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群馬で闘う!「伝説」社長のブログ

『伝説』グループ社長、根木寛正の日々の雑談です。

小川店長と冨沢店長

2006年02月01日 | 「人」
今月から、一部店舗の店長の異動を行っている。

沼田店長だった小川店長が「すし伝説前橋岩神店」へ…。
「沼田店」には「中之条店」から冨沢店長が入る…。
そして、「中之条店」には篠崎さんが店長として動く…。

それぞれ引継ぎをしながら、順次動いていって、今月中旬までに完了する予定だ。

今日は朝から月初めの朝礼シリーズ。

昨日の「てっぺん」の朝礼に刺激された…という訳ではないが、早朝の『センター』から始まり、『うらしま渋川店』『すし伝説渋川入沢店』とまわって朝礼。『ぴあらいぶ』では昼礼。夜は『うらしま沼田店』での終礼…と、動いてきた。

自分の体調が崩れてしまって、今日は栄養ドリンクとカロリーメイトしか口にできなかったのだが、そんなことは関係ない。
自分は今まで以上にエネルギー高く周りの人に接していこう!…と誓ったのだ。

さて、写真は小川店長(左)と、冨沢店長(右)…。

今、沼田店での店長業務引継ぎ中で、二人が一緒だった。

なかなか店長同士が一つの店にいるのって少ないので、貴重なワンショット…?

アーミテージ前米国務副長官より川田さん!

2006年01月26日 | 「人」
経営者セミナーで東京に来ている。

今日はセミナーの1日目ということで、セミナー後懇親パーティーが行われた。このパーティーには、セミナーで講演したリチャード・アーミテージ前米国務副長官も参加する…ということで、自分も参加したい気持ちはやまやまだったが、今日は大事な約束があり、パーティーには参加せず神田の居酒屋さんへ向かった。

この店は、自分が大学時代演劇サークルで毎日のように通った居酒屋の当時の店長だった川田さんが独立してやっている店だ。

この店で、当時の演劇サークルのメンバーが集まる…ということで、駆けつけた。

自分がこの時期に東京に行くということで、先日このブログでも紹介した浅野勉ちゃんが当時の皆に声をかけてくれて20名位が集まった。

そして、この会を川田さんの店でやろうと言うことになっての今日なのだ。

これはもう、自分にとってはアーミテージ氏よりも重要な会だったのだ。

川田さんと会うのは20年振り位になる。

驚いたのは、当時と変わってない!ということ。

店の雰囲気もあの渋谷にあった「やまがた」のような雰囲気だった。

実に懐かしく、楽しい時を過ごした。

…当時は本当に川田さんにはお世話になった。
お金がないのに飲ませてくれたことも…。

今日集まったメンバーも皆そんな昔話で盛り上がっていた。

面白いのは、こうした学生時代の関係って、先輩後輩の関係は何年経とうが先輩後輩なのだ。

皆、髪の毛が変わっていたり、それ相応に歳をとったが、でもあまりに懐かしくて店に入った時には思わずオーッ!と声が出た。

特に昔とまるで変わらない川田さんを見たら、ジーンときた…。

浅野勉(友人、照明家)

2006年01月16日 | 「人」
渋川市民会館で行われた「天童よしみ」コンサートに照明の仕事で来た…ということで、浅野勉(べんちゃん)氏が『事務所』に寄ってくれた。

コンサートのバラシが終わった後で、『事務所』で行う日曜夜のミーティングまでのほんのちょっとの時間しか取れなかったけど、久しぶりに会って懐かしかった…。

べんちゃんとは浪人時代の予備校(代々木ゼミナール)からの友人で、大学で自分が演劇サークルに入ったのは、新入生をサークルに勧誘する劇団の飲み会で、べんちゃんが酔っ払って先輩の家に泊まって演劇サークルに入らざるを得なくなった…ということからだ。

まあ、それから大学在学中に篠浩司くんも一緒に3人で「フレアー・アップ」という劇団を旗揚げしてプロとしての活動を目指した訳だが、「フレアー・アップ」の作品はほとんどが、作:根木寛正、演出:浅野勉 という形でやった。

その後、べんちゃんは照明会社に入ったが、数年前に自分で独立して、今は個人事業主として照明で生活している。

来週、自分が経営者セミナーで東京に行くが、その時に「フレアー・アップ」関係者で集まることになった。

その場所決め、段取り…をお願いした。

「べんちゃん」というあだ名は「勉(つとむ)」という名前の音読みからきている訳だが、彼は大学時代アルバイト先でぜんぜん別の理由から「べんちゃん」というあだ名をつけられていた。

それは、勤務初日の一番最初にお腹が痛くなってトイレに入った…ということからだそうだが、この彼のバイト先がドリフの仲本工事さんの店で、自分もべんちゃんのバイト先に行って何度か会わせてもらったことがある…。

いやあ、そんなことをいろいろ思い出して、実に懐かしく嬉しかった。

もう20年前の話だ…。

うえのかずや(すし伝説前橋岩神店)

2006年01月10日 | 「人」
今日は『前橋岩神店』へ〈うえの〉に会いに行ってきた。

というのも、今年これから作成する採用の会社紹介ページで紹介するメンバーとして、ぜひ〈うえの〉に登場してもらいたい…と思って、本人の話をあれこれ聞いてきた。

自分が各店舗で撮影している写真の中で、一番多く写っているのが〈うえの〉じゃないか…と思う。

つまり、自分が写真を撮る時にいつもいるのだ。

彼は高校1年生の時にアルバイトで『岩神店』に入った。

今日聞いたら、面接は自分がしたようだ。
…確かに、オープン後しばらく自分が面接をしていた時期があって、その時にメンバーに加わってきたのだ。

あれから4年…?

もう大ベテランの域に達している〈うえの〉は、発注も任されている。

彼の書くブログを覗いて見ると、実に繊細な心を持つ人で、物思いにふけったり、小説に感動したりしている。

でも、いろいろな話を聞くと、こんな内面とは正反対の出来事をしでかしてきた過去があるという…。

「心優しきやんちゃな過去を持つ男」…とでも紹介しておこうか…。


帰れない福島店長(すし伝説渋川入沢店)

2005年12月23日 | 「人」
大雪で道が大渋滞!

関越道がストップしている影響で渋川から北へはなかなか進まない。

沼田方面へ帰る福島店長が「帰れない…!」と『事務所』に戻ってきた。
ビジネスホテルに連絡してみたが、満室!
『センター』の休憩室に泊まろうか…と言ってみたが、彼は「裏道で帰ってみます…」と言って、また出て行った…。

帰れるのだろうか…。

おそらく、家に着く頃には出勤する時間になっちゃうんじゃないか?

自分は午後に『うらしま沼田店』へ行き、夜には『すし伝説前橋岩神店』に行って来たが、沼田は大雪。前橋は道が乾いていた…。




斎藤一馬店長(すし伝説前橋岩神店)

2005年12月01日 | 「人」
11月で、『すし伝説前橋岩神店』の斎藤一馬店長が退社した。

人にはそれぞれいろいろな立場があるが、斎藤店長は実家の事業に入ることになる。会社としてはとても残念だが、いろいろ話を聞いて、送り出すこととなった。

「人との別れ」とは実に寂しいものだ。一緒に過ごした時間がある人と別れる時には、いろいろなことが思い出される。別にそれで最後の別れになる訳ではないので、悲しむことはないのだが、でも寂しいのだ。

自分は、会社を去るメンバーと最後に顔を会わせる時には、必ず「また…」と言って別れる。今日も斎藤店長に「また…」と言って別れてきた。

…と、ここで斎藤店長の紹介をしようと思って写真を探したのだが、最近の彼の写真がない…。若かりし頃とか、結婚式の写真はあるのだが、今の雰囲気とは違う…。みんなでワイワイやっている時に、冷静に後ろで見ているのが彼のスタイル…。「イェーイ!」とかやってる写真を紹介したかったのだが、なかった。

ということで、やっと見つけたのがこの写真。手前にいるのは上野和也くんです。

斎藤店長には、これから進んでいく新しい世界で頑張って欲しい。

長い間、おつかれさまでした!

ありがとう!!

鬼界さん(俳優:鬼界浩巳事務所)

2005年11月27日 | 「人」
今回取り組んでいる年末商品「海鮮お重」「お歳暮ギフト」は、自分の昔の友人・知人の方々でメールアドレスを知っている方々にも順次お知らせしている。

外食業界に入って10年になるが、この期間は昔の友人に今の仕事のことで連絡をすることはほとんどなかった。
今回が初めてだ。

それ程、今回の年末商品に関しての「思い」は強いのだが…、そんな中で自分が演劇活動時代にお世話になった役者としての大先輩である「鬼界さん」から注文を頂いた。

「鬼界」と書いて「きかい」と読むのだが、この「鬼界さん」は一橋大学卒の役者さんだ。

今は自分の事務所を作って、演劇公演を行っているが、TVやCMや映画でもよく見かける。

この人は名前の通りに「鬼」のような部分を持っている人で、一緒に活動している時も怖い人だった。

いろいろな所に対してクレームを言う、今にして思えば「クレーマー」のような人なのだが、さすがに一橋大学卒なのですべてに筋が通っている。たいてい相手が負けてしまう…。

そんな「鬼界さん」が注文を入れてくれた…。

感謝だ!

…クレームにならないようにしなければ。

と、そんなことを思った。

(写真:日本タレント名鑑より)

高橋野人(すし伝説前橋岩神)の挑戦!

2005年11月16日 | 「人」
朝、出発前にも書きましたが、今日ラジオ番組への挑戦をしてきました。

自分も知らなかったけど、高橋野人くんはリーグ戦首位打者も取っているという。

俄然、期待が大きくなる…。

さて、結果は…??????

放送は12月25日(日)のクリスマスだそうです。

お楽しみに…。


番組が打席を予想するクイズなので、結果の報告はできないけど、今日の様子をご紹介します。

実は高橋野人くんは、11日(金)に『すし伝説』での仕事中にかきを剥いていて右手のひらを2針縫う負傷をしていた。

一時は今回の挑戦も危ぶまれたが、本人の強い意志で参加。

もし、野人くんの負傷がひどくてバットが振れなかったら…と考えて、一応自分もユニフォームとバットを車に積み込んで行った。

昨日の最終確認時に、私もユニフォームを着ましょうか?と言って、番組ADさんに笑われたが、もしものことを考えて準備しておくのは物事の鉄則だ。

笑われようがどうであろうが、車に野球用具一式を積み込んで心の準備は整えておいた。

収録する球場について、野人くんが颯爽としたユニフォーム姿に着替えるのを見て、自分が着替えるのはあきらめたが、これがTVだったら自分も着替えていたかもしれない。


いざ、収録が始まると自分は見ているだけ…。

1打席ごとに伊集院光氏とのやり取りがあって、そこでは自分も登場できるのだが、それ以外は見てるだけ…。

仕方がないので、自分もバットを振るまね…等、あれこれ体を動かしていたが、誰も取り合ってはくれなかった…。

結局、自分の道具と心の準備は、使われることなく終わったのだったが、個人的には見ているだけでも楽しんできた。

野人くんは3打席の打撃の後、手のひらのキズが開いてしまった…ということで、痛い思いをさせてしまったが、伊集院氏にサインをもらったりしていたので、良い思い出になってくれると嬉しい…。

野人くんは、打席でもコメントでも明るくハキハキと受け答えしていて好印象。

「素晴らしい青年ですねぇ…」と番組関係者にほめてもらった。


打席の結果が詳しく紹介できないのが残念だが、ぜひ番組を聴いて頂きたい…。

帰りに伊集院氏をはじめ番組関係者に「ぜひ、リベンジに来てください」と言われて帰ってきたが、実に楽しかった。


…あっ!結果言っちゃった…!?


篠 浩司 くん(友人:狛江JC2005年度理事長)

2005年11月14日 | 「人」
昨日から、HPで「年末ギフト」「海鮮おせち」の注文を受けられるようにしたが、いきなりご注文を頂いた。

そのご注文者がこの人。…「しのこうじ」くん(友人)です。

この「しのこうじ」くんは、大学時代からの友人。同じサークルで、年は同じだけど、学年は一つ先輩。学生時代は「しのさん…」と敬語を使っていました。

参加していたサークルは「演劇」のサークル。後に自分が劇団を旗揚げする時には一緒に旗揚げした共同主宰者です。

もともとは、スタッフとして芝居作りに参加していて、人が考え付かないような無茶なことをやるスペシャルな裏方さんでした。

例えば、芝居の最後シーンのために客入れ前から天井裏の特殊スペースに上っている…とか、そんなことばかりやっていました。だいたい、そんな所に登ってしまったら、芝居が終わるまで身動き一つできないというのに…。

そして、その隠れていた天井裏に「しのこうじ参上!」と、落書きをして後で敵対する「演劇」サークルとの間で大問題にもなりました…。大問題が起こったときのサークルの代表が自分で、本人の名前が書いてある以上何も言えなかったのを覚えています。

さて、この篠浩司くんとはタップダンスを一緒に習ったり、旗揚げした「フレアー・アップ」という劇団ではずっと一緒に役者として舞台に上がっていました。

自分の結婚式には、篠浩司くんがタップダンスを踊り、彼の結婚式では自分がマジックを披露しました。

今、JC最後の年で頑張っているようです。

今回の「年末」「おせち」のHP注文第1号だったので、記念に紹介させて頂きました…。

(写真は狛江JCのホームページから拝借しました)



木下順介 氏 (友人:占い師)

2005年11月11日 | 「人」
先日、このブログにコメントを頂いた「木下順介」氏は、自分の演劇時代からの友人で、今は「占い師」として活躍している。

彼の個人HPを見ると、世界を飛び回っているようで、昔のことを考えると想像もつかないことだ。

もちろん、私自身の現在も当時から考えると思いもよらないことだと思うので、お互い様だ。

さて、「木下」くんは、「井の頭の兄」と呼ばれるカリスマ占い師として、TVや雑誌に登場したり、自ら本も出している。

自分が店を出店する時には、今も相談したりしている。

『すし伝説前橋』が、屋根を丸くすると最初苦労する…とか、『江戸前茶屋』を出店する時に、入口の前に壁がある物件はやめた方が良い…とか、今にして思えば当たっているのだ。

この「木下」くんとは、1990年の夏に小学校周りの児童劇団の仕事を一緒にしたことがある。

通常の演劇活動だけでは生活できない我々は、依頼があった仕事はほとんど何でもやっていた。

その一つが、この小学校周りの演劇。

日本全国を車で移動しながら、小学校の体育館で演劇を見せる…。

出し物は「子象物語」…。

戦争時代に、動物園の動物を殺していく話だ。

注射が効かない象には、エサをやらずに餓死させた…という実話だが、この象の飼育係と子象の感動作なのだ。

この作品で、自分は象の飼育係。

「木下」くんは、…象。

「木下」くんは、この死んでいく象を熱演したのだ。

今は、カリスマ占い師の彼が、昔そんな仕事をやっていたなんて知っている人は、数少ないだろう…。

まあ、ここで言っちゃったが、彼の周りの人で、ここを見にくる人は少ないだろうし…。

当時、観てくれた小学生達も今や20代になっている訳だが…、誰か見た人が身近にいないだろうか…。

(写真は、氏のホームページから勝手に拝借しました…)

木下順介の『東京火の玉キッス』