母の見舞いから帰ってみると、
ついつい後回しになってた インフルエンザの予防接種や特定検診の督促が来ました。
今月中に受けてくださいとの事です。
予防接種の方は今まで受けたことが無く、今年も受けないつもりだったのです。
けど、また母の所に行くとしたら、やっぱり受けておいた方が良いでしょう。と、予約を入れようと、
電話すると、掛かりつけ医(検診の時ぐらいしかかからない掛かりつけ医)は、
もうワクチンが無いそうです。2軒目に電話したら、「すぐに来られますか?」
土曜日(20日)だったので、予約だけのつもりでしたが、、即、行きました。
母が骨折、手術の連絡を受けて急きょ行くのに、受けていないのは後ろめたさもありました。
良かった。
次回は、大手を振って泊まれます。
検診は食事を抜くなどの準備が要りますが、予約しなくても大丈夫だそうです。
と、言うことで、これも翌週の月曜日(22日)に、受けてきました。
予防接種を受けに行って、年齢を聞かれました。68歳と、答えて
あれ?
検診票に表示された年齢と実年齢が一致するのは初めてのことです。
検診票には、その年度の誕生日が来たときの年齢が書かれています。
私は12月生まれなので、何時も実年齢と違うのでした。小さなことですが、
そういえば、最近は、年齢を数え年で数える人は殆どいません。
でも私の子供の頃は、、数え年で数えました。
数え年は生まれた日から次のお正月まで1歳です。ですから、生まれた翌月のお正月には2歳となりました。
私の場合、12月も末なので、生まれて一月にも満たない子が2歳になったのです。
長寿のお祝いや厄年は数え年だと思っておりました。
が、数え年で幾つだとか考えなくなっています。
次に来る祝い、古希の祝いって、何時?
数えてみました。
今年です!!
急に老けたような感覚です。
けど、
年の初めに地元の神社さんから、厄年のお祓いを希望する方は、それぞれの好きな方を選んでくださいって、
と、書かれていました。
まぁ~~、祝っても貰えないだろうし、祝うつもりもないけど、、2年後にいたします。
2年後に、祝ってもらうつもり?
ちなみに、今年の初午は7日ですって、
昨日、ブティ講座の日でしたので、前日から息子んちに泊まり、
和歌山からの快速電車に乗りました。紀南同様、紀北の方も無人駅は増えてるのでしょうが、
運転手さんが、切符の受け取りってことはない。自動改札があるのですよね、、
通勤通学の時間帯ではないので、ゆっくり座れます。何か本を持って行きます。
昨日も席について、隣の方がパッチワークをしてるようでした。
四角いピースを入れた小箱と裁縫箱を上手に邪魔にならないように置いてチクチクなさっていました。
本を読みつつ、、、
あ、お手玉だわ。「お手玉ですか?」から、話が始まり、、
「孫が遊んでくれるかな?って、思って」それにしては数が?とは思いましたが、、、
それから、邪魔にならない程度にお話しして行くうち
その方が下りる駅が近づいた時、
お手玉を「良かったら、どうぞ」って、
お母様の介護に通っていらっしゃるのだそうです。病院で本を読んだり、時間をつぶすのに、
お手玉作りに行きついたそうです。
看護婦さんがリハビリに良いかもって、言ってくださったので、差し上げたりしてるんだそうです。
介護に通うのは、大変です。病院での時間も、、、
「でも嘆いていても始まらない、受け止めてやるしかない。って、今は思ってるんですよ。」
そう、やるしかないけど、何かしら楽しみもなくっちゃね。
健康に気を付けて、自分の楽しみもしつつ、頑張りましょうね。と、お互いエールを送って別れました。
今度、母の所に持って行こう。 私はお手玉が苦手だったけど、母は出来るかしら?
次回、母に会いにいくのが楽しみになりました。
大事にバックに詰めて、、
もう会う事も無いだろうけど、大切な思い出がお手玉と一緒に一つ増えました。
寒い日が続いています。
テレビに映る雪景色の中の長靴が目に留まり思い出しました。
里帰りで、JRから路線バスに乗り換えます。始発から終点まで約1時間。
キャリーバックを押さえつつ、景色を見たり、乗客観察したり、、
乗り込んできた青年は、ちょっと微笑みを浮かべて暖かそうなゴム長靴にリュックをしょっていました。
どれもちょっとお洒落な拘りがあるようなもの、
長靴を買うつもりだった私は、その長靴に目が行ったのでした。
それにしても誰に微笑んでるのだろう?
乗客は少なかったし、誰とも言葉を交わす事も無く、私の後方の席に座りました。
突然、運転手さんが左腕を横に突き出し、指を動かしました。
何?
その後、OKと言うように グーにして、腕を引っ込めました。
振り返ると、あの青年が笑顔で合図を送っていました。
降りるバス停が近づいたことを知らせていたようです。
何度か乗ったバスで、あの青年に また会うことがありました。
今度は、乗り込むときに運転手さんに笑顔で合図を送っていることに気が付きました。
その時の運転手さんも合図を送り、降りるバス停が近づくと、やっぱり合図を送っているのです。
降りるとき、お互いに笑顔で会釈していました。
それが手話だったのかもしれません。とっても微笑ましく、温かな心を貰いました。
トベラの実、もっと赤が綺麗なはずなのに、、くすんでいます。
もう終わりかな、花の頃は白い可愛い花が咲くのですが、、
今日は、朝から雨。
昨日は綺麗な月でしたよね。エアロビの行き帰りには綺麗な月を眺めつつだったのですが、
皆既日食が始まろうと言う頃は、もうお休みモードに入っていてスルーです。
最近、あちこちにソーラーパネルが見られます。
南紀串本、日照時間は長いでしょうから、きっとたくさんの電力を供給できることでしょう。
理屈は分かりません。太陽光をエネルギー源にしてるのだから、環境にも良いのでしょう。
あまり日照時間が長いとは思えない北陸でも、車窓からもソーラーパネルを見ることがありました。
確か、小学校の授業でだったと思うのですが、
多くの住民を移動させてのダム建設で作られる水力発電、
石炭や石油を使っての火力発電よりも
コストの安い原子力発電が次世代のエネルギーだと、習ったように思うのですが、、、
そんな素晴らしいものなのだと、思った記憶があるのですが、
休耕地や空き家が増えて、土地が余っています。持て余してると言った方が良いかも
この場所も家を取り払った後に出現したパネル群です。
太陽光発電、、ほんとに環境に優しいの?
右へ倣いのように、どんどん増えて行くパネルを見ると、、、
そんな事を考えてしまいます。
言葉足らずだったかな?と、加筆いたします。
昔、万能のように教えられていたものが、そう考えられていた事が間違いであったと、
リスクがあるのだと分かってくる事は様々あります。今、正しいと考えられている事が本当に正しいのだろうか?
与えられている情報がすべてだろうか?そんな事を考えます。
このソーラーパネルも太陽光を利用した環境に優しいエネルギーであると言われていますが、
例えば、私の済む土地柄は塩害が酷いのです。塩害で腐食したパネルや台のメンテナンスは?
腐食してるところに台風が来たら、
必要以上にパネルの設置をしてしまうことも、あるのじゃないだろうか?
流行に流されず、勢いに飲み込まれず、物事の本質を自分なりに考えることが必要なのだと
などなどの思いで、立ち止まって考えました。
さらに追記、今の生活、冬は暖房の効いた部屋で夏は冷房を効かせ、僅かな距離も車に乗り、
そんな生活を捨てられないことも事実です。