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nodatchのブログ

鉄道が好きな旅行作家が、取材や出版などの個人的な話を書いていきます

ドヴォルザークの生地を行きかう列車たち

2019-06-17 14:07:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス、1999年夏、チェコ

作曲家ドヴォルザークの生家を訪れたあと、プラハに戻るために駅へ。乗車する列車の時間まで、行きかう列車の撮影をすることにしました。幹線なので国際列車をはじめ通過列車が多いのです。

まずは、ローカル列車。いかつい形をした電車です。

見送ると、最後尾にレールバスがぶらさがるように連結されていました。

不思議な編成でした。

国際列車EuroCity ”Porta Bohemica”ドイツ方面へ向かう列車です。



客車はDB(ドイツ鉄道)のもので統一されていました。

続いて、国内の急行列車”Vsacan”。ニュルンベルク方面へ向かう時の国境駅Cheb(ヘプ)行きです。北に向かいながら、途中で西へ進路を変えるようです。




チェコの客車ばかりで編成されています。

プラハ方面へは、ディーゼル機関車の単機回送が通過しました。



こんどは、ローカル列車。レールバス1両でやってきました。


プラハを経由してウィーンに向かう国際列車EuroCity ”Vindobona”。前年(1998年)にドレスデンからプラハまで乗りましたし、2000年にはベルリンからウィーンまで乗り通しました。また、2009年にはベルリンからドレスデンまで乗車というように、私にとっては思い出深い列車です。


そして、ようやくプラハ方面への普通列車が到着しました。

これに乗りました。1時間以上、ホームで過ごしたかと思いますが、全く退屈しませんでした。

<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら

ドヴォルザークの生地ネラホゼヴェスへ(2)

2019-06-06 21:19:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス、1999年夏、チェコ

前回の続き。

駅長さんにドヴォルザークの家はどこ?と尋ねるも通じません。ドヴォルジャーク、ドヴォラーク、色々言ってみてもダメ。そういえば、ガイドブックがあったので、チェコの音楽の紹介ページにあったDvorakの文字を見せると、ようやく分かってくれたみたいです。

それは、ここではないよ。隣の駅だね。ここはNelahozeves駅、でひとつプラハ寄りの駅がNelahozeves zastavka駅で、その駅前だね。八王子駅と西八王子駅の違いみたいなものでした。しかし、次のプラハ方面行で、その駅にも停まる列車は2時間後。歩くと20分~30分ほどとのことなので、歩くことにしました。線路を渡ると道があるから、それを進めば行ける。で、踏切か跨線橋は?
そんなものはないよ。今列車が行ったばかりだから、適当に横断していいよ。何ともおおらかな話。お礼を言って、複線の線路に側線をまたいで、とことこ歩き出しました。

線路に沿った道だったので、迷うこともなく隣の駅にたどり着きました。30分近くかかったと思います。そこは人気のない無人駅。ずいぶんさびれた駅でした。




↑さびれた駅舎。誰もいませんでした。

駅前に大きな家がありました。入口の表札を見るとDvorakと読めます。





敷地内には、CDのジャケットなどで見覚えのあるドヴォルザーク本人の銅像もありましたから、間違いはありません。やっとたどり着いたのです!


中へ入ると、ほかの記念館同様、窓口があり、チケットを買って見学をしました。日本人が一人で来たので驚いていました。係の人は英語が話せました。日本人は、ほとんどが団体客で、プラハから観光バスで来るそうです。列車で来たのですが、隣の駅で降りてしまい歩いて戻ってきたと話したら、驚いた表情で、よく来れたなあと大歓迎してくれました。

館内には、往時の調度品や音楽関係の資料もありましたが、とあるコーナーにはドヴォルザークの時代(1841~1904)の機関車の写真などが展示されていました(ネラホゼヴェスを通る鉄道開業は1850年)。駅前の家で育ったせいで、ドヴォルザークは筋金入りの鉄道ファン。カメラは持っていなかったので、いつも駅に入ってくる機関車の番号をメモして楽しんでいたそうです。親しみが湧きますね。




<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら

ドヴォルザークの生地ネラホゼヴェスへ

2019-06-05 23:39:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス、1999年夏、チェコ

プラハは、1998年夏に続いて2回目。最初の時に市内の主だった場所は訪ね歩いていたので、この年はプラハの郊外へ。まずは、プラハから北へ1時間ほどのところにあるネラホゼヴェスに出かけました。チェコを代表する作曲家ドヴォルザークの生地です。

↑ネラホゼヴェス駅に到着した列車

プラハの発駅は本駅やホレショヴィッツェ駅ではなく、マサリクという小さなターミナル駅でした。





この駅から近郊電車に乗車しました。ただし、直接ネラホゼヴェスへ行くのではなく、手前のKralupy nad Vltavou行き。終点でローカルな客車列車に乗り換えました(最初の写真の列車です)。マサリク駅を発車すると、いつの間にかドイツのドレスデン方面へ向かう幹線を走っていました。近郊電車の終点で、ローカル列車に乗り換えるのは、東京の中央線快速電車で高尾まで行って、そこで甲府方面へ向かう普通列車に乗り換えるのと似た感じです。

そして、2つ目か3つ目の駅がネラホゼヴェスだったので無事到着。


生家は駅前と聞いていたのですが、それらしきものはなし。駅員さんに聞こうにもチェコ語しか分からず、途方に暮れていたら、駅長さんらしき偉い人が、ドイツ語なら話せると言うので、意を決してドイツ語で会話することになりました。
続く

<参考>
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国際列車の珍しい牽引機

2019-06-02 17:50:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス、1999年夏、ドイツからチェコへ

2日間、蒸気機関車ゼロイチを追いかけた後、フランクフルト中央駅からチェコのプラハまで国際列車(EuroCity'Karlstein')の客となりました。ニュルンベルクからチェコ国境までは非電化なので牽引機は101形電気機関車から218形ディーゼル機関車に交代します。ホームに降りて機関車付け替えの様子を見ていたら、重連のうちの1両はTouristik塗装の珍しい機関車でした。






旅行会社が企画する団体専用列車の牽引機が運用の都合か何かで定期列車の先頭に立ったようです。この頃、JRでもジョイフルトレイン全盛期で、ユーロライナーとかスーパーエクスプレスレインボーの専用機が存在し、たまにブルートレインの牽引機となったりしましたから、それと似たようなものでしょう。


日本だったら、ホームは鉄オタで大騒ぎとなるところですが、この時ホームで写真を撮っていたのは私だけでした。

順番が前後しますが、ディーゼル機関車が連結される前、ニュルンベルク中央駅到着後、すぐにホームに降りたときに撮った写真です。101形電気機関車が列車を牽引していました。



そしてプラハ到着時の写真。チェコ国内は電化区間なので、再び電気機関車が牽引していました。


<参考>
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名機ゼロイチ撮影行

2019-06-02 17:16:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス、1999年夏、ドイツ

20世紀末の1990年代後半の夏、ドイツのフランクフルト近郊では週末にSLイベント列車が走っていました。1998年夏は、C58に相当する23形SLでしたが、1999年夏は、真打ともいうべき01(ゼロイチ)形蒸気機関車が走りました。直径2mの大きな赤い動輪が特徴の往年の急行列車牽引機です。


まずは、フランクフルト中央駅の発車シーンです。

ドイツの大都会のターミナル駅を蒸気機関車が発車しても、ファンが殺到することはないのですが、ゼロイチは別格、少なくみても20人はカメラを構えていたと思います。それでも押すな押すなの大混雑という日本とは大違いです。隣の人と肩が触れ合うこともなく、のんびりと撮影できました。

列車はハイデルベルク方面へ30分ほど走ってダルムシュタットへ。ここからオーデンヴァルト(オーデンの森)を走る非電化のローカル線に入ります。線路配置の関係から、機関車は機回しをして列車の最後尾に移り、後ろ向きに発車します。写真は、ダルムシュタットではなくエアバッハ駅での撮影です。


そしてローカル線の終点エーベルバッハEberbach(ハイデルベルクから延びてくる幹線とのジャンクションなので構内は架線が張られています。最初の写真が、Eberbachでの撮影です)に列車が到着すると、しばし休憩後、機関車を先頭に発車、そのままフランクフルトに戻るのではなく、ローカル線の途中にあるErbach(Eberbachと紛らわしい駅名です)で休憩後、バックで再びEberbachに戻ります。つまり、ErbachとEberbachの間は2往復するのです。したがって、シャッターチャンスは増えます。鉄道ファン向けのイベントらしいですね。

それで、ErbachとEberbachの間にあるカイルバッハKailbachという山中の小さな駅でゼロイチの走行写真を撮ることにしました。実は、フランクフルト中央駅で写真を撮っていたら、2つの意味での同業者(都立高校教諭&鉄道ファン)N大先生に遭遇、彼は海外鉄道の権威なので、撮影地まで案内していただいたのです。



単線のローカル線なので、のんびりやってくるだろうとタカをくくっていたら、軽快なドラフト音を響かせて、急行牽引機にふさわしいかなりのスピードで眼前を走り去って行きました。土日と2日間通いましたが、日によって煙の吐き方は異なりました。

もう20年も前の話です。
<参考>
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