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 バイクが教えてくれたことなどを勝手に気ままにつづるブログです。
 少しでもバイク好きが増えてくれたらうれしいです。

その3 自前で買った初バイク②

2012年02月26日 12時02分33秒 | 5.思い出のバイク

週末になると、当てもなく走り回ったホークⅢでは、
①左折巻き込まれ転倒
②初歩的な曲がりきれずに握りゴケ
③これは「死んだ」と思ったトラックの巻き込み
④峠で雪解けに乗り上げて田んぼにダイビング
⑤兄と二人乗りしていて目の前で車がUターンというノリック事故パターン
と、さすが最初のバイクでは散々な事故歴が有ります。


被害事故が2回、自爆が3回。自爆は単純に技量の無さと自制心の無さですが、被害事故は予知能力の無さと考えないといけません。


雨のひどい国道で、路肩側をライトを付けて走行中、前方の車が速度を落としたので追い抜こうとした途端、いきなり左折。ブレーキ握りゴケです。バイクの下敷きで唸っていると、ドライバーが下りてきて言った忘れもしないその言葉「大丈夫ですね!」


なんじゃそりゃ。だいじょうぶですか?だろ。おまけに同乗している家族と思われる3人は嫌そうな目で窓も開けずにみてるだけ。


「あんた、指示器も出さずにいきなり左折したでしょ!」というとあろうことが、「いや、方向指示器が今切れていて・・・」


・・・確信犯かい!。バイクを起こして立ちあがると「だいじょうぶだね、じゃ」と言って車に戻って行ってしまった。買ったばかりのクシタニの雨具は穴が空き、倒れた側の割れたウインカーと傷ついたクランクケース、バックミラー、そしてこの打撲、打ち身と雨ににじむ血。


これは俺のせいなんか?。まぁ、19歳の未成年はチョロかったですな。この時の正しい対応は多分こうです。


「ううっ」と唸って倒れたまま車のナンバーをしっかり記憶。
 警察呼ぶ。⇒人身事故扱いにする。当時の判例ではやや弱いかもですが、今なら事故誘発の起因を作った方は問われますから、左後方(巻き込み防止)をせず、整備不良車と知りながら運転し、適切に処置せず走り去った、、、ということで十分ひき逃げに出来るでしょう。


この件で一番こたえたのは、雨の中とはいえ、車の中の家族が一人も心配して出て来なかったことです。それが無かったなら、私も「大丈夫ですから」と許したと思う。


もうひとつの対処法は、下手に避けようとしないことだ。どんとぶつかって左折巻き込みにしておけば話は楽だ。 
 
・・・とまぁ今となっては大人げないそんな局面に巻き込まれることなく
①怪しげな車とは車間を取って、前車のルームミラーか、バックミラーにヘッドライトを映す
②特に雨や霧で視界が悪ければ、センターライン側を走る。
などの対応をすることで事故そのものが起きないわけです。


もうひとつはどちらが悪いと言いにくいですが、峠の下り左ブラインドヘアピンコーナ。ここは採石場出入りのダンプカーが多く浮き砂が巻かれているため、路肩を外して中央よりを走っていたところ、対向車線からセンターラインを割ったダンプカーが来て、コーナ頂点でダンプカー中央のプロペラシャフトに飛び込みそうになりました。


とっさに「身体が入ったら終わりだ」ということで左側に転倒覚悟でバンクさせ最悪でもバイクだけ・・という回避動作をしたところ奇跡的にバイクのフロントタイヤがダンプカーのリアタイヤに乗りあげ、ちょうどダンプのタイヤを壁として転倒せずに曲がることが出来ました。これはこの後私が体験する3大奇跡の最初となりました。いやぁ、思い出しても冷や汗がwww。


これも、こんな道路で無理する必要はさらさらなく、こんなヘアピンは対向車がショートカットして来ることは多々有るわけで、それを予知してイン側に寄ることは常識です。ところが山菜取り時期にはこんなヘアピンのイン側(山側)に車を停めて散策している御仁が多いことも事実ですから、こんなところは絶えず止まれる速度で走ることです。


バイクそのものの記憶は薄いホークⅢですが、ライダーとしての記憶には実に濃い初心者ライダーの時期でした。言いかえればこの時期が最も危ない時期。戦闘機乗りでは通称「カモ」と呼ばれる時期です。


バイクに乗り始めたみなさん、この時期は本当に要注意ですよ。 次回ももう少し、事故体験を書きたいと思います。
(つづく)


【趣味の伝承?】

2012年02月19日 22時49分56秒 | 日記・エッセイ・コラム

今日は春休みでヒマしているドラ息子にせっつかれて、世界遺産の合掌作りの集落へ行って来ました。 昨夜の寒気で大変な積雪が懸念されたのですが、気温は下がっても雪はそれほどでなく無事高速使って90分ぐらいで着くことが出来ました。


当然ながら現地の積雪は相当なもので、除雪の大変さがしのばれます。しかしそこはさすがに世界遺産、両脇が2mほどの除雪の壁の中を進むと、観光バスも一杯で結構なにぎわいです。

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夏はバイクでよく寄るのですが、雪の時に来たのは初めてで、やはりここは雪の似合う集落です。
ところで、お題ですが別に私が奨めたわけでもないのに、道楽息子も写真にはまって自分にはとても意欲が萎える荷物を担いで、あちこち出かけているようです。


まぁ、バイク乗りは気ままに旅するので、昨今のデジタルカメラの普及で自然と手にすることになるのでしょうが、今では写真を取りに出かけることも多いようで、これぐらい勉強にも精を出してくれよと言いたい。


バイクの場合は親としてはやはりその危険性を知るだけに、本来乗せたくは無いのだが、一方でバイクに教わったことも計り知れず、、、。結局私の場合はこっそり我流で怪我するぐらいなら、しっかり基礎を仕込んでやろう、、ということで免許を取らせて、基本と自分で練習する方法を仕込み、一緒にツーリングに出かけて「危険予知指導」を出来るだけやったつもりです。その割には、既に保険を使いまくり、金属プレート3枚というありさまですが、これはモトクロス場で自爆した結果なので、まぁ仕方ない。


同様に、カメラも親父のミノルタの影響(レンズを狙っていたか)、SONY使いとなりすっかりデジタル世代のカメラマンになってしまいました。こうなると、趣味の話が出来るのでそれなりにつるんで行動できるため、まぁ世代間の交流は良い方でしょう。結局ひねた親父のアンチメインストリーム派となり、「なぜそんな、マイナーなバイクに乗るのか、とか、なぜそんなカメラを使っているのか?」とかを理解するようになり、同じ日陰を歩いてる(笑)。

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使い古しのコニミノのα7Dをほしがるぐらいだから、その価値はわかって来たのだろう。しかし私のα99はいつ手に入るのか。 バイクの方も、引っ越してきてから近所のバイク屋から調達し始め、今度で4台目となるが、ようやく私の番が回ってきた次第。これからは、初心に帰ってカメラ担いで一人ツーリングが増えることだろう。


なんか、趣味を理解することはその人を良く知る一番の手がかりだから、今の時代お互いに理解する手段は多いに越したことは無いだろう。


その3 自前で買った初バイク

2012年02月18日 22時58分49秒 | 5.思い出のバイク

公道を自分の所有するバイクで走りだしたのは19歳の確か9月でした。バイクはホンダの「CB400N」通称ホークⅢ。なんてことないパラレルTWINエンジンの400cc中免バイク。

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カップラーメン啜って、6か月分の給料の大半を貯金して買いましたねぇ、当時なんだかんだで40万ぐらいだったと思います。コンチネンタルハンドルの当時としては前傾姿勢のスタイルで、練習に毎日出かけてました。


当時のバイク事情は1980年代バイクブームの序章、と言ったところかな。技術的にもまだ革新的なものは無く、従来技術の延長線でスポーティなものが出始めた時期。当時カワサキの400FXが4気筒DOHCマルチエンジンで登場し、市場は大騒ぎだった。なんせ小排気量マルチは古いホンダのCB400F(OHCエンジンで1974年登場)だけでしかもこいつは408cc(その後中免用に398ccで1976年発売)で中免では乗れなかった。けれども私はこれには惹かれなかった。なぜならパンチ力が無かったからだった。


高校時代に校庭を走り回った古いバイク達よりは当然高出力だけれど、アクセルを開けた瞬間のトラクションが400cc程度では、小さく手伸びはいいのだけれど向き変えに使いにくかった。そのあたりはライディングテクノロジーのコーナでこれから書いて行きたいけれど、ちょっと触れると、ホークⅢで練習に行っていたダムのワインディングは砂が浮いてて危ないんだけど、今も昔も走りの好きなライダーのメッカになっていた。そこで時々遭ううまいライダーがいて、彼は切れ味鋭く曲がるのだけれど不思議なぐらいバンク角が浅いのだ。


当時のバイクのバンク角は昨今のラジアルタイヤマシンのようにグリップしないし、ステップも低くクランクケースは出っ張っててバンク角は浅かった。それで目いっぱいバンクして火花を散らして走るのは当然、すげー、、というオーラでギャラリーを沸かせていたのだけれど私はそれらには一向に敬意を持てなかった。「公道で後が無い」という走りはおかしーだろ、、という冷めたもんだった。一方でこの浅いバンク角のライダーは、まだまだ余裕たっぷりに見えて実に速いのだ。


コーナリング速度の速さってバンク角に依存しない??ということを私は意外に早くから認識してしまってました。タイヤがあまりつぶれないバイアスタイアでは、なめらかにGを掛けて行ってきれいな弧を描くようにいわばアクセルをパーシャルで滑空するような深いバンク角依存型と、典型的なリア荷重でアクセルを相当開けて曲がってゆく(バンク角が浅いのでアクセル開けてもスリップしなかった)乗り方があったんですが、公道では明らかに後者でないと命が足りない。


これがラジアルタイヤになってから、その差がさらに大きくなりましたね。問題はラジアル普及の初期は荷重が乗らないとトラクションが掛らず、滑りやすかった。だからコーナの曲率を読み誤って途中でアクセル抜くと、とたんに曲がらなくなった時代がありましたね。それはFZR400の時にまた・・・。


話は戻って、当時のバイクは立ちが強く(そうしないと直進安定性が出せなかったのだと思う)逆にコーナでバンクさせるにはコツが必要でした。ブレーキングを抜いて⇒フロントからリア荷重に乗り換えて結構、ぐいっ!とトラクションかけて、バイクが起き上がろうとする力とバランスさせることでタイヤを路面に押しつけるように乗るのがコツで、一方フロントは今とは全く違い、荷重を与えると舵角が逃げるようにシャーシやフォークの剛性が低かった。だからフロントの内向力を引き出すなんてのは、市販車ではスズキの’88年以降のR750からだと思っています。


けれども僕らが良い時代を過ごしたと振り返って感謝してるのは、技術の変遷をそのまま楽しんで来て、古い曲がらないバイクの曲げ方を習得していた分、考えて乗る癖がついてその後のバイクに込められた技術を引き出すのが楽しかったことです。


このホークⅢは、それらの出発点として誠にオーソドックスな基本を学ぶに適した入門バイクで有りました。多分今乗ったら、大排気量カブ、、、といったら失礼かな


部活で乗ったバイク達③

2012年02月11日 10時36分43秒 | 5.思い出のバイク

高校の部活中に最も世話になったのが、これ。

Cb125


きれいにレストアされた方の映像がyutubeにあったので紹介しときます。2連メータがなつかしい!!
http://www.youtube.com/watch?v=7n9flnXHLjw&feature=related

CB125 360度クランクの方です。ホンダのCB72、や92の伝統で180度クランクと360度クランクが有りました。カタログスペック上に違いは無く、回転フィールの違いだけのようです。これは実習を兼ねてエンジン全バラのオーバホールをしました。
車体重量は、さすがに鉄パイプのダイヤモンドタイプで重いけれども、こいつのエンジンは当時からGP譲りで驚異的な10000回転も回るものでした。まさに高回転のホンダが頂点に居た時代かな。しかしF1活動は、例の空冷と事故で撤退しクーペ99やセダンの77といった世にも珍しいDDAC(2重空冷?)システム、つまり水冷のようなクローズドなウオータジャケットのかわりにエアージャケットを設け、ここに強制的に空気を送り込むシステムで、ホンダの親父がこれに固執したおかげで久米社長がのたうちまわった話が彼の著書「ひらめきの設計図」を読むと出て来ます。この本は別の意味でもお勧めで、別途お勧め本のコーナで紹介したいと思います。


この頃、学生の自分には知る由もなかったですけど、パワー競争のモータリゼーションは曲がり角に来ており、ホンダが環境エンジンCVCCへ進み、親父さんの世代からバトンタッチする大きな転換期でした。それは日本のものづくり全体が大きく変貌して行くことでもあったのです。そして私の就職活動にも大きな影響を与えて行きました。それはまたいずれ。。


さて、オーバホールしてもパッキンやOリングなどの消耗品を買う金も無くすべて使い回し。特にシリンダーヘッドガスケットはレポート用紙の裏紙を切り抜いて使っていましたねぇ。まぁ、1年ぐらいは十分もったし、銅板を打ち出して使う技なども伝授されました(笑)。


んで、電接管を曲げて、2in1のマフラーを作って改造し、部室前の直線をドラッグよろしく加速を楽しんでいました。面白いもんで、それが学校側と生徒側の両方から注目を集めてしまい、先生からは苦情!。生徒からは入部申し込みが!。 しかし、当時の部活担当の先生はおおらかで「走ってみんけりゃ、調子がいいかどうかわからんでしょ、彼らはこれで飯を食うかも知れんのだけん」といった案配で、部員には「まぁ、ほどほどにな」と言われただけでした。


それにしても、2in1の直管マフラーは125ccとは言え、十分にバリバリでしたwww。


【過去最強のツーリングチーム】

2012年02月10日 22時22分43秒 | 2.楽しいツーリング




今回はグループツーリングの基本を書きたいと思います。けれども、何を目指してグループツーリングを行うか、その価値観に偏りが有るため、あくまでも「私の・・」ツーリンググループの基本についてです。


バイクは基本一人乗りの単座戦闘機みたいなもんです。従って、お互いの技量を認め合って「つるんで」走るのが、楽しくないと始まりません。アクロバット飛行チームのブルーインパルスみたいな形が一つの理想です。だいたい6名~8名程度になります。


さて、技量を揃えるために良い仲間と走りの勉強会をします。実践の機動と、座学の理論と、そういう場を作って出かけるのも楽しいツーリングです。ただ、当てもなくうまいもん食べに、出かけるのも楽しいですが、それはお互いが認め会える技量が有る程度揃ってからでないと、長続きしません。具体的にはこんな感じです。


前方にトラック。追い越し禁止でストレス。けれどもいつかのタイミングで安全に抜ける「その時を」先頭は探っています。後方のメンバーはいつでも加速できる体制でそれを待ちます。気の合った仲間だと千鳥配置の密集編隊を組んで、ワンチャンスで6台程度は一気に動けます。これが玉石混合のツーリングだと、間隔が間延びして、加速タイミングも遅れ、だらだらと長引いて、挙句交通のタイミングよりも自分たちの集団のタイミングを無理やり通そうとして、流れを乱します。


さらにタイトなタイミングになると、先頭は先頭、後方は後方と各自ばらばらに機動します。それでも収束点はぴたりと息を揃えて、再び密集千鳥編隊になるのです。交通の流れを乱さずに(ブレーキを踏ませない)異なる速度の塊がスルスルと流れて行くことが出来ます。そうなるには、各自の技量が有る程度揃ってしかも交通ルールやマナーを守る意識が揃っていないと息が合いません。


先頭がセンターライン側によるか、路肩側によるか、千鳥を解いて、単列になるか、そう言った動きが先頭の動き一つで、2番機、3番機とあうんの呼吸でサッと動きます。そういう決まりごとをきちんと作って行動出来るチームを作って、人生丸ごと楽しく付き合える仲間が、バイクでは得ることが出来ます。ただし、それを望もうとする仲間と向上心があれば、、ですが。


後方の車両は、必ず自分が前の車両のバックミラーにヘルメットが映っているか、位置取りをします。先頭は、必ず後方隊列すべてを把握する目配りをしていますので、ぼーっと死角になる位置に行かないようにします。先頭もまた、前方の車の死角に入らないようにすると同時に、グループ全体の「ゾーン」を確保します。最近は、そんな「ビシッ」と6台ぐらいがあたかも1台かの様な動きをするツーリングチームに出会いませんが、自分はそういうツーリング仲間を作っていました。絶対に怪我をさせないバイク仲間です。


バイクの種類も、あまり違うと無理が有ります。一番動きの良かったチームではGSXR750と1100だけのチームでしたが、路上の車2台分ぐらいの車間で、6台が動いていたように思います。前方の車を抜く時に、左右からばらばらに、、、なんてことは有りません。先頭が右センターラインからの意思表示で車体半分センターによると、後方は即座に単列になって、やや車間を取りつつ追い越して、抜いた車と距離を取って、一斉に千鳥へ隊列に戻ります。そう言った動きを見ながら峠を走ると本当に一体感が生まれ気持ちよかったな。 

Regsxr750by_3

残念ながら、みんなが独身時代の終焉とともに、全盛期は過ぎて行ったのでした…(遠い目)

つづく