西京極 紫の館

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戦国武将のお宅訪問 53 - 明智光秀 / 丹波亀山城 -

2020年01月26日 18時40分52秒 | お城探訪
先週、京都サンガF.C.の新スタジアムが亀岡駅北口に完成、その見学に行ったついでに丹波亀山城址も見学してきました。

亀山城は天正5 年(1577)、明智光秀が丹波攻略の拠点とするために築いた城。保津川とその流域の湿地帯を北の天然の堀とした丘陵(荒塚山)に築かれたが、そのわずか5 年後に光秀が主君・織田信長を討つ「本能寺の変」が起こった。その後、光秀が天王山の戦いに敗れ討ち死に。その後は秀吉の甥である羽柴秀勝に譲られ、小早川秀秋や前田玄以らの手を経て、徳川政権下の岡部長盛が治め、形原松平氏の時に維新を迎えた。維新を迎えた時には藤堂高虎が築いた五層天守があったようだが、御多分に漏れず廃城令が発布された時に完全に破却された。あ~もったいない。

なぜ「亀岡」なのに「亀山城」なの?と思っていたが、徳川期に伊勢の亀山城と区別する為にこちらを「亀岡城」と呼ばせたらしい。叛臣・光秀の城だからお前の方が名前変えろって事だろうが、考えてみれば酷い話。現在は呼称を「亀山城」に戻されてるけど、地名自体は「亀岡」のままなんだね。

そのJR亀岡駅南口を出て、バスターミナルをそのまま南進すると東西に長い池がある南郷公園に行き着く。その入口には亀山城の鯱のレプリカと明智光秀の銅像がお出迎えしてくれる。
 南郷公園入口に立つ明智光秀像
大河ドラマ『麒麟がくる』で光秀を演じる長谷川博己とはかな~りイメージの違う大人しい印象の光秀像である。こっちの方が実像に近いんだろうな。

その南郷池。水鳥があちこちで羽を休めていたり、近所の人が釣り糸をたらしていたりと、長閑な雰囲気。この池がひょっとしたら亀山城の内堀なのかもしれません。
 南郷池
南郷池に沿って東方向へ迂回し、橋を渡ると城址の入口らしき門があります。門柱には「おほもと」と書かれた表札が掛けられている。実はこの亀山城址、宗教法人「大本」の本山施設になっている。
 城の大手門?“大本”入口
「大本」は明治末期に作られた神道系宗教で、その教主輔である出口王仁三郎氏が城址を買い取って破却され荒れ放題だった石垣をたった一人で組み直し、整備したという。なので光秀時代の遺構どころか、江戸期の遺構もほぼ残っていないと考えていいだろう。それにしてもこの広大な土地を独りで整備したなんて、それだけでも凄い。

社務所っぽいところで“お祓い”を受けると天守址の見学もさせてもらえるらしいけど、そこまでしたくなかったので見学しても良い所だけを見て回る事にした。


 「大本」の万祥殿
「大本」の万祥殿。周囲は綺麗に掃き清められていて足を踏み入れるのが躊躇われる。お参りの説明を読むと「三礼三拍二礼」で、一般的な神社の「二礼二拍一礼」より一回づつ多い。

 万祥殿の石垣
万祥殿に行く時に渡る橋の下をくぐると立派な石垣が組まれている。
この石垣も出口王仁三郎氏が一つ一つ積み上げていったのだと思うと、感動する。当時の軍部からかなりの弾圧を受けたという話なので、尚更すごい。
 城址の案内板

敷地内には立派な梅林もあって、ホーム開幕戦の3/1には綺麗な梅の花が咲いている事でしょう。
 木立ちの向こうに見えるのが天守址か?
搦手門にあたる裏門につながる道を往く途中で木立ちの彼方に石垣が見えます。どうやらアレが天守址っぽい。もちろん天守なんてなくて、「大本」の施設が築かれているようです。

という事で丹波亀山城の城址をスルっと通り抜けてきました。もしサンガスタジアムへ試合観戦に来られて、時間に余裕がある時は覗いてみてはどうでしょう?まぁ、遺構と言えるものはほとんどないので雰囲気だけですが…僕もいつかお祓い受けて天守址観に行くかもしれませんw
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戦国武将のお宅訪問 52 - 尚巴志 / 首里城 -

2019年11月19日 21時45分43秒 | お城探訪
先月末10/31から翌11/1にかけて首里城で大規模な火災が発生。平成になって再建された正殿・北殿・南殿が焼失してしまった。サンガのアウェイ遠征で予定していた沖縄入りを一週間後に控えた時である。原因は漏電っぽいが、正式な調査はまだ継続中。火災現場である正殿エリアは未だ立ち入り禁止で見学不可だが、周辺施設だけでも観ようと足を運んだ。

先に見学した中城城跡からタクシーで20分ほど移動。沖縄都市モノレール(通称・ゆいレール)の浦添前田駅に到着。今年の春に延伸されたという真新しい駅からモノレールに乗って3つ先の首里駅へ。このモノレール、切符にQRコードが印字されていて、これで改札を通るのです。切符を入れる口がなくって自動検札機の前でちょっとオタオタしてしまいました(苦笑)
QRコードの切符
 ゆいレール
首里駅に着くと当然の如く首里城公園への案内があり、それに従って5分ほど歩くと鳥堀という場所に設けられた入口に着きます。

門が半ば閉められていましたが、進入禁止にはなっていなかったので「行けるかな?」と思い入ってみました。長い緩やかな上り坂を登り切った所で警備員さんが立っていて「この先へは行けません。県道沿いのコースに迂回して下さい」と言われた。

ここは素直に来た道を引き返し、県道29号線沿いの道を進む。

県道沿いの道を歩いていると龍潭(りゅうたん)と呼ばれるお濠というか大きな池があり、その向こう岸に首里城が見える。

その壮麗な石垣の上には火災で焼けて骨組みだけになった正殿が…。ああ無残。

龍潭を回り込むようにしてようやく首里城公園の入口に到着。

こちらが正式な入口で沖縄返還や海洋博のシンボルとして有名な守礼門があります。守礼門をくぐる前にその手前の総合案内所へ立ち寄り、設置されていた募金箱に千円を入れてきました。少額ではありますが、一日も早い復旧の足しにしてもらえれば。
 首里城公園案内板

 守礼門
守礼門は沖縄独特の瓦で葺かれ、柱は中国文化の流れを汲む琉球王朝らしい朱塗り。この門はアメリカ占領下の1958年に復元されたもの。門の上に書かれた「守禮之邦」は「琉球は礼節を重んじる国である」という意味だそう。なるほど。

守礼門をくぐってすぐ右手にある石の門。

これが世界遺産に指定されている園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門。古びてはいますが、琉球の歴史を感じさせてくれる首里城では数少ない現存建造物です。

その先へ進むと巨大な城壁と巨大な櫓を備えたアーチ門があります。

首里城の大手門にあたる歓會門(かんかいもん)です。
本来ならこの門から正殿エリアにいくのですが、当然閉じられています(涙)

歓會門の左手を行くと、沖縄のグスク特有のエッジの効いた石垣の彼方に正殿が見えます。
さらに進むと久慶門。
久慶門
ここも立ち入り禁止区域になっていて近づく事も出来ず。解ってはいたけれど、アッチも入っちゃダメ、コッチも入っちゃダメで悲しくなってしまいました。

仕方なく城の周辺文化財を見学。

まず琉球を統一した王・尚巴志が沖縄臨済宗の本山として建てた円覚寺跡。裏手に回ると寺のお庭の跡も観られました。
 円覚寺の庭

円覚寺の向かいにあるのが石の橋の架かった弁財天堂。

ここは有名な撮影スポットらしく観光客が大勢写真撮ってました。

京都へ帰ってからハンドブックを読み返して世界遺産でかつ国宝にもしていされていた玉陵を観忘れたのが悔やまれます。でも明治まで続いた琉球王朝文化の一端に触れる事は出来た気はしました。何度も言いますが、焼失した首里城が一日でも早く元の形に戻りますよう、心より願っております。
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戦国武将の御宅拝見51 - 護佐丸盛春 / 中城城 -

2019年11月17日 23時09分16秒 | お城探訪
サンガのアウェイ遠征琉球戦の翌日、沖縄のお城(グスク)跡を見学に行きました。

沖縄へは以前仕事で訪れたことはありますが観光する時間的余裕はなかったので、お城を見学するのは初めて。宿泊していたホテルからタクシーで20分ほどで付設の駐車場へ到着。この中城(なかぐすく)城は屋宜(やぎ)港から2kmほど離れた標高160mの丘陵にある。タクシーがこの丘陵を登って行く途中で運転手さんが「あそこに見えるのが中城城ですよ」と示したところに巨大な石垣が見えました。「こりゃすごい!」というのが僕の正直な感想。本土のお城とはスケールというか迫力が違う。
城というより“要塞”

タクシーを降りると、入場料400円を支払い無料の専用カート(上記写真)に乗って城の正門前まで送ってもらう。標高160mというと大した高さではなさそうに思われるかもしれませんが、実際登ってみると四方を展望出来て山の頂上に来たって感じます。
正門前
カートを降り、徒歩で岩がゴロゴロしている道を進むと、右手に順路を示す看板があります。鍛冶屋跡(カンジャーガマ)です。
 カンジャーガマの前の広場
 広場から太平洋を望む
カンジャーガマは中城城を築いた按司・護佐丸盛春(ごさまる もりはる)が武具を製造する釜があった場所と言われています。デカい竈の様な石組みが残されています。
カンジャーガマ

カンジャーガマから左に行くと階段があり、そこが正門。
中城城正門
左右に聳える石の壁の先へ来訪者を誘います。その先のエリアが西の廓(くるわ)。
西の廓

中城城は14世紀後半頃に築かれたといわれていますから、本土の城より200年ほど古いという事になります。それなのに、こんなにしっかりと石垣が遺っているなんて本当に凄い。感動です。
 南の廓にあった雨乞いの御嶽(うたき)

南の廓からアーチ型の石門をくぐり、正殿(本土の城の本丸にあたる場所)のある一の廓へ。
 一の廓に続く石の門
現在一の廓の石垣は分解され組み直しの作業中で、石のひとつひとつにナンバリングされ整然と並べられていました。世界遺産の改修作業って大変ですね。
 改修作業中の一の廓
 一の廓から見た絶景
 一の廓 正殿跡
当然、建物としての正殿は残っていません。沖縄の城跡はすべて太平洋戦争の際、空襲で焼失しています。それでもこれだけ立派な石垣が遺っているという奇跡。もう二度と戦争はゴメンだ。この城跡を見て、心からそう思いました。

またアーチ型の石門をくぐると、次のエリアは二の廓です。
 二の廓へ続く石門
 二の廓
二の廓も広い草原になっていてその一画には戦没者を慰霊する石碑が立っていました。南無…

二の廓から順路に沿って左に行くと北の廓。そこにはウフガーと呼ばれる井戸があります。

写真左:北の廓                              写真右:大井戸(ウフガー)
ウフガーに続く石段を下りていくとそこにはまだ水が溜まっていました。どことなく神秘的な雰囲気もあり、怖くて写真を撮れませんでした。何か霊的なモノが写ってたりしたら怖いじゃないですか!(^^;)ソレくらい神聖な感じがしたってコトです。ハイ。

その北の廓を抜けると広大な芝生の広場が広がるエリアに出ます。ここが中城城の最後のビューポイントである裏門です。冒頭の写真もここから見た三の廓の石垣です。その壮大さ、勇壮さと、緩やかで優美なカーブを描く沖縄の城(グスク)独特の石垣は圧巻。
 裏門側から見た三の廓の新城(ミーグスク)
 同じく三の廓の新城
この三の廓の新城(ミーグスク)は最も進んだ石積み技法である“あいかた積み(亀甲乱れ積み)”で築かれているのだそう。このカーブ…表現力がすごい。すご過ぎる!

中城城の城主・護佐丸盛春は琉球王国の忠臣で、その中心であった首里城を守る為にこの城を築いたと言われています。つまり中城城と首里城は一心同体、セットのようなものなのです。なのでこの後は当然首里城を見学します。(首里城の見学レポートはまた明日以降に!)

中城城跡を堪能した後、歩いて数分の所にある国指定重要文化財の中村家住宅も見学してきました。

ここは約280年前の沖縄住居建築の特色をすべて備えた建物で、沖縄本島でこれだけ当時のまま残っているのは極めて珍しく、貴重なのだそう。
 中村家住宅 母屋
見学するには中城城跡より高い500円が必要ですが、見学し終わった後、冷たいお茶と黒糖ゼリーのサービスがありました。美味しゅうございました。最後の締め写真は中村家住宅母屋の屋根に鎮座していた守り神シーサーです♪
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戦国武将の御宅拝見50 - 脇坂安治 / 大洲城 -

2019年06月24日 23時44分00秒 | お城探訪
サンガのアウェイ遠征で3年ぶりに愛媛にやって来ました。
愛媛には良いお城がいくつもあるけど、今回が記念すべきお城探訪50回目。
まだ行った事のなかった大洲城を見学しに50kmほど寄り道しました。

松山自動車道大洲ICから下道で10分程度。
カーナビのおかげで迷う事無くお城へ到着。
大洲市民会館前の駐車場(一時間程度停めて320円)に車を停めて、
そこから徒歩でお城へ向かいます。
 駐車場にあった案内板
お城へ向かう途中には県指定文化財の下台所がありました。結構デカイ食糧庫。
 下台所
下台所の横から緩やかな坂道になって野面積みの石垣へ。

登り切るとちょっと広くて見晴らしの良い広場に出ます。
そこには初代藩主(おそらく加藤貞泰)に仕えた儒学者・中江藤樹の銅像があります。
 中江藤樹の像
その銅像の近くには最近立て直されたらしき番所があり、
そこからつづら折れの道を登ると天守…ですが
素直に上がらず、まずは天守裏まで一回りしてみます。

天守の北側から東側にかけては、肱川(ひじがわ)という
かなり川幅のある一級河川がながれていて、これが天然の堀の形になっています。
その川辺には1833年に再建された重要文化財・苧綿櫓(おわたやぐら)があります。
 肱川の辺にある苧綿櫓
この苧綿櫓、こじんまりした櫓ですが、いっちょ前に石落しを備えています。
肱川を渡河して攻め寄せてきた敵を防ぐ役割があったようです。
 苧綿櫓の石落し

で、城周りを一周してふたたび天守への登り口へ。
 井戸丸
天守横の井戸丸、直径約3.8mと国内でも最大級の大きさらしいです。

そしていよいよ大洲城天守へ。


大洲城天守は平成14年から木造復元が始まり、2年後の平成16年に完成したもの。
構造は台所櫓と高欄櫓というふたつの重要文化財と繋がっている複合連結式層塔型。
天守には台所櫓から入る事になる。入城料は臥龍山荘との共通観覧券で800円ナリ。


台所櫓の階段は閉鎖されていて一般人は見学出来ません。残念。

そのまま新しい天守の中へ入ってみます。こちらはさすがに新しい。

内部には大洲城の歴史がパネルで展示説明されていたり、

築城当時の様子をジオラマで再現していたり、

藩主加藤家の蛇の目紋をあしらった甲冑が飾ってあったり、

(偶然なのかどうかわからないけど)蛇の目っぽい目をした鯱があったり。
そして松本零士の描いた銀河鉄道999のイラストも飾ってあった!

松本零士ってたしか九州生まれだったのに…とこの時は不思議だったが、
あとから調べてみたらご両親がここ大洲のご出身だそうだ。
松本先生自身も大洲に疎開していたそうなのでやはり縁があったのね。
 天守の心柱
 天守最上階から見た肱川

大洲城は松山と宇和島という伊予国の東西をつなぐ要衝にあり、
元弘元年(1331)宇都宮豊房が築城したのが始まり。
その後、秀吉の四国平定後、伊予一国を与えられた小早川隆景の枝城となり、
戸田勝隆が城主になったり、水城大好き藤堂高虎が城主となったりしたが、
慶長14年(1609)賤ヶ岳七本槍の一人・脇坂安治が淡路洲本から転封されると、
大規模な改修を行い、ほぼ現状の近代城郭の形にしたと言われています。
大洲城の天守は洲本城から移築したとの説もありますので、
この立派な天守がもしかしたら昔は洲本にあったのかも…とか考えてしまいます。
その脇坂家が信州飯田に移ると元和13年(1617)加藤貞泰が米子より入封。
その後は13代泰秋まで続き、明治維新を迎えました。
明治の廃城令で天守は破却されましたが、平成になって見事な木造天守が再建された訳です。
(大洲市ってこんな立派な木造天守を再建するなんてお金持ちなんやな~)

天守を一通り見学し終わって今度は高欄櫓へ。
 天守内部から見た高欄櫓
高欄櫓は二階建てで、こちらは台所櫓と違って二階に登れます。
 高欄櫓二階内部

天守の見学を終えたので今度は歴代藩主が肱川の景観を愛でつつ遊んだ別荘、
臥龍山荘(がりゅうさんそう/県指定文化財)を見学に。
大洲城の職員さんの話では歩くと結構時間がかかるので車を移動した方が良いと言われ、
車で10分ほど移動。
道の駅「あさもや」さんの駐車場に車を停めて、古い町並みを散策しつつ徒歩移動。
 おはなはん通り
このあたりはNHK朝ドラ「おはなはん」やフジのドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地だったそう。
道の端に流れる水路には錦鯉が泳いでいてすごく風情があり、
カワイイ女の子と歩きたいところですが、この日の連れはむさくるしい男子…(涙)

数分歩くとこれまた風雅な建物が。

これが臥龍山荘です。


とにかく素晴らしいの一言。

この山荘にあった狸の石像。その手にはお賽銭らしきものが…

ならば我もと縁起かつぎで5円をお供えして「どうかサンガに勝利を!」と願掛け。
その結果は見事2-0でサンガが完勝!このお狸様、ご利益あったわ~!!

お城と山荘の見学を終えて、おはなはん通りにあったお食事処で遅めの昼食。

あんまり優雅に半日を過ごしたせいでサンガの応援に来たのを忘れてしまいそうでしたww
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戦国武将の御宅拝見49 - 織田信長/ 清洲城 -

2019年04月23日 22時21分50秒 | お城探訪
娘が「藤の花の写真が撮りたい!」と言い出し、
嫁サンが「天王川公園で“藤まつり”ってやってるから、ココに行こう」となり、
「GWに連れて行け!」と言われたけど、
「GWなんて人多いし、高速は大渋滞やし、平日会社休んで行こう」と僕が言い、
「公園が津島市やったら、帰りに清洲城に行きたい」とさらに言って…同意を得る。

で、本日家族&犬と一緒に藤&城ツアーです。

まずは天王川公園ですが、京都から新名神経由で一時間半。
3月中旬に新たに開通した新名神亀山~四日市エリア、通ってみたけど、早かったのかな?
とにかく弥富ICで下りて下道で10kmほど。
公園はそこそこ大きな池の周りが公園になっていて、さらにその一部が藤棚になってます。
まだGW前だったのもあって、藤の開花は五分咲きくらい。
それでも早咲きの種類の藤もあって、香しい芳香を漂わしておりました。











藤にも紫色の濃いヤツから薄いヤツ、ピンク色のヤツやら白っぽいヤツやら色々あるんですね。

ウチのワンコの目にはどう映ってるんでしょうかねえ?

藤の花を堪能し、今度は僕のメインである清洲城です。
天王川公園から清洲城までは約15km、下道30分程度で着きます。

お城の裏手の無料駐車場に車を停めて、まずはお城の正面に回り込んでみます。

この清洲城、今、模擬天守が建っている場所は本当の清洲城の天守の場所ではありません。
本当の天守は橋を渡った逆側にある清洲古城跡公園の中にあったようです。
古城跡公園の中央を分断する形でJR東海道線&東海道新幹線が通っています。
(京都から新幹線に乗ると名古屋駅通過直前に清洲城が見えますよね)
まずJR線の北側部分には「清洲古城跡」と記された石碑と祠があります。





ここにも小さいけど藤棚がありました。最初からココでも良かったんじゃ…ダメか?

他にも清洲城の前を流れる五条川の川辺に清洲城の石垣の跡が残されていました。
野面積みですね。

次にJR高架下を潜って南側へ。
ここには有名な桶狭間の合戦に向かう織田信長公の銅像があります。

そして信長の正室・濃姫の像も。

出陣前の夫の勝利を願いつつ見送る妻…というイメージの位置関係です。

さて、いよいよ朱塗りの大手橋を渡って天主へ。
ここ清洲城の天守は信長公記にある“天主”と表記するのが正しいらしい。

大手門を潜る。

すぐ天主。手前には砂で創られた美しいお庭。(当然ここは進入禁止!)



清洲城は桶狭間の合戦で勝利した織田信長が那古野城から移り、本拠にしたお城。
その後、信長が本能寺の変で死ぬと、この清洲で織田家の跡目を決める会議が行われ、
羽柴秀吉が信長の孫・三法師を擁立し、実権を握った事でも有名ですね。
その後も福島正則が城主になったり、
関ヶ原合戦後には松平忠吉、徳川義直と徳川家康の一族のものとなったりしました。

現在の天主は当然模擬天守で、平成元年に建てられたもの。
平成最後の年に平成元年に建ったお城に来るって…なかなか感慨深い。

外観は五層四階で、最上階には朱塗りの回廊があり、凝ったデザインです。
天主の中を見学するには大人300円。当然入ります。

天主は鉄筋コンクリート造りですが、内装は木調で統一され綺麗です。



戦国武士の生活の様子や、石落しから石を投げ落とす足軽の人形があります。

秀吉の兜や、家康の頭巾兜など(恐らくレプリカ)も飾られてました。

最上階には桶狭間の合戦に出陣する前に「♪人間五十年~♪」と幸若舞を舞う信長像が。

最上階から四方を望む。



西側(正面大手門側)と北側。



南側と東側(名古屋市内方面)。
この方向に名古屋城が見えるそうですが、今日は霞がかかっていて見えませんでした。

天主の見学を終えて、裏手に回り駐車場へ。
僕はこれから桶狭間へ向かう…のではなく京都へ帰りますw
以上、恐らく平成最後のお城レポートでした!
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