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nodatchのブログ

鉄道が好きな旅行作家が、取材や出版などの個人的な話を書いていきます

ヴィスバーデン中央駅と水力鉄道

2019-05-26 15:41:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス、1994年夏

ボン滞在後、列車でヴィスバーデンに向かいました。ドイツ中西部に位置するヘッセン州の代表的な都市はフランクフルトですが、州都はヴィスバーデン。バーデンという名のように温泉保養地としても知られています。それゆえ、中央駅の駅舎はフランクフルトにも勝るとも劣らない堂々とした建物でした。


ただ、鉄道路線の幹線からは外れた位置にあったので、当時は直通列車が少なく、その救済策として、ライン河沿いに走る南北のメインルートにあるマインツからWiesbadenCity号というInterCity連絡列車、JRの「リレー号」に相当する列車がピストン輸送で往復していました。



所要時間10分のミニ列車でしたから、小ぶりの電気機関車が客車3両を牽引。終点で機関車の付け替えを省くプッシュプル・トレイン(Pendelzug、Wendezug)でした。客車は特急用車両ではなく、近郊型客車を改造したもの。



3両のうち1両は1等車でした。マインツからのInterCity特急券を持っている人しか乗れず、結構空いていました。その後、この列車は廃止になり、フランクフルトとケルンを結ぶ高速新線が開業してヴィスバーデンからのアクセス路線ができたこともあり、今では、ICEがそれほど多くはないですが乗り入れているようです。駅もリニューアルされたとのこと、それ以後訪問していないので、どうなったのか知りたいものです。

ヴィスバーデンにはネロベルクという小山に登る登山鉄道がありますが、動力は電気ではなく、何と水力。何とも不思議な鉄道でした。こちらは、車両は変わりましたが、今でも健在のようです。


<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら


国際列車ECレンブラント号

2019-05-26 13:21:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス 1994年夏、フランス・オランダ・ドイツ編シリーズ

オランダ滞在中のレポートを後に回して、首都アムステルダムの中央駅からドイツへ向かうために乗った列車の話です。

EuroCityという国際列車で愛称は「レンブラント」。アムステルダムの美術館でレンブラントの代表作「夜警」を観た直後だったので、この列車名は思い出深いものです。アムステルダムで乗車したときの牽引機はチェックする時間がありませんでしたが、ボンに着いた時は103形電気機関車が牽引していました(写真は、ボン滞在中に撮影したものです)。

ドイツを串刺しにしてスイスまで直通するためもあって、客車はDB(ドイツ鉄道)のものではなく、スイス(SBB)の客車で編成されていました。

アムステルダム中央駅から乗車。国境の駅エメリッヒでは、最後尾にスイスの客車を1両増結しました。乗っていたのが最後尾の客車でしたので、ホームに降りて連結作業を観察しました。



スイスの客車で編成が統一されているかと思ったら、食堂車だけはDB(ドイツ鉄道)のものでした。


このときは、ボンで下車しました。かつての西ドイツの首都とは言え、小さな町です。このときのお目当てはベートーヴェンの生家詣で、それとライン河畔のドラッフェンヘルス散策でした。


<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら


デンマークのディーゼル機関車

2019-05-24 14:23:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス 1997年夏、北欧編シリーズ第1弾

1997年は春と夏に北欧に出かけました。拙著「北欧=鉄道旅物語」(東京書籍)の取材でした。
まずは、ドイツからデンマークへ向かったのですが、通常の「渡り鳥コース」Vogelfluglinieではなく、陸路で北上し、フレンスブルクの先で国境を越え、ユトランド半島付け根にあるPadborgでデンマーク入りしました。この駅で、偶然遭遇したのが、鉄道模型メルクリンでもお馴染みのアメリカンスタイルのディーゼル機関車でした。


この駅までは、ハンブルクからインターレギオのデンマーク領内行きの国際列車に乗ったのでした。

この列車に乗り続けてもよかったのですが、国境駅始発のコペンハーゲン行き特急列車IC3があるというので、とりあえず降りてみたのでした。ここまでは、ドイツ鉄道の有名な電気機関車103形が牽引してきて(写真を撮らなかったのが残念!)、切り離されてMZ形というディーゼル機関車が新たに先頭に立ちました。

この頃は、MZ形以降のディーゼル機関車が主役で、アメリカンスタイルのディーゼル機関車は、ほぼ引退していたはずです。それゆえ、この駅のホームに幻のディーゼル機関車が姿を見せた時は文字通り、欣喜雀躍の状態でした。

きれいな状態、しかも王冠マーク付きのオリジナル塗装。最近ネットで調べたら、動態保存機です。やはり1001というアーストナンバーゆえでしょうね。もっとじっくり観察したかったのですが、エンジンをうならせ紫煙を吐いて走り去って行きました。遠来の私に一瞬だけ姿を見せてくれたのでしょうか?

この旅では、後日、童話作家アンデルセンの生地オーデンセにある鉄道博物館を訪問していますが、そこには静態保存機がありました。

この手のディーゼル機関車には、MX形、MY形とバリエーションがありますが、細部の違いであって見た目はほぼ同じ。私がメルクリンの模型で持っているのは、博物館のと同じく黒と赤に塗り吾られた晩年の姿です。模型は実家にしまいこんでいて、すぐには出てこないので、代わりにメルクリンのカタログの写真を載せておきます。

このタイプのディーゼル機関車はノルウェー、ベルギー、ルクセンブルク、ハンガリーでも活躍していて、人気だったのかメルクリンのラインナップを賑わしていました。


<参考>
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フィレンツェの観光

2019-04-10 18:54:00 | ヨーロッパの鉄道
1994年春のヨーロッパ旅行~イタリア編、デジタルアーカイブス、シリーズ第8弾

フィレンツではゆっくり観光をしました。
まずは、花の聖母教会ドゥオーモです。


裏側にある大クーポラ。イタリア観光ツアーのポスターでよく見かけるものです。

少し歩いて、ヴェッキオ宮殿へ。

そして、その前のシニョリーア広場に立っているダヴィデ像。

その近くにあるウフィッチ美術館は、時間をかけてボッティチェッリの「春」(プリマヴェーラ)や「ヴィーナスの誕生」をはじめとするルネッサンスの芸術作品を鑑賞しました。写真はありません。

長時間滞在したあと、外へ出ると、脇をアルノ川が流れていました。そこに架かる橋は、ポンテヴェッキオです。

プッチーニの「私のお父さん」で歌われた橋。このときは、まださくらこさんと出会う前。さくらこさんとはイタリアへ4回ほど旅行したのですが、いまだフィレンツエに行っていません。ここで「私のお父さん」を歌ってもらいたいものです。

まだ、時間があるので、北の方向へ戻り、共和国広場を抜けていきます。

ドゥオーモを過ぎ、サンマルコ広場へ。

サンマルコ教会の脇にあるサンマルコ美術館でフラアンジェリコの作品と対面しました。

思ったよりも広い美術館で、有名な受胎告知などを見て回りました。壁に直接描いてある絵は、さすがに現地に行かないと鑑賞できませんね。心が洗われるような宗教画を時間が経つのも忘れて見とれていました。外に出ると薄暗くなっていて、食事をして宿に戻りました。

<参考>
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ミニチュアテーマパーク『マドローダム』

2019-04-10 17:09:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス 1994年夏、フランス・オランダ・ドイツ編シリーズ第4弾

ハーグに滞在中にミニチュア・テーマパークとして有名なマドローダムを訪問しました。日光鬼怒川エリアにある東武ワールドスクエアみたいな場所です。ただし、ワールドスクエアは世界の名所のミニチュアですが、こちらはオランダ限定でした。どちらも本物の25分の1スケールという点は共通です。

地元ハーグにある国際司法裁判所もミニチュアになっていました。

鉄道の駅もありました。

となると、やはり鉄道模型に注目してしまいます(笑)

一世を風靡した「犬の鼻電車」。オランダの鉄道の代表的な車両で、斜めのストライプは、185系「踊り子号」に影響を与えました。むろん、オランダが本家です。

「犬の鼻」の郵便車バージョン。日本風に言えば、クモユニでしょうか?
郵便電車は貨車を2両牽引して走っていました。そこへ、フランスの有名な「ゲンコツ形」電気機関車と似たオランダの電気機関車が牽引する列車がやってきました。

列車ばかりではなく、路面電車の姿もありました。

鉄道模型が充実していると、時間が経つのも忘れて見入ってしまいました。

<参考>
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