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我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

松柏100句選より(番外編 3)

2022-10-05 05:27:45 | 俳句、短歌、及び文芸

遅蒔きながら「松柏100句選」も

ようやく最終章にたどり着いた、

番外編も含めて10編の感想文となった、

長いような短いような、、、、、

気を抜かず最後まで進めよう。

 

中見出しは 「南九州の旅にて」

(125) 桜島 噴煙ありや 春霞

(126) 遠望す 桜島霞み 春暮れる

晩春の霧島温泉の宿から眺めた

桜島の風景だと書いてある、

私は行った事がないので霧島温泉から

桜島が見えるとは知らなかった、

作品は俳句の表現として工夫が欲しい、

そこで

❝桜島 煙溶け込む はるがすみ❞

全部を漢字にすると見た目に味気ないので

下句をひらがな標記にしてみた、

(129) 飫肥城下 武家屋敷通り 静かなり

恥ずかしながら 飫肥 を読めなかった、

そこで作者の詞書きにあった小村寿太郎の出身藩と言う

フレーズで音声検索して おび と知った、

ついでに地図で場所を調べたところ

日南海岸の山手に位置することも分かった、

この作品もありのまま過ぎる、

その静かさが目に見えるように表現してほしい、

❝飫肥城下 土塀はみ出す 棕櫚の花❞

南国を表現するに棕櫚を持ってきたが

季節は5,6月に咲くとある、

(131) 始めての 四半的にて 心射貫く

またまた始めて目にする漢字 ❝四半的❞

調べて分かった ❝しはんまと❞と読む、

飫肥藩発祥で弓道を元にして考案された武道、

的までの距離:4間半(8.2m)

矢の長さ  :4尺半(1.36m)

的の直径  :4寸半(13.6㎝)

畳に正座して矢を射るとある、

作品はどことなく散文的なので

❝初体験 心射貫きたり 四半的❞

でどうだろうか?

季語はどこ?

それはこの際問わないでほしい、

初体験で心(しん)を射貫くと言う

ビッグな体験をしたんだから、、、、、

 

中見出し「鵜飼いを楽しむ」

(133) たちまちに 鮎獲りたる鵜は どや顔に

鵜 と どや顔 はマッチしない気がする、

そこで

❝アユ吐きて 鵜は自慢げに 鵜匠見る❞

(134) 篝火に 鵜匠の烏帽子 光りおり

映像で見る鵜飼いの風景は幻想的である、

その古式ゆかしい幻想的な風景を演出しているのが

他ならぬ篝火である気がする、

ここはもう作者の意図を汲んでそのままに

と思ったが 光りおり ではちょっと平凡、

第六感(?)ですらすらと紡いだ言葉を

更に五感を駆使して言葉を選ぶのが文芸の本髄、

この作業に至っていない、

下句の部分にもっと具体的な言葉を探してみては如何、

それがこの句の決め手になると思う、

❝篝火に 鵜匠の烏帽子 赤光り❞

(135) この鵜たち 囚われしは 鵜の岬

これを句にするには少々無理がある、

連句でない限り句はそれぞれが独立した作品と

考えるべきであろう、

そうなると この鵜たち では説明がつかない、

詞書によると全国12か所で行われている

鵜飼いの鵜はすべて茨城県の 鵜の岬 で

捕獲されたものだと言う、

これだけの説明が この鵜たち には必要なのだから

句の題材としては不向きと言わざるを得ない、

 

中見出し「川柳風の戯れ」

(137) 冷房の 効きで選びし 激辛麺

川柳としておもしろ味があっていいと思うが

もう少し強めに表現すると

❝激辛麺 決め手はクーラー 効かせすぎ❞

(138) コンビニの ドア開くを待つ 夏の虫

確かにそう

面白い所を捉えている、

夏の夜のコンビニの灯りは人間だけでなく虫たちをも集める、

まるでドアーが開くのを待ってるかのように飛び回る、

❝コンビニは 魅力に満ちた 誘蛾灯❞

(144) 蜜はよせ 渡り鳥集まる 三番瀬

❝渡り鳥  密集避けよ 三番瀬❞

閉めの句はここ3年世界を恐怖のどん底に

落としたコロナ題材の川柳になった、

暗い題材は川柳で笑い飛ばして

忘れるに越したことはないが

会心の作とならなかったは心残り。

 

これにて最終回とします、

毎回楽しくもあり苦しくもある時間を

提供してくれたタカさんには

深く感謝しています。


松柏100句選より(番外編 2)

2022-09-18 05:44:41 | 俳句、短歌、及び文芸

(109) 延々と 山を這う影 月の長城

(110) 黒々と 聳える長城 月明り

この2句の中見出しが「万里の長城で月見」とある、

なんとも羨ましい限り、

万里の長城で月見とは!

こんな事中国人以外で誰が経験し得よう、

仕事で中国に長期滞在したことのある

作者ならではの貴重な体験であろう、

だが作品は残念ながら俳句らしくない、

❝延々と❞とか❝黒々と❞など全く不要、

万里の長城 や 月明かり などから想像はつくからだ、

このように広がりのある言葉は読者の想像に任せるに限る、

そこで 長城 と 月見 に焦点を絞って

❝長城に 月見せしこと 孫に言う❞

この場合❝孫に言う❞は事実とは異なる、

事実と違うことを句で表現することに抵抗を感じる

御仁は少なからずいる、

私はそれを否定するものではないが

少なくとも表現するからには俳句に限らず

表現したいことを無駄なく効率的に表現することに

意を注ぐのが最良だと思っている、

(112) 天守から 春の瀬戸見ゆ 今治城

(114) 満開の 丘から眺める 尾道の街

2022年4月作者を含め同級生4人でしまなみ海道を

レンタカーでドライブした、

2句ともにその時の記録だ、

作者ならずともどちらも記憶に留めたい眺めであった、

❝しまなみの 大橋見ゆる 今治城❞

❝花吹雪 尾道の街を 隠しけり❞

(115) 爛漫の 花を添えたり 耕三寺

(119) 魚獲らぬ しきたり今も 神の島

どこもかしこも花盛りであった、

耕三寺は国内の有名な神社仏閣の建物を模倣した

建造物が多数あることで知られている、

桜、はな桃の花などが色を添えて見事であった、

神の島 とは大山祗神社(おおやまずみ)を祭る

大三島のことである、

この島では今なお島の住民は魚を食べるけど

自分たちの手では取らないしきたりがあると言う、

❝禁漁の しきたり守る 神の島❞

(120) 難所なり 来島海峡の 潮速し

(122) 松山は 街並みクールな 城下町

来島海峡は潮の流れの速いことで知られた海の難所だとか、

❝来島の 潮流うずが 湧き上がる❞

ここの渦は不思議なことに湧きあがる、

大潮の時など1メートル近く高くなるらしい、

我われが見た時も確かに泉に湧きだすように

盛り上がっていた、

松山の句 街並みクール は理解しずらい、

たぶん 

歓楽街のような喧騒的な街ではないの意味に解釈した、

❝松山城 街の真中に 君臨す❞

松山城が街を見下ろして乱れないよう

しっかり統治しているのだ。

 

今日はここまで、

独りよがりの感想になっているのではないかと

疑心暗鬼になっているが気の向いた時にでも

感想の感想などを頂けると幸いである。

 


松柏100句選より(番外編 1)

2022-09-10 06:58:24 | 俳句、短歌、及び文芸

(103) マタタビの 裏白光る 奥多摩路

リズムがいいのでいじるのに抵抗を感じる、

作者はマタタビの葉が白いのは裏側だと思い込んでいるようなので

実際のところを調べてみた、

主婦の友社発行の「山野草カラー百科」マタタビ欄

❝花の咲く時期に葉の先が半分だけ白く変色する性質が有り、

遠方からでもよく目立つ、

花が終わるといつの間にか白変は消える、❞

だがこれも又実際とは異なる、

この記事と合わせて掲載された写真を見ても分かるが

半分だけ変色するのは極わずかな葉っぱだけで

大半は葉っぱ全体が白い、

一枝の中で白変した葉っぱに混じって

少数の緑の葉っぱが混在しているので

様々な誤解を生んでいるようだ、

さて 句に戻ろう、

確かにマタタビの白い葉っぱは目立つ、

いやでも目に付く、

❝マタタビの 白葉目につく 奥多摩路❞

くらいでどうだろうか?

 

(104) 群れて飛ぶ 蛍に遠い夏 懐かしむ

この時の旅には私も同行した、

上越新幹線上毛高原駅の裏手に

ホタルの里と名付けられたホタル田があった、

保護育成されたものであろうが見事な群舞であった、

中の句の字余りがリズムを崩して読みにくくしている、

❝群舞する 蛍ふるさと 連れてくる❞

 

(107) 対岸の 夜汽車の灯り 雪原照らす

(108) 狐火の 伝えの山に 夜汽車の灯

私にも記憶に残る旅であった、

会津に近い麒麟山温泉は阿賀野川に沿う

鄙びた温泉宿であった、

川沿いに建つ宿の露天風呂からは

遥か対岸を走る夜汽車の灯りが

まるでおとぎ話の世界に居合わせたような

錯角で私を誘(いざな)った、

部屋では酒盛りの始まった同級生一同が

私のいないことに気付いて露天風呂まで

様子を見に来てくれた、

作者から上の2句に追加で新作がメールで

送られてきた、

(108´) 雪原を  流れる灯り  夜汽車行く

暗闇の原野を夜汽車が灯りの糸を引いて走る様を

露天風呂に浸かりながら見ていられる場所なんて

そうそうあるものではない、

いつかまたあの光景を目にしたいと思っている。

 

(写真はユウスゲの花)


松柏100句選より(7)

2022-09-02 14:55:31 | 俳句、短歌、及び文芸

(97) 歌枕 なりし柳を 訪ねけり

歌枕に歌われた柳と言えば

そう あれである、

あれ、あれ、、、、、

実はこの柳のことを私は知らなかった、

作者と知人のK氏が訪れたと聞いて初めて知った、

だがこの場所を記事にしようとしてその名を思い出せない、

そこでK氏にメールで問い合わせた、

白河の関近くにある❝遊行柳(ゆぎょうやなぎ)❞

だと言うことを再認識した、

平安の昔には西行も訪れて歌を詠んでいる、

❝道のべに清水流るる柳かげ
 
  しばしとてこそ
 
    立ちどまりつれ❞ 「新古今和歌集」

近年では芭蕉が訪ねて名句を残している、

❝田一枚 植えて立ち去る 柳かな❞

昔の道しるべである一里塚に植えられた古木の柳のことだ、

さて肝心の句を見てみよう、

ここを訪れたと言うだけで物足りなさを感じる、

何を感じたのか?

その感想こそが句なんだと私は思う、

K氏からの返信に彼の句が添えられてあった、

❝訪ね来し 遊行柳や 下涼し❞

❝青田背に 遊行柳の 句箱かな❞

感想は控えよう、

不躾を承知で添えられた句を参考にさせてもらい

こんな句を作ってみた、

❝日盛りの 遊行柳の 木陰かな❞

ところがこれでは季語がない、

そこで

❝夏至の日の 遊行柳の 木陰かな❞

❝早苗田の 遊行柳に 句箱あり❞

 

Kさん

断わりなく公表してゴメン、

私にはこれ以上ない参考句が作れたと思って

引用させてもらった。

 

(98) 暑き日に 簗場で獲りし 鮎食らう

2週間で150句ほど作った句となれば

現実をそのまま5,7,5の言葉に置き換えた句になるのは

致し方ない事なのかもしれない、

いわば句の素材となる言葉を揃えただけと言う感じだ、

前の句もそうだが

さあ 言葉を揃えた、

( 暑き日に は余分だが)

それでは次に自分の思いをいかに句の中に

歌い込むかそれが句づくりである、

この句の場合

作者は今では簗場で獲ったアユなど食べる機会は滅多にない、

その貴重な経験を句にしたかったのが読み取れる、

❝那珂川の 簗場のアユに 舌鼓❞

作者が避暑の帰りに走ったと言う那珂川沿いの道、

あまり知られていない固有名詞に地方色と

簗場と言う抒情性を加味してみたが如何であろう?

 

(100) 機窓から 見下ろす雲海 綿の波 

飛行機に乗ればこんな光景は珍しくはない、

だから句にならないかと言うとそうでもない、

作者の視点次第である、

❝綿の海 飛び跳ねてみたき 窓の外❞

やはり平凡すぎて変わり映えがしない、

しかも季語が見当たらない、

私の場合季語がすっ飛んでしまうことが多い、

短歌作りの癖なのかもしれない、

取りあえずは無季俳句として理解願いたい。


松柏100句選より(6)

2022-08-27 22:40:45 | 俳句、短歌、及び文芸

(79) 朝霧や 雪の棚田の 星峠

旅の記録としては

リズムが良くていい句なんだろうけど

いまいち名詞ばかりで幾ら噛んでも味がでてこない、

いっそのこと語順を逆にして

「星峠 雪の棚田に 霧が這う」

或いは地域を広げて

「越の国 雪の棚田に 霧が這う」

何となく旅に来てであった風景っぽくない?

 

(82) 安曇野の せせらぎの岸 猫柳

余りにもそのままではないだろうか?

「安曇野の ゆるき流れに 猫柳」

ゆるやかな流れに浸かって猫柳が芽吹いている、

動詞を入れたことで句が柔らかくなると思うけどいかが?

 

(86) 彫もの 背にも花散る 別所の湯

注釈を読むと「彫もの」は「彫りもの」と解釈して

久しぶりのヒット作です、

「背にも花散る」がいいね、

実際にその背に散っているわけではないのだろうけど

温泉で出会った若者の背中の刺青と

桜の季節がオーバーラップして

いい句です、

 

(90) 海峡を 眺めて食す 河豚旨し

河豚と言えば下関の地名が自然に出てくるので

海峡は海峡でいいだろう、

「河豚旨し」が当たり前すぎて面白くない、

「海峡の 眺めも河豚を うまくする」

でどうだろうか?

 

(93) 沖合の 岩場にちらちら 夜釣りの灯

夜釣りと決めてしまえば読み手の想像する余地が

なくなって面白みがないのでは?

名案が浮かばないが

「旅の宿 夜釣りの灯りが 気にかかる」

あたりでどうだろうか?

 

(95) 国東の 仏の里の 仁王石

国東と言えば仏の里の代名詞みたいな地名です、

その意味では国東の文字は

読み手のイメージを膨らませるには便利だけど

半面句が一般的になりやすい、

個性のある句にならないと言う欠点もある、

そこで国東は寺の数は多いけれど廃寺となった寺も多いと聞く

「国東の 廃寺を守る 石仁王」

作者の見た現実とは異なるけれど

ちょっと目線を広げて見る事で

隠れた一面が見えてくることもあると言う事です、

 

今回はここまでで失礼。

(画像は箱根の湿性花園にて)