たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

五月の記憶

2007-05-29 01:40:54 | 母の記憶
そろそろつつじも終わり。

毎日の出勤途中、駅までの道には、つつじの生垣が続くところがある。
そこを5月に通るたび、母が北海道から大阪の私の住む街まで訪ねてきた時の事を思う。

GWから一週間ほど経った頃、母が着いた日は結構な雨だった。
つつじも濡れてしぼんでしまい、あまりよい風情ではなかった。
幸い翌日、翌々日とよい天気になり、あまり無理をさせぬ程度に(この頃はすでに健康体とは言えなく、何度か入院していた)出かけることが出来た。

その中でも母が喜んだのが宝塚観劇だった。
北海道ではなかなか観る事ができないし、一度本場で、と思っていたそうだ。
5月のさわやかな、少し暑いくらいのよいお天気の日、宝塚まで電車で行き、二人で「花のみち」を大劇場まで歩いた。

「こんなところを歩いてるなんて、夢みたいだよ」
そう言った母の一言が今でも耳に残っている。

「こんなところ」といっても、ココは兵庫県宝塚市であって、別にアラスカの雪原とか、ゴビ砂漠とかを歩いているわけじゃないんだけど…。

とは思いながらも、「これ位のことでこんなに喜んでくれるんだなぁ…」とびっくりしたのは事実である。
商店をやっていて、やめるまで北海道から出ることもなかった母のことである。
遠く離れた宝塚で、娘と連れ立ってのんびり歩いているのは不思議で「夢みたい」な事だったのだろう。

その日の星組「プラハの春」では、トップスターさんが北海道出身、と言うことに喜び、春なので初舞台生のラインダンスもあり、「これがやっぱり見たいよね」とオペラグラスで熱心に観劇していたものだ。

写真は大劇場、2Fへ上がる正面階段の前で撮ったものである。
やはり顔色はあまり良くはないが、こうして観劇を楽しんでいた人が、それから1年もせずに亡くなってしまったのが不思議なような気がする。
華やかな背景のせいだろうか。


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母の入院記録2

2007-05-27 14:36:40 | 母の記憶
母はこの日記をいつ書いたのか?

平成14年12月31日と書かれているが、内容には「平成15年になった」とある。紅白が終わって日付が変わってから、眼が覚めてすぐ書いたものであろうか。
まだ初日が昇っていないうちに書いたので、1月1日と書かなかったのか。
この次のページに元旦の記録が書かれている事を見ても、暗いうちなら31日、と考えたというのはありそうだ。

おそらく投薬のせいだろう、一晩に何度もトイレに行って疲れて、ということだが、病人にはトイレ行きも重労働である。31日はぼーっとして過ごしただろう。


母はC型肝炎治療のため、ちょうど年末年始をはさんで札幌に入院していた。
正月の為に料理をしておくこともなく、年越しの準備を整えることもせずに病院で暮れを迎え、いつの間にか新しい年を迎えていた、という驚きが感じられる一節である。
主婦であった母には不思議な感覚であったかも知れない。
ひとりで病院で年越し、と言うことへの寂しさより、「いつの間に!?」とびっくりしている様子の方が強く感じられる。

夜中に目覚めて、ベッド脇のスタンドを点け、老眼鏡をかけてペンを執る母の様子が目に浮かぶようである。
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ストーブ

2007-05-20 01:59:14 | 夢と現実
今朝方見た夢に、昔懐かしい石油ストーブが登場した

いまどきの、炎の見えないようなおしゃれなものではない。オレンジ色の火が後ろの金属部分に反射するタイプのものである。

大阪に来てからは石油ストーブを使ったことがない。
たまに実家に帰ったときしか使わないので、オレンジ色の光が懐かしく目に残った。
今朝はちょっと湿度が高く(午後には雨が降った)蒸し暑かったせいでストーブの夢など見たのであろう。
北海道の友人が「先日までストーブたいてた」と言っていたので、それが頭に残っていたのもあるかもしれない。

昔の写真の中に、ちょうど今頃の季節、5月の末に北海道の実家の前で撮った写真を見つけた。12年前のものである。95.5.21とある。
地面が濡れており、あまり明るくないので、どうやら雨が降ったあとでは?と思われる

さてこれが、何のために撮ったのか、さっぱり覚えていない。
花を撮ったにしては花の数が少ない。家を撮ったにしても、なぜ雨上がりの曇った日に?
なんだか良くわからない写真である。ガラス戸の向こうに外を見ている母が写っているが、あさっての方向を向いているし


実家は、園芸好きの父親が6月くらいになると庭を花だらけにする
この写真で見るとそこまで花は多くない。
でもこちら大阪ではもうつつじが終わり、薔薇が咲いているのだ。

こうしてみると、北海道と大阪はひと月くらい季節が違うんだな、とわかる。
北海道なら朝晩は特に気温が下がって寒いし、確かにこの頃はまだまだストーブが必要。
だが今朝私は暑がっていたくらいなのだ

また北海道の人間はちょっと寒いとすぐストーブをつけるものだ。
以前、お盆休みに帰省したときに、「今日は肌寒いね」と言うと父がすぐにストーブをつけたのでびっくりしたことがある。8月にストーブって…

「いや、ストーブたかなくても上に何か着れば…」
こう思った私は北海道人の感覚をすでになくしているのかもしれない

しかし、子供の頃から馴染んでいて当たり前になってしまって、不思議ともなんとも思わないこともある



一緒に帰省した同居人は本州出身である。
窓から外を見て、
「どの家の横にも大きなタンクがある。アレなんだ?サリンでも作ってるのか」


いやあれには灯油が入ってるんだけど…


リビングのストーブを見て、
「これって業務用じゃないのか?」

普通の家で使ってるものだけど…



「屋根に煙突があるぞっ


サンタさんが入ってくるしね…









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小人のせいじゃなかった?

2007-05-10 23:19:51 | オーストラリアの記憶
友人がシドニーに遊びに行くと言う。

いいな…荷物に入ってついて行っちゃおうかな…

写真は最後に住んでいた、シドニーのクージービーチのアパートである。
築30年ということで、いい具合に古びたレンガ造りのアパートだった。

私たちが住んでいたのは3階。階段を上がると、2階の部屋の犬がいつも踊り場に座っていたのを思い出す。

さて、ドアを開け…なんでこんな所にドアノブがあるの
私の胸の上くらいである。
室内に入ってからも、中のドアは全部その位の場所にドアノブがある。

スイッチも高い。
キッチンのカウンターも高い。
さらには便器も高い。

いくら私が小さいといっても、オージーの5歳児よりは背が高い(はずである)
子供は届かないのでは?

「先生は私の1/3くらいしかないからねぇ…台に届くのかしらねぇ…」
ビリヤードが好き、と言う話をした時の、日本語クラスの生徒さんの感想である。

むむむ…私の3倍あるアナタのほうが問題ありよ
ダイエットしなさい!!

そして先日。
外国人の先生がこう言う。「私、日本に来てから自分が小さくなったような気がするの。回りの人やものが皆小さいでしょ」

私は、オーストラリアでは黒板やドアノブが高くて…というと、

「それはヨーロッパ風の造りなのよ。ドアノブが胸の辺りにあるのよね」

えっそうだったの

私がちびだったからじゃないんだ

家主さんはイタリア移民の人だった。
確かにヨーロッパから来た人である。

なんとなく気分良く納得

サラ、と言う名前だった、気の良い家主さんの顔を思い出して懐かしくなった。

この写真を見ると、裏のクージーベイホテルで7時間も玉突きをしたときのことや、近所の猫と遊んだこと、開け放した窓から飛び込んできたゴキブリを、新聞紙持って追い掛け回したこと、色々な事が浮かんでくる。


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ジャケット

2007-05-04 17:31:27 | 母の記憶
仕事柄ジャケットは必需品である。

黒が好きなので、どうしても黒・グレー系の物を選んでしまうが、営業上あまり暗い色の服は着ないよう言われている。
特にHP用の写真を撮る時は「明るい色のを!」というお達しがくる。
実際、5月、大阪が一番過ごしやすいさわやかな季節になってみると、グレーのジャケットでも重い気が、確かにする。
よってベルメゾンで(安上がり…)白のジャケットをオーダー


その直後、マイピクチャの整理をしていて気づいた。
若い頃の母が着ていたこのジャケット、今よくあるデザインである。コンパクトでウエストが絞られていて
これはおそらく50年位前の写真である。他の写真も見てみると、ふわっと広がった膝丈のスカートも今よく見かけるのと同じような形。
流行は繰り返すというけれど、まさにそれであろう。

ただ違うのは、母は自分で服を縫っていた、という点。
母の世代には昔洋裁学校に通っていて、縫い物が出来る人が多い。私も随分色々な服を母に作ってもらったものだ
このジャケットも、おそらく母が自分で縫ったに違いない。

母は8人きょうだいの一人である。
裕福でもなく、大学に行けた訳もない。高等教育の代わりに洋裁学校、というのがその頃は普通だったようだ。
母に言わせると、「行ける家だったとしても勉強は嫌いだったし」と笑っていたが。
それでも、私が大学時代テキストを広げていたとき、「いいね、あんたはそんなのが読めて…」と言っていたことがあった。
私が「?」と言う顔をしていると、
「お母さんだって、生まれ変わったら英語をすらすら読めるようになるんだからね!」と言って部屋を出て行った。

なぜかとても良く覚えている出来事である。
私は大学に行かせてもらい、こうして英語も勉強しているけれど、母の若い頃には望むべくもなかった事なんだ、という申し訳なさを感じたから、だろうが、その頃は「そんなん言われても…」(←あっ何となく関西弁??)というのが本音だったかもしれない。

その時の母は今の私より、3歳ばかり上だったはず。
自分も昔の母に近い年になってみて、母がどんな風な感じ方をしていたのか、ということが実感としてわかる事もある。
40も半ばになってみると、体力も気力も落ちてきて色々と「出来ないことが増えてくるんだな」とどこか寂しく感じる。
母もそんな風に感じていたのではないだろうか。

この写真は、私の大学時代と同じ位の年齢のはず、その頃には、母も20年後に自分がどんな事を思うか、などとは想像さえしなかっただろう。
新しいジャケットを縫って、ぴったり体に合った出来栄えに満足し、スカートやパンツとのコーディネートを考え…というところだったに違いない。
きれいな明るい笑顔で、私の好きな写真の一つである。

生まれ変わってきていたとしたら4歳、どこかの「英会話の○ー○○」でキッズクラスにいるかもしれない

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温泉の変遷

2007-05-02 21:23:34 | 現実
やっとGW休み。

30日に日本海側の久美浜温泉に行き一泊。
念願の、「露天風呂つき部屋」である。しかもココには「足湯」まで付いている。
その上夕食は鮑と鯛のしゃぶしゃぶである
期待度高し

4時間ほどのドライブで久美浜温泉へ。周りは畑と田圃ばかり、遠くに久美浜湾を望む超~田舎。のんびりした所である。
旅館はもともとは小さな民宿だったらしく、増築した新しい建屋に部屋はあった。
お風呂もきれいで気持ちよく、夕食もばっちり
いろいろ工夫された美味しい料理が出た。
ただし、しゃぶしゃぶより宿のおじいさんが作っているという葱のほうがおいしかったが。

部屋つきの露天は、木の塀で周りを囲い(囲ってなかったら畑から丸見えだから当然だが)屋根もついている。
と言うわけで空は1メートルくらいの幅しか見えないのだ。

…よく考えてみたら露天の意味があるのか???

お風呂に浸かってた時は気分よく、「ああ露天風呂はいいなあ…」な~んて思っていたのだが…
ここまで囲われていたら別に普通の建屋の中に個室お風呂があっても変わらないのでは
と後で気づいた。
隙間風の入るお風呂に入ってるのと大して違いはないのでは???と考えるとおかしくて、笑ってしまった
昔北海道のどこかで入った露天風呂は、正真正銘露天、向かいは山しかないので囲いも屋根も無く、冬だったので雪が舞っていたものだが…


他の旅館では、貸切露天に時間決めで入るようになっているところも多い。何軒か行ったが、やはりいくつか作ってある個室の一つなので小さいし、大開放!という感じではなく、木を植えてあったり囲ってあったり…屋根もきちんと付いている(外の空気が気持ちよい、というのはあるが)
そうまでして露天にするのは、やはり日本人は露天風呂好き!だからなのだろう。


露天もそうだが、プライベートな空間、というのも最近の温泉のウリのように思う。
部屋食、とか、カップルプラン、レディースプラン、という部分を打ち出しているところがとても多い。

私が子供の頃の温泉と言うのは、大勢でぞろぞろ行く事が多く、宴会向けの場所だった
カップルとか、女の子同士で温泉、というのはあまりなかったと思う
家族旅行で行ったとしても、もちろんお風呂は別々の大浴場、それも男性用は広く、女性用は狭く、という造りが普通だった。(たまに「家族風呂」というのがあったけれど)
宴会というとどうしても会社つながりが多く、つまりは男性が温泉客の多くを占めていたからだろう。
今どき女性用を狭くしたりしたら集客は不可能に違いない
大浴場だけ、というのも、小さな旅館ではアピールしないだろうし。

他の人と会わず、一緒に行く人(達)とだけ過ごせる、と言うのは魅力だと私は思うし、そう思う人が増えているのだろう。

なにはともあれ、上げ膳据え膳でくつろいで過ごせるのは良いものだ




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