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nodatchのブログ

鉄道が好きな旅行作家が、取材や出版などの個人的な話を書いていきます

ヴェネツィアの休日

2020-04-24 12:21:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス 2003年夏、イタリア、その2

ヴェネツィアには2泊して、のんびり街を散策しました。クルマやバス、路面電車はなく、船に乗るか歩くのみ。そのせいか静かな町でした。


さくらこさんのリクエストでオペラの公演があるフェニーチェ劇場へ行ってみましたが、残念ながら再建工事中でした。


ヴェネツィアの中心サンマルコ広場へ。


鐘楼に上って、周囲を俯瞰しました。







沖に浮かぶサン・ジョルジョ・マジョーレ島。ユニークな情景は魅力的でした。


ドゥカーレ宮殿の裏側にある溜息橋。前回は周囲が工事中でしたので、やっとすっきりとした写真を撮ることができました。


歩き疲れたところで、サンマルコ広場の一角にあるカフェ・フローリアンへ。ヴェネツィアにある最古のカフェで創業は1720年。ゲーテやバイロン、カサノヴァも客として訪れたとのことです。さくらこさんとゆったりお茶しました。




かくして、ヴェネツィアの休日は過ぎていきました。

<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら

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ヴェネツィアへの旅

2020-04-22 17:43:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス 2003年夏、その1 ヴェネツィアへ

2003年の夏は、さくらこさんが趣味でやっている歌(オペラ)のイタリア・セミナー参加に付き合って渡欧しました。いつも通りドイツ・ルフトハンザ航空を利用したのですが、フランクフルトではなく、珍しいことに往路はミュンヘン便にしました。

それで、鉄道旅行のスタートはミュンヘン中央駅。ここからヴェネツィア行の国際列車に乗車しました。

ドイツの駅なのに、隣国オーストリアの電気機関車が並んでいました。
乗るのは左側の機関車牽引の列車です。



列車は、EuroCity87 "Tiepolo"(ティエポロ号)。18世紀にヴェネツィアで活躍した画家の名前が列車名でした。機関車はOeBB(オーストリア)所属でしたが、客車は、ほぼfs(イタリア)のもの。
編成中の食堂車もfsのものでしたが、車体のデザインはユニークなものでした。






ユーレイルパス利用でしたので、1等車に乗車。6人一部屋のコンパートメントでした。


ドイツからオーストリアに入り、ブレンナー峠を越えてイタリアに入ります。ポジで撮影したこともあり、車窓の写真は残っていませんでしたが、このルートは2009年にも通っています。そのときは、やっとデジタルカメラ撮影だったので、車窓写真が多数あります。いずれ、ご紹介することもあるでしょうから、その時のお楽しみ。

さて、食堂車の写真は残っていました。




あまり流行っていないようでした。

ミュンヘン中央駅を11時30分に発車、
インスブルック発 13時27分、
ヴェローナ着 17時01分
ヴェネツィア・サンタルチア駅着 18時35分

およそ7時間の長旅でした。ヴェネツィアで降りると、先頭の機関車はfs(イタリア)のものに
代わっていました。

駅前に道路はなく、船着き場。ホテルまでタクシーではなく、船で向かいました。


<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら

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スロバキアの首都ブラチスラヴァ

2020-02-28 16:49:00 | ヨーロッパの鉄道

ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス 2000年夏

ウィーンからの列車をスロヴァキアの首都ブラチスラヴァの中央駅で降りました

中央駅前に路面電車乗り場があったので、ドナウ河畔まで乗っていきました。


以下に、街中で撮影した路面電車の写真を何枚か挙げておきましょう。








ドナウ河畔には、ウィーンからやってきたと思われる観光船が停泊していました。モーツアルト号というようです。


市街地には国立劇場がありました。風格のある建物ですね。映画「のだめカンタービレ」のロケ地だそうです。


市街地を見下ろす小高い丘の上にはブラチスラヴァ城がありました。「テーブルをひっくり返したような」城と言われています。確かにそんな感じですね。

お城からドナウ河を俯瞰することができます。よく見ると、手前の道路を路面電車が走っていました。

坂道を下って旧市街に戻りました。あちこち見て回りましたが、日本料理のレストランがありました。TOKYOという名前なのですね。

ふと見つけたマンホール。何だか愉快ですね。結構有名なものらしいです。


今回は、この辺で。


ブラチスラヴァへの日帰り旅行

2020-02-26 20:48:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真アーカイブス 2000年夏

オーストリアの首都ウィーンに何日か滞在中に日帰りで隣国スロバキアの首都ブラチスラヴァを訪問することにした。列車で1時間ほどの距離なので、簡単に行けるかと思ったのだ。しかし、当時は、スロバキア入国にはビザが必要で、その手続きが大変に面倒だった。それとホテルを予約するのも、今とは違って個人ではできないようだったので、日帰りミニトリップにしたのである。

ウィーン南駅(現・中央駅)からブラチスラヴァ行き国際列車に乗った。オーストリア連邦鉄道(OeBB)の電気機関車が数両の客車を牽引する列車で、発車のかなり前からホームに停まっていた。

編成を見ていくと、最後尾は珍しいスロバキア国鉄(ZSR)の客車だった。しかし、車内は薄汚れていて、機関車の次位に連結されていたオーストリアの客車の方が格段に立派だったので、迷うことなくそちらに座ることにした。

列車は、10時15分発。平坦な田園地帯を快走し、キッツェーKittseeを出ると国境を越えて、11時02分にブラチスラヴァ・ペトルジャイカ駅に到着した。もっとも、この駅は新しいけれど、ブラチスラヴァのはずれにある駅のようで、終点ではない。

11時17分発とホームの案内に書かれていたので、しばらく停車するようだった。やがて、機関車がスロヴァキア国鉄のものに交代した。オバQかドラえもんみたいな愉快な風貌の機関車だ。

そのうち、係員がまわってきてパスポートとビザをチェック。これで晴れてスロバキア入国となった。発車時間を大幅に遅れて発車。ドナウ河を渡って、ブラチスラヴァの市街に入ると思いきや、市の周辺部を反時計回りに半周するようにして20分近くかかってブラチスラヴァ中央駅に到着した。

一国の首都の中心となる駅にしてはこじんまりとしていた。駅舎も小さなものだった。


マルメからベルリンへ

2020-02-20 15:51:00 | ヨーロッパの鉄道
ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス2000年夏

北欧とドイツを結ぶルートとして有名なのは、渡り鳥コース(Vogelfluglinie)と呼ばれるコペンハーゲン~ハンブルク、さらにはストアベルト(大海峡)を渡りオーデンセ、ユトランド半島経由の2つがあります。このほか、第3のルートとしてスウェーデン南端の都市マルメとベルリンを結ぶ直通列車があることは、あまり知られていないようです。現在は、ヨーロッパ鉄道時刻表(旧・トーマスクック時刻表)を見ますと、夜行列車が1日1往復だけ運転されているようですが、2000年夏に旅した時は昼間の列車がありました。オアスン海峡横断ルート開業を取材したあと、このルートでドイツに戻ることにしました。

マルメ中央駅からベルリン(さらにはライプツィヒ行き)はお昼の12時02分発、DB(ドイツ鉄道)のインターレギオ(InterCityよりワンランク下の「急行」)の客車が2両編成でホームに停まっていて、先頭の機関車だけがSJ(スウェーデン鉄道)のものでした。







列車名のクルト・トゥホルスキーは、ドイツのユダヤ系風刺作家で、ナチスを批判したことからドイツを追われスウェーデンで暮らした人だとか。ドイツとスウェーデンを結ぶ国際列車にふさわしいようです。

たった2両編成の列車は、30分ほどで港町トレレボリTrelleborg に到着。

左側の窓をのぞくと、目の前には連絡船が停泊中でした。やがて入替用のディーゼル機関車が現れ、列車の最後尾に連結、SJの電気機関車から切り離された客車2両は転線し、入替機に押されて連絡船の中に入っていきました。乗客は乗ったままです。




船内では客車から降りてもよいので、さっそく甲板からトレレボリの街を撮ってみました。



貨物ヤードは結構広大でした。
さて、出帆。ダイヤでは13時00分となっていました。ほぼ、定時だったと思います。トレレボリの街が遠ざかっていきます。さようなら、スウェーデン!

バルト海横断の船旅は4時間にも及びました。船内では食事をしたり、海を眺めたりと、のんびりした時間が過ぎていきました。

夕方、17時ころにドイツ東部のザスニッツ港に到着。上陸して、入替の後、しばしホームで待機となります。





ザスニッツは、リューゲン島という島にあるのですが、列車はいつの間にか鉄橋でドイツ本土に渡ってシュトラルズント到着。たぶん、ここで客車を増結し、ごくふつうのインターレギオに変身し、ベルリンへ向かいました。ビストロ・カフェの車内で過ごした写真がありました。

ベルリン東駅(Ostbahnhof)到着21時06分。9時間にも及ぶ長旅でしたが、充実した時間を過ごすことができました。