李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 日本製 「中華思想」  の原点 (origin) 】    仁目子

2022-05-15 19:19:32 | Weblog
ーー  ナンジャラホイ 中華思想  ーー

唐土にない「中華思想」が、列島で人々に語られているのは、 日本に思想らしきものが無い為に、「中華思想」を借用してる 事を意味する。

   ーー 正体不明の 中華思想 ーー
    ーー 中華の原点 ー「華夏」  ーー
   ーー 人はなぜ歴史を偽造する  ーー
   ーー 国破れて 山河在り  ーー
   ーー 論語読みの 論語知らずで、日本人は「中華思想」
      を知らずに、言葉を弄んでいる ーー
   ーー そして、恥を晒している事ですら知らない、
      哀れ,としか言いようが無い。  ーー

ナンジャラホイ、という日本語がある、が、日本人に意味するところを聞いても、うまく説明出来る人はまず居ない。それは歌の囃子(はやし) だから, これと言った意味はない、という答えをするのが精一杯のようである。

試しに辞書をめくってみたが、ナンジャラホイという言葉はどこにも出ていない。所が、「ナンジャラホイ」をウエブで検索した際、なんと、約 13,500,000件 の厖大なる記事が掲載されていた。
つまり、昔も今も、ウエブの辞書には、ナンジャラホイという言葉の解説はなく、ただ、記事だけが沢山掲載されているだけだという事になる。

ところが意外にも、その「ナンジャラホイ」という文句に、深長なる意味が込められていると云う人が居る。

日本人とユダヤ人は同じ民族だという日ユ同祖説がある。それも一つだけでなしに複数の説がある。その中の一つである、牧師、ヘブル語研究家 川守田英二という人の説によると、ナンジャラホイはヘブライ語でちゃんとした意味があると云う。

彼の説によると、日本人は確かにユダヤ人で、その証拠に祭りの囃子 言葉などはすべてヘブライ語なのだそうだ。

《《  たとえば 「ヤートセー」は「ヤホバ放棄せり、敵を」だし、「ヨー イヤナ」は「エホバ祈りに応えませり」で、「ナンジャラホイ」は 「天子をエホバは守りたまえり」なのだそうだ  》》

そういわれても、たいていの日本人は困ってしまうだろうが、時々、 膝を叩いて 「そうだったのか!」と叫ぶ人がいるから、なお困って しまう。まことにもって、ナンジャラホイ である。

昨今の日本列島で、「白髪三千丈」と並んで、「中華思想」という文句が流行り言葉になっている。所が、皮肉な事に、列島で「中華思想」だと言って、「中華」の名を冠しているのに、肝腎の本家の中国には「中華思想」という言葉が無い。

「ナンジャラホイ」は日本語だが、日本語で解釈出来ない、ヘブライ語でなら、ちゃんとした意味を持つ、と言うのに似たようなもので、唐土にはない「中華思想」が、列島にある。困った話である。それで、列島で流行語となっている「中華思想」について、一寸語ってみたいと思った次第。

ウエブで、試しに「大和思想」を検索してみると、14、600、000 件 と結構多いが、それについて語る ブログ は 僅かの 8 件 しかない。
一方、「中華思想」を検索してみると、ウエブ記は、1、260、000 件で 大和思想の十分の一以下だが、ブログ記事はその六百倍弱の4、672 件もある。このような極端な数字の違いは何を物語っているのだろうか。 なぜ、大和語らずに、中華を語る。

恐らく、自分の事よりも、他人の事が気になって仕様がないという列島の「お節介」性格の具体的は表れであろうと思われる。

更に、少なからず意外に思ったのは、ウエブに「辞書」という欄があるので、各々の「思想」の定義の違いを、「辞書」欄で検索してみたところ、定義が出ているのは「中華思想」だけで、「大和思想」には一切定義が出て居ない。

すると、中華やら、大和やら、それらの「思想」の中身はただ一つしかない、という事になるのかも知れない。
又、この外に興味をそそるのは、大和と 中華 を抱き合わせた「大和の中華思想」という記事が 240、000 件あるという事である。
列島と唐土、この二つの異なる国の名前を併記した「思想」は、果たして何を意味するものであろうか。しかし、記事はあるが、これもウエブ辞書に定義は出ていない。

以上のように、列島の人々は、自国の「大和思想」よりも、他国の「中華思想」に強い興味を持っている事が、はっきりと、ウエブや、数字や辞書に出ている。

列島に、「中華ラーメン」と名乗っている汁そばがある。使っているお椀、麺、チャーシュー、豚骨スープなどは紛れも無く「中華」だが、 僅かに 鳴門 や やきのりなどの「大和」を申し訳程度に入れて、形ばかり、中華と大和のちゃんぽんになっている。このような ラーメンは中国に無い。

つまり、日本で「中華」と名乗っても、それは必ずしも純然たる「中華」を意味する事にはならない、というのが実像である。この実像は、勿論、「中華思想」の場合にも、そのまま当て嵌まるものと思われる。

以上の基本概念を踏まえて、列島に於ける「中華思想」の味を逐次吟味して行きたい。


ーー 「華夏」の意味 は 山 と 河

古い昔、中国の呼称は夏、華、あるいは華夏と云はれていた。これが元になって、後日、「中華」という名称が生まれることになる。
この「華夏」について、日本辞書の解釈は、次のようになっている。

  「華」は、花、はなやか、文化のはなやか、などの意。
  「夏」は、大きい、盛ん、などの意。

従い、「華夏」というのは、中国人が自国を誇っていう語である、としている。

このような解釈は、感覚的な、文化意識というものを重点に置いているもので、本場中国版の解説とかなり違う。ラーメンに例えると、醤油スープと豚骨スープほどに違う。

中国の有名な文人魯迅が師と仰ぐ国学者章柄麟又の名を章太炎ともいう学者は、「中華民国解」という権威著書の中で、次のように「華夏」を解説している。 (原文は漢文、仁目が日本語に訳した)

「 我が国の民族は古く、雍、梁二州 (今の陝西、甘粛及び四川   
  一帯)の地に居住して居た。東南が華陰で、東北が華陽、すな  
  わち華山を以って限界を定め,その国土の名を「華」と曰
  く。その後、人跡の到る所九州に遍 (行人偏)(あまね)き、華
  の名、始めて広がる。華は本来国の名であって、種族の号で
  はなかった。
  「夏」という名は、実は夏水 (河の名前)に因って得たるもの
  なり、雍と梁の際(まじは)りにあり、水に因って族を名付け
  たもので、邦国の号に非らず。漢家の建国は、漢中(地名)に
  受封されたときに始まる。(漢中は)夏水に於いては同地であ
  り、華陽に於いては同州となる故、通称として用いるように
  なった。本名(華夏)ともうまく符合している。従い、華と云
  うのも、夏と云うのも、漢と云うのも、そのうちどの一つの
  名を挙げても、互いに三つの意味を兼ねている。
  漢という名を以って族を表している、と同時に、国家の意味
  にもなる。又、華という名を国に付けたと同時に、種族の意
  味にも使はれているのはそのためである 」 
  (原文は漢文、日本語は仁目訳)。


以上の如く、太炎文録の記載説明に依れば、「華夏」の華は華山という山の名前、夏は夏水という河の名前から由来したことになる。つまり、意識的な思想の裏付けのない、単なる地理上の概念から「華夏」の名称が生まれたものになる。

振り返って古代を考えると、人間の定着する所は山や河のある土地に決まっていた。山河という自然の地理条件は、人類を含む動物の生存に欠かすことの出来ない必須条件であるが、思想は生存の必需品ではない。だから、人類の歴史は、地理上の概念が常に思想より遥かに先行し、発達していた。

黄河は、その大河の中流流域にある黄土台地の黄土を侵蝕して流れる水が常に黄色い色をしているので、「黄河」という名が付けられ、その北側の地域が「河北」、南側が「河南」と称されるようになった。中国最長の河は「長江」という。長いからである。昔の人は、このように、呆気ないほどに素朴単純であった。

「国破れて山河あり」という、人口に膾炙している古い文句がある。「国破れて思想あり」という言い方はしていない。華、あるいは夏、という名前は矢張り「山」と「河」から取ったものだと見るのが妥当であろう。


ーー 日本語「中華思想」の意味は、
   島国人、百人百色 の 空想妄想  ーー

従来、日本の一般の辞書は、「中国」あるいは「中華」を拡大解釈して、「世界のまん中の国」という中国人の自称であるとしているのが結構多い。「まん中の国」、略して「中国」という解釈は成り立つ。問題は、「世界の中心」という部分はどこから割り出して来たのか大いに疑問が残る。もともと、中国という国は、古い昔から、自分で一つの世界を作り上げ、自分以外の別世界にはさ程関心を持っていなかった。

「漢字文化圏」というのがある。漢字の出現から三千余年、儒教思想の出現から二千余年が経った今日、この漢字文化圏という文化地域の範囲を見てみると、アジア、しかもその一隅である極東の日本、韓国、東南亜の台湾、越南辺りから一歩も外に出たことがない。二千年弱のキリスト文明が、今日全世界の隅々にまで浸透している状態と比較すれば、漢字文化圏というのは全く取るに足らない程の辺境文化圏でしかない。このように見て来ると、

  「中国が世界の中心であり、その文化、思想が
   最も価値のあるものであると自負する考え方」

であるとする日本語解釈の根拠が何処にあるか、大なる疑問が生じて来る。恐らく、単なる空想妄想であろう。

ーー  正体不明 の 中華思想 ーー

「中華思想」という単語は、誰が生んだでしよう?という質問がウエブに出て、それに対する回答が二つ載っている。一つが「ベスト回答」で、今一つは「その他回答」となっている。
所が、ベストに選ばれた回答は出だしに下記のような断りが付いている;

《 「中華思想」という単語や、その世界観について広めた切っ掛けは、もちろん確信はありませんが、1793年(乾隆58年)に、イギリス特使として清の乾隆帝に拝謁した「マカートニー」ではないでしょうか、、、、、 》

回答者自身が、最初から、「もちろん確信はない」、「、、、、ではないでしようか」と断わっている回答がベストになるのは全然可笑しい。 況して、イギリス人を生みの親にしている、荒唐無稽な内容、 何で、ベスト回答 ? 、、、、、 ふざけも良いところ。

それで、今一つの「その他回答」を見てみる。それは下記のような 内容であった; (要約)。

《《 元々、「中華」という言葉は、中国人が自民族の事を指す「夏華」( 華夏 ) という言葉が、詩経の中で用いられた地理的中心という意味の「中国」という言葉と結びついて出来たもの。
中国には「中華」という言葉はありますが「中華思想」という言葉はなく、中国人には「華夷思想」と言い直さなければ通じません。
「中華思想」という言葉は、主に日本でのみ用いられ、欧米でも殆ど用いられない言葉ですので、日本で作られた造語でしょう。
誰が作り出した言葉かというのは明確には分かりませんが、「中華思想」という言葉が成立したのは明治以後のことでしょう。
日本で「中華」という言葉が大きな問題になったのは、「中華民国」が成立したときの事で、この時、大日本帝国は「中華」という言葉に反発して、中華民国という国号を一時認めませんでした。
そのとき、日本側は中華民国に対して以下のように述べていて、ここで「中華思想」という言葉が出てきます。
「中国従来の中華思想を反映したものであるが、中国を華とし外国を夷と見下すに等しい国号は国際上、列国に対して失礼、不敬となる恐れがある。従って別の適当な国号に改称するのが穏当である」
従って、中華思想という言葉は、日本において19世紀後半~20世紀初頭までに日本の知識人の誰かによって作られた造語という事になると思います。
福沢諭吉が脱亜入欧を主張し、儒教批判をしていることから、福沢諭吉と近い思想傾向の人間によって作られた言葉である可能性はあります  》》

上述の二つの回答は、明らかに、二つ目の「その他回答」が、正解であるのに、一つ目の、イギリス人を生みの親にしている、荒唐無稽な回答が、ベスト回答になっている、なぜ ? 
イギリス人を生みの親にしているのは、「中華思想」論に「箔 はくを付ける」、つまり、重みを加える、貫禄をつける為 だとしか考えられない。
先の対米戦争で、軍部は、先ず、「鬼畜米英」の洗脳から始めた。米英人は鬼畜ではない。が、当時、実際に、米英人を知っている日本人は、殆んど居なかった、だから、洗脳出来る。桃太郎物語を好む衆愚は、鬼退治に躍起となり、あとからあとからと太平洋に飛び込んだ。
「中華思想」は、明らかに、日本人の造語である。それに、中国人は自大であるという意味を持たせている。

梅棹忠夫は 「文明の生態史観」の中で、次のように語っている。
《《 「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。ほんとうの文化は、どこかほかのところで作られるものであって、自分のところは、なんとなく劣っているという意識である。
 おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうと思う。」 》》

つまり、自分自身の文化を展開出来たのが「中華」で、その一大文明の辺境諸民族のひとつ、というのは「日本」という事になる訳で、そこから「劣等感」が生まれ、その僻みで、中国への嫌がらせに利用する為に、「中華思想」の日本版をデッチげたものであろう。 米英を鬼畜に仕立てたのと、異曲同工の、巧な「職人日本芸」とも言える。
という訳で、世界広しと言えど、「中華思想」を云々しているのは、日本人だけで、「孤掌鳴らし難し」の諺があるように、日本の一人芝居だけでは、鳴らしようがないので、「中華思想」を英語の「sinocenterism」に結び付けている。が、残念な事に、これは、語学音痴の見当違いに終わるようである。

英語ウエブサイト wikipedia の「Sinocentrism」記事を見ると、概要 と 文脈 が次のように出ている。

Overview and context

Depending on the historical context, Sinocentrism can refer to either the ethnocentrism of the Han society and culture, or the modern concept of zhonghua minzu. popular among the Chinese elites up to the final demise of the Qing dynasty. The concept came to an end in the 19th century and suffered several more blows in the 20th century, and as a result is not as widely popular among Chinese people in the present day.[1]

In pre-modern times, it often took the form of viewing China as the most advanced civilization in the world, and external ethnic groups or foreign nations as being uncivilized to various degrees, a distinction known in Chinese as the Hua–Yi distinction.

ーー  以下訳文 ーー

概要 と 文脈

歴史的文脈に依るならば、Sinocentrism は、漢民族の社会と文化、若しくは、現代観念の中華民族の 自民族中心主義 (ethnocentrism)、について言及するものである。
清代王朝滅亡までの中国人エリートに人気があった、この概念は、十九世紀に到り、終わりを迎え、そして、二十世紀に到り、幾つかの更なる打撃を受け、その結果、今日では、中国人の間でも、広い人気があるわけではない。
前近代に於いて、それは、常に、中国が、世界で最先端の文明を有すると見なす、という形になる。そして、外部の民族グループ若しくは、外国は、さまざまな程度に文明化されていない, と見なされ, その区別は、中国語で「華夷之別」(Hua–Yi distinction)として知られている。

ーー 訳文完了 ーー


これで分かるように、Sinocentrism は、自民族中心主義で、漢民族とその他民族 、即ち、中国内部の、華と夷の関係に言及する言葉であって、世界とは関係なく、且つ、「中華思想」という言葉も無い。

日本は、何を根拠にして、Sinocentrism は 中華思想と言うのだろうか ?

はっきりしているのは、日本で言う、「中華思想は、自分が世界の中心」である概念は、世界中で、日本にしかない概念で、実態は、日本人の空想妄想である、と言った方が正しい。

日本製「中華思想」は、中国が「自分が世界の中心であると自称している」点を核心にしている。 実際は、日本がそうありたいという「概念」である。

先ず、 日本人の意識、思想を日本のウエブで検索してみると、下記のような非常に興味深い結果が出ている。 (2017年検索)

  日本が世界の中心    5,580,000 件
  中国が世界の中心    1,950,000
 中華が世界の中心     507,000
  米国が世界の中心     577,000
  ロシアが世界の中心     926,000
  フランスが世界の中心   464,000
  ヨーロッパが世界の中心  414,000

論より証拠で、日本人意識と思想の 世界の中心は、日本が一番で、中華は五番目になっている。 日本 5,580,000 件 対 中華の507,000 件だから、全く、比較にならない。
なのに、なぜ、日本人は、口先では、中華が世界の中心だと、言うのだろうか。

日本は、大国中華の隣にある痩せ馬のような形をした「辺境島国」で、影は薄い.。その’為、古来より、中華に対し、僻みと妬みを感じ、快く思って居なかった。 人間は、僻みと妬みを反転させると「傲慢」の形になって現れる。国も似たようなもので、中華を貶す、見下すような態度を取るのは、辺境としての不快感の稀釈に役立つ、のみならず、僻み根性の隠蔽にも役立つ。言うなれば,一種の自己欺瞞工事である。

米国には、似たような問題はない。だから、wikipedia  に Sinocentrism の記事はあっても、「華夷之別」(Hua–Yi distinction)を語るのみで、「中華思想」には全く触れていない。
触れていないという事は、そのような「思想」が無い、という事を意味している。

中華思想と言う「思想」は、中国に無い、のみならず、日本以外の其の他国にもない。 言うなれば、日本の一人芝居による思想であり、世界の「非常識」の内に入る。

そのような「非常識」を、何時までも抱きしめて、何の役に立つのだろうか。


【 自 己 中 列 島  】      仁目子

2022-05-05 05:48:36 | Weblog
ーー  わがまま 列島 の意味である ーー
ーー  自分は、棚に上げる  ーー  
ーー  3000億年 の 縄文歴史  ーー

日本で、流行語になっている「自己中」の意味をウエブの辞書で見ると、 《《 自己中心的であるさま、または自己中心的な傾向の強い人などを指す俗な表現。 とりわけ他人を蔑ろにする傾向を伴う場合を指すことが多い 》》、と説明している。

ウエブに、約3,910,000,000件 の「自己中心的」の記事がある。 三十九億単位の記事数だから、 列島が如何に、「自己中心的」に拘るのか、という事が分かる。恐らく、世界でも稀であろう。

次に、「日本は自己中心的」の検索結果、411、000、000 件で、「日本は自己中心的でない」が、424,000、000件で、両者に左程の違いはない。 矢張り、「自己中」は、列島に、ちゃんと広く存在している。

試しに、「自己中心的な国一位」を検索してみると、記事は、140、000,000件あった。 
その内の、首位記事は、次のように出ている。

《《 民間調査機関「サントマラル財団」がモンゴル国民を対象に実施した外国への印象についての世論調査で、「自己中心的」な国の1位が中国だったと、2014年9月3日の朝日新聞が報じた。二位は韓国だったという。対面形式の調査でウランバートル市と6県の18~60歳代のモンゴル人男女1200人を対象に行った。》》

更に、続いて、日本の世論調査を次のように、掲載していた。

《《  自己中心的な国はどこだと思う? 
アメリカ  501票(6.7%)
中国   3738票(49.9%)
ロシア  98票(1.3%)
韓国   3040票(40.6%)
その他  114票(1.5%)
総投票数:7491票  》》

結果を見なくても、簡単に予想出来る日本の世論調査である。わざわざ、モンゴルの民間調査の結果を引用したのも、中国や韓国に的を絞るという「思惑(おもわく)」が出発点になっているのは歴然としている。


ウイキぺデイアに、「自己中心性」という記事がある。解説は、下記の二点に絞られている。
(1)、主観的スキーマを客観的現実から導くことができないこと、また自分以外の視点を正確に想定・理解することができないことである。( 註:スキーマは、心理学用語で、ある対象や出来事に関して、まとまって記憶されている情報や知識ということを意味する)。
(2)、他者への配慮を欠くこと、自分の利益や関心事のことしか考えていないこと、である。そして、年配の人々が昔からある日本語で言う場合は単に「わがまま」と言うこともある、と付け加えている。

ー― 自己中の具体例  Yahoo 知恵袋質問
   2010/6/8 4:50  1回答  ーー

《《  『質問』
日本国 日本人 に批判的な質問をする方への疑問。
日本国は世界で一番治安が良く安全な国である。世界で一番善良な国民が多い国である。尊敬される国であれ批判されることに首をかしげます。批判質問者は、常識が足りないんでしょうか。

『ベストアンサー』 
欲を出せばきりがないですし、上を見続けるのは疲れるものです。ただ、向上心があってこその「一番」ではないでしょうか。
もっとも、この知恵袋を覗いていると「世界で一番善良な国民が多い国」には疑問が沸いてきます(笑)
>常識が足りないんでしょうか 常識のある人も、ない人も
批判はします。 内容をみて判断すべきでしょうね。

『質問者からのお礼コメント』
あなたね~まだまだ人生経験不足です。国の治安はタクシーの接客態度で判断できます。日本のタクシーのマナーの良さぼったくり無しで安全でしょう。外国人旅行者は日本の治安の良さに驚いていますよ。 》》

此の質問者は、日本が、世界で一番善良な国でないと、気が済まないようで、典型的な「日本自己中」の感情論が出発点になっている。 第一、運動競技のように、「一番」を決める手段がないから、「世界一」と言っても、言う人の主観的感覚によるもので、客観的な評価ではない。

この質問には、回答がたった一つしかない。如何に、客観的な回答をするのが、難しいかが分かる。

ベストアンサーは、精一杯、良い回答をした、と思うが、それでも、質問者に、「あなたね~まだまだ人生経験不足です」という
お礼コメントを頂いた。

質問者は、正しく「自己中」の典型的な日本人ではなかろうか。


ーー  ここで、列島の「自己中」について語ってみたい  ーー

「自己中」という言葉は、日本で造られた「用語」で、流行語でもある、本文冒頭で述べたように、日本語ウエブに、約3,910,000,000件 の「自己中」記事がある。三十九億単位の記事数だから、列島が如何に、「自己中心的」に拘るのか、という事が分かる。恐らく、世界でも稀でしょう。

所が、「自己中心的な国一位」の検索では、モンゴルの民間調査の結果を引用して、中国や韓国に的を絞り、加えて、日本の世論調査による、中国や韓国を的に絞った結果しかなく、其の他の国は「自己中」から外れ、日本に至っては、名前ですら出て来ない。 日本で言う所の「自分は棚上げにして」の諺を、着実に実践している。

世界に、二百程の国がある、が、日本が気にしている国は、中国と韓国の二国しかない事、そうして、如何に「自己中」であるか、これで充分分かる。

中国と韓国は、日本という国の歴史をめくって見たなら、日本の国作りに最も貢献した両国である事が分かる。極く簡単に例を挙げると、中国の漢字無くして、日本語は有り得ないし、半島南部の人々が、東の方にある列島を 日ノ本(イルボン)と呼ばなければ、「日本」と言う国名も無い。

所が、日本は恩を仇で返し、中国を侵略し、韓国を併合した。結果は、両国の強い反日感情を生むに至ったが、日本は「自覚」するところか、逆に、(自分が種を撒いた)反日を憎むようになった。 紛れも無くわがまま、つまり、自己中で、恩人に迷惑をかけたとという自覚はない。

片や、文化文明の全般に亘って、中国の恩恵を受けた日本は、中国を侵略したのみならず、中国人は誇張癖がある、といって貶し、或いは、こき下ろして喜ぶ。殆んど、一種の中毒症に似たような「自己中」である。

事、誇張癖に関する限り、日本は、世界一である事が、数多くの歴史、文学、等の実例にて実証されている。

先ず、極めて簡単な例を挙げると,

初代:神武天皇は 日本書紀で127歳 古事記で137歳、12代の景行天皇は、147歳/137歳で、日本書紀だけで初代から21代までに100歳ごえが12柱。古事記だと8柱あると、記載されている。

神武天皇は、2,600年昔の人物とされている。127歳、137歳が事実であるかどうか、説明を要しないであろう。

列島に、古くから伝えられている、古代歴史の「竹内文書」というのがある。

その記述によると、列島の歴史は、神武天皇以前にウガヤ・フキアエズ朝72代、それ以前に25代・436世にわたる上古代があり、さらにその前にも天神7代の神の時代があったという、過去3000億年にさかのぼる奇怪な歴史が語られていた。そして、今から数十万年前の超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地であった、とも言う。
 
江戸時代の学者、本居宣長は, 歴史書『馭戎慨言』の中で、西方の野蛮国である中国と朝鮮は、尊き皇国であるわが国にまつろうべきであることを説き、尚且つ、皇国が四海万国の元本宗主たる国である、とも言う。

ジンギスカンは、源義経だった、 大本営発表、 などなど、古代から現代に至る迄、誇張、虚像の例は枚挙に暇(いちま)がない。 つまり、 数え上げるときりが無い、数えられないほど沢山ある。 が、日本人が、「日本人は、誇張癖がある」と言うのを聞いた事が無い。逆に、唐土の李白詩「白髪三千丈」の一句だけを取り上げ、「中国人」は誇張癖がある」と言う。

3000億年の歴史 と 白髪三千丈、を比較して、後者の方が誇張である、という人は、世界広しと言えども、居ない筈である。

況して、白髪三千丈は修辞学上の形容詞であって、誇張の意味はない。だから、原産地の中国に於いても、誇張の意味では使われていない。 白髪三千丈に誇張の意味を持たせて使っているのは、世界広しと言えど、日本だけである。それは、日本人の漢文素養が 「未熟」「半可通」の為に生じた「誤解」であり、日本の諺「論語読みの 論語知らず」にても指摘されているように、「李白は好きだが、李白詩が読めない」。それは、恥じるべき事であって、自慢出来る事では無い。

全ての外国語の学習について、日本人の習得能力は、世界の末席に甘んじている程、低い。それで、「語学音痴」と自称している訳で。「語学音痴」が、難しい中国語を使って、中国人を貶し、見下し、それに喜びを味わおうとする。可能か、不可能か、自分でも簡単に判断出来る。

日本人が「白髪三千丈」という李白の詩句を利用して、中国人を貶している事は、中国人も良く知っている。所が、中国人は、反論しないし、日本の3000億年歴史、大本営発表などなどを取り上げて反発する事もしない。 

人が良いのだろうか、そうではあるまい。余りにも、お粗末な日本人の漢文水準に、加えて、感情的で、論理錯乱が激しい日本人を相手にするのは、バカバカしい、と思うからであろう。
事、漢文に関する限り、中国人と日本人では、大人と子供ほど隔てがある。子供相手に、むきになるより、子供の腕白を無視した方が、大人らしい対応である。

日本人は、大人しい中国人を無神経だと思って居るようだが、とんでもない、未熟も良いところである。実態は、語学音痴の恥さらしを、中国人は、心のうちで笑っているのである。

話を「自己中」に戻すと、自己中は、他者への配慮を欠くこと、自分の利益や関心事のことしか考えていないこと、である。そして、一言で言うと「わがまま」になる。

自己中列島は、李白の名詩句をうまく利用して、中国人を馬鹿にし得た、と思って居る、が、実際は、語学音痴の恥さらしである。 このような恥さらしを、何時まで続けるのか、と思う。

「日本特殊論」が世界的に良く語られる。人類文化学者のルースべネデイクトがそれで「菊と刀」を書いて、列島で、長期間のベストセラーになったのは、まだ記憶に新しい。
日本の隣国中国、韓国に特殊論が無いのに、島国日本が、なぜ特殊論の対象になる ?

「さるとる」の名を借りたブログがある。内容は、やはり、一風変わっている。
曰く;
『 カタカナ語は人類最大の愚行言葉の自慰行為だから原爆が日本にだけ落ちた』と言う。正しく、特殊である。

また、『「中国語は趣(おもむき)がないなあ。日本語のカタカナと違って、なんでも漢字にしてしまうから。ちょっと違和感がある。たとえば、ハワイという単語とか」』、という愚痴をウエブで目にした。 是も、同じ様に特殊である。

カタカナは表音文字で、漢字は表意文字で、言うなれば、原始文化と進歩文化の違いである。世界広しと言えど、原始文化を好み、進歩文化を貶すのは、日本人だけであり、だから、特殊論の対象になる。

日本人は、自他共に、他国人と違う、と言うのが好きなのは、なぜ ?

前述の「竹内文書」に答えを求める事が可能のようである。「竹内文書」の内容は、日本の超古代いついて書いている。つまり、列島原始の「縄文時代」の歴史を描いた文書であり、荒唐無稽な内容記述は、歴史書と認められる事はない、が、超古代縄文人の意識形態を、それによって知る事が可能である。

何万年の長きに亙る「縄文時代」は、外界の世界とは全く隔絶され、外界を知ることも、外界に知られる事も無い。所謂、「自己中心」の世界であった。だから、「文書」に描かれているのは、縄文が世界最初の国で、世界最古の文明国としている。勿論、それは事実ではない、が、隔絶の世界で万年生き抜いた「人種」の「意識形態」としてずっと存在した。

今、日本列島に住む日本人は、弥生人と縄文人の混血による「人種」である。当然の事だが、現日本人の意識形態には、古代縄文人から受け継いだ意識形態の形跡がはっきり見える。
日本は、近代の外国による「開国」をする以前は、ずっと、「鎖国」状態を保っていたのは、紛れも無く、縄文歴史の名残であるのは、想像に難くない。

江戸時代、明治時代に至っても、日本は「世界一」で、「世界の宗主」であり、世界は「皇国にまつろうべき」であるという主張が、後を絶たないのは、これも、明らかに、縄文意識の名残であって、極東の島国が主張して、然るべきものではない。

この様に、列島の歴史を、率直に読み返して見ると、自己が最高、自己が最良、であるとする、列島の「日本特殊論」の嗜好源泉が、古代の縄文遺伝子の名残りである、という事が分かる。現代日本人も、それを良く知っているが、誰も,その史実に触れようとしない。「自分は、棚にあげる」という諺が、如実に語っている通りである。

苟も(いやしくも)、現代世界の「先進国」に発展した日本は、もう 原始的な「自己中心」意識から離脱し、他人を貶し、見下す事に、生き甲斐を求める事を止め、四海は皆友である、という社会意識の作り替えに、力を注いて、一日も早く、「 大人の国 」に成長するように、務めるべきではなかろうか。



【 プーチン の 人物評価 】  仁目子

2022-05-02 18:21:32 | Weblog
ーー  勿論、ヒットラー や スターリン 
    と同類ではない  ーー

2016年、日本の政治経済紙に、下記のような報道が掲載されていた。
《《 「世界で最も影響力のある人物」ランキング プーチン大統領が4年連続の首位。
フォーブスがまとめた今年の「世界で最も影響力のある人物」ランキングでは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が4年連続で首位に立つ結果となった。本国ロシアからシリア、さらには米大統領選まで、自分の望み通りの結果を手にし続けるプーチン大統領は、国際社会の慣例に束縛されず、近年その影響力を増大させている。
二位 トランプ  三位 メルケル  四位 習近平
五位  フランシスコ 法王  》》

2018年、政治経済紙は、更に、下記の新聞を報道した。
《《 「最も影響力のある人物」ランキング 習主席が初の首位          
    に 
フォーブスがまとめた今年の「世界で最も影響力のある人物」ランキングでは、中国の習近平国家主席が初の首位に立った。
ー― 中略 ーー
習近平にトップの座を譲り2位へ後退したのは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領だ。プーチンは昨年まで、同ランキング史上最多となる4年連続で首位を維持していた。2000年5月からロシア指導者の座にとどまり続けるプーチンは今年の大統領選挙で、ソビエト連邦崩壊後で最高となる77%近くの得票率で当選し、通算4期目の就任を果たした。
就任から1年が経過したドナルド・トランプ米大統領は、3位に後退した。 4位に入ったのはドイツのアンゲラ・メルケル首相で、世界で最も影響力のある女性となった。 》》

2022年4月、テレビ朝日系(ANN) AllNipponNewsNetwork(ANN) の報道によると、
《《 孤立深める中…プーチン氏「支持率83%」
ロシアの独立系調査機関・レバダセンターが発表した、プーチン大統領の支持率は83%。調査はロシア全土53の地域で1600人を対象に対面方式で行われた。 》》

2022年4月、TBS系(JNN)の報道によると、
《《  ロシア政府系の「世論基金」が発表した最新の世論調査によりますと、プーチン大統領の活動を「評価する」と回答した人は77%と、前の週に比べて5ポイント低下しました。
また、プーチン氏を「信頼する」と回答した人は76%で、こちらも前の週に比べて3ポイント低くなっている。 》》

以上、ウクライナ侵攻発生前と発生後の、日本報導の、プーチン評価を、(色眼鏡掛けずに)単純に拾い上げて見た。

世界で最も影響力のある人物 ―ー 四年連続首位
ウクライナ侵攻で孤立深める中、国内「支持率83%」
ウクライナ侵攻後、国内世論 「評価する 77%」
ウクライナ侵攻後、国内世論 「信頼する 76%」
大統領選挙で、ソビエト連邦崩壊後で最高となる77%近くの得票率で当選し、通算4期目の就任を果たした

世界の政治人物を見回して、世界に最も影響力のある人物、加えて、常時、自国民の76% 以上の支持率を得ている人物は、プーチン以外に見当たらない。 好き嫌いを抜きにして、抜群の人物だと言わねばならない。

その稀有の抜群人物が、今、欧米を主体に、色々と、批判されている。プーチンの批判は、言うなれば、ウクライナ総統 ゼェレンスキーの肩を持つ、つまり、味方につき、擁護する。 贔屓にする事を意味する。

筆者(私)は、ウクライナ事変後に、始めて、ゼレンスキーという名前を知った。世界中の多くの人々も、同じく、ウクライナ事変で、この名前を知ったと思う。

ウエブで、略歴を見ると、 『 Zelenskyy、 1978年1月25日 - )は、ウクライナの政治家、元俳優、コメディアン。ウクライナ第6代大統領 』 と書いてあり、日本との関係については、『 2019年10月21日に迎賓館赤坂離宮で当時の内閣総理大臣だった安倍晋三と会談を行い、翌22日の即位礼正殿の儀に参列した 』 という二行程度の説明だった。

つまり、左程知られていない人物が、ウクライナ事変で、一躍、誰知らぬ者は居ない、という人物になった。 世の常からすると、かなり異常な事態なった、という事が言える。

喧嘩両成敗、という言葉がある。喧嘩に際してその理非を問わず、双方とも均しく処罰するという原則、を意味する。
ロシアとウクライナの喧嘩、言うなれば、嘗ての「身内」の喧嘩である。 なぜ、身内なのか ?

曽て、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国というのがあった。ウクライナに存在したソビエト連邦(ソ連)の社会主義国家である。1917年12月25日に成立したウクライナ人民共和国(ソビエト派)がその祖となっており、その後、いくつかのソビエト共和国を併合し、以後1991年8月24日まで存続した。

そして、ゼレンスキーは、ウクライナ東部出身で、母語はロシア語。元々ウクライナ語は苦手で俳優業やメディアではこれまでロシア語を使用してきた。大統領当選以降はウクライナ語の特訓を受け、会見等ではほぼウクライナ語のみでこなしている。
だから、両国は、身内と言ってもよい、間柄である。

にも拘らず、ゼレンスキーは、ヨーロッパと手を繋ぎ、ロシアとの対抗を考えていた。恐らく、喜劇俳優として、西側の文明に憧れていたからであろう。

両国の、過去の歴史的背景から、ウクライナが、ロシアと手を切って、NATO の一員になる事は、ロシアが黙って居ないのは明らかである。が、ゼレンスキーは、遮二無二、その道を歩こうとした。

事、政治に関する限り、ゼレンスキーはまだ若造である。特に、米国の著名フオーブス誌が、米国の大統領を後回しにして、プーチンを、世界で最も影響力のある人物として、 四年連続首位に選定するのは、並大抵の事ではない。

2016年の時点で、プーチンは、世界で最も影響力のある人物として、 四年連続首位に選定されている。ゼレンスキーが、ウクライナの大統領に当選したのは、その3年後の2019年で、政治歴の違いは、較べようもない。

ゼレンスキーは、七割台で大統領に当選したが、二年後の2021年に、国民の支持率は二割台に落ち込んだ。劇的な変化であり、不安定度は極端に高い政治人物である。

プーチンは、如何なる局面を迎えようと、国際的に、その影響力を高く評価され、国内でも、常に、七割以上の支持率を保つ政治のベテラン人物で、ゼレンスキーは、全く比較にならない。にも拘らず、ゼレンスキーは、先輩から学ぼうとせず、逆に、楯突く事ばかり考えている。未熟だからであろう。

2022年4月、テレビ朝日系(ANN)の報道では、《 孤立深める中…プーチン氏「支持率83%」》と報道した。 米国寄りの日本評論は、それに対して、プーチン氏を支持しているのは、「教育程度の低い人達ばかりである」と言って「ケチ」を付けた。嫌ロの日本人は、「そうだ、そうだ」と言って、膝を叩くであろう。が、日本人全てが嫌ロでは無いから、その「ケチ」に反論する声もある。

《《 83%が支持しているのに、高度な教育を受けてない人が支持してるという分析はさすがに的外れすぎるでしょう。
ちなみに、83%支持と言うことは、ロシア国民の大多数はどのような階層や立場の人でもプーチンを支持しているということになるので、真面目に分析をするなら、残りの17%がどういう階層や立場の人たちなのかを調べた方が意味の有る情報になるでしょうね。 》》
成程と思う反論である。

今、ゼレンスキーを支持しているのは、米国と欧州の所謂「西側諸国」であり、もっと、はっきり言うと、NATO と ロシアの勢力争いに、ゼレンスキーは利用されているのであって、単なる侵略戦争ではない。だから、欧米が対ロ反侵略の結束を呼び掛けても、欧米以外の、多数の国々が、呼び掛けに応じないのは,その為である。

欧米の支援を得て、ロシアに対抗しているが、ゼレンスキーが プーチンに勝てる訳はない、と、筆者は見ている。それこそ、、ゼレンスキーが勝てば、世界地図を書き直す必要が生じるであろう。

日本語の新聞報道は、資料の来源が米国と欧州に限られている事と、加えて、日本は伝統的に嫌ロであるから、自ずと、プーチン非難の声一色になっている。が、米国のフォウブス紙が、自国の大統領をさて置いて,四年連続、世界最大影響力を持つ人物に選んだプーチンと言う人が、ヒットラーやスターリンと同類の人物である訳がない。

筆者は、ロシアの文化、文学、音楽、バレー、科学、等を高く評価し、特に、文学、古典音楽、バレーが好きなので、列島に多く居る人のように、「ロシア」という三字を耳にするだけで、嫌気になる事は勿論ない。

それで、今度のローウク、或いは、ウクーロの戦については、どちらにも加担せず、ただ、もともと「身内」の間柄だから、第三者、或いは、勢力に利用されずに、話し合いで事の解決を計るべきだと思って居る。