ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

ロンドンタワーブリッジに花咲く ニューイヤー花火

2013年12月31日 | 日記
 夜は、ヨハンの大学の屋上から、ロンドンタワーブリッジ上空に花咲くニューイヤー花火を見ようということで、ヨハンのガールフレンド、ターニャもやってきました。ターニャは中国人の母とイギリス人の父を持つロンドン育ちのイギリス人で透明感のあるすらりとしたスレンダー美女です。日本にも1年半住んだことがあるということで、戻りたいと言っていました。まっすぐロボット作りの道を進むヨハンは、適当に日本に何年か住んでまたイギリスに戻るという考えはよくないと言ってターニャをたしなめていました。もはやヨーロッパで就職するということは、ビザのいらない今となってはヨーロッパ全土での戦いだからです。身を持って体感してきた人の声は胸に響きます。

 夜、9時も過ぎるとKing’s College Londonの建つ通りはタワーブリッジに向かう陽気に騒ぐ人の群れで溢れかえります。ビールを買おうと店に立ち寄ると入口の前に行列ができていて店内に入る数も制限されていました。ともかくビールを手に入れた私たちも人の波にジョインし、大晦日のロンドンに足を弾ませます。

 花火が打ち上げられるタワーブリッジ周辺は、群衆で溢れかえり、その熱気と共にロンドンの雨も降ってきました。花火が始まりました!藍色の夜空にパッと花開き続ける花火たち。心もパッと明るくなります。2014年1月1日の始まりです。ロンドンで新年を迎えたということで、ヨハンにもターニャにも「明けましておめでとう」を言うのを忘れてしまったけど、「明けましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願いします」。


花弁の指輪

2013年12月31日 | 日記
 アーティストたちが集まり、作ったものを売る一画に足を踏み入れました。
 一番最初に目に飛び込んできたのは、ギリシャ出身の女性が作るシルバーの指輪です。シルバーで風に揺れているように大きめの花弁がかたどられ、ちょっと巷で見られないような珍しいデザインです。おまけにエレガントです。値段を聞いたら20ポンドということでした。今の換算で3400円ほどです。久しぶりにアーティスティックな素敵なものを見たのでかなり心が揺れたのですが、あまり指輪をしない自分のことを思って結局買うのをやめました。興味を示した後で立ち去る私にもギリシャの女の人は「バーイ」と愛想よく挨拶し、愛想のないロシアに長らく住む私にはそれも感激でした。

 今でもあの指輪を買えばよかったと思い出します。アイルランドで会う友人ナヨミにあげることもできただろうし、旅先で出会った気に入ったものはその時買わないと一生買えないので、心を残すより買ったほうがいいと思いました。

Camden town

2013年12月31日 | 日記
 「とにかく可愛いものが見たい」という私に、ヨハンが連れて行ってくれたのは、Camden townといういろいろなアーティストが集まり物を売る、屋台の並ぶオシャレな地区です。
 
 イギリスらしく雨が降り、ヨハンが貸してくれた大きすぎる傘をさして歩きました。食べ物の屋台には、中華、インド、タイ、洋食やさんが並び活気に満ちていました。久しぶりの異国の料理とその活気にうれしくなって、中華料理を食べたいと思いました。炒飯、ヌードル、酢豚、鶏肉の甘辛煮、肉団子、鶏肉揚げ、何種類ものとろとろのたれに絡められた美味しそうな料理が並んでいました。
 
 私は久しぶりのチャーハンとその上にかける甘酢あんかけ酢豚を選び、屋台のお兄さんたちは箱に詰めてくれている間も、「これも味見してみな」と次々に盛っていきます。久しぶりに商魂交じりの美味しい活気に楽しくなり、結局2箱も頼み、インド料理のヨハンの分も合わせたら3箱も二人で食べることになり、久しぶりの活気に胸だけでなくおなかもいっぱいになりました。

ヨハンと日本

2013年12月31日 | 日記
 4年前に東京で会ったときは、ロンドンで再会するなんて露程も夢にも思いませんでした。

 「元気?」
 「なんでロンドンにいるの?」

 ヨハンはもともととってもお喋りで一つ質問すると十ぐらいの答えが返ってきます。私は昔からお喋りな人が好きで、なぜなら、自分から喋らなくても向こうが勝手に喋ってくれるから非常に楽なのです。おまけにヨハンは話術の才能に長け、話題も豊富で、歴史、政治、ロボット工学、語学、7年住んだ日本社会への観察眼鋭く、知識が豊富で勉強していて努力していて、とにかく頭がいいのです。しかもこれらを何不自由なく日本語で話すのでただただ舌を巻くばかりです。彼曰く、いくら韓国語と日本語は似ているから学びやすいといっても彼の熟語のストックの多さ、ことわざ、四文字熟語、敬語の正しさは並大抵の努力で習得できるものではありません。そんな彼でも「やっぱり自分の専門のロボット工学以外のことを本で読もうとすると、歴史小説なんかは知らない言葉が多すぎて読めない」というのです。その辺の発言も本当に言語習得を極めた人の言葉だと感心し、最大限に努力して限界を知った賢人の言葉だと思いました。

 彼は日本の大学で7年間、ロボットの研究をし、7か月前にロンドンに来ました。彼自身は日本に残りたくて日本の大学の方々に准教授の座の履歴書を応募したらしいのですが、意に沿ったところへ雇われるのは難しく、唯一、採用してくれたのがこのロンドンの由緒正しいKing’s College Londonだったということでした。

 「ロンドンン生活はどう?」
 「楽。日本みたいにプレッシャーがないから。日本で一番大変なことは知ってる?人間関係だよ。日本は強い人には誰も逆らわないんだ。その代わり、下っ端はとことん苦労する。だから、僕は日本で准教授になりたかったんだ。生徒は誰も逆らわないから。教授からは何か言われるかもしれないけどね。だけど、日本で外国人が准教授になるのは難しい。生徒の論文を直してあげるという作業が発生するから、完璧な日本語ができないといけないんだ。僕の知り合いのイタリア人の研究員も日本人の奥さんと結婚して10年は日本で契約で働けたけど、やっぱり日本で教授としては残れなかった。今度イギリスに来るよ。話すのは問題ないけど論文の訂正ができないから。日本は基本的にすべて日本語で行われるから、そういう意味で外国人が教授になることは非常に難しい。こっちは違う。教授の大半がイギリス以外の国から。日本人は、学会とかで『日本の大学に所属してる』っていうと『あっ、そうなの君、どこの大学?』と教授は聞いてくるのに『イギリスから来た』っていうと態度が変わるんだ。『あっ、そうなんですか。どちらの大学からなんですか』って、いきなり敬語になるんだ。」
 日本社会の状況と教授が目に見えてわかり私も久しぶりに型にはまった日本社会を思い出しました。

 ロンドンの地下鉄で小銭しか使えない切符売場の機械を
「どうして日本以外の国はこんなに非効率的なんだろう」
と言う私に
「えっ、知らないの?日本がどの国より非効率的なんだよ。社会の中でルールがたくさんあって例外は認めないんだ。ルールがないところで何かしたい場合は必ずNO. 学会へ行くときの飛行機代も絶対何日間かの休暇は認めないし、一度友達と空港で会うために10時間のトランジットタイムをとったら、この10時間は何をしていたんだって突っ込まれたよ。業務のためと言えばすべて許されるけど、それ以外は一切認められない」
 私はお昼時間を1分過ぎたら注意を受ける日本社会を思い出し、戻りたくないと思いました。

 彼が私にくれたイギリスの名詞は、ペラペラの薄っぺらの紙に明らか彼自身がハサミでジョギジョギ切り取ったとみられる点線の裏書が見えました。あまりの適当な名刺に「こんなんでいいの?」と聞いたら「いいの。いいの。こっちは誰もそんなこと気にしないから」という答えでした。「あと、こっちのいいところは差別のないところ。いろんな人種がいるから差別がまったくない」
 ロンドンの街を見渡せばインド系イギリス人が非常に多く、大英博物館に絵の見学に来ていた学校の子供たちのほとんどがインド系でした。
「植民地も100年支配されたら、支配している国が好きになるんだよ。日本は韓国を38年で終わってしまったからイギリスのようにはいかなかった」


 彼が韓国人故に日本で受けた差別の話もとても可笑しく、笑ってしまいました。彼は何が差別で差別じゃないかもよくわかっていて、私も日本人として日本人社会を知っているので、彼の話す情景が目に見えてわかり、事実をただ受け止めて巧みにそれを交わして日本社会を生き抜いたヨハンはやっぱり本当に頭のいい人だと感心しました。


 「日本にいるときのほうがプレッシャーがあった。業績を出さないといけないと思ったから。こっちはそんなこと誰も言わない。誰も気にしない」と言ったあとで、大きなため息をついて、「だけどあの緊張感が懐かしいんだよ」と言いました。ヨハンの言葉の端々から日本への思慕が感じられました。ヨハンの日本への思いは、私のロシアのようなもので、飛行機のロシア人夫人にどれだけ悪いことを吹き込まれても、惹きつけられている気持ちはそう簡単には離れてはくれないのです。







ヨハン of King's college

2013年12月31日 | 日記
 翌日、イングリッシュブレックファーストを期待していたのですが、安宿のホテルはただのコンフレークとミルクとヨーグルトで、簡単な朝食を済まし、ヨハンとの待ち合わせ先に向かいました。途中で会ったロンドン市内観光ツアーのバスの客引きの紳士が話すブリティッシュ・イングリッシュに嬉しくなりました。乗りたかったけれどツアーが3時間というので諦めました。
 
 立ち寄ったサセックス・ガーデンは芝生が綺麗な黄緑色で、ロンドンの空は灰色でした。グリーンのピカデリーラインでヨハンの勤めるKing’s College Londonのあるテンプル・ステーションへ向かいました。私はロンドンのメトロも大好きで、東京のそれより小ぶりで路線図もわかりやすく各駅の距離も近いです。テンプル・ステーションはロンドン市内の中心に位置する駅なのに、改札は一つしかなく、改札を出た右にはテムズ川が悠々と流れています。テムズ川とその向こうにあるロンドンブリッジを眺めたあと、反対側にあるKing’s College Londonを目指しました。ヨハンとの待ち合わせの時間にまだ少しあったのでKing’s College Londonの隣にある美術館の中庭にできたスケート場を眺めました。ロシアから来た私にはちっとも珍しいものではありませんでしたが、都会のリンクでスケートを楽しむ人々はとってもお洒落に映りました。

 約束時間の午前11時にKing’s College Londonの正面門で待っていると、丸々太った懐かしいヨハンがやってきました。丸顔の童顔も相変わらずでした。