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【バイク乗りが語る交通安全】番外編1

2012年04月01日 10時43分04秒 | 1.安全運転

限定解除という資格


さて、今回はちょっと交通安全とは違うのですが、広い意味で参考になるかと「限定解除」を取り上げて見ました。


今では、教習所でも簡単に取れる大型2輪免許ですが、これも規制緩和やTPPと市場開放の一環でそうなったんでしょうね。これと似たものに高速の2人乗りも有ますが、これはそもそも規制の出発が間違っていましたから、科学的見地から解禁になったのは良かったです。しかし失ったものもあるのです。


私が限定解除取ったのは比較的遅く、1988年だったはずで(GSXR750の88型)に乗りたくて3度目の挑戦(3回ではない)で取った長い経験をご紹介したいと思います。


最初はバリ伝のグンチャンの愛車CB子ちゃんに乗りたくて、21歳ぐらいで大阪の門真の試験場に通いました。夜勤の後、眠らずに試験場にバイクで出かけ、予約を確保します。この頃はすごい倍率でだいたい2週間ぐらい後しか取れない。そして落ちた後すかさず予約しても、また2週間後、仕事の夜勤タイミングが合わないと、さらに次。予約もそんな先まで取れないのでまた、予約のためだけに出かけて行って、、、と大変な苦労が必要でした。


で、最初に予備試験といって、空気の抜けた乾燥重量252KgのGT750(スズキの水冷2スト、通称ウォータバッファロー、またはジーナナと言います)を押して8の字を書きます。前輪の通る幅30cm(だった?)を線が引いて有り、これから外れると失格です。女性はだいたいこれでアウトでした。路面は全くの平面ではなく傾斜が付いており、小さいほうのRを下り勝手に押す関係で、うまく手前でラインを融通しないと膨らんで飛びだすのです。そしてうまく行ったらメインスタンドを掛けて終わりです。この予備試験で結構ふるいにかけられ落ちます。こう書いているからには私も1度落ちました。(こんな試験にも重大な意味が有るのです)


そして、予備試験に合格すると、本試験の予約が出来ます。そしてコースではみんなの試験が実施されているので、それを見学して参考にします。だいたい完走させてもらえるのが1割程度に過ぎず、何がダメで落とされるのかわからないぐらいうまい人もいます。


いよいよ、本試験にこぎつけました。15人程度でグループになり、その単位で試験して行きます。1列に並んで試験管に名前を呼ばれます。点呼が終わったらその時点で何人かが落とされます。服装が不合格だそうです。しかしこれも聞かないと教えてくれず、何がダメだったのか当人はわかりません。
完全な職人の世界「技術は教わるものでなく、盗むもの」という世界です!!。


そしていよいよ実車。左手をハンドルに、後方確認して跨ります。バックミラーに手を当てチェックのポーズ。エンジン始動、サイドスタンド上げ、ギアを1速に、支持を左足に入れ替え、ウインカーを出し、後方確認。そしてスタート。・・・で本線にに出た瞬間そのまま帰って来いと言われる人がかなりいます。????となりますがグループ全員が終わるまで解説は有りません。


私の場合、記憶が定かでないけれど最初はうまく言って交差点を1つ曲がって、進路変更。第2段のコースに入ってミスコース。ミスコースは減点ではないけれど、そこからの復帰指示が難しすぎる。
場外スピーカーから「はい、○×番、その先左寄って一時停止、Uターンで○○交差点左折で復帰してください」あせるが、そこをあせらず指示器を出して、足を入れ替えて、Uターン。
「はい、○×番、そのまま直進して、帰って来なさい」と言う感じだったかな(笑)


そして15人終了後、1列に並んで結果を聞きます。
試験官「○○君、ミスはわかった?」
受験車A「特にわかりません」
試験官「よく考えてから、次受けなさい。次」


試験管「○○君、加速不良、後方確認不足
試験管「○▲君、指示器が遅い、○○の左折膨らみ」
試験管「○×君、加速不良、Uターンでのふらつき」


と言った具合に、真剣に受けている人には結構、細かい指摘をくれます。服装、態度が悪いと露骨に「今のままでは、来るだけ無駄」とか言われます。


そんなこんなで、実技1次試験が合格すると、午後に2次試験(最終)が行われます。150人ぐらいいたのに、2次を受ける人は20人ぐらいに減り、最後に合格するのは半分の10人ぐらいです。
で、私の場合、3回目にして2次に行き「これは・・」と思ったのに波状路(丸太が埋めてある道)をドコドコと走りぬけるんですが、バランスを崩さねばいいもんだと、トコトコ行ったのです。で問題なく終了したら不合格。原因を聞くと波状路がダメだと。自分では完璧と思っていたのでさらに聞くと、タイヤを浮かさないように、ゆっくり通過するのだとか。


そんな、、、安定して速く行けばよいかと思ったのでした。極力ゆっくり、タイヤをはずませないように通過しないとだめだそうで。。


次は8回目ぐらいで再び2次にチャレンジしたのですが、この時もミスコースしてしまいよりにも寄って最難関のコースで復帰する羽目に。そこは踏切通過なんですが、踏切は山になっており、上って一旦停止、下って即一旦停止。バイクの長さの1.5倍しかない直線から、鋭角に60度ターンをしないとなりません。つまり踏切に坂道停止して、左右確認、後方確認、発進、即下り坂で一時停止。左右確認、後方確認、左路肩1m以内で旋回。これは下りの時点で左に寄るとターンが出来なくなるのです。ここはコツがあって、右側から踏切越えて、バイクをななめに左に寄せるのです。あまりあからさまだと減点なんですが、1mぐらい斜めでもOKなので、それでターンするとうまくいく難所。これにハマって、膨らみ減点で不合格。(ちなみにステップや転倒防止ガードは地面に設置してもOKなので、模範走行時に試験官はターンのたびに火花を出すぐらい鋭角にターンします)


そして13回目ぐらいが確か最後で、調子の悪いGT750はエンストするのでアイドルをえらく上げてあるのです。冬は特に。それで一本橋を渡るときは反クラッチとリアブレーキでエンジンを止めないように、でもアイドルでもスタスタ走るので、ブレーキで減速します。そんなこんなで確か時間不足だったかで最後だったかな。既に1年近く通っていたような。。。


で、転勤になって大型の夢は遠のいたのでした。第2次の挑戦は横浜に引っ越してから。そこはまた強烈でしたが、大阪で取れなかった謎が解けたのでした、、、これはまた次回に。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自動二輪の試験がノーヘルOKの125ccでウインカーも... (Mondlicht)
2012-04-01 19:45:45
自動二輪の試験がノーヘルOKの125ccでウインカーも手信号だった頃で楽に大型免許を手に入れた私はMVXだけでは無くRZでもエンジンを数回焼きつかせたアフォした。GT750は意外と早くて2気筒のTX750の尻を噛付けましたね。でも、Z2の馬鹿人気に勝てず可哀想でした。で、CB750は実は遅くて、輸出用の900のエンジン載せて緑色のカワサキのZ1100を追いかけたとか・・・。エンジン音はギアトレインのV4の音が最高だと語る奴は明日嫁さんを病院に預け明後日には自分が入院し明々後日の朝9:00から手術とかの綱渡り上手で河童ライダーさんのブログも読めずにさぞかし腐る事でしょう。
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>Mondlichtさん (河童ライダー)
2012-04-01 21:52:14
>Mondlichtさん
Gナナは、当時の技術としては、パワフルで本当はSS750より出来は上だったでしょう、でも重かったんだよね。でも水冷で結構静かで振動も少なかったかな。

ちょうどRC30の特集本が出てましたよ。排気量の割にトルクが有って上も伸びて、、ですがVFRよりはギア比のせいで下が苦しくて町乗りは難ありだったでしょ。

お友達の手術は、大成功でまたターボ車に乗れるぐらい元気になるでしょう、そんな気がします。

東京はもう、桜が見事だそうで、こっちは雨の合間に雪降りましたww。.  
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いつも楽しく読ませていただいてますw (ユーヒチ)
2012-04-04 09:46:34
いつも楽しく読ませていただいてますw

僕自身、一発試験で限定を解除した経験があります。
まだ教習所では大型二輪が取れない時代でしたが
そこまで難易度は高くありませんでしたw
上手く走るよりも安全に走らせられるかを重視した試験でしたね。
そんな時代でも服装と試験態度は評価の対象だったみたいですがw
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>ユーヒチさん (河童ライダー)
2012-04-04 23:10:05
>ユーヒチさん

お初でのコメント、ありがとうございます。

大型二輪免許は、アメリカのハーレーの日本販売促進に対して、免許制度が障害だ、というジャイアンアメリカの外圧で、それまでと方針を変えて、積極的に取らせる方向になったんですよね。そしてさらに教習所でも取れるように門戸開放された。 実際それに呼応するようにハーレー人気も高まって、バカ売れしましたもんね。

多分、その名残の教官は服装、態度は譲れないところだったんでしょう。彼らが定年になって、現代的な(事務的な)免許になったのかもしれません。
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