たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

ボヘミアン・ラプソディ

2018-12-10 22:43:58 | 現実
映画「ボヘミアン・ラプソディ」とにかく、良かった!

今日は、なんと2回目を観てきた。(友人の中にはすでに4回位観ている人もいるが)

映画は、実は普段、たいして見ない。

映画館で最後に見たのは、2001年の「千年の恋」。宝塚出身の天海祐希が光源氏、ならば行かなければ!と重い腰を上げ、相方と観に行った。その前は、オーストラリアで相方と一緒に何度か、行ったのみだから、それも7,8年ぶりだったはず。

じっと坐っているのがまず、苦手なので。どうしても、もぞもぞしてしまう。最近はアマゾンprimeあるからと、firestick買ったので時々観るようになったが、それでも、よく途中で止めて、何やかや、してしまう。リップクリーム塗りに行ったり、ああ、そういえば洗濯物しまわないと…等と。
映画館で2時間ずっと座ってるのはしんどい、と思ってしまう。


再度重い腰を上げたのは、FBで高校の同級生たちが絶賛していたのと、中学時代の友人が「おすすめ!」とわざわざLINEしてくれたからである。そこまでなら、観なければ!


日曜の夕方、茨城に戻る相方の新幹線が新大阪を出てからふと思いついた。「そうか、今このまま梅田で観ていけばいいんだな」

大阪駅の映画館に行ってみる。10年ぶりの映画館、笑われそうだが妙に緊張する。どこでチケット買うのかな…あ、普通にカウンターに行くのか。

「ボヘミアン・ラプソディお願いします」

・・・え? もう3席しか空いてないの?しかも端っこの一番前? わー見づらそう…でもせっかく思いついたんだし。聞きしに勝る人気ぶりである。

私くらいの年齢層が多いかと思っていたが、若い人が多い。クイーン、知ってるのかな?というような20代のカップルとか。隣に来たのは大学生らしき男の子3人組。
ひとりが「今日は、久しぶりに映画館で泣くぞ!」と言っている。

当たり前だがクイーンの曲がストーリーとうまい事ぴったり合って、天才の孤独、仲間と家族、恋人、時代の空気、色んなものを印象的に綴っている。重い話なんだけれどもそう重くないのは、なんだかコンサートに来たような気分になれる作りになっているからだろう。

友人たちがみな言っていたように、俳優陣があきれる位クイーンのメンバーに似ている。よくここまで似ている人たち見つけたものだ。

フレディ役の人は目がフレディよりずっと大きくて、実は顔立ちは似ていないのに、動きをトレーナーが付いて練習したというだけあって、観ているうちに「フレディだ」と思わされてしまうのに感心。目立つ歯を隠すような口の動かし方とか、マイクの持ち方、ステージでの歩き方、そっくり!懐かしい事この上ない。

ブライアン・メイ役の人は、ブライアン・メイ本人にギターを習った!と言う贅沢な話だが、本人が映画を観て「自分だ!」と思ったくらいだそうだ。

私が特に驚いたのはジョン・ディーコン役。(「ジュラシックパーク」の子役の人だそうで、随分大きくなったもんだ…)ちょっと眉をしかめたりするところ、ああ、こういう表情、してたなあ!と思い出して、思い出したことにびっくりした。

みんなよく、研究したんだなあ…。

ネットで関連記事を見てみると、若い世代には「ロジャー・テイラーの人がカワイイ」と話題になってるそうで、そこは感覚違うんだあ、というとこ。

数々の名曲が作られていく過程、むろん映画だからそのままその通りなわけはないが、昔からのファンからすると感涙ものである。

それこそ「ボヘミアン・ラプソディ」が作られる農家のスタジオシーン、ロジャーが「ガリレオ~~」とウラ声で何度も歌わされ、(ふーんあれってロジャーなんだ…)
「How many more Galileos do you want ?!」

「ディスコだと?クイーンだぞおれたちは!」みたいな言い合いをしている所にクールなジョンがベースを弾きはじめ「Another One Bites The Dust」が出来上がっていく所。

遅刻してくるフレディを待ちながら、ブライアンが「ドンドンチャ!」とメンバーとメンバーの奥さんを集めて、「We Will Rock You」のあの懐かしいリズムを刻み始めて、それがコンサートシーンにつながっていく所では、応援上映でないのが残念でならなかったくらいである。

中学時代友人たちと学校で床を踏み鳴らしたものだ。

「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞に「なんだこれ?!」と言う反応をされるシーンでは、中学時代に苦労して歌詞を和訳したことを思い出した。

クイーンは私の英語人生のきっかけと言っていいのである。

英語は得意だったが、なにしろ、田舎の中学生の英語力である。直訳してなんだか訳のわからないものが出来て自分で「???」となっていたのだが、英語が出来るようになって読んでみても「???」の部分が有り過ぎ。

だが映画の中で「歌詞は聴く人のものだ」というフレディの言葉があって、確かに!と納得した。さまざまなものが暗喩されているのだろうが、究極はそこだろう。

このシーンでは、「オペラなんて聴く人はいないぞ」と反対されるのだが、そこで思い出したのは母の事である。母はクラシックが好きな人だったが、私の買ってきた「オペラ座の夜」を聴いて感心し、「ロックなんてうるさいものと思っていたけど、オペラとロックが一緒になってるなんて凄い」と独りで私のレコードを勝手に聴いていたものだ。

その頃母は42、3歳だった。中学生の私から見るとずいぶんなおばさんだったわけで、「こういう年齢の人もロックをいいと思う事もあるんだなあ」という感想を持ったのだが、今では40代以上の方がロック好きな筈。

現に、今日、2回目は月曜昼の時間帯に観に行ったせいか、60代と思われる人たちが多かった。リアルなクイーン世代だろう。なんたって、杖をついている人がいた位だ。

この映画の流れで、最近は良く、Youtubeで昔のクイーン関連の動画を観ている。

「Under Pressure」でデヴィッド・ボウィの美しさに感心したり(そこ?)、フレディの追悼公演での、懐かしいジョージ・マイケルの「Somebody to Love」のパフォーマンスにあらためて驚いたり、なんていうのもあり。

「ボヘミアン・ラプソディ」、10日くらい延長になっているが、もしまた1月位まで延長するなら、音楽好きな相方と再度、観に行きたいものだ。