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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

奴奈川神社の火起こし神事と蜜柑・・・冬の赤は春の訪れ

2018年01月14日 11時42分15秒 | 糸魚川自慢

奴奈川姫伝説の本家、糸魚川の奴奈川神社のどんどん焼き「お松っつぁん焼き」は、火起こし神事で始まる。

宮司さんは若い頃に伊勢神宮の忌火屋殿で奉職していた方で、三回も式年遷宮を経験しておられる稀有なお方。

火起こしは伊勢神宮方式の舞錐式発火法で、発火具も同じ物を使用している。

 火きり臼は厚み2㎝ほどの檜製・・・和光大学の岩城教授の研究によると発火効率は厚み1㎝くらいが最適とされているが、神事なので発火効率は問題にされていないようだ。

火きり杵の先端は、カートリッジ式の山枇杷製。

火種を育てるおが屑は、匂いと煙くない事と着火効率がいいので、知人の大工さんから檜のおが屑を分けてもらうのだそう。

ゆっくり舞錐を上下させ、約1~2分ほどで火種を作り、おが屑の中に半分くらい埋もれさせた状態で火吹き竹で火種を育てる。次いで杉っ葉に点火して松明状に燃え盛った状態で境内のどんど焼きに着火という手順。

真っ赤に立ち上がるどんど焼きの炎は、雪国に春が近いと知らせる来訪紳。旧年中の達磨や注連縄、お札を焼いた後は、割った鏡餅を焼き、青竹で熱燗を付けて振る舞いになる。

 

雪国の人が過酷な生活に耐えられるのは、いつか春が来ると知っているから。
先祖代々、そうやって冬を耐え、春を待ち続けてきた。

雪に埋もれたぬなかわヒスイ工房

 

今日の糸魚川は晴れて、沖には能登半島も見える・・・春は近い。

糸魚川出身の相馬御風の作詞の童謡「春よ来い」の風景は、春を待ち望む糸魚川人の原風景と言える。
私のその話を聞いた富山の友人達が、2年前の12月に発生した糸魚川大火を支援するイベントで復興ソングに使ってくれた。

除雪の一服で食う蜜柑ほど美味いもんはなく、私はわざわざ雪の上に置いて冷やしておく。火照った体に甘酸っぱい果汁が浸み込んでく至福の時。暖かい蜜柑産地の人は思いもよらないだろう。お供え餅の一番上に鎮座まします黄色い蜜柑も、赤い火の神の象徴だ。


越後人にとって、モノクロの冬景色に映えるどんど焼きと蜜柑は春の予感。
天気も気持ちもハレバレするから春なのだな、としみじみ思う。
春を呼ぶ「けんか祭り」まで、あと三ヶ月!
その先駆けができる寺町区と押上区の男たちは果報者だ。


糸魚川の海岸段丘・・・冬の景色

2017年11月15日 07時22分40秒 | 糸魚川自慢

貴重な晴れ間を縫って、今年最後になろうかという原石拾い。

久しぶりに見る姫川河口は、断層のような荒々しい海岸段丘が発達して様子が一変していた。

姫川河口から西を望む

 

土木工学の本にも出ているくらい有名な暴れ川、姫川に橋が掛かったのは近代に入ってから。

昔は河口に近い須沢地区に渡し船があったそうだが、江戸時代に全国の測量行脚をした伊能忠敬は姫川の増水で何日も足止めされたとか。

幼馴染の直子ちゃんは、その時の宿泊先が親族筋の家なのだと自慢している(笑)

須沢の人々は、山の権利を貰える代わりに集落ぐるみで五人一組の交代制で渡し船をしていたとモノの本に出ているが、渡し船をするという事は増水のたびに上流から転がり出てくる大きな石を川浚いしていたに違いなく、冬なんか大変だったことだろう。

糸魚川名物の海岸段丘。

平日にも関わらず、この日も県外からのヒスイ拾いの人が大勢いた。

 

海岸段丘は海岸のみならず、海の中にも発達している。

だから押寄せる大波が海岸段丘をジャンプ台にして、波打ち際で急激にそそり立つ恐ろしい海でもある。

この日も河口には衝立のような巨大な波が立っていた。

こんな恐ろしい海、糸魚川の縄文人達は、船足の遅い丸木舟をよく乗り回していたもんだ。

以上、レポートは先人の苦労が偲ばれる冬の糸魚川の海からでした・・・。

 

 


長者ケ原遺跡で縄文キャンプ・・・朝日が差し込む1号住居

2017年08月10日 23時18分10秒 | 糸魚川自慢

石川県のフリースクール、ワンネス一行18名が糸魚川にやってきた。

5月に案内した親不知の海の美しさに感動して、一泊二日の予定で素潜り体験会のコーディネートと講師を依頼されたので、せっかくだから宿泊先は長者ケ原遺跡の復元竪穴住居を推薦した。

国指定縄文遺跡といえども、長者ケ原遺跡の竪穴住居は教育委員会に使用許可願を申請して受理されさえすれば宿泊可能なのだ。

一応、教育目的だから夜には私の「海のヒスイロード検証実験航海記」のお話会もした。

飲食や火の扱いは、遺跡公園入口にある体験学習棟で行う事が竪穴住居キャンプのルール。

 

学芸員さんはウルル(糸魚川弁でブユ・ブヨ・ブト類のこと)や蚊が凄いですからと忠告してくれたが、復元住居内は週に一度は虫除けに石囲い炉で焚火をして燻している為なのか虫に悩まさる事はなく、快適だった。

遺跡は標高90m前後の高台にあるせいか夜は涼しく、今回もタオルケットだけで寝た人は寒かったと言っていた。

 

5年ほど前にも縄文キャンプしたのだけど、その時は五千年前のヒスイ職人の先輩に敬意を表して南西端の20号住居に宿泊したので、今回は遺跡公園北西端に位置する1号住居に宿泊してみた。

そこで新たな発見!

午前4時半、1号住居の入り口から差し込む朝日で目覚めた。

表に出てみたら東から昇る朝日が真っ先に1号住居を明るく照らしている。

午前5時にはこんな感じで1号住居のみに朝日が当たっていたが、他の住居群はまだ夜の闇の気配を残していた。

 

つまり1号住居は、長者ケ原遺跡の竪穴住居群の中で最初に朝日が照らされ、最も日照時間が長い立地条件!

1号住居付近は中期中葉の住居密集箇所に位置するとの事だが、その謎が解けた気がする。

今後は冬至、夏至、春分、秋分の日の出と日の入りを確認していくのが課題ですな。

 

 


ラベンダービーチの乙なオブジェ・・・ソッテ(鳥竿)

2017年07月08日 22時21分06秒 | 糸魚川自慢

たった三畳しかないぬなかわヒスイ工房は、来客はギリギリ二人までが限界。

時には10名を超える来客もあるが、最も多い来客単位が1~3名なので、私も入れて4名は工房で寛いで話すために増築を計画している。

といっても、敷地に制約があるので三畳から六畳弱に広くなる程度。

大勢の来客時には工房前の庭を整備して寛いで頂くため、ガーデニングを先行している。

ガーデニングには石が必要・・・夕闇迫るラベンダービーチに石を拾いに行ったら、乙なオブジェ発見。

誰が作ったのか、まるでソッテ(鳥竿)そっくりだ。

 

ソッテは朝鮮半島の道祖神のようなもので、鳥居の上に乗っているバリエーションもある。

鳥が居るから鳥居なのだな、と即座に理解できる鳥居の元祖?

日本の鳥居の元祖を中国・朝鮮とする説があるが、北部ラオスのアカ族の村境にだってよくある。

右の鳥居の横にぶら下がっている物体は・・・。

赤と青の鳥形。

場所によっては鳥居が幾つも続いていることもあり、まるでお稲荷さんのよう。

彫刻があり、天に指向する先端が尖った横木を持つパターン。

七夕飾りのようなパターン。籠目が付けられている所に注目して頂きたい。

 

発祥地や伝播ルートはともかく、鳥は常世と現世を「トリ繋ぐ」役目をイメージさせてくれる生き物であるには違いない。

糸魚川の春の風物詩、けんか祭りの大役の鳥爺(トリジ)も、神様の使いなのだ。


巨大アンコウ・・・困った困った、嗚呼困った

2017年05月11日 07時40分50秒 | 糸魚川自慢

東のアンコウ、西のフグと並び称される体長60㎝もあるアンコウを頂いた。

旬を過ぎているといえども高級魚アンコウ!

小家族では食いきれない巨大なアンコウ!

困ったなあ・・・食い過ぎて飽きてしまっては、せっかくの高級魚アンコウがかわいそう。

困った困った、嗚呼困った(笑)


衣紋かけを自作しよう!・・・けんか祭りの後

2017年04月13日 11時07分39秒 | 糸魚川自慢

けんか祭りが終わって、例年通りの「燃え尽き症候群」に突入。

一週間ほどはボーと過ごすことになる。

借りた半纏は各自が水洗いして返す事になっているが、私は和服の陰干し用に自作した「衣紋掛け」で干している。

薄い板を自分の裄に合わせて切って、面取りした後に中央に紐を吊るしただけだが、非常に具合がいい。

黒法被の背中には、天津神社のご神紋「三つ巴」!

 

和服は直線裁ちのため、普通のハンガーで干すと、変な皺が入るし肩から袖のラインがピシッとせずに気持ち悪いのだ。

私の衣紋掛けだと生乾きの時に掌でパンパンと叩いて皺を伸ばしておくと、乾きが早くアイロン掛けが必要ないくらいに綺麗に干せて具合がいい。

お袋も含めて、和服愛用者から注文を受けるくらいの優れもの。

けんか祭りは寺町と押上の男だけが参加できるが、女衆(オンナショ)だって準備や後片付けに忙しい。祭りに欠かせない中に漉し餡が入った黄な粉餅作りもその一つ。女たちのけんか祭りですな


瑞兆・・・2017年けんか祭り

2017年04月09日 17時29分20秒 | 糸魚川自慢

30年来のバックパッカー仲間の浅草の友人が、けんか祭りの見物に来たので観光案内。

彼は子供のころから三社祭りに参加してきた祭り好きなので、東京の神社とは異質の古色蒼然とした天津神社の佇まいに感動していた。

天津神社と併催されている奴奈川神社は、我が産土のぬなかわ姫を祀る由緒ある式内社なのだ。今時、珍しい茅葺がお国自慢。

桟敷と舞楽の準備が整い、祭りの準備が着々と進んでいた。

普段は欄干のない石舞台も、祭り用に艶めかしく飾られている。奉納される舞楽は国指定民俗重要無形文化財。

 

富山との県境に位置する親不知に案内したら、折しも断崖からせり出した桜が満開。

海風に吹かれて花びらが散っていた。

沖に目を移すと、東に向かうイルカの群れ・・・これぞ瑞兆。

明朝午前0時に太鼓が打ち鳴らされ、戦いの口火が切られる。

 


NHKラジオ「すっぴん」に高橋竹山さん生出演

2017年02月27日 20時53分21秒 | 糸魚川自慢

仕事中はNHK第一ラジオを流している。

平日の午前中なら「すっぴん」、午後なら「ごごらじ」という番組を聴いているが、どちらも各界の著名人のゲストトークが愉しみ。

本日2月27日の「すっぴん」のゲストは、竹山を襲名して20周年になる津軽三味線奏者、「二代 高橋竹山」さん!

写真は全て「すっぴんブログ」より転載。左から藤井アナ、高橋竹山さん、月曜日のパーソナリティの劇作家の宮沢章夫さん。

 

日頃は津軽弁混じりの竹山さんも、ラジオではテキパキとした江戸弁・・・竹山さんは江戸っ子なのだ。

意外に思うだろうけども竹山さんは糸魚川市在住で、私は懇意にして頂いている。

私と共通の趣味は寄席演芸好きという事で、噺家さんの友達も多い竹山さんとの会話は、Uターン帰郷以降は落語に飢えている私の愉しみの一つ。

因みに「すっぴん」司会者の藤井綾子アナのご主人は、竹山さんとお友達の古今亭菊之丞師匠。

さて、宮沢章夫さんが、先代の竹山の生演奏を聴いた時にその力の抜けた奏法に驚いたとコメントした所、よくぞ気付いてくれたと当代の竹山さんに褒められていた。

私も先代(初代)の生演奏を聴いた時に同じ思いをした・・・竹山さん褒めて(笑)

津軽三味線というと、ベンベンと撥を叩きつけるような速弾きをイメージしていたのだけど、先代の竹山さんは柔らかく撫でるような撥の使い方だった。

竹山さんと初対面の時にそのことを話したら、無名時代の先代は貧乏のどん底で門付芸人をしていたので、三味線の糸を切らず、そして胴の皮を破らない撥の当て方を編み出して、あの柔らかい奏法になったのだそう。

それでも時には糸が切れて、新しい糸を賄うこともできずに切れた糸を繋いで弾いていた・・・貧困ゆえの津軽三味線奏法、誰も真似できない津軽三味線だったのだ。

竹山を襲名して、常に先代と比較される立場の当代の竹山さんのご苦労が偲ばれる逸話でもある。

それにしても番組の中で竹山さんが唄った「鯵ケ沢甚句」は秀逸だった。

これまで聴いたどの「鯵ケ沢甚句」より、津軽を感じて鳥肌が立った。

「海のヒスイ・ロード」検証実験航海で鯵ケ沢周辺を漕いでいた時、ずっとこの民謡が頭の中をよぎっていたことを思い出す。

糸魚川にヒトあり。

その名は高橋竹山!

 

 

 

 


我が青春の「The Soba」・・・「そば処 泉家」さんにエールを!

2017年02月20日 15時35分49秒 | 糸魚川自慢

年末の糸魚川駅北火災で惜しくも全焼してしまった老舗の蕎麦屋「そば処 泉家」さん。

泉家さんといえば、高校最後の熱い夏を思い出す。

私の高校当時の泉家さんはハバカリ(便所)の大きい方には床の間が設えてあるような古いお店で、そんな佇まいが大好きだった私。

そこで高校3年の夏、美術部の仲間とクラスメートで「泉家ファン倶楽部」を結成した。

世界にたった1冊しかない機関誌「The Soba」。「泉屋はイースターよりラジカルだ!」という特集は、当時のティーンエイジャーに多大な影響を与えた総合雑誌「ポパイ」の影響(笑)

 

もり蕎麦が当時でさえ驚きの280円という安さだったので、放課後は後輩たちを引き連れて「泉家巡礼」と称して「ソバリスト」養成に努めていたのだ。

なかにはザル蕎麦を注文する後輩もいて、「なんだいお前さん、ザル蕎麦かい?ザルはいけませんよ。海苔が蕎麦の香りを消しちまうから・・・」と、私は落語に出てくる蕎麦っ食いの通人を演じて、いじられた後輩も「なにぶん未熟者でして・・・」と面白がって役柄を演じていた。

親友で副編集長を務めてくれたチー君は、随筆やショートショートなどで持前のナンセンスギャグを炸裂させていた。

「陸上そば隊、航空そば隊、海上そば隊」への入隊ガイダンという秀逸なコーナーも、チー君のアイデア。

 

冬は糸魚川市内を見下ろす美山公園、夏は親不知海岸で「ソバリスト強化合宿」までやった。

その集大成が機関誌「The Soba」の発行。

エッセイ、ポエム、漫画など、それぞれ得意な分野の原稿を各方面に呼びかけた。

受験勉強をほったらかしてイラスト入りのSF短編小説「硬派よみ物 渡星人走る」を書いたのは、現在、「金田一少年」の作画担当で活躍する漫画家のエイイチ。

「硬派よみ物 渡星人走る」・・・エイイイチは、まだメジャーになる前の宮崎駿に影響を受けていた事がわかるイラスト。よく部室で「アニメージュ」を読んでいた。

床屋の倅の伊賀君の漫画

 

あの夏の出来事は、後々まで糸魚川高校美術部の伝説になっていたようだ。

今でも後輩たちの間では、高校生活一番の楽しかった思い出と語り草になっているし、10歳以上離れた面識のない後輩から、「あの伝説のヤマダ先輩ですかぁ!」とハグされた事が何度かある。

我々の青春の地、泉家さんの再建が待ち遠しい。

 

 

 


糸魚川の凄い人々・・・高橋竹山さんご夫妻と大工のNさん

2017年01月19日 22時52分40秒 | 糸魚川自慢

糸魚川市の根知区に住むイギリス人女性、エマさんから古民家をDIYリフォームしたいと相談を受けた。

私は何を隠そう、元リフォーム店店長・・・別に隠してないけど。

四の五のと説明するより、古民家のリフォーム例を観てイメージを掴んで貰う事にした。

そこでエマさんと折よくイギリスから遊びに来ていたご両親をご案内したのが、能生地区在住で著名な登山家である青田浩さんの自宅。

左端が竹山さん。右端が青田さん。

 

青田さんは登山家の間では有名な人らしい・・・私は登山に詳しくないのだ(笑)

そして青田さんの奥さんは世界的に有名な津軽三味線の「二代・高橋竹山」さん!

因みに二代目・高橋竹山さんと紹介される事が多いのだけど、古典芸能や演芸の世界では、何代目と代の後ろに目を付けるのは故人に対してであって、現役の場合は目なしで何代、というのが昔からの習わし。

縁起商売だし、私は古典芸能・演芸が大好きなので、「二代・高橋竹山」さんと紹介させて頂いております。

 知る人ぞ知る有名人カップルが糸魚川に住んでいるのはお国自慢の一つ!

 

さて、古民家のリフォームは古い部分と新しい部分がミスマッチになったりし勝ちで、建築用語で言う処の「収まり」が非常に難しい。

収まりとは、新旧部材の取合い部分(接合部分)の事で、この部分に違和感があったり目立っては駄目なのだ。

建築のプロが最もこだわるのは「収まり」で、家を訪問する時に自然に観てしまう部分でもある。

初めて青田・竹山さんの自宅を訪れたのは六年前。

築百五十年の古民家を見事に現代風に蘇らせた出来栄えに感心して、てっきり有名な建築家の設計管理なのかと思って聞いてみたら、なんと竹山さんのイメージを地元の大工さんに伝えただけ、との事で驚いた。

ステンドグラスがいい・・・能生地区のステンドグラス工房製!

土間はタイル張り。さりげなく置かれた調度は、青田さんが海外遠征の時に買い求めてきたものが多い。

 

センスの良さ、収まりの良さ、施工精度、どれを取っても文句が付けようもないリフォーム。

こんな凄腕の大工さんが糸魚川市にいるなんて!と名前を聞いて再び驚いた。

糸魚川でサーフィンしている人なら知らない人はいないという、有名なサーフレジェントのNさん!

まだ50代半ばのイケメン大工さんである・・・大工さんとしても凄い人だったのだ。

凄い人がいるもんだ。