大分ビッグアイで天皇杯ラウンド16を戦うサンガの応援の為、朝6時半に京都を車で出発。走行距離約570km。7時間ほどかけて昼過ぎに福岡県と大分県の県境に位置する中津市までやって来ました。試合観戦に先立って今回もお城探訪です。あの名軍師・黒田官兵衛孝高が秀吉から最初に与えられ築城した城 中津城であります。
中津城は北に周防灘、西にその周防灘に注ぎ込む中津川に面しており、東側に回り込む濠は中津川から水を引き込んでいます。なので中津城のお濠の水嵩は周防灘の干満によって上下していたらしい。その意味ではいわゆる水城と言っても良い城です。
僕が車を停めたのはお城の南側の中津神社の鳥居をくぐった駐車場。駐車代は無料。まずはいつもの通りすんなりと天守へは向かわず、内濠に沿って外周を観て回ります。
南側の内濠は蓮池になっていて、たくさんの蓮の花が咲いていました。
この蓮池の右手へ歩いて行くとなんだかオシャレな建物が…
中津市歴史博物館です。ここには中津城をはじめ耶馬渓など中津市の観光名所を紹介する施設になっていました。入館自体は無料。(館内の企画展スペースのみ有料)館内は冷房がガンガンに効いていて酷暑の時期には誠に有難い!そして館内スタッフさんが優しくて親切!いっぱいパンフもらえました。
館内からガラス越しに見る内堀の蓮池と黒田時代の石垣。遥か遠くには天守も見えますね。
歴史博物館で十分涼んだ後、さらに内堀右手へ向かいます。すると汐湯というお風呂屋さん(?)に行き当たって水門跡を通って駐車場広場へ戻るしかありませんでした。駐車場広場から天守へ向かいます。
天守へ向かう手前には中津大神宮があり、ここには天照大御神が祀られています。こりゃ今日のサンガの勝利を祈願しておかねば!「ど~か、サンガを勝たせてくださいませ~っ!!」という祈りが天照大神に届いたのか、2-0で快勝!ありがたや~!さぁ天守へ行くぞ!
中津城は冒頭にも書いた通り、天正16(1588)年に豊臣秀吉から九州平定の命を受けた黒田官兵衛が中津16万石を拝領し、この中津川河口に築いたものです。しかし城が完成したのは黒田家が福岡へ移封された後、中津に入った細川忠興の時代です。恐らく天守も細川時代になって完成したと思われます。
現在の天守は昭和39年に建てられた鉄筋コンクリート製地下1階5層5階高さ23mの模擬天守。外観は萩城天守をモデルにしているそうだ。下層4階が黒く、最上階のみ白い。黒い城は豊臣派、白い城は徳川派を表す。信長から秀吉、秀吉から家康へ、主を変えて戦国の世を生き抜いた官兵衛らしい外観と言えます。
模擬天守に連結する形で建っているのは大鞁櫓(だいひやぐら)。望楼型の二重櫓で、城主の馬具などを収納していたと言われています。
天守に入るには入城料400円が必要。700円の共通観覧券を購入すれば先述の歴史博物館の企画展t福沢諭吉旧居記念館も見学出来ます。福沢諭吉旧居には行ってみたかったので共通観覧券を購入しました。
天守の内部は黒田家や細川家、さらに徳川期の城主だった小笠原家、奥平家由来の鎧や武具、美術品が展示されていました。撮影OKなのかどうか良く判らなかったので、取り敢えず写真はなし。代わりに天守最上階から周囲四方の景色を撮っておきました。
天守から望む南
天守から望む東
天守から望む北。中津川河口周防灘。
天守から望む西。中津川。
天守最上階は最高の景色。そして吹き渡る風が心地良い!
天守の見学を終えて今度は東側からと逆時計回りに北側へ回って行きます。
中津川から水を引き入れている内濠。潮が満ちて海水が逆流しているのか、この辺りはどことなく汐の香りが漂っています。
あ、石垣にカニがいる!
お城の北側もちょっとした広場になっていて、そこには官兵衛とその妻・光姫(みつひめ)の像が仲良く建っていました。
そしてこの天守台の石垣には黒田時代の石垣と細川時代の石垣とが混在しています。
上の写真で中央にY字に区切られている箇所がありますが、そこを境にして左側が細川時代の石垣。右側が黒田時代の石垣だそうです。黒田時代の石垣はあの穴太衆が積んだものとの事。あきらかに積み方や石の形状が違っていますね。
中津川に沿ったところにも黒田時代の石垣がありました。
ここで一旦、中津城から離れ、徒歩5分北東方向へ行くと、福沢諭吉旧居記念館。
現在建物の補強工事中との事で、旧居の壁には補強材が組まれていました。また併設されている記念館には中津出身の偉人・福沢諭吉の偉業を示す数々の資料が展示されていました。諭吉が印刷されていた旧一万円札(シリアルナンバー1のもの)も展示されていました。奇しくも今年お札のデザインが一新され一万円札も諭吉から渋沢栄一になった訳で…なにやら感慨深い。
旧宅内には諭吉が幼少時代、勉学に勤しんでいる様子を再現した人形が飾られていました。
官兵衛の城、諭吉の生まれた町 中津。潮の香りがする風情のある町でした。
中津城は北に周防灘、西にその周防灘に注ぎ込む中津川に面しており、東側に回り込む濠は中津川から水を引き込んでいます。なので中津城のお濠の水嵩は周防灘の干満によって上下していたらしい。その意味ではいわゆる水城と言っても良い城です。
僕が車を停めたのはお城の南側の中津神社の鳥居をくぐった駐車場。駐車代は無料。まずはいつもの通りすんなりと天守へは向かわず、内濠に沿って外周を観て回ります。
南側の内濠は蓮池になっていて、たくさんの蓮の花が咲いていました。
この蓮池の右手へ歩いて行くとなんだかオシャレな建物が…
中津市歴史博物館です。ここには中津城をはじめ耶馬渓など中津市の観光名所を紹介する施設になっていました。入館自体は無料。(館内の企画展スペースのみ有料)館内は冷房がガンガンに効いていて酷暑の時期には誠に有難い!そして館内スタッフさんが優しくて親切!いっぱいパンフもらえました。
館内からガラス越しに見る内堀の蓮池と黒田時代の石垣。遥か遠くには天守も見えますね。
歴史博物館で十分涼んだ後、さらに内堀右手へ向かいます。すると汐湯というお風呂屋さん(?)に行き当たって水門跡を通って駐車場広場へ戻るしかありませんでした。駐車場広場から天守へ向かいます。
天守へ向かう手前には中津大神宮があり、ここには天照大御神が祀られています。こりゃ今日のサンガの勝利を祈願しておかねば!「ど~か、サンガを勝たせてくださいませ~っ!!」という祈りが天照大神に届いたのか、2-0で快勝!ありがたや~!さぁ天守へ行くぞ!
中津城は冒頭にも書いた通り、天正16(1588)年に豊臣秀吉から九州平定の命を受けた黒田官兵衛が中津16万石を拝領し、この中津川河口に築いたものです。しかし城が完成したのは黒田家が福岡へ移封された後、中津に入った細川忠興の時代です。恐らく天守も細川時代になって完成したと思われます。
現在の天守は昭和39年に建てられた鉄筋コンクリート製地下1階5層5階高さ23mの模擬天守。外観は萩城天守をモデルにしているそうだ。下層4階が黒く、最上階のみ白い。黒い城は豊臣派、白い城は徳川派を表す。信長から秀吉、秀吉から家康へ、主を変えて戦国の世を生き抜いた官兵衛らしい外観と言えます。
模擬天守に連結する形で建っているのは大鞁櫓(だいひやぐら)。望楼型の二重櫓で、城主の馬具などを収納していたと言われています。
天守に入るには入城料400円が必要。700円の共通観覧券を購入すれば先述の歴史博物館の企画展t福沢諭吉旧居記念館も見学出来ます。福沢諭吉旧居には行ってみたかったので共通観覧券を購入しました。
天守の内部は黒田家や細川家、さらに徳川期の城主だった小笠原家、奥平家由来の鎧や武具、美術品が展示されていました。撮影OKなのかどうか良く判らなかったので、取り敢えず写真はなし。代わりに天守最上階から周囲四方の景色を撮っておきました。
天守から望む南
天守から望む東
天守から望む北。中津川河口周防灘。
天守から望む西。中津川。
天守最上階は最高の景色。そして吹き渡る風が心地良い!
天守の見学を終えて今度は東側からと逆時計回りに北側へ回って行きます。
中津川から水を引き入れている内濠。潮が満ちて海水が逆流しているのか、この辺りはどことなく汐の香りが漂っています。
あ、石垣にカニがいる!
お城の北側もちょっとした広場になっていて、そこには官兵衛とその妻・光姫(みつひめ)の像が仲良く建っていました。
そしてこの天守台の石垣には黒田時代の石垣と細川時代の石垣とが混在しています。
上の写真で中央にY字に区切られている箇所がありますが、そこを境にして左側が細川時代の石垣。右側が黒田時代の石垣だそうです。黒田時代の石垣はあの穴太衆が積んだものとの事。あきらかに積み方や石の形状が違っていますね。
中津川に沿ったところにも黒田時代の石垣がありました。
ここで一旦、中津城から離れ、徒歩5分北東方向へ行くと、福沢諭吉旧居記念館。
現在建物の補強工事中との事で、旧居の壁には補強材が組まれていました。また併設されている記念館には中津出身の偉人・福沢諭吉の偉業を示す数々の資料が展示されていました。諭吉が印刷されていた旧一万円札(シリアルナンバー1のもの)も展示されていました。奇しくも今年お札のデザインが一新され一万円札も諭吉から渋沢栄一になった訳で…なにやら感慨深い。
旧宅内には諭吉が幼少時代、勉学に勤しんでいる様子を再現した人形が飾られていました。
官兵衛の城、諭吉の生まれた町