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赤いパンツ

2011-11-01 15:09:50 | Weblog
何歳の頃でしたか
父には三人兄弟がいて一番上の叔父と一番下の叔父が大原にいて真ん中の叔父が(とやま)追貝の原の奥のほうにある小さな開墾でした。
父母が早く亡くなっていたので多分叔父達が話し合って面倒を見てくれたのでしょう。今もそうかも知れませんが私が小さい頃は田舎ではごとに春夏秋と楽しい祭事が有りました。が10ケ所位あり祭りがかさらない様に有るので、あっちのこっちのと、泊り掛けで、よく行きました。
一番上の叔父さんの家に泊まりにいったときの出来事に、赤いパンツがありました。
今考えると本当に叔父さん達が気を使って面倒を見てくれていたのがよく解ります。何か祭事が有る度に本当に良く泊まりがけで遊びに行きました。そんな晩の出来事でした。梅お風呂に入れと言われたので今日は入らないと言ったらいつも喜んで入っているくせに早く入れと叱られてしまいました。私は小さい頃から泣き虫で余りハッキリ言える性質ではなかったようです。
叔父さん叔母さんが親切に言ってくれるのに泣きだしてしまい、家に帰るの、何で帰りたいのかと聞き正されても何としても帰るとの一点張りで言う事が出来ないでいると、姉が来てそうか梅は赤いパンツをはいて居るのを見られたくないのだろうと言われて、みんなを困らせた事を覚えています。情けない言い訳、その頃はパンツなんて無い、ふんどし、秋祭りと言えば結構寒い頃モンペ下に、ふんどし、姉が作ってくれたパンツのような股引『姉の腰巻を治して作ったヘンテコなパンツ』毛糸で出来ているので履いては暖かい、でもこの色が真っ赤子供心に、赤いパンツを見せたく無かったのでしょう。