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nonocanonoco

お久しぶりです。またよろしくお願い致します。

映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

2009年09月05日 | 好きな映画
 妙におもしろかったです!160分の長編。2時間越える映画って大抵ダレるけどこれは飽きずに見れました(私が編集すればあと30分は削れたとは思うけど←偉そうに!)。

 老人として生まれ、だんだんと若返っていって、最後は赤ちゃんになって死んでしまう人がいたら・・・というファンタジー。ちなみに中身は普通に成長していきます。

 初めは老人と少女として出遭った二人が、初老の紳士と若い女性になり、そして年齢的に釣り合うようになって子どもも作る。でも「一緒に歳を取っていく父親が必要だ。自分は父親にはなれない」と言って妻と子どもの前から姿を消してしまう。数十年後、再会した時は初老の夫人と10歳の少年、そして老婦人と赤ちゃん・・・となっていく。

 おそらく小説が原作なんだと思うのだけど、このストーリーを思いついた人はすごいなと思います。あらすじだけ読んでもよく分からなかったもの。でも映画になるとおもしろいの!そして現実的にこんな人がいたら絶対騒ぎになるはずなんだけど、1つ1つのエピソードが普通で、周囲の人たちも真面目に対応しているのでその世界に引き込まれます。

 主演がブラピとケイト・ブランシェットだったのだけど、二人ともはずさないよねえ。ブラピは「興行成績」という意味ではずさないし(過去15年くらい出演作全てヒットさせてるって凄い!)、ケイトは「自分を魅力的に見せる作品選び」という点ではずさない。「アビエーター」だって映画としては駄作だったけど、ケイトの役は良かった。そして見事オスカーに輝き、全編出ずっぱりで全裸まで披露したディカプリオは一体・・・みたいな(ま、ご本人が毎回やりすぎるのが悪いんだけど。ちょっとは自制すべきよね←また偉そうに!)

 この映画に関しても主人公はブラピなんだけど、ブラピの生涯をケイトの視点で追う・・・という形式上、ブラピよりケイトの方が出演時間長かったりして。特殊メイクで老婆に扮したりして、ケイトのための映画でした。さすがです・・・。
 


「その土曜日、7時58分」

2009年08月05日 | 好きな映画
 フィリップ・シーモア・ホフマン、イーサン・ホーク主演。

 おもしろかったです!私には珍しくヴァイオレンス系のサスペンス映画。兄弟と父・息子の愛憎物語。どんどん歯車が狂っていってどうにもならなくなってくのを見る楽しみ、といえば性格悪い・・・?

 映画が始まると同時にフィリップ・シーモア・ホフマンの濡れ場で、(うわ、ハズレひいたかも・・・)と焦ったけど、上質な人間ドラマでほっとしました。それにしてもあのヌードは汚かった・・・まさに白豚・・・。でも上手いわ。さすがです。

 弱気で駄目な弟を演じるイーサンが可愛かった。横顔を見ると目も垂れてるんだけど、眉毛がすごい垂れてておもしろい顔。イーサンも演技派だから本当にこういう弱気で甘えん坊な人に見えてしまうけど、実際には雄弁で自信過剰なほど堂々とした人なのよね・・・。この二人が兄弟だなんて絶対ありえないけど、そういう設定だと思ってみると別に違和感ないのが不思議。良い映画に出るよねえ。順調にキャリアを積んでて何よりです。

 「エデンの東」「リバーランズスルーイット」「ゆれる」などなど、こういう兄弟愛憎の映画を観る度に同性の兄弟がいなかったことを喜ぶべきなのかな?と思ったりします。アベルとカインの頃から古今東西、大変そうだよねえ、父・息子とか兄・弟って関係は。

 重厚な人間ドラマで良い作品だったのだけど、この日本版タイトルは駄目でしょう。長すぎ!覚えにくすぎ!タイトルじゃなくてキャッチコピーみたい。原題そのまま「悪魔が俺の死に気づく前に」でいいじゃないと思いました。これも長いけど・・・。

「マルタのやさしい刺繍」

2009年07月27日 | 好きな映画
 良い映画でした~。80歳を過ぎ夫に先立たれたおばあちゃんが一斉奮起し、かつての夢だったランジェリーショップを開く・・・という話。現在88歳のスイス映画界の「グレイトレディ」シュテファニー・クラーザーが主演です。

 田舎町でランジェリーショップを開こうとすると「いかがわしい」「いやらしい」と村中の人に反対されます。予告編で見て(どんなセクシーな下着なんだろう?)と思ってたら、シックでエレガントなものばかり。白かラベンダー、シャンパンゴールドの素材にワンポイント程度の刺繍やレースのついたもので、(これのどこがいやらしいの?)って感じ。日本ではこれ以上シンプルな下着ってもうグンゼか無印良品しかないんじゃないのかなあ。「マーサの幸せレシピ」といい、ヨーロッパの下着事情がますます気になりました。

 レースとか刺繍とか私も大好き。月に1回は新作を偵察に行きます。見てるだけで幸せになれるし(女に生まれて良かったな~)と思います。そしてこの映画を観て、日本人でよかった~とも思いました。この映画はインターネットもある現代の設定なのに、「ショコラ」の映画に酷似した設定なんです。保守的で、地味な服装をして、日曜日には早起きして教会へ行って牧師さんのつまんない説教を聞いて、町の人々は噂好きで閉鎖的で。ヨーロッパって一見お洒落だけど、住みにはなかなかしんどそうだな、と思いました。私は日曜の朝は寝坊したいよぉ。

 高齢者に対するダブルスタンダートを描いた映画でもあって、「配偶者を亡くしてもいつまでも落ち込んでいてはいけない(でも明るく出歩くのも良くない)」「歳を取っても生きがいを持って生きるべきだ(でもその生きがいは無難なものでなくてはならない)」みたいな若い人の価値観のお仕着せが描かれていた。「年甲斐がない」「もう歳なのに」って言葉を投げかけられるシーンが沢山で、高齢者も大変だな、と思った。もう歳なんだし、好きにさせてあげればいいのにねえ。

 そう思う一方で、老人ホームで新たな恋が・・・って話は日本でも実際にあるけど、私も祖父が再婚するのはちょっと嫌だと思う。でも一生寡夫(っていうの?)でいてほしいってのは残りの人生に楽しみをもたないでほしいと言ってるようなものだし良くないよねえ。反省・・・。

「マーサの幸せレシピ」

2009年03月20日 | 好きな映画
 ドイツ映画。ハリウッドでリメイクもされました。私はハリウッドバージョンを先に見ていたのだけれど、ほぼ同じ内容。映画を観る楽しみにはストーリーや俳優の顔もあるけれど、私はその国その時代のファッションを見物するのも楽しみです。

 そういう観点で見ると、この「マーサの幸せレシピ」はかなり強烈でした。主人公のマーサは30代後半の独身女性で、レストランのシェフという自立した仕事をもち現在恋人はいないという設定。これをハリウッドバージョンではキャサリン・ゼタ・ジョーンズが黒を基調にしたマニッシュかつエレガントなキャリアウーマンスタイルで好演してました。

 それがドイツバージョンでは、「ファッションにはあまり興味ない」という設定なのか、地味な色合いの特に高そうでもない服を着ていました。日本のトレンディドラマでは、毎週主人公が違う服を着ていることがよくあるけれど、この映画は映画の中で主人公が服を「着まわし」てる。同じ服が何度も出てきて、ズボンが同じだけどトップスが違ったり、そのトップスで今度はスカートだったり。貧乏という設定ではないのにあんまり洋服をもってないみたい。

 8歳の姪っ子と同居することになるのだけど、その子のファッションもやたら地味。くすんだ水色の無地のパジャマを着てるシーンがあったんだけど、あれは「紳士用パジャマ」のデザインだと思う。日本だと女児のパジャマは明るい色でレースやリボンやキャラクターがついてたり、シンプルなのを探すほうが難しいのに。他にも紺色のダッフルコートにくすんだ水色のチェックのマフラーして茶色の学生鞄とか、どうにも「子ども」っぽくないファッションなんです。

 登場人物全てが、老若男女、同じようなファッション。くすんだ色でユニセックスかつシンプルなデザイン。うーん。これはこの映画の衣装担当者の趣味なの?それともドイツって本当にこういう国なの?と思います。

 一番驚いたのは、マーサが下着姿で朝起きてくるシーン。白いvネックのランニングと白いパンツで、もうグン〇としか思えない!日本でこういうシーンを撮るならきっと、ピーチジョンか無印良品あたりの上下セットにできる、キャミソールに股上の浅いショーツとかにすると思います。レースゴテゴテとかではないけど、露出部分は多く健康セクシーみたいな。それがおっさんシャツに、ブリーフみたいな白いパンツでしかもパンツの股上が深い!これは一体どういうことなんだろう?

1、マーサはファッションに興味ないという設定。だから下着は色気なし。
2、マーサは恋人がいないという設定。だから下着は色気なし。
3、ドイツの若い女性は本当にああいう下着を身につけている
4、ドイツにはああいう下着しか売ってない

そもそもいくら一人暮らしとはいえ下着で家の中ウロウロするのか?とか、下着で現れることはストーリーの進行上絶対に必要だったのか?とか考え出すとキリがないのだけど、あの下着姿は幻滅です・・・。美女なのにぃ。

 ラスト、父親が見つかってイタリアへ行ってしまった姪っ子ともう一度暮らしたくて迎えに行く際、ドイツから車を走らせるときの会話が、

「戻ってきてくれるかしら?」
「大丈夫だよ、太陽の輝くイタリアなんて好きになれるはずがない。澱んで暗いドイツの方が良いに決まってるよ」

・・・・・。

 そしてイタリアにつくと、いかにもイタリアンファッション♪な明るい黄色のカーディガンに水色と白のマドラスチェックのスカートの可愛いよそおいの姪っ子が喜んで駆け寄ってきます。そして3人でドイツに戻ってまた暗い色の服を着てめでたしめでたし・・・という結末。
 
 やっぱりドイツのファッションは一般的に暗くて地味ってことなのかな?気になります・・・。


「リトル・ミス・サンシャイン」

2009年02月05日 | 好きな映画
 すっごく楽しい映画でした。予想を裏切る衝撃の展開、あっと驚くラストというのはこういうものを指すのです。ビルを爆破させたり、カーチェイスしたり、エキストラを大量に動員したり、銃を構えて危険な場所になぜか一人で行ったりしなくても、ハラハラドキドキするモノは作れるのです。映画は脚本が命、というのを久々に感じました。「これを面白いと思えない人とは、きっと他の話題でも話が合わない」くらいの私にとっては踏み絵的な映画です。

 7歳児のための美少女コンテストの大会に娘のオリーヴの出場が決まった。自説の「9段階プログラム」で自己啓発セミナーを主催する父(でも生徒はまばら))、ヘロイン中毒で老人ホームを追い出された祖父、ニーチェ信者で喋らない兄、自殺未遂したばかりのゲイの叔父、と母の6人の「負け犬一家」が一つのワゴン車に乗って、会場へ急ぐ、というストーリー。

 とにかく全員のキャラが濃い。そして全員が見事にダメ。でも愛情と優しさはいっぱいに持ち合わせているから愛おしい。父のいう「9段階プログラム」が根底にあるから、途中で車が壊れても、祖父が死んでも、なんとしても会場へ走らないといけないのです。全てがつながっていて、最後に符合する。衝撃のラストのダンスといい、上手く作ったなあ、テンポといいセリフといい完璧な映画だなあ、と感動してしまいます。

 お祖父ちゃんがとてもいい味出してます。「負けるのが怖い。負け犬にはなりたくない」と前日の夜に涙をこぼす孫娘に、「負け犬とは負けることを恐れて初めから挑戦しない奴らのことだ。お前は負け犬じゃない」と言ってきかせるシーンが微笑ましい(その後ひとりでヘロイン吸いに行くのですが・・・)。叔父には「ホモ野郎」と言ったり、兄には「わしから忠告がある。いいか、できるだけ沢山の女を抱け。ひとりに絞ることはない。未成年同士なら犯罪にはならないからな」などと助言したりして、もうやりたい放題。でもなんだか憎めないのです。

 オリーブ役の女の子は見た目は太目の7歳児なのですが、演技は大人。全く違和感なく存在してて、(違和感がないというのはすごく上手いということなのでは・・・?)と気づくまでに時間がかかるほど上手です。顔だけ見ると聡明そうな美少女なのに、なぜかお腹がぽっこり出てて可愛い。兄の役の人はフィギュアスケート選手のジョニー・ウィアに似ててときめきます。

 「え?」とか「は?」とか「ポカーン」みたいな微妙な空気を絶妙に上手に描いていて、「空気を読むとはこういうことか・・・」と思ったりして。オススメの映画です♪


「ラースと、その彼女」

2009年01月15日 | 好きな映画
 すごくおもしろかったです。良い映画でした。まだ1月だけど、今年の一番好きな映画になりそうです。

 ラースは優しいけれど引っ込み思案で人を避けて生きている若い男性。そんなラースに「彼女を紹介したい」と言われ兄夫婦は大喜びするのだか、「彼女」とはダッチワイフだった・・・。一体なぜ?精神科医につれていくと「ラースが必要だから作り出した妄想。ラースのためを思うなら話を合わせるように」と言われる。それで村中の人が協力して、ダッチワイフを「ラースの彼女のビアンカ」として扱うようにする、そのうちにラースに変化が・・・という話。

 荒唐無稽なんだけど、なんとも暖かいのです。こんなの絶対ありえないんだけど、ありえるような気がしてしまう。

 「エロ人形を人として扱うだなんて」と難色を示した老人たちに、教会でラースと親しくしているおばあさんが「あんたのところの嫁は~~だったし、あんたのところの甥はUFO研究会だし、あんたの妻は出て行ったし、あんたの嫁は盗癖があった。それを思えば、人形を人として扱うのはなんてことない。ラースはいい子よ」と説得するのがおもしろい。

 そうなんだよね!生身の人間の方が手に負えないこともある。人形は何もしてくれないけど、何もしでかさないもの。生きているからといって、心がかよいあうというものでもないし、生きてすぐ側にいるのに心がかよいあわない方がよっぽど寂しく感じられたりもする。

 なんでラースがおかしくなったかというと、ラースの生まれるときに母は死んでしまった。それ以来父はふさぎこんでしまったし、兄はそんな父を嫌って早くに家を離れてしまった。そういう中でラースは育ったのだが、兄が結婚して戻ってきて、兄嫁に子どもを身ごもった。それで「出産=死」という心の根底にあった深い恐怖感が表に出てきてしまった・・・という背景があるのです。

 ラースが職場の女の子と親しくなるにつれ、ビアンカは口をきけなくなり、ついには病気になってしまい、そして亡くなってしまう。それはラースの中で全て決めているのだけど、周囲の人はそれに付き合い、ちゃんと救急車呼んで、教会でお葬式やって埋葬もするんです。その頃にはもうビアンカは地域の一員になっているので、兄も地域の人もビアンカを思って泣いたりしてる。

 これだけ皆がラースの妄想につきあってくれるというのは、ラースが元々すごくいい人だったからなんでしょうねえ、と納得させるほど、ライアン・ゴズリングは優しい顔立ちで穏やかな演技で、ちっとも不気味さを出さずに演じてました。

 一応現代が舞台なんだけど、ファッションも町並みも素朴な田舎風で1970年代かな?って印象。インターネットが登場したり、墓石に「1950~2003」と書いてある度に「あれ?現代の話だったの?」とびっくりします。

 「恋愛映画」として売り出されているけれど、これはどっちかというと「通過儀礼物語」というか「トラウマ克服物語」というか、「青年の成長譚」の映画です。きわめて心理学的な主題を、オシャレに万人受けするように作った感じ。全てのセリフがつながっていて、無駄がない。会話のひとつひとつがウィットに富んでいて深いのです。とっても良い映画でした。オススメです。

「オネーギンの恋文」

2008年12月01日 | 好きな映画
 1999年イギリス。私は本当にこういう話が大好き。どういう話かというと、昔の貴族が全く働かず、恋して豪華なお屋敷の中でウジウジ悩んでる・・・みたいな話。もう地に足つけなきゃ、いい加減大人にならなきゃと思うんだけど、好きなものはしょうがない。この映画も「もう、あんたほんっとうに馬鹿!」とか画面に向かって罵りながらも夢中になって観てしまいました・・・。

 レイフ・ファインズが製作総指揮&主演、妹のマーサ・ファインズが監督、弟のマグナス・ファインズが音楽、というファインズ一家による映画。レイフ・ファインズの弟はもちろんジョセフ・ファインズ。私はこの兄弟が大好き。弟のくりっとした瞳や快活かつフェロモンな雰囲気もいいけれど、兄の病的で陰鬱そうでちょっと狂気を感じる美貌も良い!

 この映画は1700年代のロシアが舞台のコスプレものだけあって、もうレイフ・ファインズの美貌が光る光る!髪巻いてフリフリのブラウス着てだるそうにしてて感激。音楽も耽美だし、なんといっても映像が美しい。妹さんはミュージックビデオ出身の監督らしいのですが、まさにそういう感じで、このままポストカードにしたいような綺麗なショットが沢山出てきます。

 相手役はリヴ・タイラーだったのですが、不思議な人ですよね。あんなに大柄でいかついのにがさつな感じは全くなく、なんともしとやかで清楚で透明感があって、役にぴったりでした。顔の造作もわりとごついのになんであんなに女らしいんだろう?
 
 はじめは「ロシア人の設定なのに英語で喋ってる・・・」とか思うんだけど、そのうち気にならなくなります。最後、リヴ・タイラーが涙の別れを告げるところ、そして彼女の座っていた椅子に頬寄せてすがるようにして泣き崩れるレイフ・ファインズのみっともなさにはこっちも涙・・・。二人とも役に合ってるし、上手い!

 運命の相手は案外身近なところにいる人なのかも。でもそのタイミングではその人を「運命の相手」とは見抜けなくて、何年もたってそうだったと気づく。でもその時にはもう遅くて・・・という言ってしまえば定番のお話なんだけど、「そうだよね~切ないよね~」と思わせられる。

 なんだか私は映画人の良心を感じました。原作を愛していること、役作りや演技も情熱が感じられるし、なにより心を込めて丁寧に作られているのが伝わってくる。地味だけど良質の映画です。


「キサラギ」

2008年08月20日 | 好きな映画
 私もアイドル(というかバンド)にはまったことがある人なので共感しながら観ているうちに怒涛の展開、そして心温まるラストへ・・。なんだかじーんとしてしまった。夢のある良い映画です。

 グラビアアイドル「如月ミキ」の1周忌の日に、いつもネットの掲示板につどうファン5人がオフ会を開く。話題はしだいに彼女の死の真相へ、彼女は本当に自殺だったのか、それとも・・・?

 登場人物は男5人。舞台は一室の中のみ。話題はアイドルのことについてのみ。ここまでシンプルな映画もめったにありません。それでも全くダレずに観れるのは、脚本のおもしろさとキャストの演技の巧みさによるものだと思う。こんなにおもしろいならもっと早く観ればよかった・・・!

 一番のファンを自認していた小栗旬が、実は自分以外の4人の方がずっとアイドルの身近にいたと知ってガッカリして泣いてしまうところが、なんとも可哀想で可愛い。でも毎週ファンレターを欠かさず書いたという彼の思いは報われるのです。

 「ファンがアイドルに捧げる愛こそがピュアな愛」っていうことはないと思う。だってアイドルが現役のころは「もっとこうすればいいのに」とか「もっと売れればいいのに」とか「あんまり売れると遠くへ行ってしまうようで悲しい」とか勝手なことを色々思うもの。でもアイドルが亡くなったり、引退したあとに思い出して感じる愛は「駄目なところも全て含めて大好きだった」という、かなりピュアに近い愛なんじゃないのかな・・・と自分の経験を振り返って思いました。

 小栗旬は可愛さとキリっと骨太な感じが同居してて、この人が人気あるのは分かるな~と思った。顔だけだと日本人顔なハンサムでオダギリジョーと似た印象があったけれど、動いているのを見ると快活で芯が強そうで随分違う感じでした。(オダジョーはもっと線が細いというか神経質そうな感じ。そこがいいんだけど)

 香川照之はおもしろすぎ!塚地はカワイイ。画面に映るだけでなごみます。

 グラビアアイドルじゃなくても、バンドでも俳優でも、所謂「芸能人」に夢中になったことのある人ならきっと共感できるし、自分とアイドルの関係も「こうであったらいいな~」という願望が満たされる映画だと思います。


好きな映画 「ウェールズの山」

2008年08月07日 | 好きな映画
 なんともほのぼのとした温かい映画。95年作、今から13年前、まだシワのないヒュー・グラントが主演です。

 舞台は1917年、ちょうど第一次世界大戦の最中、ウェールズ地方が舞台です。イングランドから測量士が来るのですが、その地域にただひとつだけあるフュノン・ガルウという「山」は299メートルで「丘」とされてしまう。305メートルになれば「山」と認定され地図に載るということで、住民が一丸となってバケツに土を入れて「丘」の頂上に盛り、ついに「丘」を「山」にしてしまう、という話。

 おとぎ話のようだけど、実話だそうです。ラストがまたおかしくて、「この映画のために改めて測りなおしてみたらまた丘に戻っていた」それでジーンズにTシャツの現代人がまたバケツ持って頂上に土を運んでるんです。ああ、のどかだなあ、というか、郷土愛っていいものだな、と思いました。

 ジョニーという青年が出てくるのですが、彼は戦争へ行き心に深く傷を負って還って来て以来、誰とも喋らない暮らしをしている。でも姉は優しく庇い続けるし、村の人も彼を何かと気にかけている。その彼が集会場での「丘を山にする作戦会議」で立ち上がり、発言しようとすると、普段は厳格な牧師の目に涙が浮かんでくる。それは我が子を見つめるような眼差しで、彼の苦しみを自分の苦しみとして受け止め理解するような協調性で、真の聖職者とは?真の指導者とは?まさにこうあるべき!というような姿で、とても印象に残った。

 そもそもどうして「丘」を「山」にしたいかというと、若い男性が戦争に狩り出される中、そして生きて帰ってこれない人も出る中、残された人の心も荒んできて村の共同体としての結びつきの維持が難しくなってる。フュノン・ガルウは遠くからでも見える村のシンボルなのだろうし、心のよりどころなのでしょう。だからこそどうしても「山」として地図に載せたかった。

 「土を盛ることで愛する者たちを弔いたい。戦争から還れない者たちのために」 
 
 牧師はこう言って村人たちに、丘を山にするための協力を訴えます。

 おとぎ話のような牧歌的なストーリーだけど、その根底には今にも通じるような戦争が人の心や生活に及ぼす影響と平和への賛歌がある、深みのある良い映画でした。



「転々」

2008年05月21日 | 好きな映画
「幸せは来ていることに気づかないくらい、じんわりやってくる。でも不幸はとてつもなくはっきりやってくる」

 泣いたよ~。まさか「時効警察」コンビに泣かされるとは思わなかった!可哀想で可哀想でおもしろかった。
 これは「家族」がテーマの映画。子どものいない中年男性「福原」と親のいない若い男性「文也」がひょんなきっかけからふたりで散歩することに。そのうちにいないはずの父や息子にお互いを重ねていく・・・という話、だと思う。
 
 今現在幸せな人には分からない、幸せの形が描かれる。そのクライマックスは「擬似家族」。福原の知人女性の家で、知人女性の姪と4人で食卓を囲む。お父さん、お母さん、兄、妹の平凡な四人家族のようなひととき。普通のことだけど、親がいなかったり、子どもがいなかったりする人にとっては、夢のような幸せだろうと思う。出かけに時間のかかるお母さんをイライラしながら待つ、夕食の手伝いをする、そういうのも失って初めて分かる「幸せ」の形なのだろう。

 地味な内容。私は20代だけど、15歳のときに見ても分からなかったかもしれない。年いった人が見ると今度は小ネタが理解不能かもしれないし、20代30代の人向けの映画かも。

 25歳まで動物園に行ったことがない。ジェットコースターに乗ったことがない。お母さんの手作りカレーを食べたことがない。物心ついてからほとんど泣いたことがない。普通の人が普通に経験してきていることを何一つ経験してこなかった文也が大学8年生でつまづくのは当然だったと思う。ぱっと見、学歴はあるし、立派な青年には育っていても、中身の欠落感は相当なものだったろうと思う。
 だからこの出会いをきっかけに、少しでも人生が上手くいくようになるといいな、と思う。「転々2」は絶対にないだろうけどこの先の文也が、ちゃんと卒業できるかな、働けるかな、幸せを見つけられるといいな、と思った。この、なんとなく頼りなく困っちゃったような青年をオダギリジョーはとっても上手に演じてた。

 ずっと福原は咳き込んでいる。ぐったりと疲れたように寝込んでいたり、多分もう長くないという設定なのだろう。「自首する前の思い出めぐりの散歩」というより「死ぬ前の散歩」なのだろうな。「寂しくなりたくて最終バスに夫婦で乗った」「うちでは散歩を性質といった」など福原の回想シーンは私にとっては分かるような分からないような話も多くて、きっとこの先年をとっていく内に気づく部分もあるのかな、と思った。

 ところどころで挟まれる、3人組の部分はなくてもよかった。その分を、回想シーンに当てたらもっと感動的だったろう。でもテンポよく進むし私は満足でした。