猫山の乳がん日記

2009年11月、2年半かかった乳房再建が完了。ホルモン治療は副作用のため1年間で中止し、無治療です。

高齢者の死って

2009年07月15日 | 身辺雑記
ご無沙汰の友人に会いました。

友「やつれたね病気は治ったの?
お父さんなくなったんだって?大丈夫?」
私「私は大丈夫だけど、母が2年経った今も立ち直ってないよ。
かくかくしかじか」
友「ふーん、でもお父さんって高齢、、だったでしょ?」
私「高齢だったけど、妻にとっては高齢だからいなくなっても
平気ってわけじゃないんじゃない?」

こういう人、けっこう多くて私はカルチャーショック。
(カルチャーは関係ないか)

「親ががんになったときは歳だし、しょうがないやって思ったけど
兄弟姉妹のときはショックだったなー」という人とも話したばかり。

高齢だと病気の一つや二つあっても、がんになってもおかしくはないけど、
だからといって、なくなってもしょうがないと思うこととは
私の中では全くの別物なので。

祖母ががんでなくなったときも
高齢だったので「もう大往生の部類だよね」って
みんなケロリとしてました。

葬儀で唯一泣いている私に「どうしてそんなに泣くの?」と
聞いてきた親戚もいました。

大往生なのと、前日に「○○ちゃん(私)の顔が見られたから
もういつ死んでもいいわ…」と言っていた祖母がなくなるのとは
孫にはなんの関係ないんだってばー。

ちょっと脱線すると、何かの事故で子供が犠牲になったときと
高齢者が犠牲になったときではニュースの取り上げ方が
全然違うのも常々気になっています。
子供だと「未来ある幼い命が奪われてっ!」とすごい熱入ってる。


とらえ方、感じ方って人それぞれなんだなぁーと思うことがいっぱい。

長く生きたんだからもういいでしょっていう考え方もアリだと
思います。

でも、私は歳とともに、どんどんそうは思えなくなっています。
年齢は近親者には、少なくとも私には関係ないです。
大事な人がたとえ200歳まで生きられたとしても、
大往生だったねと笑うことはできないです。オビラー的には失格。


湿気で脳みそが溶け出しそうな日に書く内容じゃなかったかも… 
















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2 Comments

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Unknown (whitebird)
2009-07-17 10:21:48
慰めたいのだがやり方が思い切り方角間違い、というパターンなのでしょうか?
ご友人にとっては猫山さんのお父様だから、猫山さんとお父様の関係より遠いですしね。

子ども>高齢者はよくわかりませんが、
私は自分のことは「十分生きたからもういいや~」と思うことはあります。そう言いつつういろう買いに走ったりするんですけどね。

祖母は90代で老衰で亡くなりました。最期はさすがに本人も苦しそうだったので、亡くなったときには「これで良かった」という雰囲気はありました。でもそれと悲しいという気持ちはまた別ですよね。
返信する
whitebirdさんへ (猫山)
2009-07-17 23:22:47
友人は慰めようとしたわけではなく、
高齢者がなくなって2年経っても
落ち込んでいる猫山母のことを純粋に
不思議に思ったようです。

>「十分生きたからもういいや~」
わぁー、そう思えるなんていいなぁ
濃い人生なのですね。

祖父がなくなる直前に、衰弱してるし、
胃がんだし、食べられるはずもないのに
「銀座の○○」が食べたいと言ってました
(誰かが買いに走りました)。
whitebirdさんの場合はういろう…ですかね
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