パリで13日夜 (日本時間14日未明) に発生した同時テロで市中心部の劇場やレストラン、郊外のスタジアムなどが武装グループの襲撃を受け、多くの人が犠牲になった
他国で起きた事件とは言え、あまりにもショッキングな出来事に私も言葉を失った
同時にまた起こらないか? 日本でもあのようなテロ行為が起こらないのか? などの不安が過った
何故このようなテロ行為が起きるのか? テレビなどでも中東情報に詳しい方々がいろいろな解説をしていたが、ヨーロッパとイスラム諸国の人々の価値観が真っ向から違うことが浮き彫りになったようだが、元を正せばイラク戦争の失敗などが尾を引いているのではないだろうか?
かつてヨーロッパ諸国が先を争ってアフリカの国々を植民化したことを考えると、それなりにヨーロッパ諸国には歴史上の責任があることも確かだ
それにしても一度に百人以上の人が命を奪われるなんて、どう考えても理解できることではない
この事件後、アメリカのある高官はこのテロ行為に対しては 「正義と野蛮の戦いだ」 と談話したが、全くその通りの許し難い悪行に他ならない
フランスのパリと聞くと、私にも懐かしい想い出がある
1977年9月、会社業務でイギリスへ出張した。そろそろ帰国の話も出た頃、、土、日曜日を利用して同僚四人でパリ見物に行くことになった
10月12日、フランスのドゴール空港に到着。そこにはあのコンコルドが駐機していた。その姿を飛行機好きな私は感激しながらいつまでも見ていた
通関手続きに入ったが他の三人はすぐに許可されたが、私の番になったら 「待て」 のサインが出て足止めされてしまった
「何で、俺だけが?」 と、不安だけが募ったがフランス語が判らないので戸惑うばかりだった
だいぶ時が過ぎてから通関できたが、フランス語が話せる同僚が係官に抗議すると何んと 「日本赤軍メンバーに似ていたので情報照合していた」 とのことだった
「えっ?」 と私もびっくりしたが、こんな善良で真面目な日本の男をそんな目で見るなんて許せんと、それ以後申し訳ないがフランスを嫌いになってしまった
それは38年前の話だが、その頃でもセキュリティには力を入れていたのだが、今と違ってまだまだ緩やかな通関検査だった
それにしても私と似ている 「日本赤軍メンバー」 とは一体誰なのか? だいぶ気になったがいつかは自然と忘れてしまったが、今回のパリでのテロ行為でまたそれを想い出してしまった
パリでは凱旋門、エッフェル塔そしてノートルダム寺院とかを見学したが、あまり印象に残っていない。しかし、駐機していたコンコルドのスマートな機体の姿はまだ鮮明に覚えている。あの細身の機体で超音速で飛ぶなんて信じられない美しい姿だった
話を前に戻そう
今回のテロ行為では多くの人が犠牲になった。人間はなぜこのようにいがみ合っているのだろうか? 地続きのヨーロッパと島国の日本とは多くの事情が異なるが、東京でテロ行為が起きる可能性を否定すること無くテロ対策に取り組むべきであろう
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