サイドスタンド 

 バイクが教えてくれたことなどを勝手に気ままにつづるブログです。
 少しでもバイク好きが増えてくれたらうれしいです。

その4 かっ飛びに目覚めたバイク

2012年03月31日 17時37分50秒 | 5.思い出のバイク

一般にあまり知られていませんが、RZが登場する前(1978年)にスズキからRG250Eという2ストロークライトウエイトの250をデビューさせていました。これはバランスのとれたバイクで2ストの軽さとパワーを生かした一皮むけたバイクで通の間でちょっとマークされていました(車重126kgで30PS)。

Rg250e

しかしよく出来てはいましたが空冷エンジンで、煙もそれなりでした。

そして変革の火種となったRZ250がデビューします。乾燥重量139kg、トルク3.0kg/mの水冷2ストロークエンジン。兄貴分は350ccでトルク3.8kg/mですから4スト換算だと車重の軽さからトルクウエイトレシオはそれぞれ400ccと600ccぐらいに相当しました。 

RZ250(RZ350)
エンジン出力 :35ps/8500rpm(45ps/8500rpm)
  エンジントルク:3.0kg・m/8000rpm(3.8kg・m/8000rpm)
  乾燥重量139kg(143kg)

Rz250_1980

初めての自前2ストで、お店から出る時にさっぱり吹け上がらず、回転上げたらケツが流れてあせった記憶が有ります。新車にはタイヤワックスが塗ってありなおのこと滑ります。実際、店のおっちゃんがこの事実を言ったのに翌週、お客さんが店の前でタコ踊り転倒したそうな。(多分全国で結構有ったと思う)


とにかく印象的だったのはパワーではなく、①軽い、②低速トルクが無い、③面白い であります。
③の面白い理由は、とにかくまともにうまく走らせられないので、パワーバンドというものを初めてしっかり意識させられました。ブレーキもシャーシも貧弱なので今時のバイクの突っ込みとは程遠いブレーキングで車速を落とし、パワーバンドを外さないシフトダウンで飛び込んで、いかに早く長くアクセルを開けてリアに荷重を掛け続けるか、が面白かったのです。


峠ではとにかく脱出命なので、あまり危険ではなくスローインファーストアウトの見本のような走りで楽しめました。また、今のSSとは違いちょっと前傾のパイプハンドルですから、モタード的な感じで狭い峠は得意でした。RZで学んだことは、「面白い」という中身が、「あらゆるコントロールをライダーが行う」という原始的な乗り物の面白さでした。水冷で安定したとはいえ、冬はラジエターを段ボールで半分塞ぎ、水温を上げ、雨ではアクセルを間合いを取って開けないと「ぐももっ」と吹けてくれないところとか、それらのパラメータを頭に入れて乗りこなすという醍醐味が有りました。その分人馬一体感が有ったんでしょうね。


会社の諸事情から、転勤となりRZ250はわずか14カ月程で手放すことになり、これまたわけ有りのRG250Γを再生し、3カ月だけオーナーになりました。その話は次回に


その3 自前で買った初バイク③

2012年03月24日 11時38分02秒 | 5.思い出のバイク

自爆ネタで、先にあげた「峠で雪解けに乗り上げて田んぼにダイビング」と言うのが有ります。これは富山県と石川県の県境辺りだったと思いますが、2人ツーリングで調子よく後続を引き離し、段々畑を縫うように走る農道を飛ばしていた時です。春先で雪解けの水がアスファルトをところどころ濡らしていました。しかしほとんどが乾いて問題の無い状態でした。


ところが、山肌を背に谷側に回りこんでから道が乾いて無い兆候が有ったのに、調子に乗ってそのままのペースで90度ぐらいの左逆バンク気味の道で、道の表面がブラインドになったところです。フルバンクして侵入したらいつも水が流れている場所なんでしょうね、緑色に苔が生えてるんですよ!。さすがに、これは無理!、ととっさにバイクを起こしてフルブレーキ、そのまま曲がり切れず路肩に前輪が落ちたところで万事休すなんですが、不思議なことに田んぼの土手に大きな枯れすすきの天然の柵が出来ており、バイクはこれに絡まって着艦フック並みに急停止。ライダーは慣性に逆らえず宙を舞って、ななめ前方の土手に頭から刺さりました。
刺さったというのは、当人の感覚では頭から落ちて亀のように首がめり込んだ感覚です。今思うと、よく頸椎骨折しなかったな、という感じです。感覚的にジャミラ(初代ウルトラマンに出てくるかわいそうな怪獣:古くてすみません)のように、首がめり込んで固まったような感じでなんとか、立ちあがって振り返るとなんとバイクはちゃんとススキに助けられて立ったまま止まっているのでした。


そうこうしているうちに、後続の相棒が「なにしとるん?」と来てくれて、当人は「いやぁ、滑って吹っ飛んだ」と苦笑い。


土手に乗り上げたバイクは中々、動きません。すると、軽トラがたまたま通りかかり、荷台に4~5人ぐらいの農家の方が下りてきて笑いながら、「こけたんか?」と手助けしてくれて、あっさりとバイクは道路に戻されました。というわけで、私は首がまだ痛かったけれど、バイクは隙間と言う隙間に草が挟まり、カモフラージュした自衛隊のバイクよりすごい状態でしたが、無傷で復活出来ました。いゃあ、春先の山で雪が残っているようなところは路面の変化に要注意です。路面がブラインドだったなら、そこは濡れている、、と覚悟して侵入する慎重さが必要ですね。


もうひとつは残念なノリックパターン事故です。兄を乗せて大阪の片側1車線の国道357を走行中、前方の小型コンテナトラックが、左にウインカーを出して路肩に寄ります。私はセンターライン側に寄りつつアクセルを開けて追い抜きモードに入りました。するとそのトラックは左ウインカーを出して路肩側に寄った後、突然そのままUターンに入ったのです。幸い、左目でトラックをチラリと追っていたので、そのとたんにフルブレーキを掛けました。前輪がロックしたと同時に運転席の兄ちゃんがこちらを見て驚いた顔が見えましたが、直後に運転席の後ろに直撃しました。これまたヘルメットがトラックのアルミパネルにめり込み、続いて後ろの兄の体重が私の体に掛り、サンドイッチ状態に。


幸い、倒れたバイクの下敷きで右足ねんざと全身打撲で済み、兄はほとんど無傷だったのが本当にうれしかったな。
「な、なにしてんねん!!」と倒れたまま運ちゃんに怒鳴ると、若い運ちゃんは「すいません、ハンドル切った瞬間に気が付いたんですけど、、」とのたまう。順番が逆だろうと!。後方確認してから、ハンドル切れよと!!。


で、これまた人情ネタで、運ちゃんはこれで点数が無くなると仕事が首になる。修理代は当然出すから、警察抜きで頼むと。。。 怪我がねんざで済んだので仕方ない、ホンダに電話して引き取りに来てもらい、以後はバイク屋で交渉となりましたが、何も知らない私は、この貧乏そうな兄ちゃんが、現金で修理代18万も払えるんかいなと気がつくべきでした。


相手は保険を使わず、振り込むと言って音沙汰なし。しつこく電話したり押し駆けても行ったし不毛な時間を使いました。 結局3カ月ほど経って、なんとかバイク屋に支払いが済んでバイクを引き取ることが出来ました。


もう少しブレーキを掛けるのが遅ければ、減速が足りず、入院か、死ぬか、ということだったのでしょう(チラリと速度計は80kmを指してましたからね)。ブレーキは初期の0.5秒とぶつかる直前の0.5秒では雲泥の差が有ります。初期は80キロ出ていますからこの時の0.5秒はおよそ11m進みます。ぶつかった時が30kmだったとすると、4.1mです。つまり、最も速度の高い最初のブレーキかけ始めがいかに早いか、がとても重要です。車も、バイクもヤバい!と思ったら即座にブレーキを踏みましょう。そして前輪に荷重が十分移る0.5秒の間に①ブレーキを抜きつつハンドルで回避、②逃げ場が無くそのままフル制動、③衝突は避けられないのでケツからあてるためにスピンするとか、を決断しましょう。何をするにもフロントに荷重が十分移らなければ、車もバイクも次の行動に移りませんから。


というわけで、この事故の運命を分けたのは、左に寄った車を視界に置いたまま、アクセルを開けたことでした。もし車がウインカーを出して左に寄った直後、私が前方に視界を移してフル加速したなら、この0.5秒が稼げなかったと思います。


怪しげな挙動の車には要注意ということ。警察には機械的に届けましょう。
この事故が有ってからホークⅢとの距離が開き、RZへの道に繋がるのでした。


子供の詩に見える、日本人のメンタリティ

2012年03月19日 10時47分15秒 | 日記・エッセイ・コラム

気仙沼の小学生が描いた、詩。

感動したので、動画をUPして見ました。

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YouTube: 「ありがとう」 気仙沼の小学生の詩です。

http://www.youtube.com/watch?v=ztfqCZ-gDjQ&feature=youtu.be


この詩を読んでいたら、思い出した1枚の写真があります。それは有名な「焼き場に立つ少年」の写真です。

Yakiba

写っているのは、死んだ妹をおぶって、遺体の火葬を待つ姿です。

国連の戦争虐殺を非難する写真展に、日本からは広島、長崎の原爆被害を出したら、見るにはショックが大きすぎると否決され、ならばとこの写真を出したら、泣いていないし、軍隊のようだと、却下されたそうです。

流石は国連。戦勝国を非難する写真は否定します。この少年が悲しみをこらえて歯を食いしばっている心情は、悲しみとは理解しないようです。さすが彼の国の事務総長なだけあります。

ともあれ、失うものの大きさに押しつぶされようとも、届けられた善意に感謝できる前向きな根性に、未だ失われていない日本人のメンタリティを見た思いです。

長く、心を寄せて忘れないように被災地を応援して行きたいと思います。


【さらば、ハヤブサ】

2012年03月11日 00時22分49秒 | 日記・エッセイ・コラム

壮大な宇宙を旅した地球的スターの「はやぶさ」ではなく、私の相棒、スズキの隼くんです。

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ほぼ丸13年間を共にした相棒と、今日お別れしました。さくら咲く頃には新しい相棒が、そのすきまを埋めてくれるはずです。それまでさびしいな。。


まだ、40代にちょっと届かない年齢で、SS系の750で、さすがに体力的にきつく感じて楽なバイクを、、と考えていた時に驚愕の性能で登場した20世紀最後の怪鳥「ハヤブサ」。

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慣らしをしながら、第3京浜を流しワクワクしたなぁ。そして御殿場までの東名で「ワープ」ってこういう感じなんだろな、と思った驚異の加速。アクセルを開けた瞬間、周囲の車がみんな止まって見える感覚。
「ああ、加速する物体の時間は遅く流れる、、とはこういうことか」と物理法則を感じるほど驚いたっけ。


ああ、あの車の間に行きたい・・・って思った瞬間、もうそこに居る、、そんなバイクでしたね。
そんな、バイクで有りながら、私の好きな林道レベルの峠道でも行けるハンドリングマシン。もちろん、SSみたいなヒラヒラ感は無いけれど、あの巨体からは異次元のすばしこさで、新しいハヤブサには受け継がれなかった遺伝子もありました。


心底「すごい!」と思ったバイクでした、スズキを改めて見なおしたもんです。その前のR750ではハンドリングで驚かされましたが、今でもそれは一級品で、「鈴菌」はすごいです。相棒のハヤブサは、13年を経た今でも、一線級です。それもまた凄いことです。そんな相棒ですが、乗り手の方が老朽化が激しく、軽い相棒を求めることになりました。

動画が張れないので、リンクにて:http://www.youtube.com/watch?v=IxSIZ9udJSA&feature=youtu.be

 

次の相棒が来るまで、もう少し乗りたかったけど、店長の意気に感じて早く化粧直しして、春には新しい使い手に渡るように、引き取ってもらいました。 13年経って、ほぼ当時価格の40%を残してくれました。
おかげで新しい相棒の36%を埋めてくれました。ありがとねw。

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今後はバイクとのかかわりが変わるというか、戻る感じなんですね。子供たちが巣立って、一人に(妻は居ますが(笑)戻りつつあるなと。初めて社会人になって買ったバイクでは、うまくなりたくて峠にも行ったけれど、ツーリングという旅を楽しむ比率が高かった。今度はまた色んな地域に出かけて行って、温泉めぐり的な相棒との旅の比率を高めようという感じなのです。サイドバックも付けたしね。


と言いつつ、ひと捻りでワープする感覚はほしいので、トルクウエイトレシオは落としたくない。そんな相棒が4月中には来るんだろうか?。オーダはしたものの、納期はまだあいまいwww。