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飯島晴子の一句鑑賞  高橋透水

2020年04月22日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
孔子一行衣服で赭い梨を拭き 晴子 

 晴子俳句を読み明かすには、使用されている語彙を解析しなければならない。
 実景でないが経験からでた句、あるいは写生を組み替えた句が多い。したがってシンボルの解析し、表現された虚と実を読み取ることが必須だ。言い換えれば晴子俳句の鑑賞には、言葉の使い方に十分な注意が必要で、より慎重にならねばならないのだ。
 さて、掲句も存分に造形の世界が広がった作品である。晴子の自句自解によれば、原稿の締め切りが迫っていたとき、世界地図を広げ、目に留めた中国から連想したイメージから絞り出して俳句にしたという。
 孔子は魯に仕えたが容れられず、諸国を歴遊して治国の道を説いたというが、そんな時の光景を想像したのだろうか。「孔子一行」というから、数人の同行者がいて梨を手に寛いでいる一時だろう。
 歴遊の途中、ふと手にした梨、喉の乾いていた孔子一行は衣服で梨を拭きそれを食する。まるで水墨画を観るようで、薄汚れた孔子の衣服に梨のみ赭く色付けされた一幅の絵を脳裏に浮かべてしまう。机上でのイメージ句であるが、晴子の日頃の取材を兼ねた旅行、産みの苦しみから出来た、傑作といってよいだろう。

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