濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

後押し

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

櫛田入りする7番山「土居流」の舁き山
7番山は「男山」、標題は「権五郎景政之勲」、歌舞伎十八番で
おなじみの「暫(しばらく)」が今年のテーマ

さて、山笠はご承知のとおり「タイムレース」です
近年、注目されているのが「後押し」の重要性だそうです

流れごとにフォーメーションを研究、絶え間なく後方から支援
できるよう訓練が続けられているようです

何事も“後押し”がその行く先を左右するんですね
これってすごく大事なことだと思います

山から教わる男の美学!

博多の男衆

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

「水法被」の下に襷がけされた「お守り様」
ハチマキは「手拭(てのごい)」、その色・柄で役柄がわかる

万が一にそなえ「さらし」を腹に巻き、「締め込み」、「脚絆」、そして
踏ん張りがきくよう「地下足袋」を履く

最後に「舁き縄」を締め込みの後ろに差しておく

山笠のいでたちこそ「男の美学」かもしれませんね
その魅力にのぼせてしまった博多もんを“男衆”といいます

6番山「恵比須流」の先走りが博多の町を威風堂々!駆け抜けて
いきました

博多の顔

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

博多の玄関口「博多駅」の博多口にある飾り山
いつも多くの観光客がこの山の前で記念写真を撮っています

十七番山笠「博多駅商店連合会」の飾り山
標題は「鳥羽伏見の戦い(とばふしみのたたかい)」

NHK大河ドラマ「篤姫」が題材であり、徳川慶喜ら幕府軍と
西郷隆盛ら新政府軍の戦いと、江戸城の無血開城に導いた篤姫の
活躍が描かれております

置鮎先生のお弟子さん、人形師 生野四郎先生の作品です
ちなみに、生野先生と置鮎先生とは従兄弟というご関係だそうです

昨年まで、博多駅前の飾り山は置鮎先生が製作されてきました
今年はその大役を生野先生に譲られ、その期待通りの大作が完成
しました

扇子

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

これも何かの縁と、上機嫌な置鮎先生に無理なお願いをしてみました
「今年は先生の作品が一番山、扇子に一筆お願いできませんか?」

これを聞いてた女将、すぐに筆ペンを差し出してくれた
「こういうの得意じゃないと・・」といいつつ、暫くの沈黙のあと、
一気!に書いていただきました

博多祇園山笠
一番山笠 大黒流

歩々起清風

人形師
置鮎 正弘

「どう?こんなんでいいと?」
「さ、さ、最高です!!」

またひとつ宝物が増えました

直会(なおらい)

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

山舁きを終え、その日の結果と無事を祝う酒宴のことをそういいます
町内各所に設置された山笠事務所でなごやかに歓談します

また、直会は、関係者の精神的結束を強める場であり、若手と呼ばれる
若い衆が、礼儀作法を学ぶ場でもあります

さて、追い山ならしの感動をそのままに、水分を補給すべく西中洲の
小料理屋さんで呑んでおりました

そこで感動的な出会い!がありました
女将さんお奨めの芋焼酎で気持ちよくなっていると、いかにも!という
お方たちが入ってまいりました

女将さんから「こちらは人形師の置鮎(おきあい)先生と生野先生」と
紹介され、それから、直会帰りで上機嫌な置鮎先生から、数時間!
山笠にまつわるお話を聞くことができました

置鮎先生は、一番山笠大黒流の舁山「歩々起清風」の人形師
十一番山笠「ソラリア」の飾り山「紅梅白梅天満宮」も先生の作品

生野四郎先生は、置鮎先生のお弟子さんであり、今年、博多駅前の
17番山笠「博多駅商店街連合会」の飾り山「鳥羽伏見の戦い」の人形師

さて、上機嫌な置鮎先生のお話・・・
「山笠の飾りつけは、豪華絢爛も大事。ばってん一番は『人形の顔』やね。
映画俳優やら歌舞伎役者でも、主役はやっぱりいい顔をしとろうが。人形も
いい顔やないと見る人ば引き付けんもんね」

「ばんてん、先生、女性もお顔でしょうかねー!?」
「・・・・・」

おまけ
縁とは不思議なもので、先生と別れから数時間後、再び、中洲の路上で
置鮎先生と遭遇!「おたくも嫌いじゃないとね」と声をかけられたオイラ!

鼻縄

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

5番山「千代流」の櫛田入り

さて、清道を回る舁き山
舁き山では、「鼻取り」と呼ばれる舵取り役が「鼻縄」を巧みに操作、
絶妙なコーナリングを見ることができます

無駄なく、最短コースで駆け抜けた山はどこ?
平成20年度「追い山ならし」の気になる結果発表!!

2008年 櫛田入りタイム(7月12日 追い山ならし)

大黒流 33秒88
東流 30秒83
中洲流 36秒49
西流 35秒44
千代流 33秒75
恵比須流 33秒58
土居流 33秒81
上川端通 48秒59

本当に早かった!東流が最速、頑張れっ!中洲流

山笠の歴史

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

4番山「西流」の櫛田入り

さて、いまさらですが、博多祇園山笠の起源で一番有力とされているのが、
鎌倉時代の仁治2年(1241年)、承天寺の開祖・聖一国師が当時蔓延して
いた疫病を鎮めようと、町民が担いだ施餓鬼棚に国師がのり、病魔退散を
念じ祈祷水(甘露水)をまきながら町中を清めて回り、その功徳により、
疫病を退散させたのが始まりという説です

現在の山笠と比較してみると・・・

・施餓鬼棚と山笠の台
・車輪なしの台を担ぎ上げて走り回るスタイル
・水をまく

など、多くの類似点があり、当時神の信仰と仏教信仰とが融合調和していたため、
それが疫病を流行させると恐れられた祇園の神を鎮める神事として形が変わった
とも考えられております

山笠の由来

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

3番山「博多流」の櫛田入り

さて、ご承知かと思いますが、日本三大祇園祭の一つである「博多祇園山笠」は、
博多総鎮守「櫛田神社への奉納神事」なんです

その歴史は767年余り、国の需要無形民俗文化財に指定されております

現在の山笠の「流」は、豊臣秀吉による「太閣町割り」がその起源であり、
博多の町が形成され、いつしか「流」と呼ばれるようになったそうです

しかし、山笠のここまでの道程は決して平穏なものではなく、戦禍・天災・
人災など、幾度にもわたる難局を乗り越えてきたといいます

博多町人や先人達の熱き思いと試行錯誤の積み重ねがあり、現在に至って
いるんですねー

指物山

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

奇数番号の山笠をそう言います

最上部に「櫛田宮」「祇園宮」「大神宮」と書かれた神額を掲げ、
飾りの人形は勇壮を旨とし、もっぱら武者者を配するので、別名
「男山」と呼称されております

一番山の舁き山は“武者の第一人者”である置鮎正弘先生の作品

夕べ、ひょんなことから、その置鮎(おきあい)先生とご一緒させて
いただく機会があり、山にまつわる色んなお話を聞くことができました

写真は「祝いめでた」を歌い終え、再び走り出す今年の一番山!

博多祝い歌

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

「祝いめでた」ともいい、博多ではおめでたい席で必ず歌われます

追い山では一番山にだけにこの「祝いめでた」を歌う“特権”があり、
山が清道を回ったとき、走りを止め、台上がりが「祝いめでたーの」
と独唱!?これをきっかけに全員が鉢巻を外して大合唱となります

そのため、一番山には「1分間」のアドバンテージが与えられており、
追い山ならしは3時59分、本番の追い山は4時59分が一番山のスタート
時間となり、その後、5分間隔で櫛田入りがおこなわれます

一番山笠「大黒流」の櫛田入り

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

場内アナウンスのカウントダウンが始まる
「1分前」「30秒前」「10秒前」「5秒前」・・

平成20年7月12日 午後3時59分
大太鼓の合図とともに、本年度の一番山「大黒流」が櫛田入り
舁き手の気合と迫力が桟敷席まで伝わってきます!

山台の上に座り、舁き手を叱咤激励・指揮する男達を「台上がり」
といい、表(正面)と見送り(裏面)に3名づつ、豊富な経験と
運動神経が要求されます

なにより、「台上がり」は山笠における最高の名誉なんです

清道旗(せいどうき)

2008年07月13日 | 博多祇園山笠
櫛田入りとは、神社横の山留め(スタート地点)から境内の
清道旗を回って境内を出るまでをいい、距離にして約112m、
わずか30秒前後のドラマに男たちが全身全霊を注ぎます!

なお、清道旗は、櫛田神社境内のほか、旋回地点であり、また、
山笠と縁のある東長寺、承天寺の門前にもあります

勢い水

2008年07月13日 | 博多祇園山笠

山笠が走るとき、沿道から浴びせかけられる水をそう言います

舁き手のほてった身体を冷やし、士気を鼓舞させると同時に、水を撒くことで
道路を濡らし、山の進行を円滑にさせる役割があり、また、山笠台を固定する
麻縄を強くする効果があるそうです

サミットでは、有効な「温暖化防止対策」が提出されませんでした
しかし、山が走り去ったあと、あたり一帯には涼しい風が吹いてました・・・