たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

考えさせられる夢。

2012-03-27 01:35:59 | 夢と現実
夢はよく覚えている方だが、起きる直前の夢は特にそうだ。今朝の夢もとてもはっきりとしていた。

私は今の会社を辞めて、どうやらオフィスで事務員をしているらしい。

外回りから何故かタクシーで帰ってきた営業の男性が、携帯で電話してきて、なかなか電話に出なかったと言って怒っている。着いたらタクシー代を払いに出てきてほしいから電話したのに、と言う事だった。
タクシーが着いたので、私が払いに出て行った。細かいコインを数えて運転手さんに渡した、なんていう場面まで今も思い出せる。
その営業の男性社員は、私に後を任せるとさっさと礼も言わずにオフィスに入っていった。

他にも事務の仕事を何かしていたようなのだがそこはよく思い出せない。
「こういうもんなんだよね」と思いながら働いているのだが…何が「こういうもん」なのか、はっきりとは夢の中でも意識はしていなかったが、おぼろげにそのイメージは残っている。

会社のイメージとしては、昔20代のころに働いていた医療品の卸の会社にとても似ているように思えた。この写真の、北大の南門のすぐ近くにあったのだ。あった、というのは、今はその会社が入っていた建物自体今はないからだ。10年以上前帰省した時も行ってみたが、その時点ですでになかった。(ちなみにこの写真は去年夏のもの)
googleしてみても出てこない。とても近い関係の会社があったから、もしかすると合併したか何かかな、とも思う。

お茶汲みどころか、お昼にコンビニの「鍋焼きうどん」を男性社員のために作らされた事もあったし、なぜか支店長の息子のミニカーを買いに行かされたこともあった。
旧態依然とした小さな会社だった。
留学前にその会社で3年弱働いたが、留学のための資金作りと割り切っていたためもあるし、この会社で何かキャリアを積もうとも思わなかった、と言うよりは何も考えていなかったのだろう、そういうものだと思って事務の仕事も言われたことを「こなす」ことしかしていなかった。

現在の職場では、むろん会社だから会社の方針があるし、学校自体は各学校のマネージャーの作るものだからそこに合わせていくわけだが、私自身で収入計画を立て、それに基づいて企画を考えたり、広告を打ったり教師たちへの落とし込みや指導もしていくので、自分の裁量やアイディアで物事を進められる部分も多い。
それは、失敗すれば大変だし面倒な事は多々あるけれどそれはそれで面白いものでもあるのだ。
女性がほとんどの職場だから、男性に気を使う、と言う事もないし(男性のほうが気を使うに違いない)長年働いてお局様になっても、「やめろ」という圧力がかかることも居づらくなることもなし。気楽なのだ。

そういう状態に慣れてしまっているので、今朝の夢で見た昔のような仕事は、夢の中でさえ「違うなあ」と違和感を持ってやっているのだ。

昔のような仕事が私にとって良いか悪いかとか、女性の立場がどうとか、いう問題を夢の中で考えているのではないが、そこで働いている私は明らかに「ダウン気味」の精神状態であったような気がする。こうやって働いていくんだな、これから、と後悔しているような…そんな重いものが起きた時に残っていた。
同時に自分で自分の歴史を垣間見たような。

何故こんな夢を見たのかはわからないが、もしかすると、「動物のお医者さん」を読み返したり、最近していたせいだろうか。このマンガの舞台は北大獣医学部だし、獣医学部はお得意様のひとつだったのだ。しかし楽しいマンガなのだから、もっと楽しい夢を見たかったものだ。獣医さんになるとか。

昔の会社の通勤にはこの南門を入って北大の構内を突っ切る通りを抜け、地下鉄駅へと歩くコースをとることもあった。かれこれ20年以上前の事である。木々も少しは大きくなっているのだろうか。景色は昔と変わっていないように思うのだけれど。



コメント (4)
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石山寺~琵琶湖一周

2012-03-20 19:11:47 | 現実
源氏物語が好きならば石山寺には行かねば。

それにここには梅林があるのだ。3月には珍しく3連休が出来たのを幸い、中日に梅の撮影と石山寺参りに遠出することにした。
滋賀県になるので遠出ではあるけれど、大阪からJR新快速で1時間位で石山の駅には行ける。そこから石山寺まではバスか京阪に乗り継いでいくことになるが。

石山寺は、紫式部が琵琶湖の湖面に写る月影を見て、源氏物語の構想を得た、という伝説のある場所。



ちょっと怖い紫式部像があるが、ここからは湖面は見えない。千年前は木々が少なくて見えたのかもしれないが、湖があるな、位しか今ではわからないのだ。


それにしても寒い!
寒の戻り、とは言うが戻りすぎではないだろうか。風の冷たいこと!
日が射しているので暖かいかと思ってダウンを着なかったのが失敗だった。

まあ、歩いていればそのうち暖かくなるだろう、と石山寺門前辺りから写真を撮り始めて気づいた。

なんだか赤いランプが…そうだった…この間京都へ行って花灯路撮影をした時、「電池そろそろなくなってきたな」と思ったばかりだったに替えるのを忘れていた…。
わざわざ遠出してきたのに…電池が無ければ愛機GF1も無用の長物である。
花を撮るのならマクロでも撮りたいので、クローズアップレンズも、むろんズームも持ってきているのに、だ。



これはパンケーキレンズにクローズアップレンズを3枚くっつけたもの。マクロレンズは高価なので、とりあえずこれで代用しているが結構役に立つものだ。
言ってみれば「虫眼鏡」だが、1枚1200円位のものにしてはなかなか。オートフォーカスではピントが合いにくいのでマニュアルでしないといけないのが難だけれど。

しっかりレンズは準備しても電池が無くては…スマホで撮るしかない。
携帯でも最近はカメラの質いいので、もちろんきれいな写真がとれるけれど、「隅から隅まできれいに撮れました」というのしか撮れないので平坦な写真になってしまう。
これがGF1で撮れたラストの写真。




スマホで撮るとこんな感じ。うーんやはり違う。



残念ながら梅も七分咲きという所で、ちょっと物足りない。
梅とお寺が入るアングルがあればいいのだけれど…ここはそれもないし。

とりあえず「黒豆おこわ、鯉味噌胡瓜と白味噌と生麩のおつゆ、というランチセットを近くのお菓子屋さん兼和カフェみたいな所でいただき、この先の計画を練る。




時間もある事だし、以前からやってみようと思っていた「鉄子チャン」になることにしようか。
「電車で琵琶湖一周!」である。


石山から湖東に向かうJR新快速に乗って長浜まで。途中安土、彦根などを通るが観光はしない。ひたすら電車に揺られる。降りてもよいのだがとにかく寒いので出る気になれない、と言ったほうがいいだろうか。
新快速は早いのであっという間に長浜に到着、ここで琵琶湖最北端を曲がっていくラインに乗り換える。20分ばかり待つことに。



このあたりまで来ると回りは山が多い。雪を頂く山がホームから遠くに見える。





ここから北へどんどん向い、最北端にある余呉湖の北側を回って近江塩津。ここから北に行くと北陸本線になり、敦賀へ向かい日本海側に出る。ここまでで約1時間半。
琵琶湖の北側はもうほとんど福井県に近いから、家の周りにも雪が残っているところがある。南側とは随分違うようだ。



私はここで乗り換えて南側、湖西線に乗るのだ。
湖西線は割に湖の近くを通るので景色が良い。…とはいえ琵琶湖の水はそれほどきれいなものではないが…どちらかと言えば周りに見える、雪の残る山々のほうが見事だ。



近江今津、近江高島、近江舞子、と「近江」の付く駅名が続いてどんどん南へ。



以前に比叡山に登った時に降りた「比叡山坂本」を過ぎて大津へ。これで一回り終了!
合わせて大体3時間位の電車の旅。新快速は速いので思ったより時間がかからなかったとはいえ、さすがに電車乗りづくめは疲れる。ホームは寒いし電車の中も結構冷えるのだ。
京都で降りてあったかいぜんざいで一休み。
冷えて疲れた日のぜんざいは沁みる!

写真は思ったようなものが撮れず残念だったが、ひまがないと出来ない「鉄子チャン」実践。いつもと違う撮影旅行になったからよしとしようか。
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あれから1年

2012-03-15 01:38:40 | 現実
今日は同居人の誕生日である。

といっても木曜日では仕事が終わってからでも何もしようがないので、お祝いは週末まで待ってもらうことにする。
日付が変わってから帰ってきた同居人は気の毒にも「焼うどん」を食べさせられ、そのあとビールを飲んでポテチを食べている。

しかしながら、去年のこの時間は、同居人は茨城の、震災にあった実家の片づけから車で戻る途中、新橋のホテルでやっとお風呂に入れていたころだろう。茨城の家では水が出なかったので。
あまり疲れたので東京で一泊して戻る事になったのだが、片づけの後で大阪までの長時間ドライブはムリだったろう。

新橋で食べ物を探しに出たら、薄着の女の子に「マッサージどうですか?」と声を掛けられたそうだ。
体ぎしぎしだった同居人は「マッサージ」という言葉に惹かれて、ああ「マッサージ!いいなあ!」と思ったのだが、同居人の大好きな物凄く痛い、ぐりぐり押すマッサージはしてもらえそうもなかったのでやめたのだとか。(そりゃ無理でしょう)

それがもう1年前とは。

同居人は無事に帰ってきたけれど、1年前のこの時期に、ついに家に帰って行けなかった人がたくさんいるのだ。そして帰る家も未だに無い人がいることをつくづく思う。
去年の3月にも同じことを書いたと思う。当たり前の生活がどれほど貴重なものか。

我が家の花台のクローバー。四葉のクローバー、いくつ探せるかな?
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