西京極 紫の館

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戦国武将の御宅拝見37 - 小笠原忠真 / 明石城 -

2015年04月12日 18時22分59秒 | お城探訪
姫路城見学の帰り道、明石駅で下車。
JRのプラットフォームから見える明石城へ向かった。

冒頭の写真はお城へ入った広場にある武者鎧の日時計。
さすが世界標準時に指定されている明石だけあります。

この明石城には天守閣はないが、立派な2つの櫓がそびえ立つ。

明石城は徳川幕府が西国大名(仮想敵はたぶん毛利家)への押さえとして
1618年(元和4年)に築かれた城である。
お隣の姫路城と連携して京への守備を、と考えていたのだろう。
城主は松本から転封された譜代大名・小笠原忠真。
明石城案内図
この明石城は各地で破却された城の建築物を寄せ集めて建てたもの。
天守はなく、代わりに東北、東南、西北、西南の4方向に櫓を配した構造。
その中心に城主の屋敷・本丸がある。
今、残っているのは4つあった櫓のうち2つだけだ。

まずは城の東南角に位置する巽櫓から。
巽櫓へ向かう石垣
巽櫓
巽櫓は伏見城から移築されたと言われている。
重要文化財である。

次に西南角の坤櫓。「坤櫓」と書いて「ひつじさる・やぐら」と読む。
坤櫓
明石川河口西岸にあった船上城から移築したものらしい。もちろんこちらも重要文化財。
櫓下に設けられた石段を上がると左手に運動公園につながる緑地がある。
緑地側から見た坤櫓
グランドでは野球の大会が開かれている様でアナウンスが聞こえる。
お城の裏手にも公園は拡がっていて結構大きな池がある。


本丸跡は二の丸、三の丸跡と共に公園として市民の憩いの場となっている。
この日も大勢の親子連れやお花見客で賑わっていた。
本丸跡の広場
本丸広場には他にも歴史的な史跡があった。
柿本人麻呂の塚(人丸塚)がそれだ。
人丸塚

他にも明治14年に湊川小学校を建てる際の建材として解体された
北東の艮櫓(うしとら・やぐら)跡があった。
艮櫓跡
残る北西の櫓、乾門も明治34年に解体されて今はもう存在しない。

城跡というより市民公園として賑わう明石城址。
それはそれでお城にとっては喜ばしい残り方なのかもしれません。

本丸広場側から間近で2つの櫓をあらためて観つつレポートを終えたいと思います。
坤櫓
巽櫓


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