青い空が大好きな゛bluesky531゛の徒然日記

日常の出来事を日記風に徒然なるままに書いています。

第二の故郷 気仙沼から~老舗喫茶店「喫茶マンボ」~

2014-05-19 10:33:20 | 日記
◆「喫茶マンボ」


◆「喫茶マンボ」の店内;ステンドグラスとシャンデリア
 

 

 

◆「ラーメンチャーハンセット」・「サンドイッチ」
 

5月17日から1泊2日の予定で、急遽、第二の故郷気仙沼へ行ってきました。

第二の故郷としている所以は、昭和40年代でしたが、社会人としての第一歩を踏み出したのが気仙沼で8年間生活していました。
青春時代を過ごした気仙沼の生活が今の私を築き上げてくれたかと思うと感無量の面持ちで第二の故郷として胸に刻んでいました。

予期していなかった気仙沼の訪問は、当時、下宿をしていてお世話になったおばさんが101歳の天寿を全うしてお亡くなりになったというご案内をいただいたことによるものでした。
おばさんのところへ下宿するきっかけも偶然で、会社の寮が満室で空きがなく、会社から紹介されてお世話になりましたが、その後、会社から寮に空きが出て入寮するようにと言われてもお断りし、転勤するまでおばさんにお世話になりました。転勤した後も年賀状やお歳暮などは欠かさず小さな心付けはさせていただいていました。
下宿先は気仙沼市内の高台にあり、気仙沼湾を行き交う漁船や観光船を眺めながら、漁船が船出する際に流れる軍艦マーチや都はるみの「涙の連絡船」を聞いて過ごした気仙沼生活でした。

前置きが長くなりましたが、今日は、4月30日に新装開店した老舗喫茶店「喫茶マンボ」をご紹介したいと思います。
今回、「喫茶マンボ」へ行くきっかけも妙なことからでした。

5月上旬のことでした。
ダンス仲間の友人が、河北新報の「よみがえる昭和の薫り 気仙沼・老舗喫茶店復活」(5月1日)の切り抜きを持ってきて見せてくれました。

『東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市南町の老舗喫茶店「喫茶マンボ」が30日、新築した店舗で営業を再開した。復活を心待ちにしていた常連客らで初日からにぎわった。 震災後、近くの仮設商店街「南町紫市場」の仮店舗で営業していたが、現地に再建した。特注した旧店舗と同じネオン看板が目を引き、店内のシャンデリアやステンドグラス、椅子席の配置なども再現した。』

「娘が、この喫茶店のステンドグラスを作ったんですよ。」と写真付きの記事を見せてくれました。
娘さんとは、去年の秋にステンドグラスの個展のご案内をいただきお会いしたことのある方でした。

新聞記事を読んで懐かしさでいっぱいでした
気仙沼を離れて数十年、今まで、「喫茶マンボ」を思い出すことさえありませんでした。
当時の大きな喫茶店と言えば唯一「喫茶マンボ」で、会社の仲間と訪れてはコーヒー一杯で何時間も居座り、青春を語り、議論をしたりした思い出の尽きない場所でした。飲んだ後の酔い覚ましの場所としても利用していた喫茶店でした。バーや食堂、パチンコ店など軒を連ねた南町の「マンボ通り」という名称がついた飲食店街を懐かしく思い出しました。

昭和のムードがたっぷりと言う新装開店した「喫茶マンボ」は、シャンデリアやステンドグラスが鮮やかで、少しリッチでどこか懐かしさを感じさせられる雰囲気に満ちていました。今では、照明も鮮やかですが、昭和40年代頃の「喫茶マンボ」は、薄暗く、外から店に入ると店内の雰囲気に慣れるのも時間の問題と思われるほどのような気がしました。

「喫茶マンボ」と言うことで、昔のイメージとしては、サンドイッチやスパゲッティなどの軽食喫茶店のイメージを持っていましたが、提供してくれるメニューも普通の食堂と変わらず、ラーメン、チャーハンありの何でも喫茶店になっていました。
話によると、「喫茶マンボ」のラーメンは美味しいと評判を呼んでいるそうでした。
それも知らずに、私は、「ラーメンチャーハンセット」を、妻は、「サンドイッチ」を注文し食べてきました。
昔のイメージしかない私にとって、「喫茶マンボでラーメン!?」という違和感を持ちながら食べてきましたが、評判通りの美味しいラーメンをご馳走になってきました。