goo blog サービス終了のお知らせ 

nonocanonoco

お久しぶりです。またよろしくお願い致します。

MALICE MIZERの懐かしい話 1999年秋ネット事情

2008年08月09日 | 懐かしい話
 懐かしい話、前回のがあまりにも長文すぎたので(読みにくかったですよね、スミマセン・・・)今回はコンパクトにいきます!1999年秋頃のインターネットでのMALICE MIZERの検索結果についてです。

 私の家にインターネットが来たのは、1999年の秋でした。わりと早いほうだったと思うのですが、当時はまだピーヒョロロロロ~のダイヤル回線時代で、契約の都合上夜しか使えない、しかもつながるまでに何度か交信しないといけない、表示されるまでに20秒くらいかかる、という今となっては考えられないくらい不便なものでした。

 始めのころ、試しに色々なキーワードでgooで検索していたのですが、その中でもおもしろかったのをいくつか。

 「マリス」とカタカナで検索すると「シマリスの生態」のホームページが一番にヒットしました。全然違う。でも可愛い・・・。「そっかー、マリスって頭に『シ』をつけると『シマリス』なんだ!!」と目からウロコでした。

 「ガ〇ト」とカタカナで検索すると「学徒疎開」のホームページが一番に出てきました。なんでも戦時中、一緒に学徒疎開した方たちの親睦会のサイトで、すっごく真面目な内容でした。このキーワードでは全部で十数件しかヒットしなかったのを覚えてます。今となっては・・・って感じですよね。

 やっぱり当時はインターネット社会の夜明け前という感じで、個人サイトやブログなんかも主流ではなく、企業のホームページはあっても、ライブレポとかはあまりありませんでした。ちなみにオフィシャルサイト「ミロワール」の当時のメンバー写真はイカ法皇でした。


Moi dix Mois & Schwarz Stein の懐かしい話 2002年冬

2008年08月04日 | 懐かしい話
 今回はさほど昔ではないけれど、6年前の冬の話です。2002年、MALICE MIZERの活動休止から1年弱でmanaが自身のプロジェクトMoi dix Moisと当時プロデュースし始めていたユニットSchwarz Steinを連れて地元に来ました。

 コンサート本編の思い出はおいておいて(いずれ書きます・・・)出待ちの思い出です。時間は9時くらいだったかな?ものすごく寒かったんだけど30~40人が待ち構えてました。終わるのが早かったし、人も沢山いたから私も残ってみました。

 まず現れたのはSchwarz Steinのお二人。驚きだったのはそのファッション。滅茶苦茶普通だったんです・・・。お二人とも素顔に一応サングラスはしていたんだけど、ダウンジャケット、パーカー、チェック柄のシャツ、カーゴパンツ、肩掛けバッグ、みたいな。大学生みたいな年相応の普通の男の子ファッションで、「エエエ~、さっきまでステージではデカダンというか両性具有というか、あんなんだったのに・・・」とかなり驚きました。お二人とも小柄な方で、髪の長さから「こっちがkayaさん・・・だよね・・・?」という感じで誰も声かける人はいませんでした。彼らだと気づいていない人もいたのか(?)玄関から車までの歩道もファンがぎっしりの中、人ごみを縫うようにして車まで歩いていきました・・・。

 次に現れたのはMoi dix Moisのjukaくんとkazunoくん。こちらは二人とも「いかにもヴィジュアル系」な黒のロングコートに黒のパンツ・・・多分モワティエだと思われます。二人とも長身で細い!私にはどっちがjukaくんでどっちがkazunoくんか分からなかったけれど「juka!」と叫んだ人がいて、一瞬振り返って手を振ってくれてた方がjukaくんだったのだと思います・・・(確信なし)。

 ここで4人が乗り込んでいった黒いバン(とは言ってもかなり大きな車で、小型バスみたいな車)に、スパゲッティミートソース(6個!)、カルピスウォーターや桃の天然水など500mlのペッドボトル10本くらい、パンやおにぎりなどがスタッフの方によって運び込まれました。

 「ゴシックなのにミートソース食べるんだ!」「jukaくん、ステージドリンクでイチゴオレ飲んでたのにカルピスウォーターも飲むの?」「もしやこれが夕ご飯?」などと色々思いました。後日のkayaさんのお話によると、ちゃんと夜に食事に出かけたそうです・・・よかった・・・。

 それからしばらくたってから、ついにmanaの登場でした。当時はまだMoi dix MoisもSchwarz Steinも売り出したばかりでお客さんは皆様子見な感じだった。Mana以外のメンバーにファンがついているという感じもまだなかった。なのでここで待っていた人は全員manaファンだから、その時のドヨメキというか「おおお~!」みたいな雰囲気といったらなかったです。

ファッションはいつもの感じ。黒のロングコートに黒の別珍のワイドパンツ。厚底ブーツに黒いつば有りの帽子にサングラス、だったのですが、美しい!オーラが凄い!

 「人形のような人というより人のような人形みたいな感じ」「月の光のような方」などと三原ミツカズはかつて表現していたけれど、まさにそういう感じ。MALICE MIZERはずっと好きだったけれど出待ちはしたことなかったし、いわば「素の状態のMALICE MIZER」はこれが初めてみたいなものだったので、すごく嬉しかったし感動しました。

 とても色白で鼻が高くてほっそりしててエレガントなんです。長身だし体の骨の感じは男性なのに、顔、特に頬から顎にかけてのラインは全く女性でなんだかアンバランスな感じ。でもそれが「変」じゃなくて「ミステリアス」な印象。男性だと分かっていても「男だか女だか分からない」感じがしました。知らない人ならどっちだか分からないと思う・・・。2mくらい横を通り過ぎていったのでかなり近くで見たのですが、テレビで見るニュー〇ーフの方とかの「・・・厳しい・・・」感じも全くなくて、「ああ、綺麗な方だな」と素直に思える感じでした。

 MALICE MIZERは化粧が異常に濃いから「実は素顔は滅茶苦茶ブサイクらしい」という噂がずっとあったけれど(泣)、素顔(というかナチュラルメイク状態)もすごく綺麗でした。そしてあの只者でないオーラはなんと表現したらいいのでしょう。私がmanaファンで、manaを見るために寒い中ずっと待ってたというのもあるだろうけれど、他の人とは全然違って見えた。美貌もオーラも、ステージに立っている時よりも一般人の中にいる時の方がはっきり分かると思った。派手な衣装を着ていなくても、派手な化粧をしていなくても、人をひきつけるものがあるというか。本当にあんな人は他にいません。まさに「mana様」と呼びたくなるような雰囲気でした。(私もずっとそう呼んでたんだけど、ハタチ過ぎてさすがにちょっと恥ずかしくなってきました。でも呼び捨てっていうのもなんか無礼なような気もするし・・・悩みどころ)

 玄関で軽く一礼して、「mana様~!!」とかかる声に何度か頷いて、ゆっくり車へ。さっきまでSchwarz SteinやMoi dix Moisの他のメンバーは、ファンの間を縫うようにして歩いていたけれど、manaが通る時は自然に人が左右に分かれて道ができてました・・・。触ったりする人もなく皆ただ見つめるのみ・・・。今思い返してもアレは不思議な光景でした・・・。

 その後スタッフの方数名も乗り込んで車は発進。興奮が冷め急に寒くなってきた私も帰ったのでした。

 出待ちは近隣の方や一般の通行の方に迷惑がかかるからやめたほうが良い場合もあるとは思うけれど、あの日は住宅街でもなかった上、裏通りで元々人通りの少ない場所だったから、良かったかなと思ってます。4年ぶりの全国ツアーなのに出待ちが一人もいなかったらそれはそれで寂しいと思うし。

 Schwarz Steinのお二人を見たのはこの日が最初で最後でした。この日の私服ファッションを思い出すと、horaさんがその後裏方の仕事中心でいくことになったのも分かるような気がします。そしてkayaさんがオ〇マキャラだったり、耽美派だったりというニュアンスで語られているのを見かけるたびに「うーん・・・本当にそういう人なのかなあ?・・」と思ってしまうのでした。

MALICE MIZERの懐かしい話 2000年8月31日 武道館

2008年07月23日 | 懐かしい話
 あの頃はそうは思わなかったけれど、私にとって生のMALICE MIZERは
この時の2daysが最後でした。あの頃は(ここからがまた始まりで、これからずっと続いていく・・・)と思い込んでいたのでそんなに感慨はなかったのだけれど。

 当時99年前後のことを思い出しても、私はとにかくmanaファンだったので「MALICE MIZERがこれからどうなってしまうのか?」「解散か?」とかそういう風には全く思わなかった。そりゃ、kamiくんの死はとても衝撃だったけれど、でもmanaならちゃんとMALICE MIZERを蘇生させてくれるはずだと思ってた。当人たちも「この悲しみを乗り越えMALICE MIZERを表現し続けることがKamiと共に歩んできたことの証であると考えております」と言っていたし。一言でいうと「マリスを信じてた」というか、今思うと、コドモだったし純粋だった。そういう出来事が意味する本当の意味をまるで分かってなかった(今だって「分かってる」なんてとてもいえませんが)。

 武道館の大聖堂のセットは普通のステージ部分がが地下スペース(一階)、小ステージと鐘つき台のせり出し部分が2階、天井近くの薔薇窓の下のバルコニーが3階、という3階建ての構造でした。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、客席の1階部分とステージの2階部分が同じ高さ、客席の2階部分より少し低いぐらいがステージの3階部分と同じ高さ、という構造でもありました。あんな巨大なセットは後にも先にも見たことがありません・・・。

 あの日、8月31日、私は1階席の端っこの席で、鐘つき台で祈りを捧げるkoziくんは本当に目の前にいました。実際には2,3メートルほど離れていたかもしれないけれど、気持ち的には1メートルくらいの近さで、遠くからしかみたことがなかったマリスのメンバーが等身大の大きさですぐ側にいることに感無量でした。

 そして「運命の出逢い」というkamiくんの遺作が流れる中、メンバーもファンも全員で黙祷をしていたのですが、私の目の前でkoziくんはガタガタと震えていました。もう体全体がバウンドするような激しい震え方で、一瞬「どうしちゃったんだろう?」と思って、「ああ、この人は今泣いているんだ」と気がつきました。

 私も目を閉じてちゃんとお祈りしなきゃ、と思ったけれど、何度も目を開けてkoziくんを見てしまった。Koziくんは曲の間中ずっと震えが止まらず、何度も首を横に振りながら深呼吸を繰り返してた。そのときになって、初めて私はその前二年ほどに起こった出来事の重大さ、深刻さに気がつきました。

 私にとってMALICE MIZERは「芸能人」で別世界の人たちで、直接個人的に会ったり話したりしたことはなかった。しかもあの人たちはあんな白塗りで人間でないような出で立ちで「人間とは何か?」とか言って超然としたイメージだったし。だから「脱退」のニュースを「ああ、悲しいな。残念だな」とは思っても実感の伴うものではなかった。そしてkamiくんの逝去もショックだったし悲しんで泣いたのも事実だけど、やっぱりどこかバーチャルな感覚だった。

 でも当たり前のことだけど、MALICE MIZERも人間で、弱い部分も抱えた普通の若い男の人で、それがボーカリストを失いながらもバンドを続けるという決断、その上ドラマーに逝去されるという悲劇、そういうものに痛みや絶望、迷いを感じなかったはずはなくて。私は本当に単純に「この悲しみを乗り越えMALICE MIZERを表現し続けることが~」と言う言葉を受け取っていたのだけれど、その決断の裏にどれだけの苦しみがあったのか。ここに至るまでの道のりがどれほど険しかったのか。そういうことが、あの日のkoziくんの姿を見て初めて分かったような気がしました。

 あの日以来、私にとってMALICE MIZERはただの好きなアーティストとしてだけでなく、人間としても尊敬し惹かれる存在になりました。今の私とさほど変わらなかった年齢であれだけの悲劇に遭って、それでもそれを乗り越え「薔薇の聖堂」という今も色褪せない名作を魅せ聴かせてくれた彼らは本当に凄い、と思います。

 他にも色々思い出はありますが、生のMALICE MIZERで一番印象深かったのはこの日のkoziくんの鐘つき台での姿でした。あれから8年目の8月がもうすぐ来ます。