やさしい人生を皆さんと共に

シンプルに気楽に人生を楽しく?

裏山の開墾

2012-03-30 12:11:55 | Weblog
『一週間分の食料と身の回りの全てを』
片道一時間半ほどの道乗りを生活用具を背負い、山の頂上まで一時間掛けて登り下りが30分ほどかかりました。
そこには只平らだけの木が茂っている林、茅も有るし只の漠然とした土地でした。何時の時代か解かりませんが昔開拓の後が残っている。其の土地を50軒全員で分けて開墾することになり、1軒に割り当てられた広さが1000坪程、どこの家でも三人程で泊まり込んでの作業ですが、今日から泊り込んでの作業ですので、最初にその泊り込む小屋を作らなければなりません。その小屋作りが2坪位で雨漏りしない様に、木はそばにある木を使い、屋根も茅が幾らでもあるので、後は中の炊事用具の配置、寝るところ、2坪の中で何から何でも自分でやるのですから大変です。その日のうちに小屋作りが終らなければ泊まるところが無いのですから、姉を頭に5人でしたが、他のうちは大人ばかりでしたが、我が家は私をはじめ子供ばかりですのでやることがよそ様の事をみよう、見真似でしたが、何とか小屋も出来、泊るのですが本当に山小屋は電気も無い所ですので山小屋で泊る事は大変です。聞こえて来るのは遠くの方から聞こえる川のせせらぎの音が500メートル位離れているのによく聞こえてきます本当に静かなのでしょう。
翌日からは開墾、開墾とはこの頃は全て手作業ですので、木を全部切り根を掘り出し茅を刈り、茅の根も掘り起こし、木は大変の作業です。木によっては1メートル掘ってもどうにも成らない木が有るので本当に一週間位では終わらでは。皆さんと同じ予定で準備してきたので、何が何でも終らせなければなりませんでした。皆さんに手伝ってもらい何とか無事に終る事が出来ました。後は作る作物はその家々で違いますが我が家では粟でした。種を蒔いて収穫までも手入れは、泊り込みの人や、片道一時間半も掛けて通う人も居ます。収穫時は背中で背負うきり方法が無く長い道のりを良く運んだ物だと思いました。今の時代から思うと考えただけでぞっとします。
こんな時代に育ったせいか食べ物は何を食べても塩味さえ良ければ美味しく感じます。粟の食べ方、普通はご飯に炊き込むが昔は米に対して粟が70%位でしたが、現在は米に対して粟が0.5%入れても食べないでしょう。こんな食料事情で育った私が外食産業のオーナーに成るなんて想像も就きませんでした。

部落の水車小屋

2012-03-19 13:00:38 | Weblog
『に三ヵ所あつた。水は農業用水だから田植え時などは、水が少ないので回らない。』
上、中、下と一キロぐらいの所に3ヶ所バランスよく出来ていた。上手く勾配も取り水車ごとに2メートル程の落差を利用して水車を回して居ました。一つの水車に15軒ほどの家が交代で利用していました。水車を利用の日は朝から夜中まで、粉を挽いたり穀物をついたり、石うすが3つありました。よく遊びがてらに連れて行ってもらいました。
杵が水車と一体になり水車の軸が回るごとに杵が一度落ちることになる。3つうすがあるので水車が一度回ると杵が3階落ちることになる。うすの形が巾着のように出来ているので、穀物がくるくると回りながら皮がむけてゆき上手く出来ています。その杵を落としたり上げたりして、その軸の先に粉をひく石うすが有り回転に合わせて石うすが回る様に成っている。何だかこんな機械の仕組みを、子供の時から関心があり只見ているだけで楽しかったです。
いずれにしてもいつごろから、場所も、水も、小屋も上手く分けて仲良く使っていたのでしょう。昔の人はこんな仕組みを誰が作ったのでしょう。関心ばかりです。

楽しみの温泉

2012-03-14 16:39:48 | Weblog
『老神温泉は3ヶ所のの土地に温泉が沸いていた』
だから地元の人には無料で温泉に入れてくれた。今思うと何と贅沢な温泉通い、今も老神温泉は3ヶ所のの土地の上に有る。小さな山裾に大楊、老神、穴原とごとに、温泉が沸き出ているのか解かりませんが、大楊の土地に二軒の温泉旅館がありました。大楊から老神温泉までは一キロ程でしたので、夜になるとお風呂に行こうと誘い合い行ったものでした。ゆっくり一時間ぐらい掛けて入って来ました。その当時はどこの旅館も湯治客が多いようです。
ここから後は書き込み追加しました。

この原文を書いた時には、まさか私が温泉旅館の経営をやるなんて思いもしませんでしたので最後のほうに詳細に書き込みますのでそちらを見てください。

家の裏に植えた杉の木

2012-03-14 16:16:30 | Weblog
『中学2年生の時に植えた杉木56年の月日を感じます。』
隣の家で杉の植林をするので杉の苗が沢山有ったので5本分けて貰い植えた杉木が大木に成っていました。その頃は竹林でしたので、育つかどうかわかりませんでしたが、竹は全く無い杉山になっていました。話によるとから竹林が消えたのだそうです。私が子供の頃は山の裾野は皆竹林でした。兄が竹のなくなった頃杉を植えたようです。
どの木か解らなくなってしまいましたが、根廻が100センチほどの木と少し細い木が有りましたので太い木が、私が植えた木かもしれません。
田植えごろが旬で竹の子とじゃがいもの煮付けが美味しかったです。裏山の高さは750メートル位の山ですが、上の方は国有林で殆どが落葉樹ですが、下の方は針葉樹で民有林です。ですから麓にあつたウドや、ぜんまい、こごめ、などの山菜も少なく成ったそうです。

はさみ書き込み『ホノルルマラソン』

2012-03-13 16:34:04 | Weblog
『今年も』
毎年の事ですがもうやめようと思い又申し込んでしまう。マラソンて何なんだろう。今年で夫婦で一緒に20回目の参加になりますが自分の目標タイムに向い二人とも毎日一時間の走りこみをしています。私が76歳妻71歳自分で馬鹿と言うきり表現の言いようが有りません。ただただ自分の健康のために夫婦で今の健康はこの走り込みが有ればこそとホノルルマラソン完走を目指して頑張って走りこみます。もしかして夫婦揃っての連続20回はギネスかもよ?でしたら嬉しいですが?
まだまだ続けられる様な気がします。

囲炉裏で燃やす薪取り

2012-03-13 12:10:42 | Weblog
『自分の家には林が無い人には大変の仕事です。』
でも意外な所で薪が手に入る。民有林を持っている家は、裏山で少しずつ木をきっては、薪にすれば良いのですが、林の無い家は国有林迄、行かなければなり成りません。
枯れ木ならば木を切っても叱られませんでした。以外に国有林迄行くと枯れ木が沢山有ります。
自然に木は再生するのか、枯れ木が沢山有ります。でも子供でしたので、近くで枯れ木を探して採ってきます。近くは民有林ですので枯れ木が少ないので、なかなか有りません。
細い小さな枝の枯れ木は有りますが立ち枯れのような枯れ木は無いです。杉の落とし枝とか、下草を刈った時の小枝の枯れたのやら、を探して拾ってきます。
でもそう言う木は囲炉裏では直ぐに燃えてしまいます。秋に来る台風など、こんな所でも、薪拾いをします。昔は今のように土砂堤防が無いので直ぐに水害が起きると山の木が流れてきます。
川幅が広いので本当に沢山の木が石などに、ひっ掛っていました。
台風が終ると皆さんが集まり分け合い薪にします。こんな所にも田舎のよさがあるように思います。