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nonocanonoco

お久しぶりです。またよろしくお願い致します。

ZIGZOの懐かしい話 1998年秋~1999年春 結成発表前後のこと

2009年12月07日 | 懐かしい話
 今年は哲くんがZIGZOがデビューしてちょうど10年。節目ということで、「懐かしい話」を久々に更新~。ZIGZOのデビュー前の思い出です。

 「Sakuraが復帰するらしい」ってことがまず98年の秋に噂になってました。このへんのことはラルクファンの方々の方が詳しいかと思います。私は周囲にラルクに詳しい友人がいなかったし、そちらで噂になったのがマリスファンにも伝わってきた・・って感じで、情報は遅かったんじゃないかな。それでラルクはもう別なドラマーを正式加入させた後なので、ラルクに戻るのではなく別なバンドでの活動になる、メンバーはバイセクシャルの人たちらしいってことも既に話題になってました。

 それとは別口で98年の冬に、「Tetsuがシーンに戻ってくるらしい」ってことがMALICE MIZERファン界隈で話題になってました。MALICE MIZERは98年末はご存知の通り非常事態が起こっていたので(泣)、大方のファンはそっちの非常事態に釘付けだったけど、同時期にこちらもひそかに話題になってたんです。

「戻ってくるってどういうこと?マリスに戻ってくるの?」
「それがよく分からないんだけど、レコード会社はコロムビアらしいよ」
「それってマリスと同じじゃない・・・」

 みたいな。マリス側の状況が状況だっただけに、「TetsuがMALICE MIZERに戻ってくる」説まで立ってました。この頃はまだ私の周囲でsakuraの噂と哲くんの噂は別々なものだったんです。ただTetsuがメジャーデビューする、レコード会社はコロムビアってことは既に確定状態の噂でした。

 それが99年の2月に彼らが「MARISU~en~SEX」というバンド名でシークレットライブをしたことにより、やっと二つの噂が結びついて「ラルクのsakuraとマリスのTetsuが一緒にやる」ということが分かりました。それにしてもこのバンド名を聞いた時は冗談かと思いました・・・。マリス・アン・セックスってねえ、あまりにもそのまんま!どうせバレてるんだからいっそネタにしちゃえって事だったんでしょうけど、manaもラルクのメンバーも、彼らがこのバンド名でライブするのをよく許したよなあ、と感心します・・・。

 私はこの頃はまだよく分からなかった。だって「Tetsu」のことは「memoire」しか知らなかったし、あれを聴く限り好きになれるとは思えなかった(コラ)。ただsakuraはラルク時代好きだったので、sakuraの新バンドとして一応注目してるって感じでした。

 デビュー曲の「血と汗と涙の裏側のハッピー」は発売前からよくラジオなどでも流れてました。でも私は今も昔もこの曲がそんなに好みじゃないので(スミマセン・・・)「フーン。普通のロックなんだね」って感じでした。それが地元ラジオにキャンペーンに来た時に、カップリングの「ファッションモンスター2」が流れて「この曲すごく可愛い!」と一気にハマりました。メロディーも歌詞も歌い方もおもしろくて可愛くて、今も大好きです。

 ZIGZOファンの9割がラルク流れのsakuraファンという状況のせいか、再起の意気込みからか、ZIGZOのスポークスマンはsakuraでした。哲くんはボーカルな上ほぼ全曲の作詞作曲をしていたわりに、当時ラジオでもインストアイベントでもあまり喋らなかったんだけど、この曲聴いて(こんな曲はじめて聴いた。この人の感性はおもしろいな)と興味持ったのが、思えば始まりだった気がします。

 ZIGZO現役当時は好きだったのは確かなんだけど、それがどのくらいの「好き」なのか分からなかった。当時はビジュアルバブルで他にも良いな~と思うバンドが色々あったし、そんなに特別な存在とは思ってなかった。それが当時のバンドはほぼ全て解散し、バンド時代は良かったけどソロ活動や次バンドがイマイチな人が多い中、哲くんのことはZIGZO時代と変わらぬテンションでずっと好きでいつづけていて。(私、高野哲をすごく好きなのかもしれない・・・)と自覚したのはここ数年だったりします。

 10代の頃はもっと好きになれる音楽がこの先現れるかも、と思ってた。でも今はもうこんなに好きになれる音楽はそう滅多に現れないと分かってきてしまっています。それは寂しいことではなくて、幸せなことだと今は思っていて。しかも哲くんはシンガーソングライターとして優れているだけでなく人間的にも素敵な人だから、10年前の自分を「見る目があったね」と褒めてあげたいです。

2008年を振り返って~「懐かしい話」編~

2008年12月19日 | 懐かしい話
 「懐かしい話」はブログを始めた時点では作ろうと思ってなかったカテゴリー。「やっぱり生の思い出も書いてあったほうがいいのかな?」と思ったのがきっかけでした。でも私が熱烈にライブに行ってたのは11~7年前だから昔のこと過ぎてライブレポというほど詳しい内容を覚えているわけではないし、当時のセットリストとか今更載せても意味ないし。それなら断片的な記憶から、その当時のメンバーの人柄の伝わるようなエピソードを取り上げよう!と思ったのです。だからレポではなく「お話」風にしてみました。

 そしてここで取り上げるのは、私が実際に見聞きした話、今まで雑誌や本その他のメディアで一度も取り上げられたことのない話、に限定してみました。人づてに聞いた話はそれがどんなに良い話であったとしても真実と断言できないし、書くことを生業としているライターさんが過去に書いた話を素人の私が二番煎じで語り直すことに意義があると思えないし。ただこういう制約をつくったばかりに、早くも行き詰まってきたのも事実です・・・。この先、どうしよう・・・。

MALICE MIZERの懐かしい話 2000年8月31日 武道館

 これは書こうかどうしようか一番迷った話。そして一番大切な思い出。これのために始めた「懐かしい話」でした。この話はあの日近くの席にいた人しか気づかなかったのか、今まで他で語られているのを見たことがありません。近くで見たのに顔の表情はよく分からなかったというのもミソです。KoziくんやMALICE MIZERの人間的な側面が伝わるきっかけになればいいな・・・。

Moi dix Mois & Schwarz Stein の懐かしい話 2002年冬

 Manaに関しては人柄的な部分よりも、多くの方が疑問に思っているのは「manaは本当に綺麗なのか?」ということだと思ったのでこういう内容にしました。綺麗な人だと私は断言します。ライブ本編には一切触れずに出待ちの話・・・。この当時の詳しいライブレポは他のサイト様にあるからいいの、と言い訳しておきます。

MALICE MIZERの懐かしい話 1999年秋ネット事情

 これは特に意味はなし。でもおもしろいでしょう?

MALICE MIZERの懐かしい話 2000年9月1日 日本武道館

 DVDやCDは後世に残るけれど、カットされたMC部分は初めからないも同然になってしまうんですよね。でも完全ノーカットが嬉しいかと言うとそうでもなくって、会場に行った人しか分からないことがあるのもレア感があって嬉しい。複雑なファン心理です。

MALICE MIZERの懐かしい話 2000年

 Mana、koziに関して書いたから、yu~kiちゃんについても書かないと!と思ってつくりました。後半の全員ダンスに関しては・・・ごめんねyu~kiちゃん書いちゃったよ・・・。

AMADEUSの懐かしい話 2000年夏

 MALICE MIZERが好きでAMADEUSも好きだった私の、武道館ライブに関しての複雑な心境を残しておきたかったというのがあります。当時「良い人」と評判だったseijiくんのことも。

MALICE MIZERの懐かしい話 3代目加入当時のこと 

 公式には「白い肌に狂う愛と悲しみの輪舞」のレコーディング後に三代目の加入が決まったことになっているけれど、実際は多分「再会の血と薔薇」のリリース前に決まっていたんだろうな・・・という発見があったので書きました。この「フルージュ」って雑誌のインタビュー、私はMALICE MIZERが受けた全ての音楽雑誌のインタビューの中で一番好きでした。

LAREINE の懐かしい話 1998年12月トークイベント

 10年前、女性と見まごう程の美少年だったkamijoのおもしろ話。この頃のことを振り返ると、今は本当にまともになったな~人気でたな~と思います。

LAREINE の懐かしい話 2003年お正月 「再会のエチュード ビデオ上映会&復活会見」

 kamijo話は多分もうこれで打ち止めです。結構前に書いたものなのですけどタイミングを見誤ってしまって、でもせっかく書いたので載せないともったいないな~と思って載せました。「MALICE MIZERファンはVersaillesも応援してあげてね。でも例のDVDboxは絶対買っちゃダメよ!!」って感じです。

MALICE MIZER&ZIGZOの懐かしい話 2001年12月 同時に解散事件

 これは私にとって最も最近の記憶。私はどちらのバンドの解散(活動休止)もネガティブには捉えてないんです。今となってはあのタイミングで良かったと思うし、解散を残念に思う気持ちも再結成を望む気持ちも全くなかったりします。

MALICE MIZERの懐かしい話 1997年 グリーンティーに砂糖
 
 これは失敗でしたね~。(解散の話でストップするのも暗いかな)と思ってデビュー期の話も書いてみたのですが、載せないほうがマシだったかも。

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 本当は2008年度中に3期については語り終わって、来年は2期について語ろうと思っていたのです。でも最後の1997年の話を書きながら、どうやらそれは無理っぽいということが分かってきて(とほほ)、「MALICE MIZERの懐かしい話」はこれで終わりかな?と思います。kamijo話を2つも載せちゃったから、哲くんの話はその倍の4つくらい書かなきゃ!と思っているんだけど、それは「kamiくんforever」がひと段落ついてからにします。


MALICE MIZERの懐かしい話 1997年 グリーンティーに砂糖

2008年11月19日 | 懐かしい話
 1997年7月19日にMALICE MIZERは日本コロムビアからメジャーデビューしました(彼らの言い方では「メジャーと手を組んだ」のですが)。

 そしてデビュー曲「ヴェル・エール~空白の瞬間の中で~」(←「くうはくのときのなかで」と読みます)には一曲30分、しかもオールフランスロケのPVがあったのです。「ドゥリマージュ」というタイトルで9月にビデオ発売されたそれは、PVというより短編映画の勢いで、ストーリーは例によってワケワカラン。城に住んでるわ、馬に乗ってるわ、フェンシング始めるわ、酒場で酔いつぶれてるわ、暗いわ重いわのMALICE MIZERティスト満載でした。

 その「ドゥリマージュ」の上映会&メジャーデビュー挨拶を兼ねた全国キャンペーンが1997年初夏にありました。Kamiくん&二代目組、mana&koziくん&yu~kiちゃん組の二手に分かれてで、私の地元はkamiくん組でした。そこでもその前後の雑誌のインタビューでも彼らが度々口にしていたのが「フランス人、緑茶に砂糖とミルク入れて飲んでる事件」でした。

 あのPVに出てくるお城は実は民家で、普段は住んでる一家がいたそうなのです。そこの家族の方が撮影期間中、休憩時間にお茶とお菓子出してくれたりMALICE MIZERと撮影ご一行様をもてなしてくれていたそうなのですが、そしてマリスも一家の飼い犬にいたずらして遊んだりしていたそうなのですが(「犬の額に『肉』って書いたりしてたんだけどね~」って、あなたたち、よそさまのペットになんてことするのよ・・・・。その呪いでなのかなんなのか、メンバーで唯一動物嫌いのmanaだけがその犬にじゃれつかれドレスの裾を噛んで引っ張られたりして大変だったそう)、ティータイムに

 「ティーにする?グリーンティーにする?砂糖とミルクは?」

 と聞かれたそう。MALICE MIZERは当時「緑茶に砂糖なんて邪道だ!」と言って怖がってました。あの言い方では全員、緑茶に砂糖は試さなかったのだと思われます。私もそれを聞いた時は「緑茶に砂糖とミルク?フランス人って気持ち悪い・・・」と思ったのですが、最近になってコカ・コーラの「スウィーチャ」を発見。これが普通に美味しいんです。

 緑茶に砂糖っていけるんだ・・・!紅茶に砂糖より美味しいかもしれない。私は最近湯飲みではなくマグカップに緑茶を注いで砂糖入れて飲むのにハマってます。スジャータ入れてもイケル。抹茶に砂糖とミルク入れてカフェラッテ状態なのは普通にあるんだから、緑茶だって別におかしくないですよね。

 「グリーンティーに砂糖とミルク」って組み合わせ、MALICE MIZERファンだった私は11年前から知ってたのに今まで挑戦しなくて損したな・・・と思っているのでした。

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 どうでもいいけど、MALICE MIZERメジャーデビュー日の7月19日ってkamijoの誕生日なんですよね・・・さっき気がつきました。MALICE MIZERとその周辺には「数字のリンク」が色々あるんですけど、ファン歴12年になろうとしている今になってもまだ気づいていないことが沢山あっておもしろいです。

 ご存知のとおりMALICE MIZERは運命論者だったのですが、ご本人たちが「運命はある」と断言する、その根拠のひとつが「数字のリンク」でした。発売日、誕生日、CDの秒数まで「意図していないところで色々繋がっている」「時々怖くなる」なんて言っていました。

 ちなみに「一期MALICE MIZERの終わりの日」=「哲くん脱退の日」は12月27日なのですが、ZIGZOの解散が発表されたのは12月28日なんです。なんなんだろう、このシンクロは・・・と思います。ご本人たちが意識してやっている部分もあったとは思うのですが(kamiくんにまつわるものは絶対意図的)、それ以上に「たまたま同じになっちゃった」という偶然の一致が多いように思いますし(コロムビアがkamijoの誕生日をねらってMALICE MIZERをデビューさせるわけない)、つくづく、謎の多いおもしろいバンドです。

 いつかヒマになったら全ての発売日やら発表日の数字を書き出して、MALICE MIZERにまつわる数字のリンクを完全に把握したいです。でもそう思いたってもう10年以上たつし、一生やらないかもしれません・・・。

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 そしてこの文章をアップするにあたって「kamijoの誕生日、本当に7月19日でよかったよね・・・?」と思って確認のためkamijoブログを見たら、過去記事に「グリーンティー」っていうのがあって腰抜かしそうになりました。私がこの文章書いてた日(パソコン内の履歴で分かる)とkamijoがあのブログの文章をアップした日も一緒!なんかシンクロしてるよぉ。これもマリスチックに「運命(キラーン)」なのかな?・・・やだなぁ。私、Kamijoとは別にシンクロしたくないんだけど・・・。

MALICE MIZER&ZIGZOの懐かしい話 2001年12月 同時に解散事件

2008年11月13日 | 懐かしい話
 MALICE MIZERの無期限活動休止が発表されたのは2001年12月11日でした。私はこの当時FCを更新してなかったのでこの重大な発表がどこからも伝わってきてなく、数日たってネットをしていた時偶然知って、しばしパソコンの前で呆然としてしまいました。「え・・・活動休止?・・・してたんだ・・・」みたいな。

 MALICE MIZERは当時3枚のシングルを出していて、年明けにアルバム、そしてツアーかな?と大方のファンは思っていたと思います。それが製作途中だったはずのアルバムを出さずに事実上の解散・・・という。

 9月下旬にレギュラーラジオ「真夜中deシルヴプレ」が突如終了、10月8日にmoi meme moitie一号店が閉店、10月末以降FC「マシェリ」の新規会員募集がなくなってたなど、今にして思うと悪い予兆は色々あったのだけれど、あの時は「エェ~」って感じでした。

 全くショックがなかったわけではないけれど、私にとっては1998年末~1999年6月までに起こった一連の出来事の方がよっぽどショックだった。バンドがなくなってもメンバーが生きていてくれるならそれでいいのかな・・と思ったり。でも実際は、当時私はZIGZOとの掛け持ちファンで「MALICE MIZERがなくなってもZIGZOがあるよね!」と思っていられたのも大きかったと思います。

 ・・・その2週間後でした。12月28日、今度はZIGZOの解散が発表されたのです(泣)。この時はびっくりしました。(マリスの穴はZIGZOで埋めよう)と思ってた矢先なのに!ZIGZOも2ndアルバム後、シングルを3枚出していて、年明けに3rdアルバムが出るのだろうと思ってました。ラストシングルとなった11月21日発売の「CHELSEA」は

「もう終わりの鐘がなる 突然の雨のように機関銃より無差別に
もうここからさよならしなくては! 恋焦がれ憧れの君はどうにかお元気で」

 というのがサビの歌詞なのですが、まさか『解散します』という意味だったとは・・・。でも解散を知ってから聞くと、もう事前にお別れを言われていたとしか思えないんですよね。なんて正直者な哲くん。

 彼らの仲が良いのはこの当時から周知の事実でしたから、この偶然の一致とは思えないほどのタイミングの良さ(悪さ?)に「哲くんとkoziくんが一緒にバンド組むことが内内に決まってるんじゃないか?」って噂が立ってました。そしてこれまた偶然の一致だったのか何なのか、このタイミングで3代目の元いたバンド「プ〇イドオブマインド」の復活ライブも告知されていたのです。なので3代目はそっちに戻るんじゃないか・・・とも言われていました。

 マリスの方は『年内をもって活動休止』ということだったのですが、年内には何の活動もなく、そのままフェードアウトしていきました。それに対しZIGZOの方は年明けに全国数箇所でラストツアー、そして赤坂ブリッツで解散ライブをして、それをDVDとして発売しました。ZIGZO解散に泣いている子もいたけれど、MALICE MIZERのあっさりさ加減からすれば、解散ライブがあってそれがDVDになるだなんて羨ましいくらいでした。

 そしてマリス活休でナーバスになっている人も当時ネット上にいたけれど、私はマリスに対する涙や悲しみや「なんで?」っていう気持ちは1998~1999年に全て使い果たしてしまっていたようで、「彼らの決めたことならそれでしょうがないよね。お疲れさまでした」っていうあっさりした感じでした。こういう日がいつか来るのは、kamiくんの逝去が伝えられたあの日からずっとずっと覚悟していたような気がしました。MALICE MIZERとZIGZO、どっちのファンのテンションにも共鳴できなくて、でも虚脱感は確かにありました。

 余談ですが当時、突然のことにファンも動揺して犯人探し?原因探し?がネットの掲示板では始まって、マリスの方もZIGZOの方も「事務所〇長が悪い」という結論になっていて驚きました。今にして思うと一種の集団ヒステリーだったのでしょうが、それにしてもそんなところまで同時に同じでなくっても・・・。

 翌年発売されたZIGZOのラストライブDVDの中には、前日の名古屋公演の様子も収められているのですが、その中で哲くんがいつもの小さな聞き取りにくい声で、

 「そういやさぁ、某お化粧バンドで10年前ここでライブやったことある・・・」

 とポツリと呟き、両手を肩のあたりでくるくる・・・と回してフと笑ってみせました。
 (・・・伝わりますでしょうか?「縦ロール」っていうコトです。・・・トホホ

 しんみりしがちな客席をなんとか和ませたいという、哲くんなりの優しい気遣いだったのでしょうが「ZIGZOのライブでMALICE MIZERの話をするんだ・・・!」「しかもそれをDVDに収録するんだ・・・!」とビックリでした。


LAREINE の懐かしい話 2003年お正月 「再会のエチュード ビデオ上映会&復活会見」

2008年11月12日 | 懐かしい話
 2002年の夏にNEW SODMYが解散。そして秋、まさかのLAREINE復活発表。当時、クリスマス発売だったミニアルバム「ETUDE」を予約して買うとトークイベントの整理券がついてきて、約3年ぶりにkamijoを見に行きました。

 当日会場に行って驚いたのがファン層の幅広さ!バンド好きそうな女の子が多いのはもちろんなんだけど、40~50代女性(宝塚ファン?)が10人、地元のバンド少年や男子高校生が10人以上も!私の後ろの席にいた男子高校生二人組(普通な感じの子でした)は「kamijoさんはMALICE MIZERのローディ出身だけど、tetsuさんとg000tさん、どっちのローディだったのか?」について熱く語り合ってました・・・。なんでそんなマニアックなことを知ってるの・・・。

 LAREINEもVersaillesも、Kamijoってホント男の人に人気ありますよね。男性ファンはどこでkamijoを知るんだろう?どこに魅力を感じてるんだろう?・・・気になります。

 イベントスペースには「蝶の花」「レッスン」がずっと流れてて、目の前には大型テレビが2台。LAREINEのラストライブの映像を見てからご本人の登場だったと思います・・・(あれ、本人出てきてから皆で一緒に観たのかな?ちょっと記憶が曖昧です)。この映像は今回の復活宣言のトークイベント用にソニーから借りてきたとのことでした。

 LAREINE のラストライブというのは、kamijo以外の「メンバー全員脱退事件」だったわけで、そう思って見るからか、kamijoがすごく辛そうでした。いつも笑っている人で、映像でも笑ってるんだけど、無理しているというか作りきれてない感じがして痛々しい。「あの人の愛した人なら」は歌いながら泣いているようでした(このライブは観にいってないのでよく分からないけれど・・・)。「フィエリテの海と共に消ゆ」は青いロングコートを脱いで白いブラウスで歌ってて、現世kamijo(?)と前世kamijo(??)のセリフの掛け合いが上手く再現できててなかなかかっこよかった。結局この映像はDVD発売になりませんでした。貴重なものが観れて良かったです。

 「明けまして網タイツ。新生LAREINE を代表してフルールの皆さんにご挨拶に参りました」

 基本的にこの日は真面目モードで、「ボンジュールハニー!」とか寒いことは一切言いませんでした。じゃ、「明けまして網タイツ。」は何なんだ!と思う方もいるかと思いますが、このくらいのことはkamijoの場合、寒いことの範疇に入らないのです。それにしてもこの「明けまして網タイツ」というギャグを聞いたのはこの時が初めてではなかったはずなんです。「あ、kamijoも言ってる~!」と当時思ったのを覚えているのですが、じゃ以前は誰が言っていたんだろう?MALICE MIZERかな?kamijoはVersaillesになってからも言ってますよね。覚えている方いらっしゃったら教えてください。

 衣装は黒のシフォン地にベロアの透かし模様の入ったブラウスに、ベロアのパンツにロングブーツ。胸元と袖のヒラヒラがとっても綺麗でした。MALICE MIZERの衣装を担当していた大場由香里さんの手によるもので、大場さんのサイトで今も写真を見ることができます(「ETUDE」という衣装です)。

 髪は茶に近い金色で、今と同じくらいの長さでした。アイメイクは薄く、口紅は真っ赤。すご~く綺麗でした!Kamijoは彫りが深いから、アイメイクは薄い方が好き。Kamijoはよく「顔の上半分がHYDEで下半分がYOSHIKIなんだよね」と私の周りで言われていたけれど、この日はトータルでHAKUEIっぽい感じ。お人形のように綺麗でした。

「(復活LAREINE を)絶対に成功させてみせます」
「遠いとは思うけれど、是非観に来てください」

 嗚呼本当にこの人はLAREINE が好きなんだなあ、今回の復活に人生をかけているんだなあ、というのがヒシヒシと伝わってきた。「頑張ります」「応援してください」「必ず期待に応えます」と清清しいくらいにストレートに言い切ってて、気持ち良いなあ・・・と思った(正直、いつもこのモードでいた方が売れたのでは・・・?)
 
 覚えている会話は
「お正月はどう過ごされましたか?」「実家に帰りました」
「好きなおせちは?」「カズノコ」
 役に立たなくてスミマセン・・・。

 あとは「この『ETUDE』はEMIRU、MAYU、MACHI の元メンバーで作ったけれど、復活LAREINE がこのメンバーであるとは言えない。代わる人もいるし、残る人もいます」とか含みをもたせた言い方をしてました。この当時ファンは皆、脱退の経緯からしてEMIRUは戻ってこないけど、MACHIは戻ってくる・・と思っているようでした(実際は逆でしたね)

 Kamijoは90年代LAREINE 時代、koziとは違った感じでピエロっぽいというか、よくおどけてみせては笑いを取る人でした。オーバーな口調と振り付きで「ボンジュールハニー!」と素っ頓狂に叫んだり、口を大きく開けて取ってつけたようなオーバーな笑顔をつくってみせたりして。いつも一生懸命でサービス精神が旺盛なのが彼の良いところなのですが、時として一人で度を超して突っ走り、客席がポカーンとなってしまうこともありました。

 でもこの日、三年ぶりに見たkamijoは口元で微笑むことはあっても、おどけて笑ってみせることはなかった。落ち着いたトーンの声で、知性を感じさせる真摯な態度で、客席全体に目線を配りながらよどみなく語る姿を目にし「ああ、kamijoも大人になったなあ・・・」と感心したのと同時に、すっかりまともになってしまった (←コラ!) 姿に一抹の寂しさも感じていたのです。

 ・・・しかしkamijoはさすがにkamijoでした。イベントもラスト3分を切ったあたりで「今度のLAREINE は『the world of romance』というコンセプトを基に・・・」なんて話から、またもや「リリーが」「ジェレミーが」「前世が」「現世が」「青い鳥が」とか言い出して、私はポカーン。

 「まだそんなこと言ってるのかよぉぉ・・・」と呆れてしまった反面、あまりにも変わっていない不思議ぶりが愛おしかった。「それでこそkamijoよね!」「嗚呼LAREINE は本当に復活したんだなあ・・・」としみじみ嬉しく思ったのでした。

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 結局、復活LAREINE は90年代ほど成功しませんでした。特に地方での動員は厳しいものがあって、あんなに頑張っているのに・・・と気の毒に思ってました。だからVersaillesが売れて本当に良かったね、と思ってます。

LAREINE の懐かしい話 1998年12月トークイベント

2008年09月14日 | 懐かしい話
 「年をとると一年一年が短くなる」といいますが、本当にそう思います。だって「メタモルフォーゼ」ってもう10年前のCDなんですよ!私の体内時計では4,5年前くらいの気持でいるのに10年前・・・そりゃ私も年取るよねえ・・・(書いてて落ち込みます)。

 当時MALICE MIZERファンだった友人たちの大半は「私、LAREINE も好きなの」もしくは「私、mascheraのmichiも好きなの」と言ってました(あとはAMADEUS。これはちょっとマイナーでした)。私はこの頃LAREINE は雑誌で見たことがあるだけで、どんな人たちなのか?どんな音楽か?全く知らなかったのですが、「皆行くって言ってるし、私も行こうかな~」と軽い気持ちで付いていきました(このころはまだフットワークが軽かった・・・やっぱり若かったんだなあ・・・)

 当時は1998年12月。そりゃーイベント会場は某2代目の失踪騒動の話題でもちきりでした・・・(恨)。私はその数ヶ月前にもう完全に見放してたので呆れるだけだったけれど、本当に心配して泣いてる人なんかもいて・・・。今思うと、LAREINE のイベント前に別なバンドの話で泣いてるっていうのもどうかって感じだけど、その光景に違和感を感じないくらいファンがかぶってたんです。

 ・・話が反れました。LAREINE です。当時のLAREINE の人気はすごくって、その日も満員以上の200人近く集まってました。椅子席も後ろも左右もびっしり人だかり。

 メンバーは全員黒のスーツに厚底ブーツ、サングラス姿で登場。Kamijoは当時、腰まである金髪の縦ロールがトレードマークだったのですが、サラサラのストレートヘアで登場。あの縦ロールはいつもライブ前にコテで巻いてたんですね・・・それは支度に2時間以上かかるわ・・・。今よりもっと肌がピッとしてて、外国人の女の人みたいでした。

 Machiやmayuは雑誌で見るのと変わらない感じ。びっくりしたのがEMIRUで、普段は男性なんですね。ライブでは喋らないけどイベントでは喋るし。全然写真での印象と違うので「こんな人いたっけ・・・?」としばらく分からなかった。「おさげは?」「ズラなんだよ」「エー!」みたいな。

 トークの内容はあまり覚えていないのですが、確か例によってkamijoが「リリーが」「ジェレミーが」「前世が」「現世が」「青い鳥が」みたいな話をし始め、私はポカーン。Kamijoの不思議トークを熱心に聞いている人も一部いたのですが、六割方の人はkamijoそっちのけでエミルとマチを見つめてる・・・という不思議な光景に。

 「ボーカルなのに人気がビリ2だった」と「rock and read」で最近語ってたけれど、ホントにあんまり人気なかったんです。歌ってるしリーダーだしシングル曲の作詞作曲もかなり本人がしているし、極めつけにあの美貌なのに人気がビリ2だった原因は、やっぱり不思議ちゃんすぎたからだと思う・・・。この時ではなかったかもしれないけれど「ボンジュールハニー!!」と素っ頓狂な高い声で突然叫んだこともあって、本当にどうしようかと思いました・・・。

 ちなみに当時の人気の順はエミル、マチ、kamijo、マユだったと思います。私の周りも皆エミルかマチのファンでした。

 あとは「犠牲の愛がどう」とかも話してたな。ファンからの質問コーナーでは全員答えるけれど、こういう話になると他のメンバーはほとんど喋らず。でも時々「えみる~」「カワイイ~」「マチ様~!!」などのコールが客席からかかる・・・。うぅ、kamijo喋ってるのに・・・。

 その後は握手会。すごく丁寧で礼儀正しい人たちでびっくりでした。プレゼントや手紙を両手で受け取るし、受け取ったものをすごく大切そうに扱うんです。ひとりひとりに目を見て頷きながら話を聞いて、微笑み続けて・・・。大人数だったからかなり疲れると思うんだけど、最後の一人まで態度を変えずに接してて。プレゼントも薔薇の造花とかヌイグルミとか傍から見てて(これもらっても困るだろうな)っていうものもあって、その一方シャネルとかのブランド物をもってくる人もいて、でもどれも同じように嬉しそうに受け取っていて、まだ当時二十歳そこそこだったと思うのですが、プロでした。

 LAREINE に関しても他のバンドに関しても思うのですが、あの97~99年ごろのビジュアル系バブルの頃の、「売れるバンド/売れないバンド」の違いは、楽曲の良さや歌唱力や演奏力、バンドとしてのおもしろさとは全然違った、「運/不運」の問題だったように思います。(エエ~なんでこんなのがこんなに売れるの?テレビに出れるの?)っていうのもいっぱいあったし、その一方で(こんなに良いバンドがどうして埋もれているんだろう?どうして世間に知られないまま解散しなきゃいけないんだろう?)っていうのも沢山あった。

 LAREINE は見た目や経歴こそMALICE MIZERチルドレンであったけれど、ビジュアル系なのに明るく軽やかで笑顔の絶えない芸風で個性もあったし、役者の揃ったバンドだったし、もうちょっと売れてもよかったのに・・・と思います。せめてテレビで歌えるくらいに売れていればメンバー全員脱退という悲劇も避けられたんじゃないのかな・・・。だからこそ、Versaillesには期待してしまいます。Versaillesでkamijoを知った方たちが遡ってLAREINE を再評価してくれたら嬉しいです。

MALICE MIZERの懐かしい話 3代目加入当時のこと

2008年09月08日 | 懐かしい話
 ご存知のとおり、2000年8月31日の武道館から新生MALICE MIZERは実質的にスタートしたわけですが、この日は実はMCがなかったんです。なので、どうやらCDで歌っていたのと同じ声の男性ボーカルがステージで歌ってる→彼がMALICE MIZERに加入した新ボーカルか!名前は「kl00a」と書くようだ→でも正確になんと発音すればいいのか分からない・・・という感じでした。

 そして二日目は「私はク〇ハ!運命に導かれた血族!!」というご本人の挨拶からスタートしたので「kl00a」と書いて「ク〇ハ」と読むというのは分かったけれど、それ以上のことは分からないままでした。ハッキリ言って、お披露目前よりお披露目後の方が「あの人は誰?!」という謎が深まった感じでした。

 だって、見た目的に二十歳前って感じはしなかったし、歌唱力や態度も落ち着いていて、とても新人って感じじゃなかった。本格的なステージ経験のある人に見えた。現在バンド活動していない人で、あれだけ歌える人って・・・「kl00a」っていう芸名は多分manaの付けたもので、前の名前や本名は別にあるのだろうし・・・一体誰? 前はどこのバンドにいた人なの?っていう。

 この時は結局分からなくって「ま、誰だか分からないけれど、上手い人が入って良かったね」って感じで帰ってきたのですが、この数週間後、地元のレコード店に行ったときのことでした。とってもフレンドリーな店長さんで以前からちょくちょくお話させてもらったりしていたのですが(私が、ではなく友人が、ですが)、「そういえば、MALICE MIZER観てきたんですよ~」と買い物ついでに言うと、「そういえば、MALICE MIZERの新しいボーカルってプ〇イドオブマインドの人なんだってね~!」とのこと。

・・・・ん・・・・??

 なんでも店長の友人の方もMALICE MIZERライブに行っていて、その方は一日目が始まってすぐにプ〇イドオブマインドの人だとわかって、連絡をくれたのだそうです。「マリス加入効果でプレミア付くかも~」なんて嬉しそうに語って、プ〇イドオブマインドの「システム・オブ・ロマンス」を聴かせてくれました(今思うと、小遣い以上のお金をもってない一介の女子高生にここまで親切にする必要は全くないですよね・・・本当にお世話になりました!!)

 (ん~・・・確かにこの人かもしれない。でもマリスの時はオペラチックにビブラート効かせてたからよく分からない・・・)っていうのが正直な感想でした。せっかく貴重な音源を聴かせていただいたのに感動が薄くてスミマセンでした・・・。

 それでもその「プ〇イドオブマインド」という名前を覚えて家に帰って、ネットで検索してみると・・・・ヤフオクが凄いことに!!一枚3000円くらいのアルバムが1万円~3万円~8万円とか、凄い値段で取引されてました。やっぱり分かった人には分かったんですね。

 私はこのオークションに参加できるほどの甲斐性はなかったのですが、これらのページから95年リリースであるという情報をゲット。(もしかしたら私の部屋にある昔の雑誌に載ってるかも・・・)と思って、93~95年くらいのショックスやFOOLS MATEを本棚から引っ張り出して眺めてると・・・・載ってるよ!

 FOOLS MATEの95年の11月号に「システム・オブ・ロマンス」のカラー1p広告がありました。青いジャケットに3人並んでて横にはアゲハ蝶。顔は別人みたいだけど、整形並みの威力を誇るマリスマジックで変身したら、ああなるかも・・?っていうか皆がこの人だというのだからこの人なのでしょう・・・(私は個体識別能力がかなり低いのです。Seiji=sethも最近まで確信なかったし、父と叔父が話しているのを別室で聞いててどっちがどっちだか分からなかったこともあるし、着物着た母が誰だか分からなかったこともあります。野生動物だったら生き残れなかったタイプ。人間でよかった・・・)

 ちなみにこの95年の11月号、なんで私が持っていたのかというと、「華麗なる復活劇 MALICE MIZERに新ボーカル加入!」の記事が載っていたからです。ここでいう「新ボーカル」とはもちろん2代目のこと。新旧二人のボーカルが同じ雑誌の同じ号にカラーで載ってたなんて、なんか因果だなあ、と驚いたものでした。95年のこの頃はマリスも2代目とずっと仲良くやっていくつもりでいたでしょうし、3人目のボーカルを探す羽目になるなんて想像してなかったでしょう。プ〇イドオブマインドにいた三代目もまさか自分がマリスに加入する未来があるだなんて、思ってもみなかったでしょう。つくづく、人生って不思議です。

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 そしてそれからまた数年たって活動休止後マリスの切り抜きを整理していた時の話です。フルージュという雑誌のマリス表紙の1999年12月号に一問一答があって、yu~kiちゃんが「一番印象的な自分たち以外のライブ」に「昔鹿鳴館で見たプ〇イドオブマインド」と答えていたのを発見しました(嗚呼、灯台下暗し・・・・!)。

 この雑誌が出たのは「再会の血と薔薇」のリリース前だったのですが、(こんな前からyu~kiちゃんはちゃんとヒントをくれていたんだ・・・)(全然気づかないで「新しいボーカル誰なんだろうね~」「もったいぶってないでさっさと教えてほしいよね~」とか騒いでてゴメンナサイ)と切なく思いました。

 yu~kiちゃんは元々3代目と友人だったそうだし、きっと「早く紹介したい!」っていう気持ちがあったんでしょうね。MALICE MIZERとしては武道館まで誰が3代目に就任するのかは明かさない方針で、それをyu~kiちゃんも承知していたでしょうけど、ファンの「新しいボーカルは誰?誰?誰?」って声はもちろん届いてたでしょうし。さりげなく正解を教えてくれてて、優しいな~と思いました。



AMADEUSの懐かしい話 2000年夏

2008年09月01日 | 懐かしい話
 1997~2000年ごろ、MALICE MIZERファンの間でAMADEUSとLAREINEは「MALICE MIZERっぽい(コラ!)」という理由で人気がありました。私もAMADEUSはミニアルバム2枚を買ってそれはよく聴いていました。

 そして00年の夏、ちょうどMALICE MIZER復活の一ヶ月前くらいにAMADEUSが地元に来ました。私はMALICE MIZERの2代目も3代目も生で歌うのを聴いたことがあるし、初代もZIGZOやnilになってから聴きに行ったことがあるけれど、歌で感動して「もっと聴きたい!」と思ったのはmascheraのmichiとseijiくんだけでした。新曲2曲も素晴らしい曲で、圧倒的な歌唱力で歌い上げられてその世界に引き込まれました。

 その中盤、MCで「ここでAMADEUSから重要なお知らせがあります・・・」とseijiくんは厳かに切り出しました。

 2000年当時、「MALICE MIZERの三代目ボーカルには誰が就任するのか?」というのがマリスファンにとって最大の関心事でした。候補として巷で勝手に名前を挙げられていたのはLAREINEのkamijo、ステラマリアのボーカルさん、アートマージュの怪さん、そしてAMADEUSのseijiくんでした。
 
 そのseijiくんが「重要なお知らせ」だなんて語り始めたので、(やっぱりMALICE MIZERに行くの・・・?)とドキドキしながら次の言葉を待っていると・・・

 「フルアルバムが出ます」という普通の発言で、ほっとしたのと同時に、「なんだ、それだけ~。全然『重要なお知らせ』じゃないよ(←失礼)」と拍子抜けしました。

 もう一つの思い出は、MALICE MIZERの武道館公演でAMADEUSのメンバー全員を目撃しました。メンバーはアリーナ席の一番後ろ、PA卓の側の席で見ていました(多分、そこが関係者席だったんでしょうね)

 ・・・正直、3代目よりseijiくんの方が美声だったしステージパフォーマンスや煽りも上手でした。そしてMALICE MIZERの「薔薇の聖堂」の舞台は一部、女性ボーカルとの男女ツインボーカル形式だったりもして、AMADEUSのやってきたことに近いものがありました。私はビジュアル系業界にあまり詳しくはないけれど、あの当時男女のオペラ声のツインボーカルのビジュアル系バンドは、日本でAMADEUSだけだったんじゃないのかなあ。なので、MALICE MIZERが同じ形態で、はるかに大規模な公演をやったことに対し、AMADEUSのメンバーは複雑な思いを抱いているだろうな・・・と思ったものでした。

 しばらくして、たまたまネットを繋げていたら、AMADEUSからseijiくんが脱退したことを知りました。新曲2曲が好きだった私は音源化しなかったことにガッカリして・・・その後はもう分からなくなってしまってました。

 それから数年がたって、風の噂で「seijiくんがMoi dix Moisの2代目ボーカルに就任したらしい」と聞きました。Moi dix MoisのHPで曲が視聴できたのですけれど、正直私には本当にseijiくんなのか、いまいち確信持てなかったのですが(だってmanaの選ぶボーカルっていつも一緒の声・・)遅ればせながら「shock wave 」をテレビで見て「seth=seijiくん」と分かりました(・・・大丈夫ですよね?)。

 AMADEUSは私にとっては好きな世界だったけれど、シーンの主流の音楽とは違ってた。あのままでメジャーに行けるとかこれ以上動員が大幅に増えるようになるとはあまり思えなかった。でもseijiくんは実力のあるボーカリストなので埋もれているのは惜しいと思ってた。なので、manaと組んで以前より評価されるようになって嬉しいです。

 かつてAMADEUSのライブで「一生音楽と共に生きていけるよう・・」とseijiくんは言いました。当時も良い言葉だと思ったけれど、今思い返しても良いな~と思います。2代目ボーカル、頑張ってほしいな・・・。そしてmanaはseijiくんに良い曲を沢山作ってあげてほしいです。

MALICE MIZERの懐かしい話 2000年

2008年08月28日 | 懐かしい話
 koziについて、manaについては以前書いたので、今日はyu~kiちゃんについて書きます。

 2000年の武道館に関してとにかく印象的だったのが、yu~kiちゃんが美形だったことです。とにかく白塗りの肌が綺麗なんです。透明な膜がかかっている感じ、というのかな。他の二人と全く違うように見えました。Manaとkoziは「塗ってる」って感じなんだけど、yu~kiちゃんは二人に比べて薄化粧で「真っ白」ではなく「半透明」な感じ。膜がかかってるみたいで、透き通るようなすごく綺麗な肌でした(いや、別にmanaとkoziが汚かったってわけじゃないですよ~・・・)。

 DVDだと「虚無」の衣装の時とか、照明のあたり加減もあるのだろうけれど、汗びっしょりで化粧が溶けてきているように見えるけれど、実際は全然違ってた。「地下水脈の迷路」の時にひとりでベースを弾いてる時の映像の写りが、一番実際のイメージに近いかな、と思います。

 目が大きいから、青と黄色のカラーコンタクトレンズの瞳がビー玉みたいに遠目からもキラキラ光って見えたし、顔が小さくて、手足がすごく長くてなんだかお人形さんみたいでした。こんなこと98年の「メルヴェイユ」公演の頃には思わなかったけれど、Gクトに似てるんですよね・・・。初代ボーカルが辞めた後、yu~kiちゃんを2代目ボーカルにしようとしたというメンバーたちは冗談ではなかったと思います(そうなってたらマリスはハイトーンボーカルのバンドになっていたのかなあ・・・?)。

 「地下水脈の迷路」の時は青白い照明の効果もあってもう筆舌しがたく美しかったです。人間じゃないみたいな、作り物のような綺麗さでした。(こんな綺麗な人が「月下」のお爺ちゃんをやってたんだ・・・白塗りな上にマジックで髭書いたりして・・・)とびっくりしました。ずっとyu~kiちゃんはMALICE MIZERでは「男役」を担当していたけれど、実際は女性に生まれてたらすごい美人だったろうな、っていうような顔立ちで。3人になってからの、特に「虚無」での綺麗ドコロはyu~kiちゃんが担っていたように思います。ブックレットなんてhydeみたいに写ってるし・・・。髭生やしたり白塗りしたりしなければもっと人気出たことでしょう。でもそういう無難な一般受けに走らず「顔も自分の作品のひとつ」と言わんばかりに元の顔が分からない程の過剰な厚化粧を貫いたMALICE MIZERの姿勢が私は好きでした。

 神々しいまでに美しいんだけど、よ~く見るとずっとプルプル震えてたりして、そういうちょっとユーモラスなところも魅力でした。


 あと、これは全く余談ですが「崩壊序曲」の全員ダンスに関して。あれ、DVDだと上手く編集されてて分かりにくいけれど、実際にはyu~kiちゃんだけワンテンポ遅れた感じで踊ってて、二日目なんか「yu~kiちゃん頑張ってぇ~!!」という声援が飛んでました・・・。

 でも私は98年「メルヴェイユ」公演の時の「je tu viex」でkamiくんの方を見ながら踊ってたyu~kiちゃんの姿を見てたので「yu~kiちゃんがちゃんと振り付け覚えて踊ってる・・・!」と感激でした。98年の時は横目でチラチラ見てるとかじゃなくって、顔がずっと横向いてる感じだったので・・・。ちなみにあの時、kamiくんはmanaと同じくらいノリノリで、楽しそうでした。

 一日目の終わった後と二日目の開演前にはあちらこちらで

 「yu~kiちゃん、踊ってたね!・・ちょっとズレてたけど(笑)」
 「伸ばした指の先がプルプル震えてたよね(笑)」
 「ハラハラしながら見ちゃったよ!」
 「もうyu~kiちゃんが気になっちゃって、どんな曲だったか覚えてないんだよね・・・」
 「私もmana様見るの忘れちゃってたよ~」

 などという会話が聞こえていました・・・。




MALICE MIZERの懐かしい話 2000年9月1日 日本武道館

2008年08月27日 | 懐かしい話
 もうすぐ8月31日、そして9月1日がやってきます。MALICE MIZERの第二復活記念日です。2000年の8月31日9月1日の武道館2daysで三期MALICE MIZERは表立った活動をスタートしました。

 この二日間はほぼ同じ演目で、しかもほぼノーカットでDVDになっているので、改めてあまり語ることもないのですが、会場に行かないと分からないようなこともあったので、いくつか書きたいと思ってます。まずはカットされたMC部分に関して。

 MCはライブ中盤の「虚無」の衣装の時にありました。Mana、kozi、yu~kiの3人で出てきたのだと思います(ちょっと私にはkoziとyu~kiの記憶しかないのですが・・・多分manaもいたと思います。いなきゃヘンだし・・・)。

 まずはyu~kiちゃん。一期、二期には考えられなかったまさかの「yu~kiちゃんMC」で「エェェ~~!うっそー!yu~kiちゃんが喋ってるよーー!!」って感じの会場のドヨメキは忘れられません。「キャー(ハァト)!」っていうような黄色い悲鳴ではなくって、「エェー?!」という衝撃の歓声でした。

 「ようこそ、この薔薇の聖堂へ!待ちに待ったライブでの皆との再会をやっと果たすことができて、とても嬉しく思ってます」

 つづいてkoziくん。

 「二階のみんな!(キャー)一階のみんな!(キャー)アリーナのみんな!(キャー)え~・・・やっとこうやってみんなとの再会を果たすことができて、ホント嬉しいです」

・・・これだけ。

 本当にMALICE MIZERは口下手というか不器用というか、そこが歯がゆいところであり、愛しいところでもありました。二人揃って一言だけ。普通、今までの苦労を振り返ってとか、もうちょっと語りますよねえ。武道館は2年半ぶりで、ライブ自体1998年の横浜アリーナから二年ぶりでした。この日に限ってはどれだけ自分に酔って語り倒しても許されたはず。なのに一言だけ。しかも「とても嬉しいです」「ホント嬉しいです」ってそんなありきたりな言葉で・・・二人ともほとんど同じことしか言わないし・・・もっと他に言い様がないのかよ!と思ったり。でもあの時の彼らの万感の表情を私は今も覚えているし、本当に胸がいっぱいの時には、言葉でなんて表現できないものなのかもしれない、とも思います。

 あの超絶厚化粧と付けまつげに彩られた左右の色の違うカラーコンタクトレンズの瞳・・・しかもkoziに限っては左半分の髪の毛を剃った「半ハゲ」というアヴァンギャルトにも程があるいでたちで・・・・。普通の人なら表情なんて窺い知れないあの姿から、でもあの日集まったファンは彼らの少しの痛みを抱えた嬉しさや喜びや達成感を感じたと思う。本当に嬉しそうだったけれど、決して100%ハッピーな表情ではなかった。それがどうしてなのか、分からない人はあの日あの場にいなかっただろうと思う。

 何度も客席に頷き、大きく手を振っていた。ファンを見ていたけれど、どこか遠くを見ていたような・・・そう思ったのは私の気のせいかな?

 2年半前、キラキラしてて勢いに溢れてて前途洋洋に見えた(内実はどうだったか知りませんが)彼らと、あの日の彼ら。なんだかたった2年半とは思えないくらい、この間に色々なことが起こって、前の時とはメンバーの半分近くも違って、彼らは一気に年をとったように見えた。もう少年っぽい、おもちゃ箱のように何が出てくるかワクワクするような明るい無邪気さはなくなっていた。それでも私は変わらず彼らが好きだった。あの日のことは今も大切な思い出です。

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 「MALICE MIZERの懐かしい話 2000年8月31日」
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