縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ビルマ戦線から娘に絵手紙をおくりつづけた兵士がいた・・・北原亜以子著「父の戦地」

2022年08月16日 08時04分57秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「ヨシエチャンヘ」で始まる200枚もの絵手紙を、ビルマ戦線から一人娘に送り続けた兵士がいた。
本書は戦死した父親からの絵手紙を軸にした、作家になったヨシエチャンが書いた太平洋戦争の回想記。
 
どこの国の陸軍も、職業軍人は少数で大多数は応召兵。ウクライナ軍やロシア軍だってそうだろう。
 
ヨシエチャンの父親は、子煩悩な東京下町の家具職人だった。
 
私の祖父も母が産まれてすぐに、二度目の召集で中国大陸から南方に転戦し、台湾沖で輸送船が沈没、ガダルカナルで九死に一生を得たのちにビルマ方面隊に従属、インパール戦で命からがら敗走してビルマで終戦・武装解除された歴戦の兵士だったが、シャバの職業は鍛冶職人だった。
 
「この世の地獄」「飢餓街道」から生還した祖父も、ここで死んだらノリコがどうなる!と母のことを思い続けていたのだろう。やり切れん。
 
 

ブレずに信義を貫いた今村均陸軍大将・・・太平洋戦争の立派な軍人

2022年08月15日 10時58分42秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
太平洋戦争の時に、今村均(いまむらひとし)という立派な陸軍大将がいた。
太平洋戦争のインドネシアでは日本軍の占領を歓迎した!アジア解放の聖戦だったのだ!との賛辞がネットで流布している。
 
実のところ現地で融和的な軍政を敷いた今村司令官(当時中将)の功績なのだが、参謀本部は甘っちょろいと今村を更迭し、以後は人心が離れて反乱もおこるようになった。
 
次の今村の任務がラバウル方面軍の司令官。早い段階からラバウルが激戦となると踏んだ今村は、兵站が途絶えても自給自足できる体制を構築し、ラバウル全島を要塞化した。
 
米軍はラバウル手強しと「飛び石作戦」でスルーしたこともあり、終戦後はラバウル守備の5万の将兵はひとりの餓死者も出さずに帰国できた。
 
今村は10年の禁固刑の戦犯として巣鴨プリズンに入るが、ラバウルに残った将兵が捕虜虐待の戦犯嫌疑で劣悪な環境の捕虜収容所にいると聞き及び、志願してラバウルの収容所に入る。
 
「部下たちを見捨てて自分だけが東京でのうのうと服役するわけにはいかない。島で服役したい」「我が将兵に罪はない。将兵を罰せず、我を罰せよ」と訴えている。
 
今村の言動にはマッカーサーは、「日本に来て初めて真の武士道に触れた」と感激している。
 
日本軍への敵愾心が濃厚なオーストラリア軍による現地の軍事裁判は、弁護人なしで判決を言い渡すだけの一方的なものだったが、今村は死刑判決の下った兵隊を最後まで慰めていたそうだ。
 
戦後9年目に今村は帰国するが、官位につくことなく自宅につくった小さな庵に籠り、晩年まで戦争犠牲者の供養をしていた。
 
インパール戦の失敗を部下の戦意の無さと言い逃れした牟田口中将、軍事裁判から海外逃亡をして自民党議員になった辻政信参謀とは対極の軍人。昭和史を調べていくと、戦争指導者たちの特権意識や独断専行に辟易することが多いのだが、今村のような人もいたのが救い。
 
TPP断固反対!ブレない政治をキャッチフレーズにした自民党が、政権に返り咲いた途端に掌返ししたが、ブレずに信義を貫いた今村均のような人が政治家になって欲しい。
 
 

映画「地底探検」は、家族そろって観られるSF映画の王道・・・いただきものの映画DVD

2022年08月13日 07時41分27秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

某所の膨大な映画DVDが廃棄されるので、好きなのもっていっていい!と夢のような情報があり、「あの名画をもう一度みたい!」と思っていた映画を20本ほどいただいた。

自宅に持ち帰って最初に観たのが、小学生の時にTVの映画番組でみて大感動したSF映画「地底探検」

主演のマーシャ・メイスンは「ベルベットの声」と謳われたイギリスの名優であり、若い科学者役は「砂に書いたラブレター」の大ヒットで知られる歌手のパット・ブーンですよ!という解説を今でも覚えているが、おそらく解説者は高島忠夫さんだろう。
 
この映画、大人になった今見ても実に面白い。冒険・ロマンス・スリル・勇気・悪漢の妨害と、映画の面白さの要素が満載。
 
地底に咲く幻想的な水晶の花畑、恐竜、地底の海・・・etc
 
最近のSF映画のように、やたらとマシンガンをぶっ放したり、人間ドラマを置き去りにした派手なCGもなく、人間くさくて丁寧な映画作りに好感が持てる。
 
全体的に明朗快活で楽天的なトーンで描かれていて、人種や老若男女問わず安心して観ることができる娯楽映画の王道といえ、この映画が製作された50年代当時のハリウッド映画人の良識、映画作りの巧みさがヒシヒシと感じられる。
 
私の子供時代は、良質なSF映画やホラー映画が夏休みのTV映画劇場で放送されるのが通例で、近所の子供や親戚が集まって観たり、家族そろって観ていた。あのころが懐かしい。
 
いやぁ、映画って本当にっ、いいもんですね!サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!(若い人は知らんだろうが、昔の映画解説者の名ゼリフ)
 
 
 

満州事変に手を打って喜んだ宮沢賢治・・・宮沢賢治とナショナリズム

2022年08月11日 06時58分47秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
人道主義者とばかり思っていた宮沢賢治が、満州事変の報道に接した時、手を打って大喜びし、大陸侵攻に感激する旨の書簡を友人に出していたと半藤一利著「あの戦争と日本人」にあり、賢治、お前もか!と驚いた。
賢治が法華経を深く信仰して、日蓮宗系の宗教団体に属していたとは知っていた。
 
 
が、その宗教団体こそ「八紘一宇」を造語した田中智学が主催する国柱会(こくちゅうかい)と知って、なぜ日本が世界を相手に戦争をおこしたのかの謎のいくつかが繋がった。
田中智学(たなかちがく)は元日蓮宗の僧侶。田中が大正時代に造語した八紘一宇は、道義的な意味を意味であり、帝国主義やファシズムとの関連はなかったが、昭和初期に政治家や軍人が軍事専制国家へと政治利用した結果、日中戦争や太平洋戦争の大義名分と認識されるようになった。
石原莞爾(いしはらかんじ・終戦時は陸軍中将) 田中の八紘一宇を独自に解釈して、日本・中国・朝鮮・モンゴル・満州の五族共和国家の建設を目指して起こしたのが満州事変。その結果が満州という傀儡国家。当初こそ石原の独断専行は非難されたが、やがて石原の野望とは別に日本の国益が優先されるようになり、日本は国際政治バランスの上で孤立化。
 
満州事変の首謀者だった陸軍の石原莞爾も熱心な会員で、満州事変は八紘一宇の実現の第一歩だったし、「八紘一宇は建国以来の国是」と、日中戦争の正当性を表明した近衛文麿首相の父親も会員だった。
 
八紘一宇・・・天皇を中心とした世界の統合を目指す思想。
 
賢治や石原の考えた世界平和とは、他国への軍事侵攻と支配の後にこそ実現されるが、戦国時代の国内政治ならいざしらず、近代の国際政治間では通用する由もない。
 
皇国史観をもたない他国の人からすれば、この思想は国家ぐるみのカルトといえ、近衛首相が表明した日中戦争の「正当性」は、ファシズム国家の言い訳と受け取られて当たり前。
 
安倍政権下で、自民党の三原じゅん子議員が、「八紘一宇はすばらしい考え」と国会で発言したことがあるが、保守政治とナショナリズムの境目が曖昧になってきているのではないか。
 
国会議員たるもの、太平洋戦争で300万人以上もの国民が犠牲となった経緯をしっかりと勉強して、国家をミスリードしないで欲しいと切に願う。
 
現在も国柱会は存続しており、日本会議と繋がっている。国際勝共連合、すなわち旧統一協会との関係はどうなのか?
 
政治家と統一協会の癒着をウヤムヤにしてはならない。
 
 
 

ヒスイ職人の夏の過ごし方・・・ヒスイ拾いだけがヒスイ海岸の魅力ぢゃないぜ!

2022年08月09日 07時35分45秒 | 糸魚川自慢
「旅と歴史ライター」の多田みのりさんご一行が遊びにきた。
 
ヒスイ海岸に案内したついでに、先週みた銀色に光るウルメイワシらしき群れの撮影に再挑戦したら、一匹もおらんじゃないの。
でかいスズキが数匹、水底を遊弋していたから、食われちまったのか?
映画「未知との遭遇」のワンシーン!
そのかわり体調15センチくらいのイカの群れがいたが、カメラのバッテリーが不調で、写ったのはピンボケ写真のみだから掲載しない。
ウエイトなしの素潜りだから、わたしも波に揺られているのでシャッターチャンスは一瞬で、思うように撮影できないから、なんども行ってしまう。
小魚やイカは、水中では透き通ってみえて幻想的。
クラゲはまだ出ていないが、小さなシマダイがチクッと突っついてきた。海水も少し濁ってきた。
夕闇迫るころ、スラブ系の言葉を話す外国人家族が、浜に降りてきた。
 
話しかけようにも、ロシア語はハラショーやウラー!、ダーしか知らんし、ウクライナ人やポーランド人かも知れん。どちらでもいいように、ボルシチ!ペチカ!と初対面の日本人から突然言われても怪訝だろう。
 
拙い英語でもと思ったが、英語圏ではない欧州の人からノー・イングリッシュと言われた経験が何度もあるので、次回があればコンニチワとニイハオ!で挨拶してみっか(笑)
 
 

 


いつか消滅するヒスイ海岸?・・・浜のひとたちの生活の記憶

2022年08月05日 06時59分23秒 | 失われゆく風景
夕闇迫るヒスイ海岸で潜っていたら、帰り支度していた長野の家族連れが「きもちよさそうですね!」と、再び着替えて海に入った(笑)
今は猫の額のようなヒスイ海岸でも、わたしの高校のころまでは野球ができたくらい広かったし、浜茶屋(海の家の方言)が二軒もあったと教えると、みなさん驚く。
 
近所の人々が夕涼みに浜に降りて来て、世間話に興ずる社交場でもあったし、昔の習慣で生ゴミをわざわざ浜に捨てにくる老人もいたので、防波堤の下は臭っていた。先祖代々「けんか祭り」の禊をしてきた大事な浜ですよ。
 
その浜が年々と狭くなっていく。生きているうちに浜が消滅してほしくないよな。
 
 

海中からみる夕焼けは金色のオーロラ・・・ヒスイ拾いだけが魅力じゃないぜ

2022年08月03日 07時03分20秒 | 糸魚川自慢
日没の30分くらい前から10分くらいの間だけ、たオーロラみたいな金色の光が海中に差し込む。
ほてった体を冷やしにヒスイ海岸に潜りにいっているが、これを観るのが楽しみ。
私の撮影技術では半分以下にしか表現できていないが残念だけど、実際は光のカーテンがキラキラゆれて、もっと神々しい。
SF映画「未知との遭遇」のワンシーンみたい
ヒスイ拾いのガイド依頼は、本当はこの天体ショーもセットにしたいんだけどネ。
酷暑の工房改装工事でも、海に潜りにいっているせいか、夏バテしていないのがありがたい。
光りあれ!って感じ
シャッターを半押しにして、キラッとした瞬間にシャッターを切っても手遅れ。一瞬でかわるから、実際の神々しさが伝えられないのがもどかしい。
遅々として進まない工房改装工事も、来週には珪藻土が塗れそうだ。
 
ヒスイ海岸の魅力はヒスイ拾いだけじゃないぜ。来客の食事やチェックインの都合もあるので無理なことが多いが、夕焼け鑑賞セットもいかが?
 
 
 

 

 


糸魚川に椰子が風にそよぐハワイの風景が!・・・筒石漁港

2022年08月01日 06時21分09秒 | 糸魚川自慢

シートウサミットと海遊び体験会と、たて続けにお世話になった筒石区長さんから、漁港東にも岩礁があると教えられて潜ってみたら、岸から20m、水深2mくらいから岩が沖に続いているのを確認できた。

筒石の夕焼けを海中から撮影。サザエ・牡蠣・アワビを組合員以外がとるのは違法。海上保安庁に出向いて調書をとられた挙句に罰金までとられるから、買ったほうが安い(笑)
 
この岩礁がかなり沖まで点在して、漁港から東の舟屋まで帯状に続き、場所によってはかなり沖に出ても水深1mくらいに岩礁があるのだと、脳内の海底地形図に補足。
 
浅い湾でも岩礁のお陰で大ウネリが入ってこず、海女さんもいた天然の良港である反面、ウネリの高い時に沖合100mくらいで丸木舟を座礁させたこともあり、水路を知らないと危険な海域でもある。
地元の人が毎夕に東屋を掃除しているらしく、いつも綺麗に片付いている。弁天浜のような海水浴場と違って、海水浴客が少なく静かだから、読書や昼寝にうってつけ。ゴミは持ち帰ろう。
河川に挟まれたヒスイ海岸より、海水温は2℃は高いようで、この点も好ましい。またシュロ椰子が風にそよぐ筒石漁港の夕景は、なかなかよろしい。
長野の人を案内したら、新潟にハワイがあった!と喜んでいたが、シュロ椰子は糸魚川にも自生している。