やさしい人生を皆さんと共に

シンプルに気楽に人生を楽しく?

まさかの連続

2013-08-27 13:52:23 | Weblog

『2013年8月22日前橋育英優勝』

最近は良い事尽くし、少し詳しく説明します。先ほど全国制覇した前橋育英ピッチャーの高橋光成の事まさか親戚だったなんて知らなかった。どんな系図かと言うと私の父の弟政叔父さんの曾孫であった。我が家は金子家の元祖ですが沼田市利根町高戸谷の高橋家に婿入りして家族ごと追貝の開墾地戸山に入植、其処で大きな農家になり戸山の地主となりました。それと今一人セカンドを守っていた高橋君ですが何でこんなに偶然が有るのか分かりませんが沼田市利根町高戸谷の出身です。高橋君の母が我が社の東明館で働いていました。自分如の様に嬉しく成りました。先月偶然にもその戸山に対した用事もないのにその政叔父さんの家を訪ねた其れも57年ぶりでした。あまり用事も無いのにさり気無く誰か居るかいと声をかけたら70歳位のおばあちゃんが何かようじかいと言葉を返された、用事は無いけれど余りにもなっかしいのでつい声をかけてしまいました。あんたは誰だいと返されたので実はこの家のかなり昔ですがこの家の主は私の叔父さんですと説明するとキョトンとして何が何だか解りそうも無いようでした。でも話をして行くうちに私も田舎弁に成り話が通じたようです。まさかこの家の子倅が高橋光成とは知る余地も有りませんでした。この地にはおさな馴染みの同級生やら昔を思い出して今は皆さん元気で居るのかと思い車のハンドルをこの地え訪ねたのでしょう。


少し長いが歴史に興味があったら見てください。私も最近まで良く知らなかった。

2013-08-13 16:11:10 | Weblog

金子美濃守

『我が家に祭られて有りました。』

 今では村の守り神として実家の直ぐ側に祭られていますが昭和18年の時の戦争の時に我が家の屋敷に防空壕を造る時に穴を掘っていたら金子美濃守の牌が出て来たのでビックリした事が有りました。小さい時に親から聞ければもっと歴史の事も解かったのに残念ですが今になっては何にも残されていませんが歴史書によれば?

[ 金子美濃守 ] - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ

 金子美濃守の手勢に民間人を加え、彼等に旗を持たせて正規兵らしく装った囮である。 勿論、渡辺左近丞の攻撃開始と共に、金子美濃守も反転、総攻撃に移っている。 加えて民間人とは言え、この時代は武装して戦い慣れた者も多い。彼等の金子 泰清(かねこ やすきよ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。新左衛門、美濃守とも。権謀術数に優れ、内政・外交面で活躍した。沼田顕泰の寵愛した側室の兄(又は父)といわれる。沼田景義の伯父(又は祖父)といわれる。 もともとは利根郡追貝村の名主で

金子美濃守・沼田平八郎】(051): 江戸の金善

金子美濃守・沼田平八郎】(051). 1) 平成18年に母方の先祖の墓参りをした。 棹石の正面には大きな字で戒名が三つ彫られている。 三列の戒名のうち左側が母の父の戒名で右側が母の母の戒名である、と龍巖山自性院のご住職が教えてくれた。 上台に丸にしかし側室とその兄、金子美濃守は平八郎を沼田城主にしようと野心を抱き、顕泰に朝憲殺害を働きかける。そして顕泰と平八郎は共謀して ... その間に平八郎の叔父、金子美濃守は歴代の城主に仕え、昌幸にも要領良く取り入っていた。 1581年3月、平八郎

金子美濃守の木像 - 実|伝統文化の森

かねこみののかみのもくぞう-利根町大楊. 沼田の歴史の中で、運命とはいえ悪名高い一人が金子新左衛門である。妹「湯のみ]を沼田氏12代顕泰の後妻に差し出し、自身も重臣となリ顕泰の一字をもらい美濃守泰清を名乗った。そして、沼田氏の藩政に大きく

武将/カ行/金子美濃守

上野・沼田城の将。妹の子・沼田景義を城主にするため、当主・朝憲を暗殺させた。結果、お家騒動が起こり、沼田氏は城を追われた。 その後、真田昌幸に内通。昌幸の意を受けて、 沼田城奪回にきた景義をだまし討ちにした。

なぜ戦国無双2では上田城の戦で金子美濃守や松本図書助がでてるんで ...

2011/05/09 - なぜ戦国無双2では上田城の戦で金子美濃守や松本図書助がでてるんですか? 金子美濃守は1581年に失意のうちに死去 松本図書助は蘆名家臣じゃなかったですっけ?(うろ覚え)やっぱゲームバランスなんですか

沼田城_もっとお城が好きになる

真田昌幸は戦っては平八郎に勝てないと知り城中にいた金子美濃守をだました。貪欲な美濃守は己が栄進したいため平八郎に、必ず城主にしてやるから武装を解きこっそり城中に入るように誘い入れて殺害した。 天正9年、42歳であった平八郎の首は実験の

真田三代: 幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る - Google ブック検索結果-平山優

金子美濃守は景義の伯父にあたるという(金子の妹は沼田万喜斎の妻で景義の生母)。昌幸は武田勝頼からの承認を得て、金子を説得した。その結果、金子はこれを了承し、中山右衛門尉・山名弥惣・岡谷平六と謀って、南鵬曲に布陣する景義の陣中に赴き、彼

守将:金子美濃守は合戦が川田で行われていると思い込んで宴を催し500の兵は夜襲の餌食となりました。 金子美濃守は片品川を渡って逃亡しました。 二十一日には長井坂の要害をも失い、二十八日より裸となった沼田城に北条軍5000の総攻撃が開始され

 

金子美濃守、戦続きで乱れた世の中を憂い、

上州沼田の豪族に金子美濃守という人物がいる。少し前の雑談、「ヘタレ武将」の中でも名前が挙がっていた人物ではあるが、実はそれなりの能力は持っていたらしい。
元々は沼田氏の配下だったのだが、娘(妹・姪という説も有)を当主の妾として、沼田氏が北条派・上杉派で内紛を起こした際には北条派を粛清、娘の産んだ子を世継に据える事に成功。
しかし真田氏が進出してくると、孫を捨てて真田に寝返る。あまつさえ由良氏の援助を受けた孫が逆襲に転じると、内応したように見せかけて謀殺してのけるという、戦には弱いが謀略・調略に才能を発揮した武将だったようで、真田家中でも沼田衆のまとめ役を務めたようだ。
そんな金子美濃守、戦続きで乱れた世の中を憂い、平和を祈願する為に、上州の修験道場として有名な湯殿山に参詣しようと志した。湯殿山で修行する僧に道案内を頼み、知り合いでもあった海蔵寺の住職にも同行して貰い、湯殿山に登り始める。
しかし、不思議な事に御山に一歩足を踏み入れた途端、美濃守の手足は竦み、頭はクラクラとして前後もわからないようになってしまった。

案内人達が美濃守に問う。
「これは御山が貴方の入山を拒んでいるのではないでしょうか。貴方は何か、懺悔するべき大罪を犯されておりませぬか?」「し、仕方がなかろう!わしとて重代の主君を殺したくなどなかった!しかもわしに取っては孫に当たる若君だったのだぞ!それでも、殺さねばならなかったのだ!金子の家を残す為だったのだ!!」
美濃守が、山伏達にそう言葉を返した途端、茂みの中から彼等の前に一匹の蛇が姿を現した。百尋もあろうかという巨大な大蛇であり、この大蛇は美濃守をジッと見据えたまま、自らの腹を美濃守の目の前に晒した。「…………平八郎様っ!!」美濃守は騙し討ちにした孫の名を叫ぶと、その場に昏倒してしまう。
山伏達と海蔵寺の住職が大蛇を見ると、蛇の左の脇腹には痣のように見える模様があった。
生前の平八郎にも痣があったか、騙し討ちにした時に左脇を斬り付けたのか、美濃守と平八郎にしか判らない何かがあったのだろう。
だが、この大蛇が平八郎の怨霊である事は確かだと、後に息を吹き返した美濃守自身が語ったという。山伏達&住職に担がれるように山を降りた金子美濃守。海蔵寺の住職には「平八郎様の霊を慰め、菩提を弔う為に出家されては如何だろうか?」と提案されるがそれを拒否。
あくまで在家のままで平八郎の菩提を弔いたいと言って、湯殿山の参詣者達の為に登山道の整備に私財を寄進したり、七度まで執拗に湯殿山参詣にチャレンジしたりもしている。
だが、遂に美濃守が山頂にまでたどり着く事はなかったという。この事があった後、美濃守の館では、日が暮れるたびに平八郎殿の霊が現れたと言う。沼田衆のまとめ役であった美濃守だが、配下の沼田衆の心も離れて行く。この様子を見て真田昌幸・信幸父子も美濃守を見限ったのか、小田原征伐の後、関東が静謐になると、美濃守の所領を替え、少しずつ減らして行った。最後は自らの館もなく、縁者の元で病死して果てたと言う。
真田配下でのヘタレ敗戦の事ばかりが有名な金子さんですが、意外に謀略家だったんですね。出家を勧められて拒否する辺りは「戦国の武士として間違った事はしてない」という矜持でも持っていたのでしょうか。見方に寄ってはちょっと同情出来なくもない、金子美濃守と沼田平八郎の怨霊のお話でした。
なるほど、平八郎のせいで結果的に信之お兄ちゃんの命が縮んだということですね「私の父が何か」良心の呵責ってのがあったんだろうか。そもそも湯殿山に行かなければ良かったんじゃね?真田某「あーしてこーして」山伏達&住職そんなまわりくどいことをあの方が先の逸話では省略してしまいましたが、出典元では海蔵寺の住職が出家を勧めた時、「うちの寺は元々、上杉顕定が討死した時、主君を守れず、仇も討てなかった後悔から、沼田景秀が建立した寺」と、寺の縁起を語り始めます。
自分は「主君の菩提を弔う為の」「沼田氏所縁の寺」の住職である、とまるで説得というより難詰するかのような雰囲気です。平八郎の霊が出るようになって、人も離れたと書かれていますし、昌幸の陰謀云々よりも、真田家中の雰囲気が「……出家すればいいのに」という空気だったんじゃないですかね。本人からしてみたら仕方なくやった暗殺ではあったのだけれど、周りの人達は皆、ドン引きしていた。ってな感じでしょうか?金子美濃守


暫くぶりに老神温泉に行ってきました。

2013-08-03 16:49:08 | Weblog

2日間の予定でゴルフでしたが初日は天候に恵まれて楽しいゴルフをしてきました。

泊まりは東明館でした。夜はお酒飲んだりカラオケして楽しかった。2日目朝起きたら

大雨何か出鼻をくじかれた気分でも雨の中をやる気十分でクラブハウスまで行ったが

どしゃ降りの雨はやまない諦めてキャンセルして家路に向かったコースから高速に出

るのに十五分ほど走った頃に雨がぴたりと止んだ皆さんも同じ思いだろうが引き返せ

ない情けない思いで帰ってきました。

家に帰り昼間から一人で乾杯でした。