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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

悲劇のヌナカワ姫伝説に興味を持ち訪ねてくる人が増えてきた

2019年06月07日 21時12分29秒 | ぬなかわ姫

ヌナカワ姫の悲劇の伝説と、縄文時代のヒスイについて興味を持った作家の天川彩さんが取材に来てくれた。

長者ケ原遺跡考古館に展示されたヌナカワ姫像の右が天川彩さんで、左が運転手役の彩さんの事務所のAさん。Aさんは画家として売り出し中!

小説家である彩さんは長年に渡りネイティブアメリカンのホピ族と交流を続け、都内でホピの雑貨店「Sun&Rain」を経営されている。

共通の友人も多く、初対面ながら長年の付き合いのように意気投合した。

彩さんに教えて頂いたホピの人々のモノ作りの姿勢は、まさしく私の目指す処で我が意を得たりと欣喜雀躍。

ホピとヌナカワは繋がっていると実感。

彩さんほど話が通る人は珍しく、話題は多岐に渡って語り尽きるところはなく、別れがたいお方だった。

長者ケ原遺跡の湧水遺構の谷下に流れる城之川源流部で喉を潤した。

 

ヌナカワ姫の悲劇の伝説に興味を持って訪ねて来る人が年々増えてきており、最近はカリスマブロガーさんや著名な音楽家といった発信力のある人も来るようになった。

来月以降も別の作家さんや映画監督も来る予定だ。

観光客誘致を目的としたヌナカワ姫と八千鉾神の恋物語をテーマにした町興し活動があれば、真逆の悲劇の伝説に興味を持って訪ねてくれる人も大勢いる。

この振れ幅がないと文化的には不健全と言える。

地道な活動であっても悲劇の伝説を世に出す努力をしないと、ヌナカワ姫と子々孫々と悲劇を語り継いできたご先祖たちがあまりにもお気の毒だ。

もしかしたら悲劇の口碑は千七百年も語り継がれてきた可能性がある。

悲劇に一切触れずに恋物語だけを拡散する活動は、ご先祖の口承文化をないがしろにするに等しいのだ。




モノからヒトを観る・・・縄文石笛

2019年05月23日 09時49分32秒 | ぬなかわ姫

ネットに溢れる縄文時代の石笛という情報を片っ端から検証したら、9割は根拠のない独善的な情報だったということがある。

考古学者が石笛と報告した例はほんの僅かで、その特徴は長軸方向の貫通孔と直交する横軸方向の孔が開いていること。

ヒスイ製の縄文石笛・・・上尾駮遺跡出土タイプ

これまで実測図を取り寄せて複製を作ってはいたが、当時の技術は両側穿孔であり、ちょうど横軸方向の孔の部分で長軸方向の孔が結合した先細りの円錐台状の孔となるに対し、現代工具だと同じ直径の貫通孔となるのが問題だった。

流紋岩製の上尾駮遺跡タイプ

 

素焼きのオカリナなら出土品と同じ孔形状にすることができると気付き、やってみて当時の工程が判明した。

最初に横軸方向の孔を開けてから、長軸方向の孔を穿孔すれば結合部分で最も細い貫通孔になる訳だ。

粘土で作った縄文オカリナ・・・考えたねぇ、縄文人。

 

粘土だからデザインも自在だし、素材が違っても孔形状の違いによる当時の音色に近いものになるのではないだろうか。

モノからヒトを観る、これが縄文テーマのヒスイ仕事の醍醐味ですな。




ヌナカワ姫の慰霊・・・イダキ演奏家ノブさん

2019年05月06日 19時26分11秒 | ぬなかわ姫

伝説的な映画「ガイアシンフォニー第6番」への出演で著名なイダキ(白蟻に内部を食わて空洞になったユーカリの樹の筒を吹くアボリジニの民族楽器・英語ではデイジュリドウ)と石笛の演奏家のノブ(Knob)さんが、旅の途中で突然訪ねて来てくれた。

彼は国内外で引っ張りだこの多忙な音楽家だが、3年前にあるイベントに招待された者同士で意気投合して以来の心の友。

年下だし私とは比較にならない有名人だけども、初対面でこの人は本物だなぁといたく感銘を受け昵懇にして頂いている。

 私から悲劇のヌナカワ姫伝説を聞いて慰霊に訪れたいと思っていたそうだが、是非もなく姫がお隠れになった伝説の稚児ケ池にお連れした。

黙想のあとに三環鈴をふるい、石笛の警蹕で祓い浄め、イダキを奏でた。

 場の空気が揺れ、ヌナカワ姫や精霊たちが喜ぶ気配を感じ、私の細胞も震え自然と涙が溢れでてきた。

 

稚児ケ池はノブさんの演奏で夕立の後のように清々しい空気に包まれた。

ノブさんとパートナーのAちゃんも精霊の気配を感じたそうだし、演奏後のノブさんと私はしばらく鼻をすすっていた。 

 クリスタルボウル演奏家の牧野ジュンさんもそうだが、ノブさんも本気の人、本物の芸術家だ。

 一騎当千のすごい仲間たちが悲劇のヌナカワ姫伝説を知り、慰霊に訪ねてくださる流れができている。

近い将来、ヌナカワ姫の慰霊祭をすることになるだろう、と思う。

司祭は超有名な神社のK宮司か、アイヌのシャーマンAさんにお願いしようか?

昨年、あいついで知遇を得たこのお二方の宗教界の巨人は浅からぬご縁があるそうで、お二方のご縁をつないだTさんという友人が私にはいる。

時が来ればTさん経由で自然に慰霊祭の流れができていく流れになる気がする。

しかし慌ててはいけない。 

 今は一人でも多くの人に悲劇のヌナカワ姫伝説を知って頂く努力を惜しまないことだ。

 

 

 

 


ヌナカワ郷は邪馬台国よりでかかった?

2019年04月26日 07時56分34秒 | ぬなかわ姫

昨夜、このごろ糸魚川で流布されている「ヌナカワ姫は弥生時代後半に北陸一帯から山形県の一部まで治めていたのでR!」という説を寝床で検証していて、すごいことを発見してコーフンして眠れなかった。

弥生時代後半なら邪馬台国と同時期ということになる。

ちょと乱暴な仮定だけども邪馬台国を畿内とし、倭国の範囲を北九州から瀬戸内、畿内までとするなら、北陸一帯から山形県の一部まで治めていたとされる我がヌナカワ郷は、邪馬台国どころか倭国に匹敵する超大国ということになるぞ!


しかも倭国は群雄割拠の連合政権に対し、ヌナカワは一枚岩の金看板!すごいぞヌナカワ姫!


ねえ、そんな大国なのにどうして魏志倭人伝に奴奈川國の記述がないのぉ?

もしかしたら邪馬台国ヌナカワ説ぅ?

倭国大乱と無関係だったのぉ?

糸魚川のどこかに三角縁神獣鏡が眠っているのぉ?

ねぇ~、てばさぁ・・・( ´艸`)

私の講演は「縄文ヒスイ漫談」と称して、エンターテーメントに徹しているから、マジメな話のダレ場と笑いのあるウケ場を交互に入れて15分に1回は笑わせるように心がけている。

おいしいネタを仕入れてしまった。

次回の講演は期待してくださ~い!




幻の名著「越後奴奈川姫伝説の謎」

2019年04月25日 18時51分30秒 | ぬなかわ姫

渡辺義一郎氏が33歳の時に自費出版した「越後奴奈川姫伝説の謎」は、たった800冊しか出版されなかった幻の名著。

新潟県内のヌナカワ姫に関する口碑を丹念に調べてまとめた唯一の本といっていい。

 

古事記に記述のある日本最古のラブレター、すなわち出雲の八千穂神とヌナカワ姫の求婚問答歌の部分だけを読むと、出雲とヌナカワの関係性は友好関係に読み取れるが、口碑からは出雲東征によるヌナカワ郷の征服を伺わせる悲劇の歴史が浮かび上がる。

私はさらに考古学の視点も入れてヌナカワ姫伝説の検証をしているが、検証を重ねるほどに悲劇の伝説に信ぴょう性が高くなっている。

最近の糸魚川で流布されている、「ヌナカワ姫は出雲と連合して北陸一帯から山形県の一部を治めていた」という説が本当なら、糸魚川には弥生時代の墳丘墓群や古墳時代の古墳群、拠点遺跡などの裏付けがありそうなもんだが何もないのだ。

真偽のほどはヌナカワ姫本人と当時の関係者に聞くしかないのだが、公平な立場で真摯に検証を進めていきたい。

 

 


ヌナカワ姫伝説を語り継がん

2019年04月22日 13時38分16秒 | ぬなかわ姫

40年前に800部だけ自費出版された幻の名著「古代越後奴奈川姫伝説の謎」の著者である渡辺義一郎さんと浅草で会食。

上越市出身の渡辺さんは、西頸城地方の登山をするうちにヌナカワ姫伝説に興味を持ち、お年寄りを訪ね歩いて口碑を蒐集し、ついには自費出版に至ったそうだ

著作の中では悲劇的な口碑の数々のみならず、大正時代に編纂された「西頸城郡誌」や「天津神社奴奈川神社社伝」、昭和に出版された「糸魚川市史」などの文献もきちんと紹介されており、その膨大な仕事に脱帽する。

渡辺さんは昨今、糸魚川で流布されているヌナカワ姫と出雲の八千穂神の恋物語ではなく、出雲に侵略されたヌナカワ郷という真逆な結論を導きだしておられるのは私同様で意気投合した。

渡辺さんと話し合っているうちに強烈に思いが募ったのは、口碑を語り継ぐ文化が失われつつあること。

二世帯家族であっても家族そろって晩ご飯を食べることが少なくなり、晩ご飯の後は各自の部屋でテレビを観たりゲームしたりと、子供たちが老人から昔話を聞く機会が無くなっている。

ヌナカワ姫伝説に限れば、恐らくは二千年近くも庶民によって語り継がれてきた悲劇の歴史が、今や糸魚川市民でさえ知る人は稀になっている。

口碑は庶民の歴史、地域の文化だ。

私の世代で悲劇の歴史を埋もれさせてはご先祖に申し訳なく、伝説の語り部たらんと切に思う。

渡辺さんの最新作は、東アジアの稲作文化からヌナカワ姫伝説を再検証する意欲作「大国主と奴奈川姫の東アジア」。

糸魚川の人たちに宣伝することは無論だが、「古代越後の奴奈川姫伝説」の再販を熱望するとお伝えした。

 


奴奈川姫が北陸から山形まで治めていた?してその根拠は???

2019年04月16日 08時38分21秒 | ぬなかわ姫
観光ウエブサイトの「WEB料理通信」の「世界最古のヒスイ文化発祥の地 糸魚川」という記事をSNSで友人たちがシェアしていたので一読して首を傾げた。

ヒスイに関する記述の考古学的な誤認も目立つが、そこはともかく「奴奈川姫が北陸一帯から山形の一部を治めていた」とあり、その根拠を運営者に問合せした。

糸魚川には弥生~古墳時代にかけての拠点遺跡や古墳群も無く、「奴奈川姫が北陸一帯から山形の一部を治めていた」という史実を伺える資料は口碑も含めて私は知らないし、また大宝律令以降の奈良時代ならともかく「治めていた」という言葉の定義を是非とも教えてください!というのが質問の内容。

運営担当者は丁寧に対応してくれた。

糸魚川取材時にガイドの人からそう教わったようで、私の質問を受けて調べたところ、考古学的にも民俗学的にも裏付ける資料が無かったらしく、その部分を削除することにしたとのこと。(現時点で削除済)

そりゃそうだ。私レベルの考古学好きが首を傾げるのだから、糸魚川と利害関係の無い公平な立場の考古学者が聞いたらなんて言うだろうか。

ガイドした人のお国自慢したい気持ちはわかるが、文化的な情報発信は根拠を明確にすべきで、個人的な史観を一般論のように語るのは慎むべきだし、語るなら一般論を説明した上で「私はこう推測する」と分けて語る必要はある。

根拠の曖昧な情報がネットで拡散されてしまうと、既成事実として認識される恐れがあり、極論すれば歴史の捏造になり兼ねないのだ。

第一、後から恥ずかしい想いをしますよ( ´艸`)

 

 

 

 

 


浜で生まれて波に遊んだ浜っ子の祭り・・・糸魚川けんか祭り

2019年04月10日 06時55分12秒 | ぬなかわ姫

浜で生まれて波に遊んだ浜っ子の祭りは、日本海での禊から始まる。

昔からこの地区は漁師が多く、けんか祭りとの直接的な関係は不明ながら「寺町の漁師のジンベイ、ジンノジョウの兄弟が、神様が乗った漂流する舟を助けた」ことに発端があるらしい。

この兄弟の血筋は現在も続いており、けんか祭りでは特別な存在として扱われ続けているので、海からの来訪神の祭りと言えるのかも知れない。

神様を助けたという伝説のある押上の浜(ヒスイ海岸)に禊の準備が整い、結界の青竹が風に靡いていた・・・いい風景。


昨日より白波が収まってきたが、ノタ(波を意味する方言)はまだあり、天気予報は雨。


ドロンコになった益荒男が遮二無二に奔り、激突し合う風景も一興。

雨天延期なんてことはないから、応援してください!

 

 

 

悲劇のヌナカワ姫伝説・・・姫川の名の由来

2019年04月06日 09時23分58秒 | ぬなかわ姫

悲劇のヌナカワ姫伝説・・・姫川の由来について

糸魚川には糸魚川という川はなく、「糸魚川下流でヒスイを採取」と、地名とヒスイを産する姫川を混同した記述がよく見受けられる。

さて姫川の名の由来だが、ヌナカワ姫が入水自殺した「姫ケ淵」に由来するとの口碑が幾つか信州に残っており、以下はその代表的な「北安曇郡郷土誌稿」の記述をご紹介。

「北城(ほくじょう)村字大出(おおいで)の地籍に属する姫川の中程に、姫淵(ひめがふち)といふ深い淵がある。大昔沼川姫の御入水の淵だと言はれてゐる。姫淵も姫川もこのことから名づけられたのだ。尚姫は入水に当つて一子を残された。その御方が諏訪大明神だ」

糸魚川市商工会議所でヌナカワ姫の連続講座があり、参加者たちに聞くと悲劇的な伝説には一切触れず、古事記に記述された出雲の八千鉾神との求婚問答歌を中心としたラブロマンスだけが教えられたそうだ、と何度かブログに書いてきた。

 

ラブロマンスに感動した参加者がSNSで拡散したり、歌を作るという事態までが起きており、個々に悲劇の口碑を教えてあげると「そんな悲劇は教えてもらってない!」と皆さんビックリされる。

私の所には「悲劇のヌナカワ姫」を慰霊したいと各地から案内を乞う人が沢山訪ねて来るが、昨今のラブロマンスによる地域活性活動を教えると、やっぱり皆さんビックリされる、というより憤りを感じたり嘆き悲しんだりされる。

いかがだろうか?

古事記を元にしたラブロマンスを創作するのは個人の自由、とは思うが・・・。

ラブロマンスだけを流布していると、悲劇の口碑を知った方々からは糸魚川市民の見識や良識といった民度が疑われかねないのだ。

文化発信で地域の活性化を願うなら、悲劇の口碑も同時に発信すべきと思うのは私だけではないことは確か。

何人もの郷土史家から憤りを聞いているが、狭い街で異論を唱えることで人間関係が悪くなるという同調圧力を感じて、みなさん嘆くばかり。

私はヌナカワ姫を祀る神社の氏子であり、姫は信仰の対象だから、人間関係とは無関係に声をあげる時はあげる。

悲劇的な伝説を持つ神様を、お手軽に観光交流人口の拡大の道具にして欲しくはない、と・・・。

そうでないとヌナカワ姫と、出雲と戦い破れていった郷土の英雄たちがあまりにもお気の毒。



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奴奈川姫の奴は「捕えられた女奴隷」を表す象形文字

2019年03月03日 08時02分50秒 | ぬなかわ姫

和銅五年(713年)に発せられた「好字二字令」の勅令により、地名や人名はできるだけ縁起の良い漢字二文字で表記するようになった・・・はず。

奴奈川姫ならびに奴奈川の漢字表記を時系列で並べてみると。

712年・・・沼河比売(古事記)

733年・・・奴奈宜波比売命(出雲国風土記)

759年・・・渟名河(万葉集)

好字二字令の勅命から20年後に編纂された出雲国風土記だけが、なんで奴(やっこ・ど)という卑しい文字を入れた四文字で表記しているのか?

 

以前から奴隷の奴という縁起の悪い漢字を地名や人名にあてていることを不審に思っていたが、この際に奴という漢字の成立ちを調べてみた。

なんと「捕えられた女奴隷を表す象形文字が由来であり、卑しい身分のこと」とあるではないか!

出雲にとって我がご先祖のは蛮族、土人、蝦夷(エミシ)扱いで、奴奈川は女奴隷だったのかぁ?

私は「口碑や遺跡の検証から、古墳時代前期前後に、ヒスイ交易権を狙う出雲の奴奈川郷侵攻があり、奴奈川姫は捕えられ、逃亡の末に自害した」と推測しているが、出雲国風土記の漢字表記はそのことを裏付けているかのようだ。

その後に出雲の支配下に置かれた影響からか、905年(平安時代中期)に編纂された延喜式には奴奈川神社・奴奈川比売命と表記されており、現在は当地でも奴奈川姫と表記されるようになっている。

先日、講演会でその話をしたら、「昨今の大国主命と奴奈川姫のラブロマンス一辺倒の町おこし活動は如何なものか?」と、声を潜めて賛同する声が幾つか寄せられたので、声をあげなくとも憤りを感じる市民は少なくないようだ。

ラブロマンスを元にした町おこし活動をしている方々は地域発展のためにしている訳だから、反対意見の声をあげにくいということと、狭い街なので人間関係に悪影響する恐れもあり、声に出さない人もいるということだ。

出雲国風土記を研究したという郷土史家にそのことを質問してみたら、私と同じ見解だった。

出雲国風土記の編纂者は、好字二字令を知らず、悪意なく単に漢字の意味を考慮せず表音文字として奴をあてたのか?

それとも?・・・・。

いずれにせよ、奴が「捕えられた女奴隷」とあってはヌナカワ姫も浮かばれまい。

今後は奴奈川姫と表記せず、ぬなかわ姫、あるいはヌナカワ姫と表記することにした。