たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

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暑かったり寒かったり。

2012-10-28 19:12:08 | 現実
もうすぐ10月も終わり。

10月としてはずいぶんと気温の高い日も多かった気がする。かと思えば、帰りの駅のホームで震えながら電車を待ったりも。どうも気温の差が激しい月だった。

そのうちの気温の高かったある休日に、京田辺(京都南部)にある、一休さんで知られるお寺まで電車で行ってきた。





私の旅の友、「歩く地図」の「南山城」のページを見ながら、「京田辺なら、うちから電車で乗り換えなしで30分位、ちょっとお散歩がてら行けるな」



…あれ?

一休寺、観音寺などが載っているが…「なんざん城」はどこに?

そこで気づいた。

…違う。これは、「みなみやましろ」なんだ! 「山城国(やましろのくに)」って言うじゃない!

私はこの「歩く地図」というガイドブック、17年使っているのだけれど、その間ずっとこのページを「なんざん城」の載っているページだと思っていたのだ。

「二条城」とか、「伏見桃山城」のように…。

あまりメジャーでない城なんだろうと思っていた。17年気づかないとは… 我ながらカンチガイ期間の長さにびっくりである。

同じようなカンチガイに、「怒髪、天を衝く」を「怒髪天 を衝く」と思っていたというのがある。

四天王の持国天、多聞天、増長天、広目天のほかに「怒髪天」ていうのがいて、髪が逆立っていて、突っつくと怒るのでそれを表現しているのだと思っていたのだ。
だって四天王も皆コワイ顔をしているし…。

カンチガイの南山城、京田辺の駅で降り、お城はないが一休さんのお寺、酬恩庵一休寺までぶらぶらと歩いてみることにする。

お天気は最高。道端に秋の花も。






大きな幹線道路を歩くので、車がびゅんびゅん通り、あまり良い散歩道とはいえないが、ところどころに秋色の葉っぱが。家全体が蔦に覆われた家もありびっくり。見た所車庫もドアまで覆われているが、家には人が住んでいる様子だったりして。

一休寺まで20分、結構汗をかいた。秋空とはいえ日中は気温が高い。





ここは一休禅師のお墓だが、皇子であったという事で宮内庁の管轄、外からしか見られないようになっている。


ここのお寺も人がいない。見事な枯山水の庭(方丈庭園)があるのだが、熟年夫婦が縁側に腰掛けているのみ。写真を撮っている私を見て、「観光客も来るんやなあ」などと言っている。




庭に出て本堂へと廻ってみるが…

一体なんでこんなに蜘蛛が多いのか???

方丈の建物も、手入れはきちんとされているが外側に出ると屋根の所に蜘蛛。

庭に出ると木々が蜘蛛の巣だらけ!しかもどれにもでっかい蜘蛛が鎮座している。

蜘蛛の巣アーチを潜り抜けて庭を歩く、てな具合である。蜘蛛が苦手な人ならムリかも。



「このはし わたるべからず」と書いてある橋を渡り、戻ってくるとお坊さんの像がある。



これは一休禅師の像だそうだが…老年期の一休さんだろうが、「破壊坊主」であった感じもあまりしない、タレ目の一休さん。


ひとけがないのでのんびりと写真も撮れ、さて、帰ろうと出口まで来たらびっくり。40人はいるかと思われる集団出現!たいそう賑やかである。
皆ハイキング姿である。熟年の山ガール(とボーイ)がたくさん!むろんでかいカメラ持参の人も多い。ハイキングの会か何かだろうか?
一歩早く来ていて助かった。



デジブック 『秋、近づく。』
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回り道迷い道

2012-10-09 00:19:38 | 現実
やれやれ、という感じで秋らしくなってきた。
大好きな彼岸花も先週あたりで終わり。

今年は京都の、あまり有名どころでないお寺等を廻って写真撮影を試みているが、9月には左京区の蓮華寺、今日は岩倉実相院に行ってきた。

蓮華寺は比叡山の麓というべき所にある小さなお寺。実は「雨の似合う京都のお寺」で検索して出てきたのだが(天気予報では雨になりそうだったので)むしろかんかん照り、9月とはとても思えぬ暑さだった。



連休の一日だったが、来ているのは私も含め4人のみ。静かな中にクマゼミでないのんびりした蝉の声が響き、これまたのんびりと鯉が泳ぐ池のある、よいお寺だった。
ここから遠くない詩仙堂…春に訪れたが、同じ石川丈山の設計した庭だそうで、詩仙堂の庭も素晴らしかった。三河武士石川丈山、なかなかのセンスである。






休日にこれだけ人がいない京都というのも面白い。のんびりと畳の部屋で涼んでいると気も休まるものだ。なんたって静かなのだ。

しかし真っ青な9月の空、とはいえまだまだ残暑厳しく、残暑に弱い私はなんだかしんどくなってきた。この後は深泥池近くの圓通寺まで行く予定、一応近くの駅までは行ったのだが、結構歩きそうでもあり、体調を考えてあきらめることに。ちょうどあった手打ちそばの店で休んで帰ってきた。
う~ん電車代もったいなかった…。




仕切り直しで今日は同じ方向へ、京都三条で京阪を降り、バスを探す…も行きたい圓通寺方向へのバス停が見当たらない。私の持っている「歩く地図」はスグレモノではあるが古い。これに書いてあるバスの番号、ないのである。なにせ15年位前に買ったものなのだから…時間もあまりないし、それならとあきらめて、まっすぐ行くバスのある実相院へ向かう事に。

左京区とは言っても結構北の方にポツンとある門跡寺。狩野派の襖絵がしっかり残っていて有名であるが、ここもそれ程メジャーどころではないので人は10人もいないくらい。
入り口に藤袴があるのは下鴨神社と同じ。
何か意味があるのだろうか。



ここは屋内の写真は撮れない。襖絵があるからだろうが、暗い屋内からみた庭の感じがとてもよいので残念である。




帰りはぶらぶらと、電車の岩倉駅まで歩くことにする。
比叡山が青空に映え、道路わきの畑の横にはコスモスが。





こういう、あまり人の多くないお寺に行く場合は道に迷う可能性も高い。
また、アクセスが悪い場合も相当、ある。

四条辺りから円山公園、清水寺まで行くのに迷う事はまず、ないだろう。とりあえず人の群れについていけばよかったりする。

蓮華寺など、駅の近くに矢印はあったがそれ以降なにもないので、???とりあえず川に沿って行けばいいらしい?とマップを見ながら歩いてとりあえずは迷わずたどり着いたが、実相院の方は今一つわかりづらかった。バスはある事はあるが1時間に2本くらいだし駅まで歩いたほうが早いだろうと見当をつけて歩いてみたがなにしろ住宅地で目印もない。
今年はそういうお寺を選んで巡っているのでこの手のことには慣れてしまった感ありだが。
私は方向音痴だが、歩き回って間違って、多少は遠回りがありながらも目的地にたどりつくカンが出来てきたように思う。

また、迷って面白いものに出会ったりする事もあるのだ。
かえって印象に残ったり…。

随分昔、それこそ15年は前の事かと思うのだが、錦市場へ行こうと思い立ち、四条通から右に曲がるはずが思いっきり反対側に行ってしまったことがあった。
四条高倉という辺りなのだが、うろうろしていたら何やら旗がはためいている古風な店がある。お米屋さんだ。
「タイ米あります」と書かれているのだ。

へえ!こんなところにタイ米が?

私は家でタイカレーを作る事もあり、タイ米は以前から探していたのだがその頃は見つけるのが難しかった。今なら輸入品の店などにも置いているが…。

店をのぞいてみると、京都らしい軒先の低い建物の中、入り口にどっかり巨大な黒犬が寝そべっていて入れない。

「あ、またいでください」

いや、またぐって…

またいで入ったが、犬が怖い人であればムリと思うんだけど…。私は犬好きだから平気だけど…。

結局2キロばかりタイ米を仕入れて帰り、目的地の錦市場にはいかなかったはず。

目的は果たさなかったが、この出来事の印象は強く今でもよく覚えている。

私は写真撮影にあちこち廻っているが、案外に、写真に撮ったものは記憶にはきちんと残らなかったりする事もある。写真をうまく撮る事に集中してしまうからだろう。
または、撮ったから、と安心してあまり真剣に見ていないというのも考えられる。

作家の阿刀田高さんがやはり同じようなことをエッセイに書いていた。大事に記憶にとどめたいものは写真に撮らない、と言うような。
私は写真が好きなのでさすがにそこまでは考えないが。

目的地に着くまでに迷ったりするとまた、迷った場所が印象に残るのも皮肉なものだが同じような事だろうか。そういう時には周りをじっくりと見て、あちらか、こちらか、とじっくり見ているだろうし、写真もおそらく撮っている余裕がないだろうし、あせっていたりするとそれは無論、記憶に残りやすいだろう。

迷って遠回りになったり、小さな駅で長々と待たなくてはならないような事もある小旅行も、私は嫌いではない。
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