独り散歩の時は駅前から 「秋津チロリン村」 の北側から西側を通って帰る。
今日、村内を見ると矢車草が咲いていたので、ちょっと寄り道して中に入り、何枚も矢車草を撮った。
私はこの花を見るとエジプトのファラオ・ツタンカーメンを想い出す。
このファラオの墓を発見したハワード・カーターは発掘した際、目もくらむような黄金の棺やマスク、数々の財宝とともに、棺近くにそっと置かれていた干からびた矢車草の花束を発見した。
カーターは、著書の中で
『わたしたちは、この花束を、 夫に先立たれた少女の妃が、 「二つの王国」 を代表した若々しい夫にささげた最後の贈り物と考えたいのである』
『いたるところ黄金の色きらめく、帝王の豪華、王者の華麗のなかにあって、まだほのかに色をとどめた、ささやかなあせた花ほど美しいものはなかった』
と、語っている。
少女の妃の名は 「アンケセナーメン」 だが、若くして逝った夫のツタンカーメンを偲んで矢車草を供えたのであろうか?
矢車草とツタンカーメンの話しにはいろいろな説もあるようだが、私が60歳代に 「エジプト古代史」 の虜になったのも、この矢車草の逸話が大きく影響した。
ネットなどで矢車草のことを調べると、和名では 「ヤグルマギク」 と呼ばれており、近年一部で 「ヤグルマソウ」 とも呼ばれた時期もあったが、ユキノシタ科のヤグルマソウと混同しないように現在では 「ヤグルマギク」 と統一されて呼ばれ、最新の図鑑等の出版物も 「ヤグルマギク」 の名称で統一されているそうだが、私は 「矢車草」 の呼名を好んで使っている。
「ヤグルマギク」 はヨーロッパ原産でドイツの国花でもある。
チロリン村には何本もの矢車草が花を咲かせていたが、ふとエジプト古代史に思いを馳せると夫を亡くした少女の后であった 「アンケセナーメン」 の悲しみが伝わってくるような矢車草の花姿だった。
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写真説明: ヤグルマソウ
撮影場所: 秋津チロリン村にて (2020.5.14)
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