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我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

上泉伊勢守信綱

2022-07-31 18:36:13 | 俳句、短歌、及び文芸

2021/12/24

池波正太郎の小説「剣の天地」を読んだ、

主人公は武田信玄や上杉謙信などが

活動した戦国時代の西暦1500年代に

剣聖としてその名を全国に知らしめた

上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみ)

後年 剣の奥義を極めるため全国行脚の旅にる、

出る前はなんとわが家からもほど近い

前橋市上泉から大胡町一帯を領地として

治めていた殿様だったのである、

池波正太郎は

伊勢守が殿様として活動していた時代の

地名を物語の中に詳細に書き込んでいる、

この地に住むものとしては殊更に興味深い、

実際にこの書を読む切っ掛けを

私に与えてくれたのは

この書の中で登場する国峰(くにみね)という

城のあった地域の名を旧姓に持つ

知り合いである、

著者は城の有った今は山林となっている

地形まで調査して落城の際の

脱出劇を克明に書き記している、

新潮文庫上下二巻の上巻では

今は土塁や石垣のみが残る城址となった

国峰城(甘楽郡甘楽町)

平井城(藤岡市)

箕輪城(高崎市箕郷町)

大胡城(前橋市大胡町)

厩橋城(前橋市)

の位置関係が克明に描かれている、


物語のクライマックスは

何と言っても

伊勢守が盟約を結ぶ箕輪城の長野氏を

武田信玄が攻略する、

落城寸前まで追い込まれてた時

伊勢守は討ち死に覚悟で兵数十名を従えて

城外に討って出る、

最早勝ち目のない戦いとはいえ

こうなれば死を選ぶのが武士の矜持、

圧倒する敵兵に囲まれて孤軍奮闘する

伊勢守を陣屋から武田信玄が目撃する、

それが誰であるのか

その剣の腕前まで重々承知の信玄が

“これ以上の戦は無益じゃ、

 最早一兵たりとも敵とは見なさない、

 伊勢守殿は

 おのが兵法を天下に広められては

 いかがじゃ”

と使者を通じて進言する、

信玄の度量の広さや人柄に感服した伊勢守は

進言を受け入れて兵を引き連れて

本拠とする大胡城に帰る、 


下巻では

伊勢守が領主の地位を息子に譲って

剣の道に邁進するため旅に出る、

時の将軍足利義輝とも相まみえ

天皇の御前で展覧試合をも披露する、

私が驚いたのは

あの剣豪の名をほしいままにする

柳生一族の惣領柳生宗厳をして

“剣の師匠”と言わしめる、

剣の道では古今東西を通じて

柳生一族が第一だと思っていた、

伊勢守はその上を行く存在だとは

夢にも思っていなかった、

今日の剣道は

上泉伊勢守信綱の起こした

新陰流の影響が最も大きいと言う、

ひとえに新陰流が戦うだけの剣ではなく

人としてより良く生きるための道を

最も強く指し示しているからであろう、


普段はどちらかと言うと小説など

あまり読まない小生であるが

地域繋がりに加えて剣豪や

時代を席巻した歴史上の人物の

知られていない

活躍ぶりを資料に基づいて

興味深く書いているので

飽きることなく一気に読み終えた。
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         四万川の甌穴(おうけつ) 
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又しても快挙!

2022-07-31 07:39:59 | 俳句、短歌、及び文芸

2022/3/30

続けざまにノビさんから

嬉しい知らせが届いた、

松山市と市立子規記念博物館主催の 

「はがき歌」全国大会に入選したと言う

知らせだ、

以下に知らせを紹介する。


ーーー昨年の11月辺りが締切日だったか。。。

郵便局の窓口で、

NHK学園へ投句するための切手を

購入していたら局員の方から

松山市立子規記念博物館開館40周年、

子規没後120週年記念の

「はがき歌」全国コンテストに応募しませんか

と声をかけられた

お題は“感謝”

何気なく申し込みの葉書を頂き、

思い付いた言葉を並べて投稿した、

言の葉 5、7、5、7、7 は

高碕市でご活躍の

弁慶師匠の得意とする短歌だ、

その口調をまねて

常々気になっていた気持ちを

言葉にして吐いてみた

小生の部屋の隅に置かれた

古ぼけた家具に感謝の気持ちを込めて


“転勤の 度に傷付く 家具の角

  これが最後と ガムテープ貼る”


先日。。入賞おめでとうございます、

コロナで表彰式は中止します、

後日賞状と作品集をお届けいたします

と松山市から連絡を頂いた、

小生の歌が。。応募総数10728点の中から

5人の審査員により選ばれた

入賞139作品の一つに含まれた、

ラッキーでした

作品集の後書きには

「はがき歌」は、

子規がハガキなどを使って

日常生活のちょっとした用件を

親しみとユーモアをこめて

友人に短歌形式で書き送ったことに始まります、

31文字の短歌のリズムに乗って

私たちに人の優しさや

細やかな表情を豊かに語りかけてくれます、

明治時代に始まった郵便の歴史と共に

現代まで続く「はがき歌」を

大切にしていきたいと思います。。

と結ばれていた、

子規記念博物館様有難うございます。ーーー
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        松山市にある子規堂
 

嬉しい知らせ

2022-07-31 07:35:03 | 俳句、短歌、及び文芸

2022/3/29

旧友ノビさんから嬉しい知らせが届いた、

NHK学園主催の川柳大会で特選を得たとのこと

以下に知らせの内容を引用した。


ーーーNHK学園ふじみ川柳大会に投句した、

頭の体操です。。

課題は“ゆるい” “国”

その他 雑詠、

それぞれ2句。。合計6句での挑戦です、

過去数回挑戦しましたが、

佳作で2度程大会誌の隅に掲載されただけでした、

ところが今回は大会事務局から

特選者確認書が郵送されてきました、

1 自作に間違いないか

2 他所に作品を投句してないか

3 句の成り立ちを知らせろ。。

驚きました、

初めての経験です

例年は国立市で表彰式が有るようですが、

コロナの関係上

今回は句集だけ送ることになっているとの事、

今日を待ってました。。

届きました、

残念ながら期待していた、

大会大賞や国立市長賞、NHK賞、

全日本川柳協会賞ではありませんでした、

6人の選者が課題別に選んだ中での特選でした、

小生は。。課題、“国”では2句投句しました、

“団塊の世代に老いは未知の国”が

選者、毛利由美先生に抜かれた。。

と作品集に載っていた

自分では

“国訛り聴けて電話が軽くなる”。。

が好きなんだが、、、、、


これもひとえに

弁慶師匠にご指導を頂いたお蔭です、

有難うございます、

ついでに他の投句も紹介すると

課題、“ゆるい”

“パンの耳私が食べる役回り”

“笑いつつ涙が頬を濡らす母”

雑詠

“立ち読みの雑誌で学ぶ老いの道”

“引っ越しの数が親父の武勇伝”

明日辺り子規の記念大会(愛媛県松山市)に投句した

結果が届くと思いますが楽しみです、ーーー



私の返信


ーーーおはようございます、

ただ今朝の5時半です、

毎朝高齢者特有の早起きです、

こんなうれしいニュースを

目にするなんて幸せです、

おめでとう! ノビさん、

いや~ すごいねえ、

句がどれも目を見張るようです、

どの句も情景が目に浮かんできます、

しかもどれにも無駄な言葉がない、

句の中で言葉がお互いに響きあっている、

“あるがまま”

下手な小細工がないのがいい、

色んな場で揉まれているのが

成長に繋がっているのだと思います、

私のお陰だなんて!

嬉しいけど門外漢の

私の助言が役に立ったのかどうかは

眉唾ものです、

これはもう貴殿の努力の賜物

以外の何物でもない、

改めて

新しい川柳作家の登場を祝します、

おめでとう!

暖かくなったらみんなに呼びかけて

お祝いしたいと思っています。

“引っ越しの 数が親父の 武勇伝”

私はこれが頂きです。ーーー

今再び「武蔵野」を読む

2022-07-31 06:35:34 | 俳句、短歌、及び文芸

2022/2/8

ここで言う「武蔵野」は

明治の文豪国木田独歩の代表作で

小説と言うより

随筆に類する著作である、

飽きっぽくて長編の苦手な私には

独歩の作品は短編が多いので親しみ易く

好きな作家のひとりである、

「武蔵野」はこれまでにも何回かは読んでいる、

今回読む切っ掛けになったのは

鉄道旅のテレビ番組、

番組で日豊線の大分から佐伯までが

放映されると言う連絡を大分に住む

友人のT君から受けた、

番組の最後に取り上げられた佐伯市は

T君の若い頃の勤務地であった、

私にとって佐伯と言えば

国木田独歩が頭に浮かぶ、

独歩はこの地に教師として赴任し

幾つかの作品を世に出した、

「源叔父」、「春の鳥」など、

そこで改めて国木田独歩を

読んでみたくなったという訳だ、

やはり「武蔵野」と言う作品はいい、

旅情を誘う、

行く先の分からない武蔵野の道は

もはや空想の世界であり

そこで目にする風景に

子供の頃に遊んだ雑木林が重なり

畑で農作業をする父や母の姿が重なる、

私にとって武蔵野は憧れの地でもある、

その思いは今も昔も変わらない、

車を利用した東京以西の行き帰りは

可能な限り武蔵野の面影残る道を選んだ、

五日市街道然り、

青梅街道然りである、

また 

武蔵野範疇で道に迷うのは

楽しみのひとつ、

見たことのない風景に出会うからだ、

不安はない、

不安は冒険心に変わる、

車の好きな私は

50年このかた折に触れて

関東地方の道は走っている、

1時間も走れば

大方知ってる国道に行き当たる、

武蔵野は本来歩くのがいい、

玉川上水道沿いの遊歩道、

深大寺付近の散歩道、

そこには腰掛に緋毛氈(ひもうせん)を

敷いた名物の蕎麦屋が客を待つ、

いつか新座市の平林寺や

三芳町の多福寺付近を

歩きたいと思っている。


タイトルに「武蔵野」を読むと

書いてはみたが感想文にはならなかった、

お許し願いたい。
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          深大寺の境内
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         深大寺門前の蕎麦屋
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句友 船橋閑人殿

2022-07-31 06:13:51 | 俳句、短歌、及び文芸

2022/4/29

句友なんて言葉は世間に通じるのだろうか?

第一俺は俳句を作っているわけではない、

だが彼とはここ2,3年

メールで俳句談義を交わしている、

彼との俳句談議に大きな充実感を味わうのは

何故だろう?

彼の俳句が特別いいという訳でもないし

彼の知識が特別深いという訳でもない、

失礼な言い方かもしれないが

私にとっては心地よい交流相手なのだ、

俳句に限らず諸事万端に渡って

適度に教わり適度に指摘する関係にあるからだろう、

その彼から先日メールが来た。


ーーー我が町会のお付き合いで、

オミクロンの自粛もあり、

我が家で月一ぐらいに茶話会をやる

おじさんとおばさんがいます。

おばさんは75才ながら

秋田商業のOB、OGの句会の幹事を

30年に亘って務めている強者です。

小生の俳句の先生ではないけれど

折に触れて俳句に接すると

とても敵わないと

感じさせられるおばさんです。

今日 茶話会を持ち

“しまなみ海道の旅”他色々な話をしました。

話の中で貴殿の俳句と

当方の対応について紹介しました。

貴句 

“許しあい 百五十五歳の 花見かな”

を紹介しました。

驚く勿れ

彼女は即座に連れ添った夫婦のことと理解し

素晴らしい句と感心していました。

小生はおじさん4人連れの旅に結びつけ、

句意を理解しなかった旨を話すと

今一人のおじさんは小生の感度に理解を示しましたが、

おばさんからは

今少し感覚に柔軟性を持たせなさいと言われました。

言われなくてもあの旅行中の昼飯時にみんなの

前で恥じ入ってしまいましたが、

おばさんが直ぐに良い句であることを

断言したことに驚いて

貴殿に報告する気になりました。

最後にこのおばさんの手元にある

最新の句を紹介して終わりにします。


 “宙に舞ひ 水に帯する 散り桜”


 ではまたねー。    船橋閑人ーーー



船橋閑人殿

断わりなくブログにしたことを

お許し願いたい。                
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        市川市真間川沿いの桜