になる。トローチのお奨めは、『ペレックストローチ』(大鵬薬品)。上あごに貼り付けるフィルムタイプのトローチなので、そのまま話ができる。のど飴のように、休憩が終わったら出してしまう必要がない。ただ、ごく少量の抗ヒスタミン剤と抗炎症剤が入っているので4~6回/1日しか使えない。眠気がきたりボーっとすることはない。これは先輩通訳者から教えてもらった製品だ。大鵬薬品の仕事をしたとき、もらって使ったらもう手放せなくなったという。私ももらってそのときから使っている。第2類医薬品。通常の薬局には置いていないので、インターネットでワンケースまとめて購入している。

 
 11月2日は毎年恒例の慶応大学看護医療学部でメイヨクリニックのナースの講演会だった。Mayo Clinicはアメリカミネソタ州のもう100年以上の歴史のある有名な病院だ。ナースらは「メイヨのケアは世界一」という。患者は世界から集まってくる。ミネソタ州ローチェスターにメインの病院がある。多職種協働で患者のケアを計画して実施していく。ナースの勤続年数は長く、働き続けられる環境が整えられている。
 大東文化大学大学院の通訳プログラムの学生3人が見学にきた。昼食会から参加し、慶応の学生ともよく話をしていた。


 さて、表題の「ピンピンコロリ」であるが、これは、元気で過ごしてぽっくり死ぬこと。1980年ぐらいから地域的に使われていたそうだが、現在は、厚生労働省が政策の中で進めている。ここのところ、よく会議で出てくる。保健医療や看護、福祉、製薬や医療機材の会社のマーケッティングの会議でも、出てきている。元気で自分で何でもできて過ごせる人生の時間(健康寿命)を長くすることは理想なのだが、やはり70歳を越えると難しくなる。わずらう時間が長く、寝たきりにつながる要因は生活習慣病である。高齢化の時代に、いかに幸せに生涯を過ごすかということなのだが、ピンピンコロリを国が進めるのは、医療費削減という意味がある。生活習慣病の予防対策が優先事項になる。ちなみに、ピンピンコロリはPPKともいうそうだ。英訳は各自で考えていただきたい。死ぬ直前まで元気で患わず苦痛なく死ぬこと。

 10年ぶりに小沼さんとブースで一緒に仕事をした。アサイメント表の名前を見たときびっくりした。やっている領域が異なっているのでまさか、と思った。でも、懐かしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レジリエンス(Resilience)

2011-10-20 23:46:02 | 医療用語(看護、医学)
  「レジリエンス」(resilience)とは、困難への抵抗力や回復力のことなのだが、重要なポイントは、厳しい状況に適応して、前に進んでいく力、前向きに調整できることである。訳はそのままカタカナで「レジリエンス」である。

 今年は、震災・原発によるサポートやケアの関連の仕事があることから、関係資料や論文のなかで見る機会が多い。先日のPTSDに対する心理療法の話のときにももちろん出てきた。

 ICNの機関誌であるインターナショナル・ナーシング・レビュー誌の最新号にもアメリカの看護学者が書いた「日本人被爆者に共通するレジリエンス」という興味深い論文が掲載され、その中にレジリエンスに関する先行研究、定義の枠組みなどがまとめてあった(INR Selection)↓
http://www.jnapc.co.jp/products/detail.php?product_id=2981#

 
 心理学、保健医療、社会福祉、教育などの研究および実践の両方に関わるキーワードである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Migration:移住/移動

2011-08-23 10:51:07 | 医療用語(看護、医学)
 猛暑から一転、お天気はよくないけど、気温は下がってホッとしている。8月も終わりに入った。

 前回の第二次大戦中の日系移民の話から、今度は、現在の医療職者のmigrationに話を移す。
 
 migrationは、「移住」「移動」のことだ。前回、少し触れたが、人間のmigrationは、失業や貧困、教育やキャリアアップの機会がない、政治的不安定などの送り出し要因(push factor)がある所から、仕事の需要、高い給料、魅力的な教育や上級キャリアへの機会、安定した生活などの引き付け要因(pull factor)を持つ場所へ、生じる。一国の中では、農村部から都市部への移動となり、国際間では、途上国から先進国への移動となる。国際的にmigrationという場合は、「国際労働移動」のことを指すことがほとんどだ。

 労働移動で問題とされているのは医療職者で、特に看護師の移動は、2000年代、特に半ばから後半にかけて大きな議論になった。

 この話をとり上げた会議で最初に関わったのは、確か、2004年のカナダ関連のシンポジウムだった。カナダでの移民受け入れの状況の説明があり、専門職では医師の受け入れは厳しく、むしろ、看護師の資格の方が受け入れられやすいという話があった。カナダ人スピーカーは、「カナダでは、タクシードライバーに、医師資格のある移民が多い。(このように医師としての受け入れを制限しているのは)まさか、政権幹部が自分がタクシーに乗って心臓発作を起こしたときのために、そうしているわけではないだろうに」といって、会場からドッと笑いが出たのを覚えている。

 そのあとぐらいからだ。医療職者の国際労働移動については、ICN関連で、非常に活発に出てくるようになった。背景は、WTO(世界貿易機関)のウルグライラウンドで締結されたGATS(サービス貿易の自由化の枠組みで1995年発効)である。それまでの貿易協定は物だけだったが、サービスの自由な取り引きの枠組みができたのだ。その中に、個人が海外に出てサービスを提供することが含まれる。医療職者の国際労働移動にあたる。ただ、自由といっても、受け入れには資格や適格性、能力、そして言語の要件、審査はある。言語に関しては、英語圏の英国、オーストラリア、カナダ、アメリカも要件は厳しい。

 先のカナダのシンポジウムであった話はそのとおりで、医師資格での移民は難しく、途上国の大学の医学部には、先進国の看護師で働けるようにするプログラムが整備されていたりする。自国で医師で働くより、先進国の看護師の方がずっと給料は高く、家族に十分送金(remittance)できるのだ。

 このあたりの話にもし関心があれば、下記の本をお薦めする。
Mireille Kingma (2006):Nurses on the Move Migration and Global Health Care Economy, New York: Cornell University Press.(キングマ、ミレイユ著、井部俊子監修、山本敦子翻訳(2008):国を超えて移住する看護師たち、エルゼビア・ジャパン社)

 私は、原著が2006年出版されてすぐに読んだ。とても良い本だった。アメリカで働く途上国のナースに、たくさんインタビューをしている。読みやすい。でも英語の質は大変高い。
 邦訳は看護学名著シリーズに入っているが、もっと一般的な本として出しても、全くおかしくない。どちらかといえば、社会学的な内容なので、その筋の研究者にとって貴重なものだと思う。医療職自体の国際労働移動についてこれ以上の本はまだ、出ていない。また、一般的な読者が読めることを想定したものでもある。
 
(ちなみに、エルゼビア・ジャパン社の看護学名著シリーズには、拙訳である、ジュリア バルザー ライリー著(渡部富栄訳)(2007)『看護のコミュニケーション』がある。400頁本だが、2007年に発行以降、各大学や大学院、学会で文献として使われている。このシリーズは、これまで海外の看護学で教科書に近い状態でよく使われてきた本で邦訳されていないものが多々あり、その翻訳を出そうということで企画されたシリーズだ。日本の看護関係者にとっては、どれも良書で貴重な文献になっている)。

 キングマ氏は、ICNの看護および保健医療政策のコンサルタントとして長く活躍されてきた。現在は、フリーのコンサルタントとして国際会議でもお目にかかる。2005年最初にお会いしたとき、私は、世界のナースにはこんなステキな人がいるのだとびっくりした。知的で冷静、凛としており、ゆっくりと、明瞭な誰にでも分かる言葉を使う。アサーティブだけど、人の話はよく聴く。でも譲れないときは毅然と対決する。ICNを辞めると聞いて、世界の多くのナースはとても残念がった。5歳のとき両親とともに、スイスからアメリカに移住ている。国際移動に関心を持ったのもそうした経験があってのことだ。

 看護師の国際労働移動で問題になるのが、MRA(Mutual Recognition Agreement)である。資格の相互認証のことだ。EUなど域内では認められることになるのだが、例えば、ポーランドなど、看護の制度管理が不安定なところはレベルも低く、加盟国との格差があって問題になっている。
 
 看護師の国際労働移動の話は、途上国から先進国への移動により、途上国の厳しい保健医療が、さらに打撃を受けることや、ブローカーの暗躍などなど、大きな問題になって、2008年ウガンダのカンパラで保健人材に関するフォーラムが行われ、カンパラ宣言と世界世界行動アジェンダが採択された。受入国は外国人看護師を「倫理的に採用する」ことが宣言された。そのあと、この問題は、少し落ち着き、今は、フォローアップしている状況のようだ。

 外国人看護師を大量に採用してきたのはイギリスだった。サッチャー政権の民営化以降、自国での医療職者の養成を減らして、不足分を外国人をどんどん、受け入れてきた。でもそれは安定的な医療職者の確保ではなかった。その後、ブレア政権になってNHS改革が行われ、状況は徐々に是正されてきている。結局、結論として、保健医療職者を「輸入」することは、長期的対策として有効なものではなかったのだ。

 カンパラ以降、共通の認識は、国際労働移動が問題なのは、先進国および途上国ともに、自国の潜在労働力を有効活用できていないことが問題だということになっている。医療は国民の生産性を支える重要な要素であるのであれば、教育、採用、定着、それができる働きやすい職場の整備は、国の重要な政策であるべきだということだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Advocacy:アドボカシー

2011-08-08 23:09:56 | 医療用語(看護、医学)
  advocacyという言葉を最初に見たのは、1990年代の半ば、小児の保健医療で、プレイセラピーに関する仕事を通じてだった。プレイセラピーとは、遊びを通じて医療を受ける子どもたちに準備教育(preparation)をする専門領域で、その専門家をプレイセラピストという。advocacyを「権利擁護」と訳していた。

 看護では、カタカナで「アドボカシー」とした。アドボカシーを行う人を「アドボケイト(advocate)」という。ナースは患者のアドボケイトだ。

 アドボカシーとは、一般的には、社会的弱者に対して権利擁護をしていくことで、advocacy organizationは、患者団体や親の会(小児がんなど小児疾患の親の団体がそれにあたる)になる。医療職者がそうした団体のサポートをすることもアドボカシーになる。

 権利擁護だけでなく、「代弁」もアドボカシーの大切な機能だ。患者の権利やニーズを代弁し、適切な医療を受けられるようにする。ベッドサイドでは一番、患者のそばに存在するのがナースであるため、看護の重要な役割であるとしている。

 医療通訳者も、医療チームの一員として患者アドボカシーが求められ、カリフォルニア医療通訳者協会の倫理綱領には、第4番目の役割として、Patient Advocacyが挙げられている↓
http://www.fachc.org/pdf/mig_ca_standards_healthcare_interpreters.pdf

 アドボカシーが日本で文献に現れ始めて、20年ぐらいだろうか。以上が、これまで主に、アドボカシーについて説明されてきたことだ。

 アドボカシーに関して看護については、注意すべきことがある。国際看護の文献で、特に2000年前後の動きとして、professional advocacyという言葉が出てきた。「専門職者のアドボカシー」になる。これには上記の意味からもっと発展したアドボカシーだ。ウィキにある(下記URL)「社会問題に対処するために政府や自治体及びそれに準ずる機関に影響をもたらし、公共政策の形成及び変容を促すことを目的とした活動である」に関わるものといえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%BC

 professional advocacyの中には、最初に述べた患者のアドボカシーだけでなく、看護職自体をアドボケイトする必要性が強調されている。看護の政治的な役割に関わる。

 背景を説明すると、看護における患者アドボカシーの初期の欧米の文献の中で、ナースが患者の権利を擁護し代弁していこうとしても、看護がそれをするだけエンパワーされておらず、進まないということが挙げられていた。例えば、患者にとって良質な医療を目指しても、社会的な地位や認知、医療の中での立場(対等な協働になっていない)、多職種との連携、看護師不足や労働量などなど、看護をめぐるいろいろな問題や制約でうまく行かない。ナースは常に患者のそばに存在する専門職であることから発展させてきた人間中心の知識ベースがあるが、そうした状況では有効に活用して人々の福祉を向上できない。そのために、看護職をアドボケイトし、一般の人々からより多くの理解と支援を得て、看護や医療に関する社会政策の実現を目指せるように力をつける必要性が主張されるようになった。そうした社会/保健医療政策を実現して、初めて患者のアドボカシーになるということなのだ。

 例えば、簡単なことからいうと、ナースは自分の仕事について、家族(夫や子ども、親、兄弟)に話をする。どんなすばらしい仕事か、苦労はあるけどやりがいがある。地域の人々にも看護のすばらしさを話ができる機会を得る。例としては、学校で子どもたちに話ができる機会を作るなど。そうした日常、1人1人ができることから始まって、病院内の活動では、日常の実践の中で患者や家族にセルフケアの指導をしながら看護の有効性を説明したり、多職種の人たちに看護の効果をしめすとともに協働の仕方の例を示したり(看護の重要な役割にコーディネーションがある)、ケアの改善について院内の委員会で看護が重視される方向で発言をしたりする。もっと大きくなると、より良い看護ができるような政策実現や法律改正を目指して、交渉ができる力をつける(専門職団体などを通じて)。そのために、メディアを有効に使って、看護が人々の健康と幸福、福祉に不可欠なものであることを訴えるとともに、ナースがリーダーシップを取れるイメージを世の中に広げていく(ケアリングばかりではない)。

 このことは、看護が自分のことばかりを主張しているということではない。人々が必要とする看護を守っていくには、看護自体が世の中から評価され支援をされなければ叶わない。そのために、ナースには、professional advocacyが必要なのだということだ。

 その意味でのアドボカシーを展開できる力の養成を看護基礎教育(学部レベルの教育)の段階から組み入れていかなければならないとしている。

 看護におけるprofessional advocacyについては、日本の看護文献ではまだ出てきていない。日本の論文では、「患者アドボカシー」として代弁と権利擁護のことが主に述べられているだけだ。しかし、看護の国際文献では、アドボカシーは、「看護の政治および政策」中で上記のことがしっかり、説明されている。
 
 国際的な看護の議論でのテーマの推移は、今後、機会があれば、ブログで紹介するつもりだ。学術的なテーマは時間とともに推移する。どの分野にもそれはいえる。看護の場合、ICNが一番大きな団体だ。看護の各分野の指導者が関わる専門職団体であり、そこの動きは国際看護全体の基調で、細分化された看護分野にも反映されている。実際、看護の個別分野(例えば、看護教育、がん看護など)の仕事を受けたとき、関係項目では共通の認識をベースにした議論になっている。

 professional advocacyについては、看護で見られる考え方が、今後、他の分野でも現れるかもしれない。というのは、看護では、社会学的研究がすでに、1970年代から盛んであり、看護研究の視点や方法が、30年あとに、他の分野で見られ始めたりしている。このことは、看護学が他の分野よりもずっと進んでいると私が感じている部分だ。

 参考文献:Mason, D.J., Leavitt, J.K., Chaffee, M.W.(2007): Policy Politics in Nursing and Healthcare, St. Louis: Saunders Elsevier, pp36-37.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

診療報酬:National Fee Schedule vs. Reimbursement

2011-07-19 20:31:10 | 医療用語(看護、医学)
 日本の医療で特異的な仕組みに、「診療報酬」がある。通訳者になったころ、日本人話者が、「診療報酬では。。。」と発言を切り出すのに、困っていた。会議の参加者の外国人が日本の医療制度について、ある程度、知識がある場合や場面では問題はないのだが、そうでないときは、「日本では、医療費が公的保険制度ですべて賄われている」ことを、通訳者の私が、補足しなければならない。そうしなければ、話がつながらないからだ。だから、最小限に、そうした補足はしていた。何回か、仕事を重ねる中で、日本人話者も気づいたようで、「診療報酬は、」と突然言い出すことは、なくなり、必要なときは、「日本の医療は諸外国とは異なり、すべてが公的保険から、『診療報酬』として、病院に支払われる」と、冒頭、説明するようになった。

 通訳の場面では、通訳者は、その集団や場の規範(暗黙の内のルールのようなもの)に則した行動をとる。必要であれば、内容その他について、クライアントや話者らと打ち合わせをして、調整する。
 こうした適応は、通訳を介した会議の場面では、クライアントや話者にも生ずることを、この経験から学んだ。最初は、日本人どうしで話しているような日本語を話していた日本人参加者が、異文化の言語に訳せる(訳しやすい)日本語で発言するようになるのだ。


 診療報酬を reimbursement と訳されることが多い。ただ、これは、「払い戻し」という意味だ。一度は支払ったものを、保険で払い戻しされることである。日本の健康保険でいう「診療報酬」は、「払い戻し」ではない。単純に「保険で支払ってもらえる薬の値段」といった程度のことだと、話は通じるのだが、具体的な医療制度のことになると、reimbursement では行き詰ってくる。

 診療報酬は、national fee schedule だ。健康保険で支払われる医療処置や製品(医薬品、医療品)すべてをリストにしたものだ。そうした診療費について、各病院は毎月、レセプト(診療報酬明細書)を提出する。それを審査されて、病院は診療報酬を受け取る。病院の営利活動は認められていないので、診療報酬で、(政府の補助金は若干、あるものの)、職員の給料、設備投資、運営費のすべてを賄う。
 例えば、医療職の労働問題で、給料に関して、「原資が診療報酬だけなので、需給メカニズムが働かない」などという発言が出たとき、診療報酬をreimbursement で訳していると、話がつながっていかない。おそらく、そのあと、本来だったら発言の応酬になるはずのものが、出てこなくなってしまう。

 参考までに、患者の病院での「窓口払い」は、co-payments (for medical services)


 大東文化大学大学院経済学研究科の通訳プログラム(日本で初めての大学院の通訳プログラムで、プロ通訳者も何人も出ている)では、私は、2コマ、通訳実習のクラスを持っているのだが、その1つが、医療の通訳に特化した内容だ。4月から医療通訳者の倫理について学んだが、今、ちょうど、日本の医療システムについて学習を進めている。今回は、非常に優秀な学生ばかりで、2人は国費留学生だ。2人とも、国民健康保険証を持っている。「そうしなければならない」と言っていた。だから、国民皆保険の話は、比較的、入りやすかった。教材は、John Creighton Campbell, Naoki Ikegami (1998):The Art of Balance in Health Policy Maintaining Japan's Low-Cost, Egalitarian System, Cambridge University Press.(邦訳:池上直己、J.C.キャンベル著(1996):『日本の医療 統制とバランス感覚』中公新書)
 
 私が、日本の医療を英語でどのように説明するかを勉強した本だ。自民党政権下の内容にはなっているので、最近のもろもろの問題は、いくつか、別の資料で補足をしている。ただ、診療報酬の仕組みなど、日本人でもよく分からない話を、英語で学ぶには恰好の書だ。このブログで出ている訳語の出所でもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする