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nonocanonoco

お久しぶりです。またよろしくお願い致します。

昨日のこと

2008年12月28日 | Weblog
 昨日だったんですよね~、mana&kozi。どんなんだったんでしょうか・・・?二人とも元気そうでしたか?ここに遊びに来て下さっている中で行かれた方いらっしゃったらコッソリ教えてください・・・。

  manaとkoziくんが「摩天楼」を始めたのが1991年だから、もう18年近い付き合いになるんですね~。すごい長い!

 私がそのくらい長く付き合ってる人って兄弟と従兄弟ぐらいしかいないんだけど。それはただ単に「親戚」だから会う機会があるっていうだけで、そうじゃなかったらとっくに切れてる関係。なので凄いな、羨ましいな、と思います。

 私も見たかったなあ。もうずーっと長い間ビジュアル系音楽雑誌なんて買ってないけど、このイベントのライブレポあったら、そしてmana&koziの2ショットなんて載ってた日には、久しぶりに買っちゃうかも。

 そして「何か書いてないかな~?」と下心で、kamijoブログを久々にチェックしたらメジャーデビューが決まったらしく、おめでとうございます~。それについてはいずれまた書きたいと思うのだけれど、昨日の「奇跡の瞬間」は寝過ごして遅刻して見逃したって・・・。もう何してんのよ~。あてにしてたのに・・・!でもkamijoもライブ成功したようで、お元気そうで、何よりです。

分島花音「侵食ドルチェ」2月18日発売決定~♪

2008年12月26日 | Weblog
 これは既に傑作の予感では・・・?

 今サイトでサビだけ3曲分聴けるのですが、それがすっごく良い!全13曲のうち、4曲は既に発売されてるあの良い曲たちなわけだし、1曲目と13曲目はインストの予感大アリだけど、確実に7曲は当たりそう。特に最後に流れる「鏡よ鏡~私の醜い心を映す」っていう曲は凄く好き。花音ちゃんの歌も結構良い。

 「ヨーロッパの移動式遊園地」がテーマだっていうけど、どの曲も「メルヴェイユ」と「ボヤージュ」っぽい、特に1曲目は「月下の夜想曲」のcobaバージョンぽいところがあって、なんだかぐっときちゃいました。懐かしいよぉ。あの曲はライブの転換のところで流れたんだけど、完全な真っ暗ではなく夕暮れ時のような薄暗い中に、色とりどりの照明が交互にキラキラしてとっても綺麗だった。本当に魔法がかかりそうだった。

 「ドラマティック」「ロマンティック」な曲はあれから何曲もあったけど、こういう「ファンタスティック」な曲は久しくなかったように思います。嬉しいな。

 タイトルだけ先に聞いて「なんとも恥ずかしいな・・・これを買わなくてはならないのか・・・」と憂鬱に思ってたけれど、これは絶対予約して買います!俄然発売が楽しみになってきました。

「2008年を振り返って」

2008年12月25日 | Weblog
 暗いです。嫌な予感のする方はこの先読まないことをオススメします・・・。不快な思いをさせてしまう可能性がありますので・・・。

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 この12年間で、99年の次に、今年がバタバタしたと思う。そのくらい今年後半は色々なことがあった。私がブログを始めたタイミングで色々起こり始めて、思い出話だけのブログになるかと思いきや、リアルタイムで語ることが沢山起きて、ラッキーだなとも思ったし、ちょっと困惑もした。だって「ずっと元気で仲良くね」なんて私が願う必要もないくらい、彼らは元気そうだし仲良さそうなんだもん。・・・別にこのブログいらないんじゃ・・・?

 でも今年一番の出来事は、私は絶対忘れない、3月の事件。これまでも散々やらかしてくれたけど、あんなことまでしでかすとは思わなかった。ニュースを偶然見た時は血の気が引いた。一瞬何が書いてあるか分からなかったし、読んでも読んでも理解できなかった。そして何よりぞっとしたのはあれを「美談」として受け止めた人が大勢いたことだった。

 もちろん全ての人があれをあのまま受け止めたわけじゃなかったし、疑念を表した人も中にはいた。でもあの時点では私もどう受け止めたら良いのか?何を考えたら良いのか?分からなかったし、他の人もそうみたいだった。

 だから私はとりあえずこのブログを始めた。自分の疑念を語るだけの根拠がなかったから遠回しな方法だったけど、疑念は示しつつ、大好きな人たちや良い曲について語ることにした。

 それが6月に氷解して。「ああ、やっぱりそういうことだったのね・・・!」と納得したし、一度でもあちらの言い分を信じかけた自分を恥じた。私がこの10年間どうしても受け入れられないでいたことは、受け入れる必要がないとはっきりした。

 そして毎年ずっと日記を更新してきたのに、今年も更新したかったでしょうに、できなかったその胸中を思うと私はやりきれなかった。今も胸が痛むし、なかったことにはしたくない。記憶が一番大切で物はいずれ形を失うのだから・・・とはいっても、そう割り切れるものとそうでないものがあると思う。本当に悲しい。

 10年前の騒動の時、雑誌のインタビューで彼らは「ファンが悔しく思ってる気持ちは分かるけど、どうして誤解を解かない、どうして反論しないと言われても、一番悔しいのは僕達なんだから」といった。彼らが黙るならそれに倣おう、と私も10年我慢した。でももういいかな?と思った。彼らの立場上、あの時ああ言うしかなかったというのは、10年たって私も理解できるようになった。本音と建前は違うかもしれないってことも。だから私ももう、自分の責任の持てる範囲で思うことを語ろうと思った。

 没後10年の日までに私にできることがしたいと思った。彼らの音楽や思い出を今も大切に思っていることを伝えたかった。そしてあちらのやってきたことに対してきちんと「NO」と言いたかった。それがこのブログの3大テーマだったりします。

 私は自分が間違っているとはどうしても思えなかった。誇張じゃなく本当にこの10年間何百回と考えたけど、私の気持ちや考えは10年前から固まっているし、私が気持ちや考えを変えることを、彼らも(おそらくは「彼」も)望んでいないだろうと思ってた。偉そうに聞こえるかもしれないけれど、「こうだったんじゃないかな」「こうなってるんだろうな」という自分の考えに、根拠もあったし自信もあった。でも大方のファンの見解は私とは正反対で、「私のモノの見方や受け止め方がおかしいのかな?私は自分の都合のいいように物事を歪めて見ているのかな?」とずっと不安もあった。

 だから今年、私がずっと考えてきたことと現実が一致してほっとした。やっぱり私は間違ってなかったと思えたし、これからも自分の信じるものを信じて生きていこうと思えた。自分の理性と直感を信じて、誰が何と言おうと、自分の正しいと思うことは貫こうと思えた。

 「彼らの優しさや人間的な側面を伝えたい」と始めたブログでした。更新のある日もない日も毎日見に来てくださる方がいる中で、その全ての方ではなくても何人かの方には伝わってるかな?伝わっているといいな・・・と思っています。

 私の一番の願いだった「ずっと元気で仲良くね」は叶いました。

 だから二番目の願いとして、来年こそは、あちらに「彼」や彼らの名前が利用されませんように。これ以上「彼」や彼らの名誉が穢されませんように。もう二度と今年のような悲劇が起きませんように・・・・祈っています。

映画「ヴェロニカ・ゲリン」

2008年12月11日 | Weblog
 2003年。 ケイト・ブランシェット主演。・・・これは美談なんでしょうか?

 私にはこの手の破天荒?猪突猛進?自分の内から溢れる衝動にまっしぐらな生き様って理解できない。確かに麻薬組織の撲滅は社会的に大変意義のあることだけど、そんなことより自分の親や夫や幼い我が子の方が大切じゃないの?なんであんなに心配してくれる周囲の人がいるのに、その人たちの忠告を全く無視して、自分の衝動のままに突っ走れるんだろう?それで殺されたって言われても自業自得っていうか、なるようにしてなったとしか思えない。本人は自分の死がきっかけとなって憲法改正になって、その死に意義があったと天国で満足してるかもしれないけど、残された家族はたまらないと思う。年老いたお母さんやまだ幼い息子が可哀想。

 こういう生き方がいけないというわけじゃないけど、こういう生き方をするならせめて「結婚しない」「子ども作らない」とか、自分の死後、悲しむ人をできるだけ作らないように生きなくてはならないんじゃないのかな?彼女はジャーナリストとしては立派なのかもしれないけど、母親としては失格だと思う。私が彼女の息子なら、きっと思春期に「母は父や自分よりも仕事が大事だったのだろうか?」と悩むと思う。職場の人たちだって彼女の自らの命まで犠牲にした執念の取材を誇りに思うより、止められなかった自分を責めたんじゃないかな。ジャーナリストの取材に関連する死は、警察官の殉死とはまた違うように思うのです。なんだか自分本位な生き方だなあ、身勝手な人だなあ、と思ってしまったのでした。

 こういう衝動まっしぐらな人の捨て身の活躍によって歴史は動くのでしょうけど、彼女は英雄なのでしょうけど、でもねえ、なんだかねえ。小市民な私はついていけなく感じました。

 ケイト・ブランシェットは相変わらずの熱演で、美人に見えない程の演技派ぶりでした。この全く甘さのない、冷たい美貌が私は好き。彼女の主演映画はつい見てしまいます。普段は意外と明るくて、ユーモアのセンスのあるところも好き。普段は今はもう3人の男の子のお母さんなんですよね・・・見えないわ。

 今年のアカデミー賞のレッドカーペットで、お腹の大きい彼女が現れ、現地のタレント?記者?に「ハイ、ケイト!子どもが生まれたら、僕の名前を付けてくれますか?」といきなり聞かれた時、「考えてとくわ!」と瞬時に笑顔で答えていたのが印象的でした。

 (なんで、あんたの名前をつけなきゃならないのよ!)と絶対内心思ったでしょうに、プロの対応。「いいわよ」と答えても「お断りします」と答えても、どっちにしてもあとで問題(話題?)になりそうだし、「考えておくわ」が一番ベストな受け答えですよね。ああ、想像に違わずとっても賢い人だなあ、と思ったのでした。

「再会の血と薔薇」

2008年12月07日 | Weblog
 もうこれで最後です。結婚式ネタ。これはあの界隈において今年の一大ニュースだったんですね~。私の想像以上に皆盛り上がってておもしろい。(こういう人たちだったんだ~)と今更ながら再発見したりして。人の幸せを心から祝福できるって良いことですよね。

 まずはKayaさん日記。哲くん&yu~kiちゃん情報もありがとうございます~。そりゃ、目の前にあの4人がいたら心臓飛び出そうになりますよね。「yu~kiちゃんがとってもイケメンだった」というところを読みながら「でしょ~~?」とパソコンの前で勝ち誇った私。・・・冷静に考えるとyu~kiちゃんが今も美形なことは私と一切関係ないのに・・・。あれからもう7年かぁ、良い感じに枯れてきてるんでしょうね。「薔薇の婚礼」の映画を観る限り、yu~kiちゃんはお爺ちゃんになっても美しそうだし、さぞや素敵なナイスミドルに・・・と思います。

 manaもkoziくんもyu~kiちゃんも哲くんも、みんな元気そうで、仲良さそうで何よりです。もう私はこれ以上望むことはありません・・・。

 でもkayaさんが子どもの頃、哲くんの歌が好きだったという記述にちょっと驚いた私。・・・それは「memoire」のこと?ZIGZOのこと?私はMALICE MIZERも高野哲も絶賛してるわりに、「memoire」は大して好きでないのでびっくり・・・。Md初代も某所で「memoire」時代の哲くんの歌を褒めてて驚いたんだけど、どこらへんが良いんだろう?(←コラ!)

 「何度聴いてもびっくりする」「全く慣れない」という意味では凄いアルバム、凄い歌唱だと思うんだけど、好きかと言われると・・・ねえ?私はどうにもやりすぎたように感じてしまいます。聴きにくいのよ、全く。「speed of desperate」や「sadness」の方がよっぽど良いのに。なんで普通に歌ってくれなかったのよ!と思います。

 つづいてseijiくん(って書いちゃいけないのかもしれないけど、今更別な名前を色々つけられてもねえ)。「いつの間にオ〇マキャラになってたの?!」という衝撃はおいておいて、Seijiくんもカツオさんと親しいんだ~。地元が一緒なら色々関わりありますよね。SeijiくんはAMADEUSの頃、私の周りで「良い人」と評判だったのだけど、あの日記は本当にそういう感じがします。そしてseijiくんはもう「人から憧れられるボーカリスト」になっていると私は思います。とっても美声で歌唱力も抜群で世界に入り込むし、人を引き込むようなところがあるし。うん、seijiくんに憧れる少年はきっと大勢いると思います。

 最後にmanaの独白。「再会の血と薔薇」をバッグに新郎新婦が入場したことを「この瞬間、いろんなことが、走馬灯のように駆け巡った。」「う~む、なかなか、感慨深い・・・」とサラッと回想。こういう肝心なことをやたらあっさり済ますのが、さすがMALICE MIZER、さすがmanaだ、と思います。そこは熱く語り倒して良いところなのよ! 普通はもうちょっと語るわよ!

 「再会の血と薔薇」はMALICE MIZERで一番悲痛な曲。「音楽こそが私の声だから」と公の場で一度も声を出したことのないmanaが、ボーカリストを失いドラマーも亡くしバンドとしては手足をもがれたような状態で、あんな辛い曲を出してきたことを思うと胸が詰まります。メンバーも「刺さる」「痛い」曲だと言ってました。そういう事情を知らなくても、誰が聴いても痛々しい曲だと思う。あれを聴いて楽しい気持ちになる人はいないでしょう。

 ずっとそういう曲だった「再会の血と薔薇」が、メンバーのゆかりの人の結婚式という晴れがましい場で使われたことによって、ただ辛いだけの曲ではなくなったわけですよね。きっと彼らも、彼らの周囲の人たちも「再会の血と薔薇」をこれから先の人生で聴き返す度に、悲痛な記憶だけでなく楽しい記憶も同時に蘇ってくるようになったはず。それを思うと私も嬉しい。あの曲は9年たって初めて救われたんじゃないのかな、と思います。

 曲に感情があるとするなら、「マシェリ」のように無条件でみんなに愛されるように生まれてきた曲がある一方で、きっと誰もが悲痛な思いを感じてしまうように生まれた「再会の血と薔薇」は(それは悪いことでも嫌なことでもないのだけれど)ちょっと可哀想。「「独白」を読みながら、「再会の血と薔薇」も救われたでしょうし、あの曲を書いたmanaの記憶もまた救われたんじゃないのかな、と嬉しく思いました。

「解剖台の上のミシンとコウモリ傘の不意の出会いのように美しい」

2008年11月30日 | Weblog
 結婚式ネタ引きずってます。私の気持ちはシュールレアリスムのこの一言に尽きます。だって、結婚式に亀〇静香とMALICE MIZERって!これをシュールといわずに何をシュールというの?しかもseijiくんはともかくkayaさんが女装して歌ったって、野〇五郎の結婚式にカ〇ーセル麻紀っていうのを思い出しちゃったよ・・・。ご子息の結婚式がそんなんでカツオさんのご両親は本当に良かったんでしょうか・・・?

 Manaの日記もテンション高くて楽しい。本当に嬉しいのね~。「漆黒の瞼」ってそんな表現はじめて見ました・・・・。元はと言えば親族にひとり、この人がいたばっかりにこんなことになったわけですよね・・・。恨まれてないのかなあ?

 哲くんも日記更新しました~。哲くんのこういうところを見て、世間は「熱い」「男らしい」と言うのかな?私は「哲くんまた感激してる~。本当に感動屋さんだなあ」と微笑ましく思うのだけど。mana様の従兄弟であるカツオさんのことを哲くんは「兄弟」と表現してて。じゃ、哲くんとmana様は何になるんだろう?・・・兄弟の従兄弟だから従兄弟?2000年ごろ、哲くんはMALICE MIZERを「家族」と言ったこともあって、やっぱりmana様と哲くんも兄弟なの・・・?とか、どうでもいいことを考えてしまいます。

 nilファンにも「哲くんの親友が結婚」「MALICE MIZERと出席」って話は伝わってきてますね~。でも「哲くんの親友はmana様の従兄弟」という驚愕の事実からは、皆さん目をそむけようとしてる気が・・・。心中お察しします・・・。

 そして(ご迷惑かかるといけないのでお名前は伏せさせていただきます)いつもいつもありがとうございます!!koziくん情報だけでももったいないのに、哲くん情報まで!MALICE MIZERファンで哲くんの動向を気にしてるのは私ひとりかもしれないのに、本当にありがとうございます。私はもう一生足を向けて寝られません・・・。

 余計なことを蒸し返すと、今も仲良くしていること、そしてそれを隠さないってことは、やっぱりあれは「思い込み」ではなく「真実」だったのでしょうね。哲くんまで仲良くしてるってことはそういうことよね。一度も「思い込み」だなんて信じたことはなかったけれど、嗚呼、改めてやるせない気持ちが甦ったのでした。

おめでとうございます♪

2008年11月25日 | Weblog
  おめでとう、おめでとう、カツオさん!

 そして感動・・・もう泣いちゃっていい?ってくらい。初期ミゼルだよぉ。

 もう、その結婚式、なんで広島の結婚式場なんかでやったのよ!東京で、ホールで、一般のお客さん入れてやってよ!DVD化してよ!私も哲くんの「カツオ一本釣り」聴きたかったよぉ。それを見守るmana様も見たかったよぉ。

 Manaは普段は事後報告の人なのに、今回に限っては「次の三連休に帰省する」と予告してて。「そうなんだ~。カツオくんの結婚、そんなに嬉しいんだ~」と思ってたんだけど、まさかMALICE MIZER全員集合+哲くんとは・・・・(泣)。私のためにあるような企画だよぉ。名前挙がった全ての人が私は大好きよ!

 しかも私が以前ブログの文章で無駄に名前出してしまった、亀〇静香までいらっしゃるとは・・・!! mana様の実家ってやっぱり名家なのね・・・!もう年明けの総選挙で自民党に一票入れても良いくらいに嬉しい気分です(本当に選挙あるのかな・・・?)。

分島花音 「skip turn step♪」

2008年11月15日 | Weblog
 「マシェリ」だよぉ~(泣)。

 私がもう10年近くずっとずっと待ち続けてた「マシェリ」テイストだ・・・。このタイトルを聞いたときから、これは今度こそ「マシェリ」みたいな曲が来るか・・・!と期待してたんだけど、夢が叶いました。

 そして「マシェリ」に続いて、これまた「雨」の歌詞ですね~。どうしてmanaの作る曲には、雨とか海とか水が似合うんだろう?あんなにエレクトロニカというとかっこいいけど、要は打ち込み中心の音なのに・・・。あんなに化粧濃いのに・・・。

 あんなに人工的なのに、すごく自然で心の奥底に響く懐かしさがあるのが、manaサウンドのおもしろいところだな、と思います。

 どうしてこんな良い曲が今も書けるのに、今までMoi dix Moisで延々マンネリなメタルをやってたんだろう?本当にもったいないよ!あんなんばっかり7年もやってるから、すっかり世間的には「過去の人」になっちゃったんじゃない。私はmanaはまだ業界の第一線で活躍できる才能は枯渇してないと思う。こんな綺麗な曲を書ける人は他にいない、と思います。

 歌唱はどうかと思ったりするけど(もっと素直に歌ってほしかった)、プロデュース2作目、私は大満足です。

もうすぐ年末

2008年11月06日 | Weblog
 寒くなってきましたね~。この期に及んでまだ事の深刻さを分かってない私は

「でも、そんな悪い人じゃないと思うんだよね・・・」
「悪いよ!五億円も詐欺したんだから!」

「そんなに悪気はなかったんだと思うんだけど・・・」
「詐欺したって認めてるぞ」

 と家族にコテンパンに言われてます。
 
 それにしても思い出にケチがついたよ!なんか悲しいって言うか情けないって言うかそういう気分。

 これまでも華〇朋美の「I’m proud」を聴くたびに「このあと自〇未遂するんだよな・・・」って思うし、安〇〇美恵の「can you celebrate?」を聴くたびに「でも離婚したんだよな・・・」って思うし、カバちゃんをテレビで観るたびに「dosってあったよな。ボーカルは妻になったんだよな・・・別れたけど」って思うし、gl*be聴くたびに「あの結婚式は痛かったなあ・・・YOSH*KIピアノ弾いてたなあ・・・」と思って、なんだかなって感じで来てたのに、

 逮捕って!

 もう完全に駄目だよ。これから先もずっとずっと「懐メロ特集」で90年代音楽が取り上げられるたびに、カラオケで〇室サウンドを見聞きするたびに、上記のことプラス「しかも〇室は逮捕されたよなあ・・・」と思わなきゃいけないのよ・・・。つらいわ。

お金は使えばなくなるのよね・・・

2008年11月05日 | Weblog
 私の世代で〇室に一円も貢いでいない人はいないと思う。シングル買ったりカラオケで歌っちゃったりみんなしてたんじゃないのかなあ。みんなであんなに貢いであげたのに、92億も資産あったらしいのに、全部なくなっちゃってただなんて・・・。

 「一体何に使ったの?そんなに短期間に使い尽くせるものなの?」と思ったんだけど、話聞いて納得。飛行機のファーストクラスの座席全部取ったり、スイートルームのフロア全部借り切ったり、数千万円の車を色違いで何台も集めたり・・・。ああ、そういうことしたらお金なくなるのね・・・。

 私が思い出深いのは「asayan」で、まだと〇ちゃんのデビュー前ふたりがラブラブだった頃、サンリアピューロランドに行った回があって。と〇ちゃんが「きゃ~~キティちゃん可愛い!」みたいに言ってたら、〇室が「好きなものは何でも買ってあげるよ」的なことを言って、巨大なキティちゃんのぬいぐるみとか色々買ってもらってた。私はまだ小学生でお小遣い月500円の生活だったから「キティちゃんグッズを何でも買ってもらえるなんて、うらやましい!と〇ちゃんになりたい!」と思って見てた。・・・コドモでした・・。

 もうひとつは確か「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」に出た時に「デコレーションケーキをひとりでワンホール食べてみたい」と言っていて、「そんなの今すぐできるでしょ。お金あるんだから」と共演者に言われてた。その時も私は「ケーキワンホール全部独り占めなんて夢のようだ・・・私もお金持ちになりたい!」と思ってた。・・・コドモだったのです・・・。

 あれから十数年たって思うのは、今ならあの頃の夢をたやすく実現できるって事。別に芸能人でなくっても、億万長者でなくっても、サンリオショップでキティちゃんグッズ欲しいの全部買える。ただ、そんなに沢山買っても置く場所あるのか?使うのか?そもそも欲しいのか?とか考えると、微妙なんだけど・・・。

 ケーキも20センチくらいの家族サイズの大きいのも4000円くらいだし、買おうと思えばいつでも買える。ただ、私は成長するにしたがってそんなに甘いものを欲しくなくなってきた。大人になるってつまらないな、と思う。

 お金ってなんなんだろう?「お金があれば人の心も買うことができる」みたいに豪語していた人は逮捕されてしまったし、一生使い切れないほどのお金をもっていた人も本気で使ったらあっけなくなくなってしまったようだし。宝くじが当たるのも夢なんだけど、二億円当たったがために殺されちゃった人もいる。お金がないことが犯罪の引き金になるのは分かるんだけど、お金がありすぎることもまた犯罪を呼ぶのかな・・・。

 私は何にもない人間で、お金もないし社会的地位もない。これまで生きてきて誇れるものも「成し遂げた!」ってものも何にもない。でも「なくて良かったな」というものもあって、それは借金と前科。身の丈に合ったこじんまりとした生活を大事にしようと改めて思ったのでした。