日野土地家屋調査士・行政書士事務所のブログです。最近は更新滞りがちだけど、もう1年半以上も続いてます!これで良いのだ♪

宮城県石巻市で土地家屋調査士・行政書士事務所を開業してる好事家オヤジです。ただコメント不可に設定してますので悪しからず…

ビンボー学生

2011年12月23日 | 追憶・つぶやき・日記

画像は3~4年前にNHKで放映されたワーキング・プアのキャプチャー画像である。この2人の青年たち、今はどうしているんだろうか?って時々思う事がある。これに乗じたネットカフェ難民とか若年ホームレスみたいな番組もずいぶんとあり、中には俳優さんを使った「ヤラセ?」って疑いがあるようなのもあったみたいです。
さてこの2人の青年達、なんでこんな真面目な好青年たちが…と憐れみを覚えてしまった。
ナレーターによると、左の小山良人さんは石巻市出身という。(放送後、彼は石巻市○○地区出身の青年らしい…と噂に聞こえてきた)同郷ってこともあり、所持金無しでの必死の求職活動に「頑張れ!」と同情した。
一方の岩井拓也さん、その日の食費だけ確保のためゴミ箱から雑誌を拾い集めて売っての生活。高校生の時に親に捨てられずっと一人で生きてきて、帰る家はガード下の段ボールにはさすがに憐れを誘った。

都会で生きていくのに所持金が無い、その焦りの気持ちはよくわかるなぁ~。自分も学生時代は貧しい生活を送ったもんだった。私等の昭和50年代の頃は風呂も無い3畳~4畳半生活が当たり前で、当時はバイト先やお店で「学生さん?」と聞かれたら、「はい、ビンボー学生です」と答えたもんだ(^^ゞ
でもそれでもまだ食べるだけのお金やアルバイト・住む所があった。自宅通学の人たちはアルバイト代を自分の小遣いとして使えて羨ましかったなぁ。私や友人の多くは、生活費として消えていったもん。
金欠のときは冷や飯に納豆、お茶漬けは1袋で3回に分けて食べれる、インスタントラーメンのスープはご飯にかけてかっ込む。それと11月16日のブログに「タワシの味噌汁」ってタイトルで書いたけど、インスタント味噌汁をご飯にかけて食うと案外と美味いもんだとその時に始めて知った。それから何が無くともごま塩やフリカケは必需品!お米だけは実家は宮城の農家なもんで、常にあったから助かった。

外で食うときは主に学食や駅の立ち食いソバ・うどんをよく利用したけど、たまに喫茶店やファミレスみたいなところで食事をすると、リッチな気分になったもんだった。笑い話になるけど昼休みに学生ロビーで一人でボケ~としてたら「外に昼食食べに行くけど、付き合わん?」って友人が声をかけてきた。「おう~!付き合うぜ」って連れて行かれた場所は立ち食いソバ屋だった ( ̄▽ ̄;)!
「オレ今朝も駅前の立ち食いうどんなんだぞ。外で食べるって言うから、喫茶店か定食屋かと思ったじゃないか~。学食のカレーライスのほうが良かったよ…」とぶつぶつ良いながら蕎麦をかっ込みましたよ~。
彼の名前は栄夫(ひでお)と言う。大学では私はいつも新聞を読むためもあったけど図書室によく行ったから、そこのロビーで友人を介して知り合った。私はけっこう羽目を外すことも多いチャランポランな学生。でも彼は真面目そのものの勤勉な学生だった。確か板橋区在住の自宅通学だったけど、今はどうしてるかなぁ?

さて学生時代、二度ほど電車の定期券と所持金が電車賃程度しか無くなり、昼飯食う金も無く、平日にもかかわらず急遽「明日バイトさせて下さいよ~」って電話をかけ、すがりついてバイト先からその日の分を朝に前払いで頂いたことがあった。まぁ友人みたいな感覚で気楽に付き合えたようなバイト先だったからこそ出来た。
常務の「バ~カ、貧乏ったれ!、お~いこいつに今日の分、先に払ってやれ!残業あっても手当ては利息だからやらね~ぞ!」ってな感じでね。江戸っ子気質の家族で経営している会社で、バイト学生でも愛川欽也に似た専務(兄)や、加東大助に似た常務(弟)などに平気で冗談も飛ばせる、そんな感じのバイト先で大学2年~3年生の頃にかけてお世話になった。
懐かしいな~当時の現場主任だった北海道出身の曽我さん、大分出身の小川さん、まだ名前も顔も覚えているよ…年齢も私等と4~5歳ほどしか違わず、昼食時は安くて美味い飯屋を教えてもらい連れて行かれたもんだった。もう生涯会う事もないだろうけど今、どうしてるんだろうかな。

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