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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ホタルイカの干物はうまい!

2020年05月11日 07時07分43秒 | 糸魚川自慢
ホタルイカ拾いた~い!とお隣の上越市からご婦人が訪ねてきたが、潮や海水温、風などの条件が揃わないとムリ~!( ´艸`)
男性客に比べて、女性客が元気なのは何故でせうか・・・わたしもタジタジ( ´艸`)
 
ホタルイカが拾えなくても近所の寿司屋の「傳兵」で海鮮ランチを食ってもらい、隣の伝兵衛水産で干物のホタルイカを購入できたのでとりあえず満足してもらえた。ホタルイカがあがるヒスイ海岸から歩いていける所なので、お土産にどうぞ。
ホタルイカの干物を初めて食ったが、炙らなくても柔らかくてうまいことを知りましたデス。
人間界はテンヤワンヤでも夏に向かって確実に時は進むノダ・・・葡萄の子供が生まれていた。
久しく咲かなかったリンゴの樹にも淡いピンクの花が咲いた。
 
もうひと踏ん張り、みんな頑張っておりますゼネ!

 


ホタルイカがあがりました・・・県外在住の糸魚川出身者へ

2020年04月30日 15時23分21秒 | 糸魚川自慢

県外在住の糸魚川出身の皆様へ

今年もホタルイカが浜にあがる季節になりました。

暗い内にタモ網を持っていかなくても、寺町~押上の海岸は石浜なので砂を噛むこともなく、自宅用と近所にお裾分けする分だけ拾うぶんには気楽なもん。
 
浜っ子の遊び場は豊饒の海であり、けんか祭りの禊の海。
脚がもげたのや、干からびたのはより分けて拾っていますが、食べたかったら新鮮な沖獲りを漁師さんに頼んであげます。
 
みんな大変だけど各地の漁師さんも大変。
 
海岸にはヒスイ拾いの人も疎らの静かな5月連休ですわ。

親不知の「波除観音」の由来・・・風景には物語りがある。

2020年04月24日 08時39分38秒 | 糸魚川自慢
6年前の今頃、海のヒスイロード検証実験航海のトレーニングで、親不知を日帰り航海した。
シーカヤック船首は東を向いております・・・日本海の沿岸は、午前10時くらいから東から西に時速2キロくらいで潮が流れることが多く、青森方面に漕ぐのはけっこう大変です。
 
かっては狭い海岸線が加賀街道で、断崖に打ち寄せる波を避けながら海岸を歩いていたので、時には亡くなる人もいた天下の険。
 
ある時、子供を波にさらわれた母親が、必死に観音様に命乞いをしたら、運よく次の波で子供が返ってきた。
 
後日、その場所の断崖に観音様を祀ったのが「波除観音」で、まだ残っていたので写真を撮った。
 
残念ながら現在の親不知は、海岸浸食のために歩くことはできず、波除観音は海上からしか観ることができない。
 
高校で古典を習い、親不知の郷土史家として知られる蛭子先生に顛末を話して写真を進呈したら、海から撮影した初めての写真ということに感激され、教育委員会に申し出たらしく文化記録されるに至った。
風光明媚だけでは片手落ちで、風景の物語りを語ることが肝要。
 
絶景だけなら、佐渡や能登、男鹿半島、竜飛岬にはスケールも景色も敵わないのですよ。
 
親不知の風景がどこか物悲しいのは、人の哀しさが記憶されているからだと思う。

心を寄せる誰かの存在・・・コロナ禍の夜に

2020年04月21日 07時43分34秒 | 糸魚川自慢

帰宅したら玄関に海藻のアオサが置いてあった。

田舎では誰かが黙って山菜や海産物を置いていくのはよくあるが、最近は送り付け詐欺の話も聞くのでとりあえず冷蔵庫に保管。

夜遅い時間になって高校美術部の後輩、居酒屋を経営するT君からの贈り物である旨のメッセージが入ってひと安心。

漁師さんから魚を頂いた翌日だから、感激もひとしお。漁師さんも大変だけど、居酒屋も大変だろうにねぇ。

昨夜のNHK「逆転人生」で、借金地獄から脱出して、同じ境遇の中小企業経営者のために経営コンサルタントになった吉川博文さんが、「経営破綻して自己破産したり自殺する場合は、ほとんどが自滅なんです。孤独ではないと寄り添う人の存在が大事なんです。」と提言していた。

大変な時にこそ、心を寄せる誰かに親切にするし、親切にされた人はまた誰かに親切にして助け合う。

助け合いの輪が広がって、みんなでガンバロウな!と心が一つになっていく。

ワンチームや統合という言葉は、トップダウンではなく、何か大変な時期に底辺から湧き上がってきた方が自然だ。

心を寄せて孤独でないことを教えてくれたみなさん、ありがとう。

この気持ち、誰かにバトンタッチしなきゃね。


緊急事態宣言下の都市在住の糸魚川出身者の皆様に春のお知らせ

2020年04月07日 18時43分17秒 | 糸魚川自慢
緊急事態宣言下の都市在住の糸魚川出身者ならびに糸魚川ファンの皆様へ。
姫川右岸から黒姫山を望む
糸魚川に春を呼ぶ「けんか祭り」が中止になってしまい寂しい春ですが、季節は確実に春となりサクラは満開。
 
けんか祭りは濃厚接触どころか超過激接触の祭りだし、数年前の祭りの後にインフルエンザが流行って直会も中止になったくらいだから致し方ないですねぇ。
今日は上越市でコロナ患者が確認されましたが、糸魚川はまだ大丈夫。
来年の「けんか祭り」は倍返しかな・・・楽しみにしてください。

福の神来訪

2020年04月01日 07時41分08秒 | 糸魚川自慢

親不知の漁師、松沢船長が、セイカイ(ウスメバル)、アジ、そして初めて見る八角という珍しい魚を持ってきてくれた。

魚の卸売価格も安くなって大変らしいが、漁師が「お魚券」を貰ったら「お肉券」と交換してくれるのか?換金してくれるのか?と政府景気回復案につき議論を尽くす(笑)
仕事が減ったフリーランス云々はともかく、漁師、農家、私みたいな職人などの個人事業者だって大変で、誰と話しても景気回復には商品券や焼け石に水の金額の現金より、生活必需品・食料は消費税はゼロ、贅沢品は20%が公平だよね、ということになる。
八角(はっかく)は水深100~200mくらいに住む高級魚らしい。
 
コロナショックは年内いっぱいは続きそうだし、オリンピックの来年夏開催も無理だよねぇというのも共通意見。
 
親不知には蛭子(エビス)という苗字もあり、昔から寄り物(海からの漂着物)が多かったことが伺われるが、エビスは福をもたらす漂着神、来訪神、漁業の神様で、七福神の中で唯一、日本オリジナルの神様でもある。
エビス顔選手権があれば、糸魚川代表に推したいくらいの松沢船長の訪問、まさしく福の神の到来。

幻の金メダリストから東京五輪選手にエール・・・高校の恩師

2020年03月16日 07時30分52秒 | 糸魚川自慢

朝刊に高校時代の体育の先生が出てたので、県外在住の同窓生のために!

高橋先生はモントリオール五輪の重量挙げ4位、モスクワでは金メダル候補とされながら、五輪2ヶ月前にソビエト連邦のアフガン侵攻に対する西側諸国ボイコットで涙をのんだ人で、その立場から開催危機にある東京五輪の選手にエールを送っている。
 
私の学年は高橋先生の受け持ち授業はなかったが、私は美術部だったお陰で体育会や学園祭の裏方として先生に接する機会が多かった。
 
笑顔が少しだけジェームス・ディーンっぽいイケメンで気さくな先生だったが、流石に好奇心の強い私と言えども五輪ボイコットの話は聞けなかった。
 
天気のいい昼休み、高橋先生は体育館の裏で上半身裸になって日光浴をしていた。
 
40年前の五輪ボイコット・・・さぞ無念だっただろう。

介護施設らしからぬ「デイサービスひのき文庫」は糸魚川の誇り

2020年03月01日 08時05分02秒 | 糸魚川自慢

江戸時代の戯歌に「糸魚川に過ぎたるもの三つあり、豆腐、玄白、稚児の舞い」というのがあり、これは片田舎の糸魚川であっても水が美味いので豆腐が美味い!相沢玄白という名医がいる!4月10日のけんか祭りの後に奉納される稚児の舞いが雅である!という自慢だが、親父が世話になっている「デイサービスひのき文庫」を加えてみたい。

外観と室内は、およそ介護施設らしくない昭和レトロな喫茶店風のインテリアで、介助付きの大きな檜風呂もあるので、老人にとっては週に何度か訪れる保養所のように感じるだろう。
 
なるほど「懐かしい感じ」は非常に寛げて、その発想の秀逸さに感心する。
送迎の女性職員の献身的な対応に家族は安心でき、また我儘な親父をその気にさせる言葉掛けの気配りに頭が下がる。
コロナ集団感染で臨時休業でもされたら困る家族が多いだろうが、我が家にとっても必要不可欠なライフインフラだ。
はやく収束して欲しいと切に願う次第・・・。

春から縁起がいい・・・元旦の来客

2020年01月01日 16時33分57秒 | 糸魚川自慢

元旦に初めてのお客さん。

最初に来たのは、おさななじみの直子嬢夫妻

直子嬢が帰ったすぐ後に同じくおさななじみのふさ子嬢の夫婦が相次いでやってきて、縄文オカリナを買いに来てくれた。

元旦に2名の弁天様(!)の訪問とは春から縁起がいい。

直子嬢のご主人はマレーシア人のイスラム教徒だから、イスラム式のお正月の祝い方や挨拶を質問・・・特にないそうです(笑)

二人が買ってくれたのは遮光器土偶オカリナ

同級生っていいな!


糸魚川大火から3年目の正月

2019年12月31日 09時23分05秒 | 糸魚川自慢

年末恒例の包丁研ぎをしていたら、3年前の糸魚川大火でボランティアに来ていた栃木の藤久保氏が復興の様子をわざわざ観に来てくれた。

糸魚川のお節料理に欠かせないのが寒ブリの刺身だから、包丁研ぎは大事な年末行事。普段使っていない包丁も研いで椿油を塗り込んでおく。

私が気にはなっていたのは高齢被災者の現状であったので、商家に入ってその後の状況を聞いたら、大部分の方は復興住宅に入居したり近くの老人ホームに入居したとのことで一安心。

大きな駐車場を持つ「にぎわい広場」に立つ藤久保氏は各地の災害ボランティアで飛び回っている人

広場の地下は、消火用の水が足りなくて海水まで使った大火を教訓として消火用貯水槽になっているそう。

最初は店舗の場所が変わっていたので気付かなかったが、話を聞かせてくれた商家のご婦人は、私がボランティアで入った老舗仏具屋さんの焼け跡から探し出した焼け焦げた婚約指輪の持ち主その人であることが判明した。

あの瓦礫の山から想像もできない復興振りに胸が熱くなった。


昔は年末になると人でごった返していた本町通りは、郊外の大型店に圧されて随分前からシャッター街になってはいたが、車がない世帯でも生活ができて駅に近いという利点もある。

古い町並みが残る路地

往時の賑わいの復活は無理にしても、静かな住宅街なりの活気が戻ってくれればいい。

映画「仁義なき戦い」の菅原文太のラストの名セリフの「山守さん、まだぁ弾ぁ残っとるがよぅ・・・」

これから始まる新しいまち作り。