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松井秀喜の引退を惜しむ。

2013-01-13 21:24:22 | ゴジラ。

松井秀喜を語るとき、執筆人はいつでも高橋由伸との関係性を踏まえて語ってきた。
それほど、松井と由伸のコンビに思い入れがあった。
ジャイアンツという枠組みを度外視しても、このふたりの組み合わせは、当時から長嶋と王を想起させるほどの可能性に満ちていた。
もちろん、執筆人が野球人として愛する清原とのコンビも大看板であったことに違いはない。
しかし、それとは別に、松井と由伸の両雄は、執筆人にって、ジャイアンツファンという立場を越えた心躍る存在だった。
以前書いたことなので割愛するが、2002年のニッポンシリーズ優勝を決めた瞬間に、
センターからマウンドへ走る松井の笑顔なき表情は、今も忘れない。
とても含みに満ちた表情だった。
一ファンとして優勝を喜ぶと同時に、その表情を見ていやな予感がアタマをよぎった。
翌日、松井はメジャー移籍を表明した。


落合、ローズ、清原、江藤、マルチネス、次々とやって来るクリーンナップを、松井はどう感じていたか。
ひとつ年下の由伸が入団し、ジャイアンツの将来を担う同世代の両雄が揃ったにもかかわらず、
この二人が核になりきれない歪(いびつ)な強力打線を、松井はどう感じていただろう。
恩師と仰ぐ、長嶋監督のめざす野球を、松井はどう捉えていただろう。

プロ野球ファン、とくにジャイアンツファンとして、長嶋茂雄を悪く言うことは、明らかに罪なことであると、
とりあえずそう書いておくのだが、当時、うれしそうに、この強力打線のキャッチコピーを、
ドリームチームと称してうれしそうに語っていた長嶋監督を、当時、恨めしい思いで見ていたのは執筆人だけだったろうか。
やはりこれも以前このブログで書いたことだが、当時、仁志がシーズン前のインタビューで「優勝をするのは当然で、
どれだけほかと差をつけて優勝できるかが大事」というコメントをしていたのだが、
それがその時のチーム状況を象徴しているようだった。


どんな画期的なシステムでも、功と罪の二面性を持っているものだ。それはFAも然りだろう。
FA制度を導入したことで選手が自由にチーム間を移動できるようになって面白くなった部分もある。
しかしそれとは逆に、バランスを度外視したチーム作りに一役買う危ういシステムであったことも、
その後の日本のプロ野球界を見れば明らかである。
日本の、輪(チームワーク)を重んじる精神になじまない微妙な制度ともいえる。
それを裏付けるように、FAなどで移籍する選手の多くが、会見で苦悩の表情を浮かべ、涙を流す選手も少なくない。
ビジネスとドライに片付けられる選手はそうはいないだろう。
もちろん悪いことばかりではないから否定はしない。良い移籍だって多く存在するだろう。
FAの問題は長くなり話がどんどん逸れそうなのでここでは終わりにするが、
この制度が移籍する選手だけではなく、受け入れる球団や受け入れる選手たち、
ファンをも巻き込む大きな問題であることに変わりはない。
それは松井秀喜にとっても同じことだ。


松井の引退は、彼の昨年一年の状況を考えれば、充分にありえた事なので覚悟はしていたけれど、やはり寂しい。
もう一度、日本でプレイする松井の姿を見てみたかったし、WBC日本代表として、イチロー、松井のクリーンナップも見たかった。
ただ、これまでの松井の言動や姿勢を考えれば、実現が難しいことは想像がついた。

いつからだろうか、海外に移籍してからか、あるいはその少し前からか、
松井の言動や態度が冷静過ぎるくらい落ち着き払っていて、一体何にそんなに気を遣っているのかと、
ちょっと心配になったことがあった。
当然、若いころに比べれば大人にもなるだろうから、言葉遣いや態度に変化は現れるのはわかる。
しかし松井のそれは少し違って聞こえた。
日本で首位打者を獲り続けてメジャーへ移籍したころのイチローのインタビューで、
そのたび何か難しいことを言おうと返答に力が入っていたように見えたイチローとスタイルにこそ違いはあるものの、
松井もやや肩に力の入った感じがそのころから見え始めていた。
それを批判するわけではないが、ちょっと複雑な思いで見ていた。

松井の若いころ、よくドームのお立ち台などであの甲高い声を張り上げていたころ、
当時、日本テレビのアナウンサーだった福澤朗との掛け合いが面白くて、
彼のちょっとふざけた質問に、松井は絶妙な返しをしていた。
ちょっとエッチでお下劣な質問も負けじと切り返した。
あちこちのインタビューで福澤アナと松井の掛け合いは、ほんの短い、一言二言のやりとりで、
実にバカバカしい内容だったりするのだが、実に面白かった。
その一言二言の短いやりとりに、なんというか、松井の大物感が漂っていた。
あの長嶋茂雄の奇天烈な返しに似た、独特な雰囲気。
イチローとは違う、イチローにない奇天烈さ。
そんなスケールがあった。

もちろん今だって松井は大物であり、とても大きい。
以前が良くて今がどうだではないのだが、もう少しニュートラルな状態で野球がやれる環境に彼があったなら、
もう少し、彼の野球をしている姿が見れていたのではないかと、無理やりだが、少し結び付けてしまう。

まあ、そんな中で育ってきた野球人生だったからこそ、今の大きな松井秀喜があるのだろう。


引退の記者会見で松井はしきりに長嶋監督への感謝の言葉を述べた。
長嶋監督との師弟関係が松井をここまで大きく育てたことに間違いはないだろう。
読売ジャイアンツという重責も彼をより大きくしたに違いない。

この両者との関係はいろいろな意味でこれまでの松井のプロ野球人生に大きな影響を与え、
さらにこのあとも、松井にとって強い影響を及ぼす大きな力であり続けることに変わりはない。

長嶋茂雄、読売ジャイアンツ。
アメリカに渡り、逃れていた(実際、逃れていたかは分からないが)このふたつの呪縛に、松井は再び挑むことになる。





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