ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

Graduation

2019年10月03日 | 日記
 卒業式は出なかったのですが、クラスメートからGraduationの模様を写した写真が送られてきた日、卒業者リストに載った自分の名前を見つけ、長い時間、見入りました。初めて、あのマスター時代の苦しみは宝物だったんだ、と口にした自分に驚き、でももう一度人生を生きたら選ばないだろうとの気持ちは変わりませんでした。 
 常に気持ちを奮い立たせた2年間だったので、すべての工程が終わっても、すべてがすぐに良い方向へガラッと変わるわけもなく、ずっと不安の中に生きてきた心もその環境が常態化してしまったのか、ずっとそこに停滞しているような感覚がありました。疲れた、疲れた、ともあまり口に出せずにけれどある日、素直に、疲れた疲れたと人前で言ってみたら、疲れたままでよい、と友人が肯定してくれたところから、徐々に疲労がとれてきたような感触がありました。おっくうで仕方がなかった予定の数々に対する感じ方も変わり、今いる場所からどこかへ行けるような元気も戻ってきました。

 今朝、友人が送ってきてくれた写真はひとつのターニングポイントです。その場にはいなかったけれども、写真を見ることで卒業の実感が湧きあがり、All have been done I got through what I had to do and overcame me Thank you for everyone 本当に終われたのだ、と思いました。

Agnes

2019年10月03日 | 日記
 エッセイ提出間際はいつもちょっとしたスパイゲームのミッションインポッシブル状態です。余裕を持って終わらせようと計画はしているのですが、あまりのDemanding jobに結局は時間が足りなくなり、最後は分刻みの攻防戦です。いつも最後にNative checkをしてくれるアメリカ人のAgnesとは毎回メールでの、How’s it going ?!の応酬で、お互いの時差を考慮に入れて一応Draftを行き来する時間は決めるのですが、いつも少しずつお互い時間が押して最後は大幅に時間に押されて分刻みになります。

 論文を提出する時期には、大学構内の至る所に政治学部の誰々だとか経済学部博士課程だとかの名前とProofreading 100 wordsにつき£9とか£10という値段表記の手作りチラシがペタペタと壁に貼られています。
Proofreadingとは本稿が序論から結論まで一貫性があるかどうかNativeのEnglish checkも合わせた第三者にチェックを依頼して論文の確証性を高める作業のことを指します。Proofreadingは専門分野の知識も日必要になるので同じ分野の学生に依頼したほうがいいです。

 面識のない人に頼んでほんの少し直されただけで論文が返却されお金も取られたというイカサマProofreaderの話も聞いた中、私のお願いしたアメリカの大学のLinguistics博士課程のAgnesは非常に信頼がおけて細かく丁寧に手際よく直してくれます。

 彼女と出会ったのも偶然で、Proofreaderを見つけられないストレスを抱えながら修士課程に打ち込んでいたある日、いつものLinguisticsの大部屋の方で学会後のティーパーティーが行われていました。世界各国のアカデミックからLinguistics関係者が集まっていたようで、たまたまそこを通りかかりました。誰かいるかも!とひらめいたものの何だか気後れしてどうしようかと尻込みしている私に、クラスメイトのSimonがGo ahead! This is a chanceと背中を後押ししてくれました。

 賑やかなティーパーティー会場に各国から集まる30人の人々に向けて、I'm looking for someone who can check my dissertation as a proofreaderと声を張り上げたら、一瞬、会場がシーンとなった後、I’d like to do proofreadingとAgnesが手を挙げてくれました。そこで100 words per£10の取り決めをしてNice to meet you!と言い合った後、交渉が成立しました。

 彼女の編集は無駄がなく、私の回りくどい英語の一切を削ぎ落し、簡潔で美しい文章に仕立てあげてくれます。最終の編集を終えて帰ってきた論文は、The work has done to be sooooo beautiful after she edited!!

2018年9月15日

2019年10月03日 | 日記
 去年の9月15日は忘れもしない修士論文の最終提出日で、夜12時の鐘の鳴るその一歩手前の11:58にパソコンに光る提出完了の文字を見た後、ガチガチ歯が震えたのを覚えています。まるでシンデレラのミッションインポッシブルみたいに、提出時間の一時間前から目次を整えたり、ページをつけたり、図表と文章に共通の数字を打ちこんだりし始めて、思いがけずTechnical thingsなことに時間を取られ、パソコン画面と右下の時刻表示を睨めっこしながらすごい形相で作業をし、11:40に表示が切り替わるころ、もう今日中に間に合わないかもしれないと思った矢先、まるでアクション映画のヒーローのようにMさんが登場して、私に全部送ってください、私がします、と彼女が一旦、私の論文を全部引き取り体裁を整えてくれている間に、私は私でまだやり残しの作業を一心不乱に行っていました。

 昼間は昼間で、遅れに遅れた私のDraftを論文に対して一貫性があるかないかを行うProofreading兼EnglishのNative checkを行ってくれるAgnesからの返しを今か今かと待ちわびて、それが午後2時過ぎに戻り、真っ赤に赤字の入ったその原稿を脇目もふらずに直していました。どうしても今日中に提出するんだ、何が何でも終えるんだという気迫のみが前進させ、昼食も夕飯も取る余裕はさらさらなく大学の図書館でキーボードを打ち続けました。夜の9時になりいつもと変わらず守衛が図書館の終わりの合図を告げに来ると、なぜこのような特別な日に平常通りの閉館なのだと不満を覚えるも4階のLinguisticsの部屋に移動し、誰もいないその部屋で引き続き鬼気迫る思いで作業をしました。

 11:55にMさんから作業を終えた原稿が戻ってきて、2分で論文上の表とそれを示す内容が照らし合わさるように通し番号をつけ、締め切り間際はUploadする学生の混雑のせいでうまく上がらない憂慮もあり、どうにか最後のボタンを押したら11:58にHave Submittedのメッセージが表示されました。

 その後は、茫然自失状態となり、かねてよりしたかった論文の束からすべてのクリップを外し、いろいろな思いといっしょくたにごちゃ混ぜにしてゴミ箱に棄てて夜中の1時手前にロンドンの夜道を帰路につきました。

優しいひと

2019年10月03日 | 日記
 ロンドンで過ごした息もつけないような2年間の日々が、いつかいい思い出に変わる日が来るとはあの頃は露ほども夢にも思いませんでした。そして、あの頃の日々がいい思い出に変わろうとしている今、ふと、懐かしくあの頃過ごした家の近くの通りや街角が脳裏に浮かび上がってきてびっくりします。素敵な人に会えたのも、あの街です。

 沖縄に生まれたMさんは、クリスチャンを信奉する家庭で育ち、イスラム教を選び取りました。現在は、アルジェリア人の旦那様と出会いロンドンで暮らしています。その彼女にロンドン大学で会い、言語学部の博士課程である彼女に、論文の書き方を一から教わりました。何から手をつけていいのか、誰に教わったらいいのか途方に暮れていた私に手を差し伸べてくれたのは彼女です。寮と大学院がすべての往復であった私に、世界は様々なことで苦しんだり喜んだり動いたりしているんだという自分以外の状況を認知する視野はなくなり、学費と今までかけた労力と時間がこの論文を終わらせないことにはまったくの無に帰してしまうという世界の終わりのような危機感でがんじがらめになった私にとって、彼女は天から舞い降りたような一筋の希望の光でした。
 そんな思いとは裏腹に、彼女は当たり前のように、私の執拗すぎるメールでの質問の嵐にも大学構内でも時間を作っては丁寧にわかりやすく返答してくれました。あの時から論文の構成、書き方、考察の意味などが腹落ちしてき、どうにか終わらせられそうな私にとっては希望以外のなにものでもない光が見えてきました。
 
 今でも季節のGreeting cardsの交流があります。自分が落ち込んだり、人を傷つけてしまったかもしれないと後悔するとき、彼女の優しさと人のために労を惜しまない寛大さを思い出し、誰に誓うでもなく、彼女のような人になろうと思い直すのです。

修士論文

2019年10月03日 | 日記
7月の頭から修士論文の日々が始まり、ロンドンは曇り空と雨だなんていう定説を覆したあのよく晴れた初夏の日々に、今度は授業なしの図書館と寮の往復の日々が始まりました。朝9時に起きて、朝食を取り、図書館に向かいます。途中、必ず寄るカフェがあり、1日を始める前の心の準備としてアイスカフェラテを一杯飲み、その間に心を落ち着かせ、そして図書館入りをします。その後は閉館の9時までノンストップです。初めのうちは、お昼休憩を入れていたのですが、休憩をしたら戻らなければならない苦痛に耐えられず、そのうちに休憩をとることもやめました。お昼も取らず、携帯チェックもせず、ひたすらパソコンと論文を睨めっこしていました。夜9時の図書館に閉館時間になると守衛がやってきて、そこでやっと1日の仕事が終わったという気持ちになります。寮に帰るのはだいたい9時半前後で、1日の終わりに初めて美味しいと感じられるご飯を取ります。寮のシェアキッチンでは毎晩きまってイタリア人のカロリーナと顔を合わせ、私は簡単に作れる素面を、彼女はパスタをそれぞれ即席で作り食べていました。話題もきまっていつも、これが終わったらどんなにほっとするだろう、ストレスから解放だれるだろう、ということです。だけど、ある時、ふと心に浮かんだ疑問をカロリーナにぶつけてみました。本当にストレスから解放されて幸せになれると思う?!カロリーナは、なれるよ、なれる、絶対なれる、と断言しました。

修士論文の後半になると、音楽すらリラックスして聞けなくなり、British Libraryの前庭で流した透き通る女の人のVocalを聞いて、早く音楽を心からリラックスして聞けるようになりたいと切に願いました。