キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

史跡の会例会

2011-12-08 15:09:07 | 知識

12月例会は名東区内の旧一色村の史跡探訪。(7日13時30分集合)

以前にも書いたと思うが、名東区は明治11年まで7つの村があり、明治11年に郡区町村編成法により、下社村と合併するまで存していた村。

地下鉄一社駅を出て東山通りを上社JCに向かうと、一社東の交差点を過ぎたころ東山通りの右手高台にお寺が見えてくる。

今回の探訪はこのお寺「神蔵寺」を中心に探訪。

 

山門は古刹の佇まいで入ってすぐ左に鐘楼があり、右側には縁起が記された立派な御影石の名盤が建立されている。

龍華山神蔵寺の本尊は聖観世音菩薩、創建は文亀元年(1501年)。

当日住職不在で本堂への参拝はできず(ほとんど住職外出しているようだ)、年中行事の日にでも参拝するほかにようだ。

 

本堂脇の玄関に(曹洞宗)大本山永平寺御直末神蔵寺の札を掲げている。

本堂左側に「枯木堂」という観音堂がありそちらは拝観OK。

 

小さいお堂で普通の瓦屋根の木造建屋で”東海四十九薬師霊場二十七番札所の札がかけてある。

 

このお薬師さんは一段上に須弥壇があり薬師宮殿(厨子)置かれている。宮殿の中は本尊石の薬師如来が安置されているそうで、大きな薬師像はお前立ちとなっている。宮殿の脇侍に日光菩薩・月光菩薩が配され、その外側に右左に別れた十二神将が配されている。

 

十二神将は近年彩色されているのか色が鮮やか。また前立ちの薬師像はこの辺り一番の大きさだとか。

枯木堂(薬師堂)を出ると隣に石仏の三十三観音が祀られている。

本堂裏の墓地には、一色城主柴田源六の墓。柴田勝家の祖父とも曾祖父とも伝えられる。

山門を出ると山門右に観音石仏碑とあり、線刻観音と彫った石仏碑が3体。

左側には祠があり、大権現・大菩薩・大明神と8神仏が掲げられている。

道を挟んで西側に貴舩神社。ふねが舩になっている。

  

本殿の中。無住の神社。日進市の白山神社が管理。この辺りの神社の管理はほとんど同じ。

本殿の西側に、村でお守してきた神社を一か所の祀っている祠。一帯だけ石造の行者像があり。江戸時代の古地図に行者堂が乗っているがそのお堂からここに移したようだ。石造台座を手触り感で読むと”宝暦辛巳11月、一色村同行中”と読めた。時代は1761年11月のようだ。

灯篭に鹿が彫られている。これを春日灯篭というらしい。

神社の前に秋葉堂あり。ここだけ別にお堂を作りお守されている。隣に石灯籠が鉄筋で囲われてい保存されている。よく見ると中ほどの一番くびれたとことが折れたらしく、セメントでつないでいる。一切の案内がなくなんで離れた場所に別途祀られているか不明。

お寺・神社・秋葉さんとみて一通り見た後前の道を下ると、マンション群がある。このマンション群のあたりに一色城があったようで、その先の民家のあたりに城の井戸があったそうだ。

 

江戸時代には寺や神社の西方向には民家(農民?)があり、そのまた西・南・北には畑地が広がっている。ほとんど尾張藩の藩士の給地だったようだ。

                                                         

 


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