群馬で闘う!「伝説」社長のブログ

『伝説』グループ社長、根木寛正の日々の雑談です。

名刺のQRコード

2005年11月04日 | 自分!
自分の名刺にはQRコードが印刷されているが、このデータを変えてみた。

これまでは、自分の名前、会社電話番号、携帯番号、メールアドレス、携帯アドレスのデータが入っているQRコードを付けていたが、今度作った名刺はこの「個人ブログ」のアドレスが入っている。

まあ、実際にQRコードを読み込んでみる人ってどれ位いるのだろう…?

自分が名刺交換する人って、圧倒的に自分よりも年配者の方が多いので、あまり使う人はいないかもしれない…。

名刺を使って何か提案したいと常に思っているのだが、とりあえずはこうしてQRコードを付けて、その都度何かしらの情報を出していきたい。

一度にまとめて刷るので、2~3ヶ月は使うのだが、次は何にしようか…と思っている。


「やまがた」があった!

2005年10月24日 | 自分!
自分は國學院大學に通っていた。

サークル活動で演劇をやっていた自分の活動はすべて大學の渋谷校舎だった。

校舎の周りを走ったり、校舎の屋上で発声練習をしたり…。

そして、練習の後はみんなで飲みに行く…。

あれから20年…。

当時、毎日のように行っていた居酒屋さんがあった。

ここはサークルのはるか先輩時代から伝統的に行き続けていた店で、自分たちも通っていた。

公演の時にはスポンサーとして協力もしてもらった。

渋谷の街はどんどん変わっている、人も、建物も…。

もうあの居酒屋さんはなくなっているかな…。
と思って行ってみた。

…と、…あった!!

昔のままの看板が出ていて感動した。

思わず写真を撮った。

店の中を覗いて見ると、昔と変わらない…。

残念ながら、店に寄っている時間はなかったので、写真を撮っただけだったが、感動した。


高校生クイズ

2005年09月03日 | 自分!
深夜にやっていた高校生クイズの特集を見た。実際の放送は昨日あったみたいだ。
今年は第25回ということだったが、何を隠そう、自分はこの「第1回」に出たのだ。今から22年前のことだ(←年に2回やってた時期がある)。

当時自分は高校3年生。後輩2人とグループを組んで参加した。
「第1回」の予選会場は今はなき「後楽園球場」。東日本と、西日本と分かれて「後楽園」と「甲子園」で、同時に問題が出された…と記憶している。

問題は2問出て、1問目と2問目の○×の組合せで、1塁側・3塁側・レフト・ライトの4つのスタンドに分かれた。
問題の内容は忘れちゃったが、自分は1問目は○で、2問目は×の1塁側に座った。…そして、この2問は連続で正解!
大騒ぎをした思い出がある。結局4問目で敗退したのだが、この○×で正解した瞬間の興奮は、いまだに強烈に残っている。

総合司会は福留さん。徳光さんがピコピコハンマーで叩かれる役で、敗者席をまわっていた。

自分はNTVのクイズ番組が好きで、高校卒業後は「アメリカ横断ウルトラクイズ」にも何年か続けて参加していた。
予選突破したことはないのだが、「ウルトラクイズ」もなくなっちゃったし、今でもやってくれれば、出たいなぁ…と思っている。


運転免許

2005年08月26日 | 自分!
免許証の書き換え講習に行って来た。

去年、1度シートベルト違反があり、違反者としての講習を受けた。
違反者に対しての講習だからだろうが、講師の人から「自分勝手!」というような割と強い口調の話が多かった。

もちろんそうで、子供が前方不注意の車にはねられて亡くなった事故の実例の話には、自分に起こったとしたら…、と考えると本当に考えさせられた。
事故はいつ起こるかわからない。ほんの一瞬の判断ミス、不注意で起こる。

講習の中でビデオを見たが、この内容はあまりにわかりやすいストーリーで、役者の演技も幼稚なのだが、でも自分の生活にかぶる部分があり、結構真剣に見てしまった。

25歳の写真が見つかった。

2005年07月14日 | 自分!
昨日から時間を見つけてはさがしているものがある。
以前、『事務所』の自分の仕事部屋の中に無造作に置かれていたのを見た事がある気がするのだ。
…でも、どうしても見つからない。

…何を探しているのかと言えば、パンフレットだ。2001年の夏に日本武道館にあの橋本真也率いるZERO-ONEの「真撃」を観に行ったことがある。自分が観たプロレスはこれが最初で最後で、その時にパンフレットを購入したのだ。
今回のニュースを聞いて、このパンフレットが見たくなったのだ。
当時、橋本の試合を見て、経営者と選手との二足のわらじをはく過酷さが、何となくその体から出ているような気がして、同情した覚えがある。
…だから、あのパンフレットが見たいのだ。

…がしかし、結局見つからず、代わりに自分の出ている貴重なパンフレットを発見した。
1991年2月に出演した芝居のパンフレットだ。
あまりに懐かしかったので、写真を撮ってしまった。
この頃は25歳で、この芝居の後の夏に自転車での旅に出て、この年の秋から静岡県浜松市に住むことなる…という、自分自身の転機となった時期の芝居だ。
…懐かしい。

…っと!!そんなことを言っているより、橋本のパンフレットを見つけたいのだが…。
もしかして、捨てちゃったのかも…。

SPL

2005年07月10日 | 自分!
今の自分に大きな影響を与えているのが、SPL(サンリオピューロランド)での仕事だ。ここには、1993年から1995年まで2年間勤務していた。
何をやっていたのかと言えば、キャラクターの仕事だ。
テーマパークのキャラクターは、皆ちゃんと生きているので、中に人間なんて入っていない!!!(←これは強調しないといけない!)。だから、まあ深くは語らないが、とにかくキャラクターとして子供たちと遊んだり、ショーをやったり…、そんなことをしていた。

キャラクターとは、いつも同じ顔をしていてしゃべることはできない。…が!しかし!これが中の人の気持ちで(←中に人は入っていないが!)ちゃんと表情が表現されるのだ。演じる人が(←中に人は入っていないが!)気持ちを込めて表現すると、ちゃんとその表情になるのだ。これは本当に痛感することなのだ。

この仕事を通して、「気持ち」は伝わる。ということを知ったのだ。
中に入っている人(←中に人なんて入ってないが!)は、そのキャラクターの「気持ち」=「感情」そのものになるのだ。
そして、その「感情」は恐ろしいことにそのまま伝わってしまうのだ。

(写真:あひるのペックル)
(注:本文と写真は何の関係もありません)

ボクシング時代

2005年07月02日 | 自分!
先月、新店オープントレーニングのトレーナーを自らやって、一週間で体重が4kg落ちた。…が、オープン後以前のデスクワークに戻ったら、一週間で2kg増えた。
毎日、風呂に入る時に体重計に乗るが、考えてみたら高校時代より20数kg体重が増えていることになる。高校時代の自分が20kgの重りを身につけて動いているのだから、動きも鈍くなるし、心臓にも負担がかかるというものだ。

高校時代、自分はボクシングをやっていた。やっていたとは言っても、自分の高校にボクシング部はなく、市内にある小さなボクシング練習施設に通ってると、そこに来ていた隣の学校の先生に「練習に来い…」と言われて、隣の学校のボクシング部に練習に行くようになった。
当時から、人のマネをするのは得意で、プロボクサーのスタイルを真似て練習していたら、見た目では結構格好がついていたらしく、何だかわからないままに群馬県の強化指定選手候補にさせてもらった。強化指定選手になると、病院がタダだそうで、当時は群馬で国体が開かれる直前だったので、海外からも有名コーチなる人がよく来て指導していた。

自分は何故ボクシングをやったのかと言えば、目立ちたかったからだと思う。中学時代に当時世界チャンピオンだった具志堅用高選手にあこがれていて、カッコいい!と思っていた。自分もあんなふうに目立ちたい!と思ったのだと思う。だからこそ、やがてはもっと目立つアイドルになりたい!という気持ちに変わっていき、芸能学校に通うようになっていくのである。

さて、ボクシングだが、高校2年の時にインターハイ予選で群馬県2位になった。この時は、学校にボクシング部がないのに特例で出してもらった。学校からの引率はないし、責任者もいない。自分一人で隣の学校のボクシング部にお世話になりながら試合をしたのだ。
この大会で2位になったことで、新聞には乗るし、賞状ももらった。自分の学校でもこの成績に驚いたのか、いきなり校内放送で発表された。すると、通学用の自分の自転車に女生徒からのプレゼントがぶら下がるようになったりして、言うに言えなくなったことがある。

…群馬県2位になったこの大会。自分の出場した階級の選手は、…2人だった。
つまり、1回試合をして負けて、2位だったのだ。

このことって、実は誰にも言ってないのだ。


くつ・・・

2005年06月26日 | 自分!
今日、靴を新しくした。
今まで履いていた靴は、去年の9月23日に買った靴だった。
もうボロボロで、いつ替えてもおかしくないような状態だったが、あえて履き続けていた。

去年の9月23日…。忘れもしない、『江戸前茶屋』を閉店した日だ。
『江戸前茶屋』最後の営業を見ながら、すぐ隣にある靴屋さんで購入したのが、今まで履いていた靴なのだ。
この時、勤務していたパートさんが偶然靴屋さんに買い物に来ていて、「残念です…」という言葉を口にしていたのを今でもよく覚えている。
店を撤退するにあたり、自分自身いろいろ悩んだ。結局、この店にかかわっていた全てのメンバーが、会社を去っていくことになった。悩み、苦しみの中での決断だった。
最後の営業の日、この時の思いを忘れないように…と思って、買った靴だ。

…あれから9ヶ月。新しい店をオープンした。
撤退という悔しさから、9ヶ月という期間で、新店オープンというこの瞬間を迎えることができた。
この間、ずっと履き続けていた靴だ。

新しい店をスタートして、そろそろこの靴も替えようと思った。
いろいろな思いがしみ込んでいる靴なので、どうしようか悩んだが、スッパリと捨てることにした。時間はどんどん過ぎていく。過去にとらわれていては前に進まない。

…ここに1枚の写真を残して。