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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「よみがえる女神」・・・本の表紙になった奴奈川姫

2018年12月11日 08時15分23秒 | ぬなかわ姫

奴奈川姫像を表紙にした自著「よみがえる女神」をお土産に、岩手の清水友邦さんご夫妻が訪ねてきた。


清水友邦さんとはクリスタルボウル演奏家の牧野さんをはじめとした共通の友人が多く、話も合う。

縄文から神話までの女神をテーマにした宗教民俗学入門書で、悲劇的な奴奈川姫の口碑伝承と考察がきちんと紹介されている。

 

糸魚川商工会の勉強会では古事記を元にしたラブロマンスしか教えていないそうだが、悲劇の伝説を地域振興に不都合として封印しようとしているかのようだ。

先日もそのことに異議を唱える地元の郷土史愛好家が憤って私に訴えていたが、奴奈川姫の悲劇的な伝説はネット検索でも簡単に得られる時代。

ラブロマンス説とは真逆の悲劇の伝説「小さな声」を紹介する発信力のある県外の人々がいることも確か。

親不知では能登半島も見えたし・・・。

世界最大級の102トンのヒスイ原石も見れたし・・・。

海岸にはウルメイワシも上がっていたし(笑)・・・。

奴奈川姫自害の伝説のある稚児ケ池にも行けたし・・・。

水温が高いので、湯気が立ち上った稚児ケ池を見ることもできた。

 

降雪で行くことが危ぶまれていた稚児ケ池に案内したが、清水さんご夫妻が糸魚川滞在時だけ晴天で、奴奈川姫が喜んで迎え入れてくれたかのようだ。

 

 


出雲と戦った奴奈川の荒ぶる神・まつろわぬ神の伝説

2018年11月29日 08時18分08秒 | ぬなかわ姫

古事記にヤマタノオロチ伝説は「高志之八俣遠呂智」と記述してあり、現在の出雲地方では奥出雲の製鉄民との闘いの記憶や、大山噴火の記憶と解釈されているようだが、古志(越)という部分の説明がなされていない。

東宝映画「日本誕生」は、1954年封切りの古事記を元にした豪華キャストによる上映時間3時間の超大作だが、三船敏郎演じる須佐之男の八岐大蛇退治の場面しか盛り上がる部分がないのだが・・・。

 

糸魚川市早川区には「八龍淵の主」というヤマタノオロチを連想する口碑伝承があり、概要は「八口山(ヤツクチヤマ・新潟県唯一の活火山である焼山らしい)に八口という悪者が住んでおり・大穴持神に征せられ大蛇と化し・八色の血を流して八龍淵に入った・この池から流れる川が八口川(現在の早川)である」というのがある。


また「出雲国風土記」にも「・・・大穴持命、越の八口を平け賜ひて・・・」と対応する記述がある。

ヤマタノオロチ伝説が、出雲東征の際に抵抗して戦った奴奈川の荒ぶる神・まつろわぬ神との抗争の記憶だとしたら私は誇らしく思う。

全国区の強い悪者が糸魚川の祖先なのだから。

「日本誕生」は特撮部分を円谷英二が担当しているのだが、肝心の八岐大蛇が・・・・。

 

他にも松本の神・能生地区の夜星武命(エボシタケルノミコト)が、奴奈川姫を娶らんとする出雲と戦ったとの口碑伝承もあり、夜星武命を悪い鬼とする民話にもなっている。

夜星武命が出雲を撃退して喜び踊った場所は「鬼舞」であり、八千鉾神が懐柔策に出て沢山いる妃を夜星武命に娶らせて弱体化を図ったのか、再び戦って敗れて降参した場所が「鬼伏」という地名の由来で、今もこの地名は残っている。

また能生地区平には、出雲と戦った奴奈川長者という悪者の伝説もある。

これら荒ぶる神・まつろわぬ神の戦いの口碑だけでも、奴奈川姫と八千鉾神の求婚譚の実態が窺えるのではないか?

だとすると現在の糸魚川におけるラブロマンス一色の奴奈川姫伝説キャンペーンでは、奴奈川姫のみならず郷土のために戦い散っていったご先祖たちも浮かばれない。


「日本誕生」に登場するヤマタノオロチがショボ過ぎて、ショパン猪狩の「レッドスネーク・カモン!」を連想するのは、私だけではあるまい(笑)





小さき声・・・奴奈川姫ご自害の伝説の地

2018年11月26日 22時35分32秒 | ぬなかわ姫

奴奈川姫のラブロマンスを唱える女性に根拠を尋ねたら、糸魚川市商工会議所主催の勉強会で習ったのだそう。

悲劇の伝説は教えてもらってないと聞いたので、悲劇の部分を教えたら「それでは奴奈川姫が可哀そう・・・」と愕然としていた。

地元の商工会議所は華やかな部分だけを地域振興素材として宣伝しようという意図があるのかは不明だが、私の所には、県外から悲劇の真相を知りたくて訪ねて来る方々ばかりで、この温度差に私も愕然としている。

悲劇の奴奈川姫伝説を最も物語る場所が、出雲から(あるいは能登から)の逃避行の末に、追い詰められて自害されたと伝説がある稚児ケ池だろう。

稚児ケ池は、ぬなかわヒスイ工房の真南2キロの蓮台寺の丘の中に位置し、奴奈川姫の慰霊をしたいので案内して欲しいという方々が年々多くなってきたが、地元では真逆な流れが主流・・・ちなみに写真右が丘になっている。

 

稚児ケ池の案内を乞う人には神道など精神世界方面の不思議な能力を持った人も多く、何がしかの悲劇を感じ取って私に教えてくれるのだが、その中でギクリとした事を言った女性がいた。

「ここに奴奈川姫の一族が住んでいたようですね・・・」

大正9年刊行の口碑を編纂した「西頸城郡誌」によると、この場所は「古昔一の市街あり奴奈川姫眷属の住地なり爾後斯境内に於いて舞楽或演劇の興行ありしと云ふ・・・」とあり、つまりは奴奈川族の王族が住み、境内で舞い、演劇をしていたというのだ。

彼女はその情報を知る由もなく、その場で感じたことを語っただけである。

普段は草叢をかき分けての登りが大変なので案内しないのだが、稚児ケ池のすぐ南は高さ数メートルの丘状になっており、頂上付近は山城の曲輪のように数段の平らな場所があり、造成した地形のように感じる。

最も広い平地は三十畳くらいだろうか・・・王族が住むにしては狭いし不便な場所なので、口碑が本当なら祭祀の際のお宮と観た方がよさそうだ。

我が寺町区では、戦前まで稚児ケ池で乙女が舞を奉納する神事が残っていたそうで、「舞楽或演劇の興行ありし」という記述は間違いないとは言える。

大正10年刊行の「天津神社並奴奈川神社」に「・・・斯西方ノ丘上ニ古社跡礎御手洗池等今尚存セリ・・・」と古いお宮の礎石が今もあるのだという記述があり、同じ場所なのかは不明ながら、稚児ケ池上の丘の頂上には確かに礎石っぽい石が置かれてもいたりするが・・・。

丘の上にあった石は、丸い砂岩のようで礎石にしては形状も素材も?マークがつく。戦後に植林もされている場所だから、曲輪状の地形も近世に造成された可能性もある。

 

稚児ケ池に人が住んでいたかどうかは確かめようがないが、前出の資料には古墳が「三十三塚アリ」と出ていたり、かっては稚児ケ池付近に「奴奈川神鎮座・・・大雨で流され・・・現在の天津神社の地に移った・・・」というような記述があり、興味深い。

奴奈川姫自害の伝説は姫川上流の長野県側にもあり、私は実見していないが姫が入水した「姫ケ淵」という深い淵があるのだそう。

非劇のどれもが口碑伝承ならロマンス説も口碑伝承。

だからロマンス説だけを教えるのは片手落ちではないだろうか。

 

 

 

 


小さき声に耳を澄ませて欲しい・・・悲劇の奴奈川姫伝説

2018年11月24日 09時27分25秒 | ぬなかわ姫

小さき声に耳を澄ませて聴いて欲しい。

滅びしモノ、破れしモノ、弱きモノの声は小さい。

 

最近の糸魚川では、奴奈川姫と出雲の八千鉾神のラブロマンスが官民あげて喧伝されているけども、新潟県内には出雲が攻めて来て破れ、奴奈川姫が拉致され、逃避行の末に追い詰められて自害した、という類いの悲劇的な伝説も多く残っていることを忘れて欲しくない。

 

悲劇は口碑口承でしかなく、ラブロマンスは古事記に記載されている求婚譚である、と反論する人もいるだろうが、古事記でさえ奴奈川姫没後、恐らく四百年以上も後に口碑口承を元に大和朝廷のために編纂された物語。

古事記に記載されている奴奈川姫と八千鉾神の求婚問答歌が素敵だから、きっと奴奈川姫は幸せだったに違いないという女性がいたが、奴奈川姫の時代は弥生時代後半~古墳時代前期くらいと推測され、国内で漢字は使用されていなかったし、姫が何語を話していたのかすら不明であり、ロマンチックな問答歌は後世の創作とみていいのではないか?


地域振興の素材としてラブロマンスを唱えるのは大きな声。

悲劇の伝説は小さな声。

どちらも口碑口承で、何を信じようと自由。

しかし、小さな声が大きな声にかき消されていき、やがてラブロマンスだけが既成事実のように語られていく事を危惧している。

もし悲劇の伝説に一分でも真実が含まれているのなら、昨今のラブロマンス一色の奴奈川姫ブームを奴奈川姫はどう思うのか?

奴奈川姫を祀る神社に、奴奈川姫と八千鉾神のツーショットの絵が奉納されたり、二人のラブロマンスを歌にした人もいる。

悲劇が真実なら、暴力で拉致され凌辱を受けた女性が、逃避行の末に自殺という事件を、後世の人がよってたかってオメデタイと祝っていることになるが、それではあまりにも奴奈川姫が可哀そうだ。


こんな投稿をすると多くの人に嫌われたりするかも知れないし、地域振興の素材としてラブロマンスを唱えている人達も私利私欲ではなく、地域の活性化のために頑張っているので、投稿を躊躇していた。

しかし敢えて苦言を呈したい。

ロマンス説を唱えている人も、小さき声に耳を澄ませて欲しい。




巫女集団ツアーin糸魚川・・・ヒスイとヒトのモノガタリ

2018年09月24日 07時58分47秒 | ぬなかわ姫

降水確率80%予報に関わらず、首都圏からの巫女修行グループの糸魚川ツアーは快晴に恵まれた。

晴天は、参加者17名の善男善女たちの功徳の由縁か。

 奴奈川姫、縄文をキーワードにしたヒスイとヒトのモノガタリがテーマのツアー。

 

モノとして「在る自然のヒスイ」から、ヒトを介して「産み出されたヒスイのモノガタリ」の探求が私自身のテーマでもあるのだけど、松尾芭蕉がいう処の造化(ゾウカ)に、その理解の糸口を見出している。

奴奈川姫ご自害の地と伝説のある稚児ケ池

糸魚川市街地の中央に鎮座する通称、一の宮は、天津神社として奴奈川神社を併祭する形態になっているが、本来は奴奈川姫を祀る奴奈川神社で、延喜式に記載のある由緒ある式内社。写真に写っている拝殿奥に向かって右が天津神社、左が奴奈川神社が祀られている。

ぬなかわヒスイ工房は千七百年前の奴奈川族の玉造遺跡「笛吹田遺跡」の真上にあり、勾玉や筋砥石、高坏、須恵器の破片など出土している。左手をあげて工房を案内している女性が、この旅のコーディネーターで私にガイドを依頼してくれた高島さんで、元モデルの別嬪さん。

 

枯山水は深山幽谷のコピーした自然のイミテーション?

活花は単に室内装飾なの?

否、ヒトは無自覚に造化の欲求を持っており、在るモノから新たに産み出すモノを創り出す。その欲求こそがヒトたる由縁・・・3日間に渡り、そんな私の想いを話したが、概ねは好評だったようだ。

移動には頚城運輸の貸し切りバスを利用したのだが、運転手のKさんがユーモアのある愛すべき人で、別れ際の挨拶ではやんやの喝采を受けていた。

風景や産物だけでなく、旅の印象はヒトの思い出が大事で、リピーターに繋がるので有難い。

親不知で日本海に沈む夕陽に間に合った。都会の人には感激の瞬間。


参加者各自の中に、ヒスイとヒトのモノガタリが始まるお手伝いができたのなら幸い。




日本列島に住む人の多様性・・・稚児ケ池でカムイノミ

2018年09月18日 07時36分36秒 | ぬなかわ姫

ヒスイが好きという人には、希少鉱物として好きな人もいれば、神話世界や歴史的存在物として好きな人など様々。

私の所に訪ねてくるお客様は、ほとんどが縄文や神話からヒスイに興味を持ったという方ばかり。


古事記などに記述された正史とは真逆な、奴奈川姫の悲劇的な伝説もあり、姫が「自ら火をはなち、お隠れになった」伝説のある稚児ケ池を案内して欲しいという人も訪ねてくる。

先日、稚児ケ池にご案内した方は、アイヌ式にイナウ(御幣に似た削りかけの依り代・供物でもある)まで作ってカムイノミ(ご神事)をされた。

イナウを火に投じて神の国に送る神事。手前の白いものは鹿角製のイクパスイ(奉酒箸)で、お神酒を神様に捧げるための祭器で、本来は木でできている。

 頂きものの小型イナウ。素材はミズキで、ここまで小さいイナウを作れる人はいないのだとか。

ぬなかわヒスイ工房の神棚にイナウを飾った。

普通サイズのイナウはこれくらいの大きさ

 

北海道旅行の時に知遇を得たアイヌ民族の方には、糸魚川のご先祖であるヌナカワ族は、イズモやヤマトに征服された縄文系の先住民と認識しておられる方もいて驚いたが、その点は私も同感。

アイヌの小刀(マキリ)

 

ハヤト、クマソ、ツチクモ、エミシ、そしてオキナワ、アイヌ、朝鮮半島からやってきた人々。

旧石器時代以来、日本列島は各地からやってきた多様な人々が住み着き、混血しながら今日に至っている。

けっして単一民族などではない。

「アイヌ民族は存在しない」と公言した政治家がいるそうだが、人類学的な分類や血の濃さを問題にするなら、「正統な大和民族・純粋な日本人」という定義も成り立たず、各自の文化的背景やアイデンティティこそを問題にして頂きたい。

最近の縄文ブームにしても、あたかも縄文が世界最初の文化であり、各地に広がったというような「縄文中華思想」のような発言をする人がいて、民族主義や皇国史観の代替概念のように感じる。

私は、縄文人を民族として捉えるのではなく、文化として捉えるべきと考えている。

戦後に作家の島尾敏雄が提唱した、「日本列島に住む人々」という意味のヤポネシアンという概念があり、偏狭な民族主義など吹き飛ぶ大きな視点に敬意を表したい。




奴奈川神社の火越こし神事

2017年01月17日 08時11分37秒 | ぬなかわ姫

糸魚川市梶屋敷に鎮座する奴奈川神社は、奴奈川姫を祀る。

延喜式に記述されている奴奈川神社は、山崎という地にあったとされるが、この山崎という地名は現在の糸魚川市にはなく、梶屋敷の奴奈川神社なのか、現在は天津神社と併祀されている奴奈川神社、通称「一の宮」なのかは不明。

神社の規模と氏子の数、祭礼の多さからいって、一の宮の方が可能性は高いのではないか?

年末年始のボランティアで正月は慌ただしく、奴奈川神社にかなり遅い初詣。ヒスイ職人としては奴奈川姫を祀る奴奈川神社と一の宮への新年の挨拶は欠かせない年中行事。

 

さて、梶屋敷の奴奈川神社だが、宮司さんが凄い経歴の持ち主なのだ。

火越こし神事の発火具を前に、とつとつと伊勢神宮の事をお話しして下さる宮司さん。

 

宮司さんは若い頃から能登の気多大社や伊勢神宮でご神職をされた経歴を持ち、お伊勢さんの遷宮を3度も経験されているので、聴かせて頂くお話は貴重なものばかり。

宮司さんがUターン帰郷して奴奈川神社の後を継いでから伊勢神宮の火越こし神事に倣い、小正月の「賽の神・お札のお焚き上げ」をするようになったとか。

発火具は伊勢神宮で使用しているものと同じだそうで、火きり臼は檜、火きり杵はソケット式になった山桑を使用した「舞ぎり式発火具」。火きり臼が動かないように切り込みがある。

 

私の恩師の一人、原始技術研究家の関根秀樹先生の研究によれば、江戸時代中ごろまでの伊勢神宮の火越こし神事は、一本の棒を両手で回転させるシンプルな「きりもみ式」であり、江戸時代後期になって伊勢算盤の孔開けに使う「舞いきり」を発火具に改良し火越こし神事に使うようになったと推測されるとの事。

私の愛用する発火具はソケット式の「弓きり」だが、これは関根先生の師匠である岩城教授が開発した、火きり杵の先端に孔を開けて竹やウツギなどの中空木材を咲き込むだけのシンプルな構造。伊勢神宮式は同じソケット式でも火きり杵の先端を4つ割りにして錘を下げる事で固定する手の込んだ方式。

 

ソケット式は、使用するたびに摩擦で短くなり使い難くなっていく火きり杵を常に同じ長さで使うための工夫で、驚くなかれ三千年前の古代エジプトですでに使われていた技術。

火口はおが屑を使用して、火吹き竹で息を吹き込みつつ焚火に炎を移すのだそう。

記録しておきたい貴重なご神事。


稚児ケ池は旧跡というだけぢゃないぜ!・・・マウンテンバイクで二千年来の古道を走る

2016年09月13日 17時16分14秒 | ぬなかわ姫

能生町のゲストハウス「山楽」のオーナーのエイちゃんから電話。

長期滞在しているニュージーランドの大学生がマウンテンバイクが楽しめる林道を探しているのだけど、どこかいい場所を知らないか?との事。

よくぞ私に聞いてくれた!と案内したのが、ぬなかわヒスイ工房の後背地に位置する蓮台寺の丘陵地帯。

稚児ケ池にて。右がニュージーランド人の大学生ダレン君、左が山楽オーナーのエイちゃん・・・未開の原住民が探検隊を案内しているみたいだ(笑)

 

即ち、奴奈川姫入水の地との伝説のある「稚児ケ池」の前を東西に走る林道である。

「稚児ケ池」は、ぬなかわヒスイ工房を訪ねてきたお客様は必ず案内している故事来歴の古跡だが、現在の糸魚川では存在すら忘れ去られつつある隠れた歴史スポットで訪れる人も少なく、アプローチの林道も既に使われていないので車どころか人も通らない未舗装の山道。

この山道沿いは奴奈川族の王族たちの墓域であった可能性があるそうで、もしかしたら二千年来の歴史ある山道なのかも?

いわくある古跡であっても、アウトドア遊びの好きな私にとってはトレッキングやサイクリングに最適なラフロードでもある。

左が稚児ケ池

 

で、ニュージーランド人の大学生を案内したら大喜びした。

三時間後にぬなかわヒスイ工房に戻ってきて「オモシロ~イ!」と興奮冷めやらず動画を見せてくれたが、場所によっては危なそうな崖道を結構なスピードで走っている動画もあり、確かにマウンテンバイクだと面白そうな山道であった。

稚児ケ池は歴史ある旧跡というだけぢゃないぜ!

 

 


三つの黒姫山・・・奴奈川族のランドマーク?

2015年02月21日 09時03分58秒 | ぬなかわ姫

国内には黒姫山が三つある。

新潟県糸魚川市、柏崎市と、長野県信濃町である。

糸魚川市の黒姫山は標高1200mの独立峰で、石灰石の塊り。海からよく観える。

 糸魚川市青海町出身の黒姫山という郷土出身力士は、相撲バカの叔父が後援会をやっていた。デゴイチ(D51)と異名をとる怒涛のぶちかましが潔く、豪快な相撲と併せて愛嬌があったので、コックローチのCMシリーズで映画監督の大島渚と共演したりもしてました(笑)

 

新潟県内の黒姫山は、黒姫とは奴奈川姫の異名であるとし、奴奈川姫伝説と密接な関係がある信仰の山。

長野の黒姫山には、奴奈川姫との関係する伝説がないが、お姫様と竜神との婚姻伝説がある。

糸魚川と信州の黒姫山は、どちらもオラが黒姫山が本家だと思っているが、この三つの黒姫山に囲まれた三角地帯が、古代奴奈川族の居住範囲とする説があるのだ。

つまり「ぬなかわの郷」。

信州の黒姫山は、標高2000mの休火山。

 

奴奈川族は、恐らくは長者ケ原遺跡でヒスイ加工をしていた縄文人の流れを汲む、弥生時代から古墳時代のヒスイ加工をする民であるらしい。

彼らは奴奈川姫を共通の信仰対象にしていたようだ。

奴奈川姫は、機織り、安産にご利益ある国津神とされてこの三角地帯の神社に祀られており、なんと長野県茅野市の御座石神社では、酒造りの神とされていた。

 

同じ新潟県内でも中越地方では、姫は片眼であったとの伝説もあるので、製鉄との関係もあったようだ。

製鉄には、真っ赤に灼熱して溶解した鉄を片目で覗きみるために、民俗例では製鉄民の神は片目と相場が決まっている。

アジアの竜神は、水と関係した稲作の神であったりもする。

奴奈川姫のご利益から察すると、奴奈川族は稲作や製鉄、織物にも関わっていたのかも知れない。

去年は「海のヒスイ・ロード」検証実験航海と銘打って、縄文時代のヒスイ伝播ルートを海から探訪した。

シーカヤックによる、新潟県内から青森県三内丸山遺跡までの830キロの航海だった。

春になったら、三つの黒姫山に登ってみたい。


味なことをするぜ!・・・奴奈川姫のマフラー

2014年02月07日 18時56分57秒 | ぬなかわ姫

数日降り続いた雪も一山超えたようだ。

新幹線駅の工事で雑然とする駅前を歩いていたら、奴奈川姫の銅像にマフラーがしてあった。

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雪の中を立ち続ける奴奈川姫を気の毒に思った近所の人の仕業?

それとも落し物のマフラーを拾った高校生のいたづら?

いずれにしても味なことをする。

幼稚園の学芸会で、「傘地蔵」のおじいさん役・・・エヘン、つまり主役だ!・・・をした時の「さぞや お地蔵様 寒かろう!」というセリフを思い出した。

ホコリと笑って、ちょっとあったかい気持ちになった。