さっきたまたま見つけたブログの記事に「EU労働法政策雑記帳」の濱口氏の赤木論文批判が載ってておもしろかった。
赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ
上記記事に対する松尾匡さんのコメント
市民派リベラルのどこが越えられるべきか
それに対する濱口氏のコメント
松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」
なんだか昨日考えたことと重なってる部分がある。
濱口氏の記事から
松尾氏の記事から
先日「外国人労働者の生活支援」をしている人をPTA講演会の講師に招いたのだけども、それというのも、自民党の国家戦略本部とやらが「移民受け入れ1000万人」を提言したり、経団連が「定住化を前提とした移民受け入れ」を提言したりしているってことは、もはや他に選択肢はないってことを示してるんだろうなと思ったからだ。講師もも少しソフトな言い方でそう言っていた。
そういう方向に向かってるとして、企業が「さらに人件費を削減できる」なんて考えてたらおそろしいことじゃないか。だからといって、もしも不安定雇用の人たちが、「私たちの職を奪う」と外国人労働者を目の敵にして外国のように襲撃したりすれば、お金持ちは「やーい、バーカ、バーカ」と思いながら遠くから「内ゲバ」を嘲笑って見てるに違いない。彼らの思うつぼだ。外国人労働者を賃金のディスカウントの道具にしてはいけないのだ。そうさせないためには外国人労働者も含めた不安定雇用の賃金、待遇改善を訴えなくてはならない。同様に、正社員も自分だけ逃げ切りということはもはやありえない。正規雇用が非正規雇用に次々に置き換えられていく中で正社員の仕事はますます過酷になっていくだろう。だから労組は非正規雇用も含めた待遇改善と「同一労働、同一賃金」を訴えて戦わなくてはならない。みんな一連托生なんだ。
また、「多文化共生」という楽しそうな言葉で「NPOと連携して外国人支援をする」と言っている行政が、もしも「できるだけ経費を抑えたいから市民団体をうまく使おう」なんて考えてたらとんでもないことだと思う。民間にできることとできないことがある。お金がかかること、教育や医療の援助は行政にきちんとやってもらわないといけないし、外国人労働者を雇う企業には生活支援を義務付けるというようなこともしてもらわないといけない。
と、思ったので招いたのだった。人権は経済の問題と密接に結びついてるのだ。決して心の持ちようをなんとかすればいいって話じゃない。
先日の朝日新聞の記事で、「ロスジェネ」の編集委員大澤信亮さんが、「もはやどこにも安全な場所はないのだから」と書いていた。きっとそうなのだろう。日本は沈みかけた船だ。一連托生。
私は、年金はもういいです。自分の老後とか考えません。困窮したら家土地うっぱらって、それもなくなったら野垂れ死にしてもかまわないと思っている。ただし、子供だけは将来ちゃんと生きていけるような社会であってほしい。そういう基準で政策も判断しようと思っている。
ところで私も「市民派リベラル」ってやつの分類に入るのかなあ?
「ブエノス・ディアス・ニッポン~外国人が生きる『もうひとつの日本』」の著者、ななころびやおきさんのブログ「いしけりあそび」から
ええ、オレって市民派リベラルなの?
「ぜーんぶ階級問題だ~」って、おもいっきり赤旗じゃん!
赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ
上記記事に対する松尾匡さんのコメント
市民派リベラルのどこが越えられるべきか
それに対する濱口氏のコメント
松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」
なんだか昨日考えたことと重なってる部分がある。
濱口氏の記事から
赤木さんはあとがきで、こう言います。
>ええ、わかっていますよ。自分が無茶なことを言っているのは。
>「カネくれ!」「仕事くれ!」ばっかりでいったい何なのかと。
それは全然無茶ではないのです。
そこがプチブル的リベサヨ「左派」のなごりなんでしょうね。「他人」のことを論じるのは無茶じゃないけど、自分の窮状を語るのは無茶だと無意識のうちに思っている。
逆なのです。
「カネくれ!」「仕事くれ!」こそが、もっともまっとうなソーシャルの原点なのです。
それをもっと正々堂々と主張すべきなのですよ。
松尾氏の記事から
【利害を見下すのではなく】
そんな「配慮の連帯」はもういらない。「利害の連帯」の時代になっているのだ。濱口先生も、利害を語ることは恥ずかしいことではない、むしろ語るべきだ、オールド左翼はそうだった、と言っている。その通りである。しかし私が濱口先生に言いたいのは、少数の貧困層だけが利害を叫んでも力にはならない、そうではなくて多くの幅広い層の労働者がそれぞれ自己の暮らしの利害を追求しながら、なおかつそのためにこそ団結できるようになったのは、今述べたとおり、まさに現代資本主義のおかげだったということである。
それを称して私は「現代資本主義は労働者を普遍化させるので進歩だ」と言っているのである。濱口先生は、私の現代資本主義評価を解釈して、労働者がすべからくみんな非正規化・流動化した果てに、共通の利害に結ばれることを待望する議論のようにみなしているようである。しかしそれはあくまで最悪のシナリオなのであり、放っておけばそうなってしまうことを理解すれば、人々は自分より低い境遇の者を引き上げることを目指すだろう。それもまた「普遍化」のひとつなのである。
先日「外国人労働者の生活支援」をしている人をPTA講演会の講師に招いたのだけども、それというのも、自民党の国家戦略本部とやらが「移民受け入れ1000万人」を提言したり、経団連が「定住化を前提とした移民受け入れ」を提言したりしているってことは、もはや他に選択肢はないってことを示してるんだろうなと思ったからだ。講師もも少しソフトな言い方でそう言っていた。
そういう方向に向かってるとして、企業が「さらに人件費を削減できる」なんて考えてたらおそろしいことじゃないか。だからといって、もしも不安定雇用の人たちが、「私たちの職を奪う」と外国人労働者を目の敵にして外国のように襲撃したりすれば、お金持ちは「やーい、バーカ、バーカ」と思いながら遠くから「内ゲバ」を嘲笑って見てるに違いない。彼らの思うつぼだ。外国人労働者を賃金のディスカウントの道具にしてはいけないのだ。そうさせないためには外国人労働者も含めた不安定雇用の賃金、待遇改善を訴えなくてはならない。同様に、正社員も自分だけ逃げ切りということはもはやありえない。正規雇用が非正規雇用に次々に置き換えられていく中で正社員の仕事はますます過酷になっていくだろう。だから労組は非正規雇用も含めた待遇改善と「同一労働、同一賃金」を訴えて戦わなくてはならない。みんな一連托生なんだ。
また、「多文化共生」という楽しそうな言葉で「NPOと連携して外国人支援をする」と言っている行政が、もしも「できるだけ経費を抑えたいから市民団体をうまく使おう」なんて考えてたらとんでもないことだと思う。民間にできることとできないことがある。お金がかかること、教育や医療の援助は行政にきちんとやってもらわないといけないし、外国人労働者を雇う企業には生活支援を義務付けるというようなこともしてもらわないといけない。
と、思ったので招いたのだった。人権は経済の問題と密接に結びついてるのだ。決して心の持ちようをなんとかすればいいって話じゃない。
先日の朝日新聞の記事で、「ロスジェネ」の編集委員大澤信亮さんが、「もはやどこにも安全な場所はないのだから」と書いていた。きっとそうなのだろう。日本は沈みかけた船だ。一連托生。
私は、年金はもういいです。自分の老後とか考えません。困窮したら家土地うっぱらって、それもなくなったら野垂れ死にしてもかまわないと思っている。ただし、子供だけは将来ちゃんと生きていけるような社会であってほしい。そういう基準で政策も判断しようと思っている。
ところで私も「市民派リベラル」ってやつの分類に入るのかなあ?
「ブエノス・ディアス・ニッポン~外国人が生きる『もうひとつの日本』」の著者、ななころびやおきさんのブログ「いしけりあそび」から
ええ、オレって市民派リベラルなの?
「ぜーんぶ階級問題だ~」って、おもいっきり赤旗じゃん!