西京極 紫の館

サッカー観戦、映画や音楽鑑賞、読書などなど、
日々のなんやらかんやらを書いてみようかな、と♪

戦国武将の御宅拝見50 - 脇坂安治 / 大洲城 -

2019年06月24日 23時44分00秒 | お城探訪
サンガのアウェイ遠征で3年ぶりに愛媛にやって来ました。
愛媛には良いお城がいくつもあるけど、今回が記念すべきお城探訪50回目。
まだ行った事のなかった大洲城を見学しに50kmほど寄り道しました。

松山自動車道大洲ICから下道で10分程度。
カーナビのおかげで迷う事無くお城へ到着。
大洲市民会館前の駐車場(一時間程度停めて320円)に車を停めて、
そこから徒歩でお城へ向かいます。
 駐車場にあった案内板
お城へ向かう途中には県指定文化財の下台所がありました。結構デカイ食糧庫。
 下台所
下台所の横から緩やかな坂道になって野面積みの石垣へ。

登り切るとちょっと広くて見晴らしの良い広場に出ます。
そこには初代藩主(おそらく加藤貞泰)に仕えた儒学者・中江藤樹の銅像があります。
 中江藤樹の像
その銅像の近くには最近立て直されたらしき番所があり、
そこからつづら折れの道を登ると天守…ですが
素直に上がらず、まずは天守裏まで一回りしてみます。

天守の北側から東側にかけては、肱川(ひじがわ)という
かなり川幅のある一級河川がながれていて、これが天然の堀の形になっています。
その川辺には1833年に再建された重要文化財・苧綿櫓(おわたやぐら)があります。
 肱川の辺にある苧綿櫓
この苧綿櫓、こじんまりした櫓ですが、いっちょ前に石落しを備えています。
肱川を渡河して攻め寄せてきた敵を防ぐ役割があったようです。
 苧綿櫓の石落し

で、城周りを一周してふたたび天守への登り口へ。
 井戸丸
天守横の井戸丸、直径約3.8mと国内でも最大級の大きさらしいです。

そしていよいよ大洲城天守へ。


大洲城天守は平成14年から木造復元が始まり、2年後の平成16年に完成したもの。
構造は台所櫓と高欄櫓というふたつの重要文化財と繋がっている複合連結式層塔型。
天守には台所櫓から入る事になる。入城料は臥龍山荘との共通観覧券で800円ナリ。


台所櫓の階段は閉鎖されていて一般人は見学出来ません。残念。

そのまま新しい天守の中へ入ってみます。こちらはさすがに新しい。

内部には大洲城の歴史がパネルで展示説明されていたり、

築城当時の様子をジオラマで再現していたり、

藩主加藤家の蛇の目紋をあしらった甲冑が飾ってあったり、

(偶然なのかどうかわからないけど)蛇の目っぽい目をした鯱があったり。
そして松本零士の描いた銀河鉄道999のイラストも飾ってあった!

松本零士ってたしか九州生まれだったのに…とこの時は不思議だったが、
あとから調べてみたらご両親がここ大洲のご出身だそうだ。
松本先生自身も大洲に疎開していたそうなのでやはり縁があったのね。
 天守の心柱
 天守最上階から見た肱川

大洲城は松山と宇和島という伊予国の東西をつなぐ要衝にあり、
元弘元年(1331)宇都宮豊房が築城したのが始まり。
その後、秀吉の四国平定後、伊予一国を与えられた小早川隆景の枝城となり、
戸田勝隆が城主になったり、水城大好き藤堂高虎が城主となったりしたが、
慶長14年(1609)賤ヶ岳七本槍の一人・脇坂安治が淡路洲本から転封されると、
大規模な改修を行い、ほぼ現状の近代城郭の形にしたと言われています。
大洲城の天守は洲本城から移築したとの説もありますので、
この立派な天守がもしかしたら昔は洲本にあったのかも…とか考えてしまいます。
その脇坂家が信州飯田に移ると元和13年(1617)加藤貞泰が米子より入封。
その後は13代泰秋まで続き、明治維新を迎えました。
明治の廃城令で天守は破却されましたが、平成になって見事な木造天守が再建された訳です。
(大洲市ってこんな立派な木造天守を再建するなんてお金持ちなんやな~)

天守を一通り見学し終わって今度は高欄櫓へ。
 天守内部から見た高欄櫓
高欄櫓は二階建てで、こちらは台所櫓と違って二階に登れます。
 高欄櫓二階内部

天守の見学を終えたので今度は歴代藩主が肱川の景観を愛でつつ遊んだ別荘、
臥龍山荘(がりゅうさんそう/県指定文化財)を見学に。
大洲城の職員さんの話では歩くと結構時間がかかるので車を移動した方が良いと言われ、
車で10分ほど移動。
道の駅「あさもや」さんの駐車場に車を停めて、古い町並みを散策しつつ徒歩移動。
 おはなはん通り
このあたりはNHK朝ドラ「おはなはん」やフジのドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地だったそう。
道の端に流れる水路には錦鯉が泳いでいてすごく風情があり、
カワイイ女の子と歩きたいところですが、この日の連れはむさくるしい男子…(涙)

数分歩くとこれまた風雅な建物が。

これが臥龍山荘です。


とにかく素晴らしいの一言。

この山荘にあった狸の石像。その手にはお賽銭らしきものが…

ならば我もと縁起かつぎで5円をお供えして「どうかサンガに勝利を!」と願掛け。
その結果は見事2-0でサンガが完勝!このお狸様、ご利益あったわ~!!

お城と山荘の見学を終えて、おはなはん通りにあったお食事処で遅めの昼食。

あんまり優雅に半日を過ごしたせいでサンガの応援に来たのを忘れてしまいそうでしたww
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戦国武将の御宅拝見49 - 織田信長/ 清洲城 -

2019年04月23日 22時21分50秒 | お城探訪
娘が「藤の花の写真が撮りたい!」と言い出し、
嫁サンが「天王川公園で“藤まつり”ってやってるから、ココに行こう」となり、
「GWに連れて行け!」と言われたけど、
「GWなんて人多いし、高速は大渋滞やし、平日会社休んで行こう」と僕が言い、
「公園が津島市やったら、帰りに清洲城に行きたい」とさらに言って…同意を得る。

で、本日家族&犬と一緒に藤&城ツアーです。

まずは天王川公園ですが、京都から新名神経由で一時間半。
3月中旬に新たに開通した新名神亀山~四日市エリア、通ってみたけど、早かったのかな?
とにかく弥富ICで下りて下道で10kmほど。
公園はそこそこ大きな池の周りが公園になっていて、さらにその一部が藤棚になってます。
まだGW前だったのもあって、藤の開花は五分咲きくらい。
それでも早咲きの種類の藤もあって、香しい芳香を漂わしておりました。











藤にも紫色の濃いヤツから薄いヤツ、ピンク色のヤツやら白っぽいヤツやら色々あるんですね。

ウチのワンコの目にはどう映ってるんでしょうかねえ?

藤の花を堪能し、今度は僕のメインである清洲城です。
天王川公園から清洲城までは約15km、下道30分程度で着きます。

お城の裏手の無料駐車場に車を停めて、まずはお城の正面に回り込んでみます。

この清洲城、今、模擬天守が建っている場所は本当の清洲城の天守の場所ではありません。
本当の天守は橋を渡った逆側にある清洲古城跡公園の中にあったようです。
古城跡公園の中央を分断する形でJR東海道線&東海道新幹線が通っています。
(京都から新幹線に乗ると名古屋駅通過直前に清洲城が見えますよね)
まずJR線の北側部分には「清洲古城跡」と記された石碑と祠があります。





ここにも小さいけど藤棚がありました。最初からココでも良かったんじゃ…ダメか?

他にも清洲城の前を流れる五条川の川辺に清洲城の石垣の跡が残されていました。
野面積みですね。

次にJR高架下を潜って南側へ。
ここには有名な桶狭間の合戦に向かう織田信長公の銅像があります。

そして信長の正室・濃姫の像も。

出陣前の夫の勝利を願いつつ見送る妻…というイメージの位置関係です。

さて、いよいよ朱塗りの大手橋を渡って天主へ。
ここ清洲城の天守は信長公記にある“天主”と表記するのが正しいらしい。

大手門を潜る。

すぐ天主。手前には砂で創られた美しいお庭。(当然ここは進入禁止!)



清洲城は桶狭間の合戦で勝利した織田信長が那古野城から移り、本拠にしたお城。
その後、信長が本能寺の変で死ぬと、この清洲で織田家の跡目を決める会議が行われ、
羽柴秀吉が信長の孫・三法師を擁立し、実権を握った事でも有名ですね。
その後も福島正則が城主になったり、
関ヶ原合戦後には松平忠吉、徳川義直と徳川家康の一族のものとなったりしました。

現在の天主は当然模擬天守で、平成元年に建てられたもの。
平成最後の年に平成元年に建ったお城に来るって…なかなか感慨深い。

外観は五層四階で、最上階には朱塗りの回廊があり、凝ったデザインです。
天主の中を見学するには大人300円。当然入ります。

天主は鉄筋コンクリート造りですが、内装は木調で統一され綺麗です。



戦国武士の生活の様子や、石落しから石を投げ落とす足軽の人形があります。

秀吉の兜や、家康の頭巾兜など(恐らくレプリカ)も飾られてました。

最上階には桶狭間の合戦に出陣する前に「♪人間五十年~♪」と幸若舞を舞う信長像が。

最上階から四方を望む。



西側(正面大手門側)と北側。



南側と東側(名古屋市内方面)。
この方向に名古屋城が見えるそうですが、今日は霞がかかっていて見えませんでした。

天主の見学を終えて、裏手に回り駐車場へ。
僕はこれから桶狭間へ向かう…のではなく京都へ帰りますw
以上、恐らく平成最後のお城レポートでした!
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戦国武将の御宅拝見48 - 本多正純 / 宇都宮城 -

2018年05月05日 14時52分26秒 | お城探訪
今回やって来たのは栃木県宇都宮市にある宇都宮城です。

冒頭の写真のように、この宇都宮城は石垣ではなく掻き揚げた土塁で出来ているお城です。
古くは平安時代末期  ですから源平合戦の頃に出来たお城で、
藤原宗円が築城したのが最初と言われています。

その後、鎌倉から室町期にかけて宇都宮氏が城主としてこの地方を代々治めていましたが、
宇都宮国綱が豊臣秀吉に所領を奪われ、家が断絶。
その後は浅野長政が城代となったり、蒲生秀行が入ったりしましたが、
最も有名なのは徳川幕府の治める世となった元和五(1619)年に城主となった本多正純でしょう。

本多正純。
徳川家康の策謀ほぼすべてを担った本多正信を父に持ち、
自身も家康の懐刀として卓越した智謀で徳川政権を支えた能吏です。
まぁ、今でいうところの財務官僚のトップですね。
豊臣政権時代の石田三成のような存在だったと言えます。
正純は家康の下で有力な大名を次々と国替えさせたり、取り潰したりして力を削ぎ、
相対的に徳川政権を盤石なものにする事に成功し、この宇都宮入国の時には15万5千石にまで出世します。

この出世が同僚からの嫉妬を生んだのか、
将軍・家光が日光東照宮参拝に向かう途中この宇都宮城に宿泊した際、
仕掛けた釣り天井を落として暗殺しようと企んだとの噂を流され、
三年後の元和八(1622)年に改易されました。
後の世に言う宇都宮釣り天井事件です。

ともあれ、宇都宮城は正純の時代に最大の規模に整備されました。

ですが、その後幕末の戊辰戦争で宇都宮が戦場となり、街も城もほとんどが焼けてしまい、
今残っているのは西側の土塁の一部と平成になってから復元された清明台と富士見櫓のみです。


宇都宮城址公園前の駐車場(ゲートはあるけど、無料)に車を停めて、
まずは外周を歩いてみました。

 外周から見た清明台と土塁

 外周から見た富士見櫓

外周を巡って清明台と富士見櫓の中間に設けられたゲートから土塁の内部へ。

土塁の内部はちょっとした資料館となっていて、入館はこちらも無料。
城址から掘り出された土器や漆器、瓦や江戸期の宇都宮城のジオラマ模型などが展示されていました。

ここからエレベータで土塁の上へ移動。
出て右手に清明台、左手が富士見櫓があります。

まずは清明台へ。


 清明台
清明台は天守を持たない宇都宮城の天守代わりとされたらしいですが、
まぁ徳川幕府政権下、そのお膝元宇都宮で戦など起こるはずもなく、
天守など必要なかったのでしょう。
 清明台内部
内部はまだ真新しくヒノキの良い香りがしていました。
この日は閉められていましたが、日曜日は二階にも上がれるらしいです。

次に反対側の富士見櫓へ。


 富士見櫓
“富士見櫓”というのは文字通り、霊峰富士を見る為の櫓で、
江戸城をはじめ、いろんなお城に同じ名前があります。
でも…宇都宮から見えるのかな富士山?

 富士見櫓内部
こちらもほぼ構造は清明台と同じ。
どちらにも釣り天井は仕掛けてなさそうww

土塁で囲われたお城は他にも残っているのかもしれませんが、
僕が知っている限りではここ宇都宮城だけ。
関東七名城のひとつであるこのお城を訪問出来て良かった。

教訓。
頭が良過ぎたり、偉くなり過ぎると、
他人から妬まれて、足を引っ張られる。
何でもほどほどにしておくのが一番。うん、うん。



お城見学後、徒歩にてJR宇都宮駅まで行って宇都宮餃子を食す。
元祖宇味家(と書いてウマイヤと読むらしい)さん。
プレーンな焼き餃子と独特な食感のフライ餃子、どちらも美味しかった~!

でもさぁ、“宇味”じゃ“ウ・マイ”とは読まないでしょ?
“宇昧”なら読めるけど…
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戦国武将の御宅拝見47 - 真田昌幸 / 上田城 -

2017年11月23日 18時00分45秒 | お城探訪
去る11/19のサンガ応援の長野遠征の際、50Kmほど寄り道して上田城を見学してきました。
上信越自動車道の上田菅平ICから約10分で到着。
駐車場へ車を停めていざお城へ。

上田城の外濠(かな?)を美しく彩る紅葉並木をくぐって大手門へ向かう。

大手門といっても門はなく、石垣のみが遺っています。

大手門の右手には鐘楼があり、門跡をくぐると左手にやや新し気な上田大河ドラマ館があります。
いかにも昨年のNHK大河ドラマ『真田丸』人気にあやかろうというミエミエのテーマパークで
ここでVR体験ができますよ~と呼び込みの兄ちゃんが叫んでますが、ここはお城と別料金。
完全スルーしてwお城へ向かいます。


はい、見えてきました。上田城の目玉建造物、本丸東虎口の櫓門です。

上田城と言えば、真田昌幸の城  というイメージが強烈ですが、
現在残っている櫓や門はいずれも真田昌幸&信繁親子が九度山配流されてから
上田に転封された仙石忠政が造ったものです。真田時代の遺構は石垣のみ。
それなのに真田、真田、真田といたるところで徹底した真田押し。
仙石サンやその後藩主になった松平サンが不憫です。


櫓門の石垣には“真田石”と呼ばれる巨石があります。
この巨石、昌幸と信繁が九度山に送られた後、
徳川方に味方して真田家を継いだ信幸(のち信之に改名)が転封された松代(信濃海津)に
持って行こうとしたがビクともしなかったという伝説が残っています。


これは櫓門の内側を仰ぎ見たところ。
この櫓門は平成6年に復元されたもので、使われている建材も新しい。

櫓門を通ると正面が本丸跡ですが、そこには真田親子を祀った神社があります。
 眞田神社
ここで「今日の試合、サンガを勝たせてください!!」と祈願したところ、見事にサンガ勝利!
さすが天下のひねくれ者・真田昌幸がご神体だけあります。
(実際は歴代領主である仙石氏や松平氏も祀られてます)
地元の松本山雅より京都を贔屓してくれるとは…(^^;)

神社の左手には真田時代に掘られた井戸。

この井戸の底から城外へ抜けられる秘密の抜け道があるとの話ですが…本当だろうか?

さらに神社の左を行くと明治の廃城令の際に唯一残された西櫓がある。
石段を上がると人がいっぱいで櫓に近づけない。

なので櫓の裏手に回り込んで西櫓の全容を撮影しました。


ここまでは入場料の必要ありません。
上田城でお金を払わないといけないのは先ほど通り抜けた櫓門の両脇にある北櫓と南櫓。
城跡公園内にある博物館と共通の観覧券500円を購入。

 北櫓
この北櫓、南櫓は明治維新の際、売却されていたそうで、
昭和18年上田市民によって買い戻され、昭和24年にかけて元の場所に再移築されたものです。
(この櫓も仙石氏の建てたもので真田じゃない)

入口は南櫓。
 南櫓
 南櫓から南方、尼ヶ淵を望む
土足厳禁でスリッパに履き替えて櫓門の内部を通り抜けてまず北櫓へ。
 櫓門内から大手虎口を望む
第一次上田合戦の際、この虎口に押し寄せた徳川家康の軍勢を
引き寄せて、
閉じ込めて、
散々に討ち破った…そんな光景が見えるようです。

 北櫓内部
北櫓内部は再移築した際(恐らく)建材が一部欠落していたのでしょう、
新しいものと古いものが混在しています。
内部には上田合戦の様子を説明するビデオや上田城の歴史を説明するボードが展示されていました。

櫓門と北櫓の間には六文銭の真田の幟が飾られています。

そして南櫓。
こちらも中に鎧やら何やらが展示されてはいますが…500円の価値があるかといえば…う~ん。
正直言うと、二の丸跡にある博物館の展示物を観る為のチケットでしたね。
こっちは結構いろいろ展示がされていて見応えありました。
(でもあんまり真田一族のものは展示されてません…)

一般的には“真田の城”と思われている上田城。
実際は“仙石忠政の城”でしたね。
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戦国武将の御宅拝見46 - 北条早雲 / 小田原城 -

2017年06月20日 20時51分44秒 | お城探訪
東海道新幹線で東京から京都への帰り、
小田原駅を通過してトンネルに入る前の一瞬だけ見えるお城。それが小田原城。
かの信玄も謙信も攻め落とせなかった難攻不落の北条五代の居城である。
何度も目にはしていたが一度も行った事がなく、
いつかは行かないと…と思っていたら
平成15年から翌16年にかけて耐震工事の為天守が非公開となってしまった。

その平成の大修理がようやく終わり、天守が再公開。
今回、サンガ応援の湘南遠征の機会を利用してやって来ました。

東名高速・大井松田ICから下道30分ほど。
JR小田原駅のそばの城跡公園前のコインパーキングに車を停めた。

あれ?どっちから登城すればいいのかな?

登城口らしきルートが2つある。
ひとつは如何にもお城の入口という感じの馬出門からのルート。
もうひとつが堀に架かった朱塗りの欄干の学橋を渡るルート。
観光客の多くはなぜか学橋の方のルートから登城している様だ。
少しモヤっとしたまま自分も学橋コースを採る事にした。
 学橋から隅櫓を望む
なぜこっちがメインルートになっているのかは後ほど判明する。

学橋を渡ると広々とした二の丸広場となる。
今日はここで流鏑馬実演のイベントがあるみたいでその準備中。

流鏑馬の衣装を身につけた演者や競技用の馬が出番待ちしていた。

二の丸広場を抜けて歴史見聞館を通り過ぎ、
それほど長くもない石段を上がるとそこは季節の花が咲き乱れるエリア。
 
この時期がちょうど見ごろとなる花菖蒲や紫陽花が。

この花園を越えると常盤木門です。
この門は昭和46年に再建されたもので中はグッズ売場と刀剣展示場。
 常盤木門

常盤木門をくぐるとすぐ左手に三重四階の天守が見えてくる。

この天守、江戸期に大久保氏が建てた際の図面を基に
昭和35(1960)年再建されたもの。
徳川譜代の臣・大久保氏の手によるものだけに
天守の外観は白が基調で飾りっ気が少ない。

もちろん鉄筋コンクリート製だが、
先頃修復を終えたばかりなので中身はピカピカである。





内部は他の復元天守同様、資料館となっていた。
各階テーマごとに展示がなされているがそのほとんどは複製品。
常盤木門と天守の共通で600円の入場料だがちょっと割高感あり。

中で現代アートっぽい企画展示もあったが、そこになぜか
小田原城を舞台にしたシンゴジラVSキングコングの絵が飾られていた。

ちなみに1962年東宝製作の「キングコング対ゴジラ」の舞台は
熱海城であって、小田原城ではない。
過去のゴジラ映画で小田原城は壊された事はありません。
コレってゴジラに壊して欲しいっていう小田原市民のアピールなのかな?

天守内部見学中に同行していたサポーター仲間から
「新し過ぎて何か趣きのない城やな~」と愚痴られた。

まあ確かに。

北条五代が治めた名城とはいえ、
その遺構のほとんどは明治には解体・破却されて残っていないし、
現在の小田原市すべてを城郭内に取り込んで周囲9キロに及んだ総構えも
この城跡公園からは想像出来ない。

最上階からは相模湾が一望出来るが、
その海岸線のギリギリまでが総構えだったのだろう。

ピカピカ過ぎる天守を出て二の丸広場へ戻る途中で
こちらも再建して間もない銅門(あかがねもん)へ足を運ぶ。
 銅門
現在内部を特別公開しているとの事で、入ってみるとこちらは鉄筋ではなく木造。
 銅門内部
天井には立派な梁が使われていて、ピカピカ天守よりイイ感じ。

銅門をくぐったその先の住吉橋が現在工事中で通行止め。

本来は馬出門から住吉橋を渡り、この銅門を通って、常盤木門を経、
天守に至るのが正式の登城ルートだが、工事のせいで通れなくなっていたのだ。

せっかくなので帰り際に隅櫓、馬出門、住吉橋も駆け足で見て回った。
 二の丸側から見た隅櫓
 内堀から見た隅櫓
 馬出門
 工事中の住吉橋
いずれにしてもちょっと新し過ぎて情緒には欠ける。
天下の名城がなんとも勿体無いと感じずにはいられなかった。

小田原城を後にしてサザンの曲をカーステで流しつつ、
海岸沿いの西湘バイパスを走り、湘南海岸で昼食。

生シラスたっぷりのそば御膳に舌鼓を打ち、湘南の夏を堪能しました。
肝心の試合の方は…う~むでしたが…
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