オトコはつらいよ!? ~CNS 坂コーの独り言~

急性・重症患者看護専門看護師である坂コーの手探りなブログです。

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はじめまして。 都内某大学病院ICUで働く専門看護師の坂コーです♪ 心にうつりゆく医療や看護に関する事をそこはかとなく書いていくブログです。 2019年4月からこちらにお引越し↓↓↓↓↓↓

解釈学的現象学という研究手法

2014-05-18 15:24:29 | 理論
看護の質的研究方法で現象学的アプローチというものがあります。
これのプレゼンをすることになったので、色々勉強してみるととても奥が深い。
今日はそもそも現象学って何だろうということの整理をしてみたいと思います。

まず、現象学というのは18世紀にドイツのフッサールという哲学者が始めた哲学です。哲学の歴史をひもとくことが現象学の理解への近道です。
哲学はギリシャでうまれました。
世界説明の原理を求めるところに起源があります。
ギリシャでは、太陽神ジュピターを主神とする神話があって、当時は神話が世界説明の方法でした。
ギリシャにはポリスと呼ばれる都市国家がたくさんあって、神話の形も少しづつ違っていたので、様々な国で宗教や神話が混在していて世界像は統一したものではなかった時代です。
神話による世界説明は多様性であるのに対して、どこでも誰にでも通用し、共有できる普遍的な説明、これを目指したのが哲学です。
最初の哲学者といわれるタレスは「万物の根源は水である」といいました。
現代の私たちにとっては、いやいや違うよタレスさん!と何がすごいのかさっぱりな感じがします。でも、これは今から2500年も前の話です。
当時は万物の根源は神であり、太陽も月も、海も空も大地も、すべて神が創ったと考えるのが普通の時代です。それを否定して、あえて物質的な「水」であると言ったところに、大きな意義があるり、さすがギリシャ7賢人と言われたタレスさんです。

これ以来、哲学は世界の原理は何かということが問題の中心となっていきました。
世界の根源は何か、というところから始まった哲学は、神の存在をどう証明できるか、人間とはいかなる存在か、世界をどう認識できるか、精神と物質の関係はどうなっているのかと発展してきました。
近代哲学の父といわれるデカルトの産まれた時代はミケランジェロやダビンチの生きた時代です。
コペルニクスが天動説に対して地動説を唱えた時代です。
デカルトは世界を旅することで、ある集団の内部で信じられていることが、別の集団ではまた違ったように信じられていることを発見しました。
ボートをこぐ時のオールは水中では曲がって見えます。
私たちの感覚は頼りないものです。
現実世界のすべてが夢であるかもしれない。
デカルトは方法的懐疑ということですべてのものを疑ってかかりました。
でも、疑い続けている私が存在していることは疑えない。これを有名な「我思う,故に我あり(コギトエルゴスム)」という言葉で表現しました。
考える自己(主観)と対象である物質(客観)を分離して考える二元論を導きました。

前置きが長くなりましたが、ようやくここから現象学の話です。
現象学は冒頭で述べたとおりフッサールが始めた哲学です。

現象学は主観-客観の一致はあるのか、という認識問題の謎を解き明かし、ハイデガー、メルロポンティーへと発展していきました。
くどいようですが、認識問題の謎を解明しようとするのが現象学です。
懐疑主義に対して現代科学の実証主義は、主観-客観図式を前提しているのではこれに対抗できません。
そうすると、学問自体が非常に相対的となって、認識の普遍性の根拠が出せなくなるという危機的状態になったわけです。
では現象学でどのように主観-客観問題を解決しようとしたのかというと、簡単にいうと主観-客観図式を内在-超越図式に変換して認識問題の謎を解決しました。フッサールはいろいろ言ってますが、一番の肝の現象学的還元について簡単に説明します。
私たちは目の前に広がっている世界を、確かにそこに実在しているものだと思い込んでいます。主観的な世界の外部に客観的な世界があるのだと素朴に信じています。
この主観と客観が一致するのかという主観-客観図式のままでは、懐疑主義に対抗できませんでした。
絶対的な客観を証明することはできないわけです。
ここで意識の外部に客観的世界があるという確信、一種の先入観や思い込みを一時的に保留します。
この、一時的保留、判断停止、カッコ入れのことをエポケーといいます。
エポケーした上で、この確信がなぜ成り立っているのかを問い直します。意識の外部世界を否定するのではなくて、外部世界があるという確信が成立する条件を問うわけです。
これが内在-超越図式です。エポケーした上で残る純粋意識から、この確信がなぜ成り立っているのか、その条件を取りだすことを超越的還元といいます。
そしてこの直観された本質はさらに普遍的なものへと練り上げることが可能で、この作業を形相的還元または本質直観と言います。

これは竹田 青嗣(たけだ せいじ)先生のスライドを一部改変したものです。
ちなみに、(エポケーは一時的に保留するだけで、べつに客観的世界の実在性を否定するようなものではなくて、例えるなら部屋の明かりのスイッチを切るようなものだとフッサールは言っています。それで部屋が消えるわけでもなく、超越的還元の作業が終われば、またスイッチを入れて日常生活に戻るだけです)。

現象学は面白いですけど奥が深そうです。
これを使って研究する気には到底なれません。たぶん超難しくてハードル高そうですね。

最近は、仕事に大学院に子育てにと日々充実です。
ジムにも通いはじめて体重が5kgも減りました。
この調子でがんばりたいなぁ...。
現象学の説明は竹田先生のものがとても分かりやすかったです。

解釈学的現象学のベナーさんのものは読み物としては入ってきましたが、具体的研究方法はあまり分かりませんでした。私の読み込みが甘いのかも...。

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