久しぶりの長距離ウオークに出かける。
今回の距離は13.5㌔の設定なので途中の立ち寄りと休憩を含めて3時間の計画。
JR愛知御津駅は初めて降車する駅で全く土地勘なし。
9時50分ごろ到着するが、コース案内をもらうと、駅の反対側へ踏切を渡って進むよう指示される。
民家と線路の間を進むが、この先どんな風景を見ながら歩くのか想像できないまま期待してスタート。
天気は今シーズン一番。気温も高くなりそうなので注意。
すぐに開けた農地が広がった地に出る。海抜1mだ。
何もないので黙々と進むだけ。と思いきや畑の一角に植え木で囲われた石碑が洗われる。
周囲はロープで囲われてひらないが、近くの説明板で「持統天皇行在所跡」となっていた。
全く何もないところにいきなりこんな碑が出てきてびっくり。なんだなんだ!!
右隅の木が行在所跡地の植木。御覧の通り畑の隅の一角。
ネット検索で「持統天皇行在所跡」と検索すると出てきた。[大宝2年(702)10月10日、持統天皇は伊勢より船で御津の湊へ上陸し、三河に行幸された時の行在所の跡。]
この地に来ているんだ。
コース案内にこの案内はなく、載せておくべきだろう。
過ぎると、音羽川河口。
三河河口に臨界緑地。
入り口に「日本列島の額。コース案内には「ミニ日本列島」と書き込まれていたので意味がよくわからなかったが、緑地の中に各県の花のタイル絵が埋め込まれていて、それを見て趣を楽しむ場所だそうだ。
ここのモニュメント的橋を渡る。
ここから河口に沿って海に出ると、今度は堤防の沿って延々と海岸線を進む。
途中神社が見えたのでコースをそれて参拝に。
神社手前に弘法さんと観音さんを祀ったセメントで固めた祠あり。近くの人がお守しているのかな。花が供えられている。
神社は素戔嗚神社だった。
本殿の隣に津島社。
境内は結構広いが誰もいないし、由来もわからない。
海岸線に出る。
豊川水系豊川の水位観測所。この辺りは堤防の高さは海抜6m~8m。
川幅さすがに広い。この豊川橋は全長626メートル
コース全体日陰なく、堤防伝いに歩くので暑さが堪える。
前芝灯明台。
説明板では明治40年まで使われていた。直光距離は9.3キロに及んだそうだ。
この灯明台は昭和41年に復元されたもの。
堤防は延々と続くが、傷みも激しい。補修はしているようだが追い付いていないようだ。
ところどころに陸閘(道路上に設けてある、堤防の役割を果たす開閉可能な門扉)の設置プレートによると、1898年設置のようだ。
豊川放水路を渡ると遠くに神社の屋根が見える。
屋根は銅葺で千木、鰹木が乗っている。神明社のようだ。橋を渡りきったところで地元の老女に神社名を訪ねる。「馬見塚神明社」とのこと。納得。
ゴールもようやく近づいた。
こんなマンホールの蓋。何の蓋か。
ネットで調べたところ汚水のようだ。なんで船と朝日なのか。
急に上り坂。坂の上の方に大きな瓦屋根が見えてくる。神社でもあるのだろうか。コース案内には特段書いてない。
坂の上に出ると、コース案内人が酒蔵があると案内しているので行ってみた。
坂の下から見えた大きな屋根は酒蔵の建物だった。
酒蔵の方に水はこんな高台でどうなっているのか聞いてみる。すると坂の下まで掘り進むと水が得られると。どうも豊川の水が地下でつながっているようだとのこと。何となく納得。
この酒蔵の前に神社。神社に参拝しようと神社の表に出ようと奥に進むと、御茶屋坂の標識。平安時代この坂の下に豊川羽田港や茶屋があった由。
神社正面。
本殿も大きく社務所に人もいた。
摂社。
面白いのは菓祖中島神社。初めて聞く神社名。
神社の石碑によれば、豊橋菓子協会設立を記念して菓祖神田道間守命を但馬国中島神社より勧請し豊橋菓子協会の守護神としたとある。
もうひとつ面白いのは、稲荷神社と天神様が同じ祠で祀られていたこと。
えっちらおっちらようやくゴール見えた。
豊橋駅表に出てゴールスタンプをもらって駅の改札へ。
考えてみると、現在のような駅の姿になってから初めて駅前の風景をみる。そもそも豊橋駅に直接降り立つことは40年振り?
駅前の大通りもきれいに整備され、市電もきれいな姿で運転されている。知っている豊橋はもうない。
でも土曜日の昼なのに交通量が少ないようだ。
このウオーキング3時間、歩数25000歩。無事完歩できた。
駅構内で軽食を取って帰る。
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