ぬけヨガ神戸◎しちみのブログ ~猫とさかな通信~

神戸でヨガと畑、始めました♪
ヨガで深まる心地よさを共有したくてぬけヨガクラスやイベントしたり、畑で野菜を育てたり~◎

”スウェット・ロッジ”という体感

2016-08-23 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです。

毎月第1水曜と第3水曜の午後、神戸市垂水区塩屋のflagさんをお借りして、
ぬけヨガを共有しています。
9月は『涼を取り込む』をテーマに、
呼吸にあわせてしっかり動いていきたいなぁなどと考え中。
夏の熱を芯から手放して、季節の変わり目をバランスよく過ごせたら……の気持ちです◎

9月は7日(水)と21日(水)、いずれも14時30分〜と16時30分〜の2クラス。
詳しくは、アトリエfのfbページ、もしくはブログのこちらのページからどうぞ☆

ほぼ毎週土曜日の18時30分から神戸市垂水区にあるアジュール舞子の浜にて、
『浜宵ヨガ』もやってます☆


この夏、このあたりはまったくと言っていいほど雨が降らなくて、
なぜかお盆を過ぎてから猛暑がやってきています……^^;
立秋を過ぎ、二十四節気では今日が『処暑』、
吹く風の気配は確かに変わってきているのを感じるのですけれど、
もわ〜んとした熱気は夜中まで健在です。
すぅっと涼しくなるのは、いつのことやら〜♪

そんな暑い週末に、『スウェット・ロッジ』なるものに行ってきました。
スウェット・ロッジ……汗をかく小屋。
アメリカ・インディアンの儀式に用いられる『祈りと浄化の場』。

いままでも、
ネイティブ・アメリカンの物語や箴言集、
映像や言い伝えなどに触れる機会はありました。

ネイティブ・アメリカンに憧憬のようなものを抱いている知り合いも少なからずいたりもし、
野外フェスなどの場でティピのなかに座って、火を囲んで、
深い体験談をきいたこともあります。

みなさんも耳にされたことがあるように、
わたしもそういった話のなかで、
『ビジョン・クエスト』や『サンダンス』ということばとともに、
『スウェット・ロッジ』というものについても耳にし、
なんとなく興味を持っていました。

ことしの3月ごろ、
友人が夏にその『スウェット・ロッジ』に行くかもしれない、
とぽろりと言いました。

「日本で?」
「そう、日本で。車で行けるよ」
「わぁ……」
「よかったら、いっしょに行く?」
「行きたい!」
「じゃあ決まったら、連絡するね」

わぁ………!!!
なんだかすごい話に、ドキドキです。
わたしは行くことが"決まる"のを心待ちにして、
実は『浜宵ヨガ』の日程も、
その日は空けられるように「未定」にしていました(笑)。
そして8月の新月の日に「行くことになったよ〜」と言われ、
つい先日、本当に、行ってきたのです。
わーーーーーっ♪


スウェット・ロッジ。
真っ暗闇
焼けた石
ふりかけられる水………蒸気

祈り
浄化

いろんなキーワードが頭のなかをぐるぐるして、
でも実際にはどのように行われるのかも知らないまま、
その日、わたしはスウェット・ロッジに入りました。
(スウェット・ロッジの意味、そこですること、しないことなど、
初心者向けのガイダンスは主催の方から説明がありました)

狭い小屋のなかにぎゅうぎゅうと座り、
真ん中の穴に赤く焼けた石が運び込まれる。

薬草が燃える石の上で香りと煙となり、
光は閉ざされ、
ドラムが鳴らされる。

水蒸気が何度もあがり、
熱気が押し寄せ、
祈りのことばが空へとつながっていく間、
体中からひっきりなしに汗が吹き出し続ける。

休憩を挟みながら、
焼けた石は4度運び込まれます。
この「4」という数字に大きな意味があり、
ものすごく大切にされ、重視されているのだそうです。
石が運ばれるごとに、幼少期⇨青年期⇨壮年期⇨死と再生とそれぞれのラウンドの意味は変化し、
圧倒的な熱が一瞬にして立ちのぼる「死と再生」のラウンドは、
ドラムと歌と祈り……
息も吸えないほど迫りくる熱に皮膚が粘膜が肺が焼けてめくれるのではないかと………


休憩で外に出るたび、
水を飲み、
わたしはシャバーサナのように横たわっていました。
横たわるごとに、
さらにはすべてのラウンドを終えてぐったり倒れこんだあとも、
不思議なほどまたむくむくと元気が戻ってきました。
大地と、空と、火と、水と、祈りと。
すべてがわたしに気を送り込んでくれているような、
ありがたいなぁ、という感覚。

シンプル。

もしかしたら、「いのち」とか「生きてる」みたいなものは、
ものすごく複雑でいて、
シンプル
なのかもしれないなぁ、
なんて思ったり。

だからこそ。

スウェット・ロッジには、
火、水、空気、土という自然界を構成する要素にプラスして、
薬草やタバコが使われます。

また、祭壇にはバッファローの頭骨や毛皮があったり、
小屋のなかに鳥の羽根を挿したり、
エルクの角を使ったり、
熊など動物の皮の張られたドラムを響かせたり、
動物由来のものも多く登場します。

すべてとつながっている、という意味なのだそうです。

ふだん触れたり目にすることのほとんどない、
動物の骨や皮が身近にあることに、
儀式としてタバコを吸うことに、
うわっと一瞬、抵抗感があったりもしたけれど、
おそらく長い歴史と文化のなかで育まれたもの。
それらの象徴する意味など知らなくても、
あるいは意味を教わったうえで理解できなかったとしても、
その場にいる限りは、まるっと受け入れてすべてを委ねる。

未知のわたしという存在を
"その場"は一瞬の抵抗感すら示さずに、
受け入れてくれている。

この"つながり"。




初日のスウェット・ロッジは、
文字通り初めてのことばかりで、
何がそこで行われているのか、
どのような手順ですすむのか、
じっと観察をしている自分がいました。

あとどれくらいだろうと時間を追うことはなく、
暑くてたまらない瞬間も、
「なるほど、暑いときいていたのはこのことか」と思い、
頭が屋根につかえるので姿勢を丸くしているのがしんどくなってきたときも、
「なるほど、わたしはいつも背中をまっすぐにしていたいのだな」と気づき、
聴こえるか聴こえないかくらいの声で呟かれる誰かの祈りの旋律に調和し、
初めて聴く歌に声を合わせ、
ひたすら"いま"という瞬間を感じながら『スウェット・ロッジ』にいて、
同時に俯瞰し観察していたように思います。


2日目のスウェット・ロッジは、
気づけば自分に集中していました。
そういうことをしていいのかどうか不明ですけれども、
どこか瞑想しているような感覚。

しかもひとりで瞑想しているのではなく、
その場にいるみんなとつながって全体として瞑想しているような、
その場にあるものすべてとつながって、
ものすごくおおきなところで瞑想しているような感じもあって、
口にする祈りもことばとして発さなかった想いも、
何もかもがひろがりつながりどこかにちゃんと届けられたような、
初日とはまた違う、体感がありました。


わたしは当たり前のように2日間続けてスウェット・ロッジを体感させてもらったのですけれど、
これはなかなかない経験なのだそうです。
通常は、1回だけなのだとか。

おお、ここでもめちゃくちゃめぐまれている!

ふだん親しんでいるヨガや瞑想、
学び始めたばかりのインド哲学とはまた違った、
それでいて通底するものを感じた、スウェット・ロッジ。

ヴィパッサナーで得たものは、
ちゃんとここにつながっていて、
またどこかへめぐっていくのでしょう。


そしてヨガを学んでいるときも、
ヴィパッサナーでの10日間のあとも、
今回のスウェット・ロッジでも思ったのは、
「ここで体感したもの、学んだすべてを日常に持ち帰って実践しよう」
ということ。

せっかく素晴らしい智慧を教わったり、
ひろがっていく体感を得たり、
多様なつながりのうつくしさを少しでも知ったなら、
それを頭のなかや自分のなかに収めておくだけではなく、
生活の中で活かしたい。

いま目の前にいる人との関係で、
いまいる現実のなかで、
イライラしたり、
トゲトゲしたり、
シットしたり、
意地悪されたり、
ムッとしたり、
いろんなことのある日常のなかで、
地味にちいさく少しずつでいいから活用したい。

いまこの瞬間を存分に生きていたい。

だからこそ。


スウェット・ロッジに誘ってくれた友人、
同じ車で連れて行ってくれた友人ファミリー、
スウェット・ロッジを維持しているご夫妻、
現地で何かとガイドしてくれた初対面の友、
………ありがとう!!!