釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

荒川五色桜(江北五色桜)

2009年04月13日 17時48分10秒 | 四季の花
今日は「荒川五色桜」のふるさとを訪ねて足立区へ出かけました。
「荒川五色桜」といっても、そういう名前の桜があるわけではありません。

サトザクラの由来を調べていると「荒川堤」にあった桜という言葉がよく出てきます。そういう意味で「荒川堤」や「荒川五色桜」はサトザクラの原点のような場所なのです。

明治19年(1886年)、江北村(現在の足立区江北付近)では、荒川(現在の隅田川)の堤防の改修工事にあたり、堤防の補強などを目的として、78品種3000本以上の桜を植樹しました。
当時、染井村の桜専門の植木業者が、あまり根が張らず、樹高も高くならないサトザクラを移植したそうです。
それらのサトザクラは、白あり紅色あり黄色あり紫ありで、あたかも五色の雲がたなびくように見えたために五色桜と呼ばれ、花の時期にはたくさんの人が集まる桜の名所になりました。

しかし、この桜たちは、受難の歴史を歩みます。
大正2年(1913年)、荒川放水路(現・荒川)の開削で、隅田川上流の流路が大幅に変わり、部分的に放水路の堤に残った桜もありましたが、移植や補植を経ることになります。
それにもめげずに工事途中の大正13年(1924年)に国の史蹟名勝天然記念物に指定されます。

しかし、戦中戦後、戦災の被害があり、手入れが行き届かなかったり、材木不足で切られたりして、昭和20年代にはほとんどなくなってしまったそうです。



名勝指定を記念して建てられた記念碑が、足立区都市農業公園前の堤に建っています。

実は明治45年(1912年)、ワシントンに渡った桜はこの荒川堤の桜だったのです。
そのときの桜の種類が12種類3000本、荒川堤の桜の枝が台木に接木されたものだったのです。

昭和27年(1952年)、足立区と東京都の希望がかなえられ、桜たちの里帰りが実現します。残念ながらこのときの桜はすべて枯死してしまったようです。
さらに昭和56年(1981年)、700本あまりの桜が里帰りを果たし、足立区各所に植えられているということです。

その一部が、足立区鹿浜の荒川沿いの都市農業公園にあります。
今日の目的地はこの公園です。
東武伊勢崎線西新井駅西口からバスに揺られて20分、荒川と首都高速に挟まれた公園に着きます。

公園全体で49品種297本の桜があり、多くはサトザクラで今が盛りです。



都市農業公園前の荒川



正門前の「カンザン(関山)」の並木



園内の様子



紫色の「ヤエムラサキザクラ(八重紫桜)」



桜なのにほのかな匂いが香る「スルガダイニオ(駿河台匂)」



可愛い造花のような「タイザンフクン(泰山府君)」

この公園、桜だけではなく、一年に二回素敵なものが見られます。



荒川越しに、富士山のちょうど真ん中に太陽が沈む「ダイヤモンド富士」が年二回見られます。この画像は去年の11月。感動的ですよ。

染井に並ぶ、桜の故郷は春満開でした。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 深川花まつり | トップ | ’ギョイコウ’なのか’ウコン’... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ごん太さん おはようです~ (わんちゃん)
2013-04-29 09:41:47
初めまして わんちゃんと申します。

桜の花のこと調べていたら、よく「荒川堤の~」と載ってます、大阪造幣局の桜の通り抜けの時も桜の樹の横にある立札に「荒川堤の~」っと、何本もありました
「ほぉ~~荒川堤の桜って?東京には違いないやろうけど、どの辺りなんやろか?」が始まりでネットで検索していたらこちらの方へ・・・

桜が何となく好きで花見に出かけてblogに・・・っと今の時季やってます。
造幣局での数種の桜が「荒川堤の~」でした、ちょっとblogの記事にしたいのですが
こちらをリンクさせていただきたいと思います。
ヨロシクです

わんちゃんさんへ (ごん汰)
2013-04-30 02:24:52
コメントありがとうございます。

どうぞリンクしてください。
今年の荒川堤五色桜という日記もありますのでご参考に。

コメントを投稿

四季の花」カテゴリの最新記事