キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

JR愛知御津~豊橋を歩く

2015-04-26 20:21:54 | ウオーキング

久しぶりの長距離ウオークに出かける。

今回の距離は13.5㌔の設定なので途中の立ち寄りと休憩を含めて3時間の計画

JR愛知御津駅は初めて降車する駅で全く土地勘なし。

9時50分ごろ到着するが、コース案内をもらうと、駅の反対側へ踏切を渡って進むよう指示される。

 

民家と線路の間を進むが、この先どんな風景を見ながら歩くのか想像できないまま期待してスタート。

天気は今シーズン一番。気温も高くなりそうなので注意。

すぐに開けた農地が広がった地に出る。海抜1mだ。

何もないので黙々と進むだけ。と思いきや畑の一角に植え木で囲われた石碑が洗われる。

周囲はロープで囲われてひらないが、近くの説明板で「持統天皇行在所跡となっていた。

  

全く何もないところにいきなりこんな碑が出てきてびっくり。なんだなんだ!!

右隅の木が行在所跡地の植木。御覧の通り畑の隅の一角。

ネット検索で「持統天皇行在所跡」と検索すると出てきた。[大宝2年(702)10月10日、持統天皇は伊勢より船で御津の湊へ上陸し、三河に行幸された時の行在所の跡。]

この地に来ているんだ。

コース案内にこの案内はなく、載せておくべきだろう。

過ぎると、音羽川河口。

三河河口に臨界緑地。

入り口に「日本列島の額。コース案内には「ミニ日本列島」と書き込まれていたので意味がよくわからなかったが、緑地の中に各県の花のタイル絵が埋め込まれていて、それを見て趣を楽しむ場所だそうだ。

  

  

  

 

ここのモニュメント的橋を渡る。

ここから河口に沿って海に出ると、今度は堤防の沿って延々と海岸線を進む。

途中神社が見えたのでコースをそれて参拝に。

神社手前に弘法さんと観音さんを祀ったセメントで固めた祠あり。近くの人がお守しているのかな。花が供えられている。

神社は素戔嗚神社だった。

  

本殿の隣に津島社。

境内は結構広いが誰もいないし、由来もわからない。

海岸線に出る。

豊川水系豊川の水位観測所。この辺りは堤防の高さは海抜6m~8m。

  

川幅さすがに広い。この豊川橋は全長626メートル

コース全体日陰なく、堤防伝いに歩くので暑さが堪える。

前芝灯明台。

  

説明板では明治40年まで使われていた。直光距離は9.3キロに及んだそうだ。

この灯明台は昭和41年に復元されたもの。

堤防は延々と続くが、傷みも激しい。補修はしているようだが追い付いていないようだ。

   

ところどころに陸閘(道路上に設けてある、堤防の役割を果たす開閉可能な門扉)の設置プレートによると、1898年設置のようだ。

豊川放水路を渡ると遠くに神社の屋根が見える。

屋根は銅葺で千木、鰹木が乗っている。神明社のようだ。橋を渡りきったところで地元の老女に神社名を訪ねる。「馬見塚神明社」とのこと。納得。

ゴールもようやく近づいた。

こんなマンホールの蓋。何の蓋か。

ネットで調べたところ汚水のようだ。なんで船と朝日なのか。

急に上り坂。坂の上の方に大きな瓦屋根が見えてくる。神社でもあるのだろうか。コース案内には特段書いてない。

坂の上に出ると、コース案内人が酒蔵があると案内しているので行ってみた。

坂の下から見えた大きな屋根は酒蔵の建物だった。

酒蔵の方に水はこんな高台でどうなっているのか聞いてみる。すると坂の下まで掘り進むと水が得られると。どうも豊川の水が地下でつながっているようだとのこと。何となく納得。

この酒蔵の前に神社。神社に参拝しようと神社の表に出ようと奥に進むと、御茶屋坂の標識。平安時代この坂の下に豊川羽田港や茶屋があった由。

  

神社正面。

  

本殿も大きく社務所に人もいた。

  

摂社。

面白いのは菓祖中島神社。初めて聞く神社名。

   

神社の石碑によれば、豊橋菓子協会設立を記念して菓祖神田道間守命を但馬国中島神社より勧請し豊橋菓子協会の守護神としたとある。

もうひとつ面白いのは、稲荷神社と天神様が同じ祠で祀られていたこと。

えっちらおっちらようやくゴール見えた。

豊橋駅表に出てゴールスタンプをもらって駅の改札へ。

考えてみると、現在のような駅の姿になってから初めて駅前の風景をみる。そもそも豊橋駅に直接降り立つことは40年振り?

駅前の大通りもきれいに整備され、市電もきれいな姿で運転されている。知っている豊橋はもうない。

  

でも土曜日の昼なのに交通量が少ないようだ。

このウオーキング3時間、歩数25000歩。無事完歩できた。

駅構内で軽食を取って帰る。

 

 

 

 

 

 

 

 


この1週間

2015-04-23 16:43:04 | 雑記

このところJRのウオーキング、名鉄・地下鉄・リニモのウオーキングともに、日程的がなかったり、コース設定が遠方だったりして出かけられなかった。

たまたま、家内が小幡緑地まで行くというので便乗。小幡緑地の駐車場で分かれる。

小幡緑地の駐車場入り口の左右は新緑で気持ちよかった。

  

約90分掛けて自宅までウオーキング。

帰宅すると汗が滴り落ちる。

  

ここしばらく天気が悪かったので、合間を縫って自宅近くを歩いたりして体が鈍らないよう気をつけて過ごす。

 

名古屋市では各区に名古屋市生涯学習センターが設置されていて、各学習センターが前期後期に分けて各種講座を開催

前期講座の申し込みが4月22日に締め切られた。

 

講座数は合計すると150を超えるのではないだろうか。


16区+別途会場2を加えると18会場でそれぞれ7~8講座として募集している。

今年も約15口座に申し込みしたが、月末までに順次合否連絡が来る。

過去の講座で親しくなった人もいるので今回も会えるとよいのだがどうだろう?

今日は図書館でボランティアの日。

役所の年度替わりで、図書館も館長・係長・担当者が変わった。

それに貸出窓口を民間委託したようで雰囲気も大きく変わってきた。

いよいよ春だ。


近江商人の町探訪

2015-04-19 16:15:46 | 歴史探訪

近江五個荘・近江八幡市に、こんにちまで不思議なくらいゆく機会なく、今回ようやく探訪実現。

多くの人はすでに探訪していると思うので、私が面白いと思ったことだけ投稿する。

近江商人の町と入ってもいくつかの地区に分かれる。五個荘は豪商の住宅が主、近江八幡市は現実にそこで商売をしていた町という感じ。

先に五個荘へ行く。ガイドさんを頼んでおいたので東近江市観光協会の「プラザ三方よし」会館前をスタート。

   

金堂の街並を探訪した。

どの家も豪壮で大きく外からだけでもその贅を尽くした建築がよくわかる。

昔の建物を利用したロケちとして多くの撮影に利用されているようだ。

また瓦は近江瓦で葺き方も統一されているし、塀などの河原には「江州八幡瓦」と鋳こまれている。

建物の外装は木が使われ、屋根の勾配も膨らもを持たせた作りで重量感あふれるものが多い。

豊かさを象徴するものとしてお寺は欠かせない。弘誓寺(ぐせいじ)の山門の作りは大変手の込んだもの

天井は格天井式で周りには彫刻。

多くの家で船板を焼いてそのまま板塀として使われている。

釘なども船用の釘らしく大変凝ったものになっている。

また、掘割から家の敷地に水を取り込む仕掛けがあり、川戸と云うらしい。

  

さすがに屋敷街なので商店はほとんどなかったが、蕎麦屋が1軒、履物屋が1軒あり。履物屋は看板も上が商店名も田舎らしいもの。

1時間ほどの探訪を終え近江八幡へ移動。

時間なので食事を先にしてから、ここでもガイドさんの案内で探訪した。

この街の中には明治38年に現在の八幡商業高校の教師としてウイリアム・ヴォーリーという方が教師として赴任したが、退任後近江八幡を拠点に設計事務所を開設。

そのウオーリーさんが設計した建物が現在も20軒余り現存しているそうで古い街の中に溶け込んでなかなかの風情。

ヴォーリーズ建築第1号と案内にあったので載せます。

  

町歩きしながら、あらあらという風景。

  

かと思うとさすが瓦の産地。塀に粋な瓦を使ったデザイン。

ハイライト。伴家住宅へ。

現在、近江八幡市指定文化財。豪商の家。この家は入館して見学。

この家の前の道は朝鮮人街道と呼ばれ通信使がここを通ったようだ。

そんなこともあって、通信使の行列模型や、使節大使に供した料理の模型も展示したいる。

何しろ内部はものすごい梁で少しの地震ではびくともしないようだ。以下梁のすごさを写真で紹介。

  

   

大黒柱は40cm。

    

この梁は長さ7.5間の1本の木。(13.5m) 梁の太さは目分量で30㎝。

他に西川家(重要文化財)を見学。

こちらは商人の家として使われていたもので、屋根は火の用心の工夫。

室内の欄間はこっている。この組子今出来る人いるのか。一部壊れていた。

外に出ると前の家の板塀はまた変ったもので、わざわざ荒荒に抉ってある。

ガイドさんが説明していたが忘れた。でも、なかなかいい感じ。

八幡堀に出る。

新町湊。この堀は右に行っても左に行っても琵琶湖に通じているそうだ。この地に城を築いた豊臣秀次が琵琶湖を通る船は必ずこの湊に立ち寄るように命じたことによるとか。

この湊は映画やテレビドラマなどで見かける風景。

近江兄弟社(メンソレータム)の資料館。今はロート製薬傘下とか。

ようやく八幡社の鳥居。鳥居の柱は板が巻かれているが、木製の柱か中がどうなっているか不明。

  

鳥居の向かい側は白雲館(観光案内所)。昔は明治10年に近江商人たちが子供たちの教育のために建てた小学校。

当日祭りな最中でここに各地区の大太鼓が参集すようで、一基入ってきた。雨で気の毒。この後八幡社に詣でるようだ。

時間ないので、八幡社へ。八幡堀を渡る。

  

この風景も見たような風景。恐らく映像に使われるときはCGで修正しているのだろう。

参道は広く雨ということもあってか荘厳さを感じる。

大きくどっしりとした楼門。

入るとすぐに拝殿、今日はまつりのので神輿が置かれていた。

この拝殿の後ろが本殿。

お参りしていて心地よい。

こんなに立派な八幡様はめったに参拝できない。

八幡宮の正式名称は日牟禮八幡宮。いただいた御朱印。

 

3時に八幡市を出発。針江の”たねや”立ち寄りして帰ってきた。

朝のうちは天気も良く助かったと思っていたら、昼前から急に冷え込み雨が降り出し不安定な天気に参った。

でも念願かなって近江を探訪でき何よりでした。

 

 

 

 

   

 

 

 

 


2日間で21.2キロ

2015-04-13 11:54:56 | ウオーキング

今回は天気予報とニラメッコ。

11日はやや肌寒雨も心配。12日は予報は天気ながら出かけるときは雨雲。13日は雨の予報なので多分自宅周辺のウオークはできないと考えてJRウオーキングに2日連続で出かけることにした。

JR幸田を歩くのは今回で3回目。イチゴと筆柿の産地。現在は豊田系企業進出もあって駅の東側一帯は住宅が立ち並び発展。

幸田駅の少豊橋よりを新幹線が交差している。

1回目は駅の西口から里山を歩き、2回目は駅の東側から住宅地を抜け山の方を歩いた。

今回3回目は、新規に設定したコース。

駅の西口から北西に向かい新幹線の下を抜けて、里の名残のある町に入る。

  

村社熊野神社となっており、境内も広い。本殿のわきに鳥居があり奥に神明社のようだ。

ただし、神明社のしては鳥居の形が???

熊野神社の隣には浄土真宗の寺院専光寺。大きい寺院だ。

専光寺の前からやや東に進み新幹線の下を抜けると広大な農地が広がっている。

加者が蟻の行列状態。先頭が見えないよ

この農道は恐らく1キロ以上ある。通り過ぎるとJR東海道線に出るが、渡ってすぐに観音堂。

閂で占められていいて中は不明。ただ脇の石碑に刻まれた文字から恐らく十一面観音のようだがどうだろう?

観音堂の上に写真のような額がかかっていたが意味不明。何だろう。

東海道線を超えると土地区画整理事業が進んでいたり、新しい住宅団地ができていたり、相変わらず町が発展し続けているようだ。

途中に八幡社。

   

彌栄神社。読みは「いやさかえ」だろうか。誰もいないし、ウオーキングの参加者誰も立ち寄らず。

由緒書きでは、明治に入って現在の社名にしたようで祭神はスサノオ尊。当初は牛頭天王社だったと記されている。

いよいよ幸田の文化公園・さくら会館に到着。

しだれ桜まつり開催。

小山への登り口のしだれ桜。きれいだ。ほっとする。

公園一帯の風景。

この写真は「希望の塔」という階段状の塔がありその一番上から撮影。

  

この上から真下のしだれ桜。

この会場で休憩がてらみたらし団子を食べて一休み。あとはゴールまで1.1キロ。

公園を出ると墓地があり、何となくいわくありげ。門はしまっていたが除くと御影石の碑が見えた。

覗くと手前に「徳川竹千代君(家康公)乳母・旗本内藤家代々墓所」と刻まれた碑があり、奥の大きい碑には概略岡崎時代の乳母「まつ」が織田家の人質時代に家康の病気平癒のため熱田さんにお参りし、平癒した後自害したときてあり、その後まつ孫たちが旗本や尾張藩士、水戸藩士になったと記されている。

家康の乳母を務めたおかげでこんにちまで代々内藤家が続いたというめでたしめでたし。

ここを過ぎたらあっという間に幸田駅。駅前は何もなく今後の発展が楽しみだ。一日雨降らず、大助かり。

12日朝から雨模様だが、今日は折りたたみ傘と飲み水だけ携帯して出かける。

今日の楽しみは、駅から1キロ先の熱田神社今までこの神社のこと聞いたことなし。

歩きだしてすぐに参道。

鳥居をくぐると本殿。境内は広い。

   

神社のしおり。

  

しおりによれば、祭神は日本武尊。

由緒は「東夷征伐(とういせいばつ)に大高(おおたか)の氷上(ひかみ)の里(宮簀姫の居住地)へ東下されて、大府の地をお通りになった際、この地で御休息されたと伝えられ、後年、嘉吉元年(1441年)に永井七兵衛が噂の御休跡に一社を創建したのが熱田神社創祀であります。」とか。

右隣に三峰神社あり。

  

秩父の神社名がなんでと思いながら由来書きを読むと、ここにも日本武尊がかかわっているようだ。詳細略。

600m先に天台宗の延命寺。

ここの山門は大府市指定文化財。

  

山門の彫刻立派だが鳥よけの網が掛けられ残念。

この後は、ほとんど住宅街の細い路地や大通りの歩道を歩くが途中で、鞍流瀬川(読みがわからない)の土手に菜の花が咲いていた。

特段なこともなく先に進む。

八幡社。

この奥に本殿。

  

この森岡という地名は大府の中でも広い地域のようだ。

境内にもう一つ鳥居があるが本殿なく、鳥居の右に見える灯篭に八幡神社とある。

勝手に推測。もともとこの鳥居の奥にあった本殿を、何かの都合で鳥居の左方向に新築したのではないか。

こんなの初めて見る。

さあーげんきの郷で一休みだ。手前に菜の花まつりの旗が見られた。

ウオーキングコースの一か所だけ密集した畑。

過ぎると、げんきの郷。まつりのイベントで盛り上がっている。

ものすごい人で。食事するには人が多すぎて・・・。

急いで通過して、あいち健康の森公園へ。

目の前にあいち健康プラザのとてつもない建物。

今までも何回か前を通っているが中に入ったことなし。

  

今日は、まだ時間も早いので入ってみる。

なんだあー。ホテルの吹き抜けか。

ゆっくり見てみようと右手行くと奥の窓越しに、とてつもない広間。左手に行くとキッズの遊び場。

案内書をみると、健康診断や運動の指導、健康器具の利用等健康に関する案内になっている。

公園の芝生広場も広大。

近くに住んでいる人にとってはありがたい施設だが、なんでこんなに立派な施設が必要なのか不思議。この維持費は誰が負担。

喫茶室があり、メニュー見ると12時までモーニングOK。11時50分なので、モーニング注文。持参のソイジョイも合わせて昼食代わり。

あとは駅まで一直線。

さすがに二日続けての10キロウオークでやや疲れたかな。合計は21.2キロ。

でも二日とも傘差さず済んだし、満足。

二日分の投稿で少し長くなったので今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最近のウオーキングⅡ

2015-04-09 11:07:51 | ウオーキング

昨日今日の寒さは何事だ。

外出に防寒具が必要。

さて、最近のウオーキングⅡは4月4日駅ちかウオーキング「桜咲く!春爛漫の蛇池公園と庄内緑地コース」。

距離は8.5㌔と手ごろな距離。実はJR中央線神領駅から歩く12.4㌔のウオーキングもあったが、昨年歩いているのでパス。

地下鉄 庄内通駅 スタートのコースなんで自宅を9時に出る。

いつも駅ちかウオーキングのスタートは9時30分となっているが、駅の改札口付近に9時前には参加者多数集まってしまうので、大概9時にスタートさせる。

9時半までにスタート地点い到着すると、歩道が身動きできないほどの人であふれてしまう。

却って10時ごろ到着したほうが、歩きやすい。

スタートしてほどなく庄内川.

庄内橋の上からパチリ。

雲が水面に映り結構な構図。(自己満足)

橋を渡ると左側に自動車の教習所が2校軒を接して立っている。

その前を右折しまた右斜めに進むと、西山用水が暗渠になって遊歩道が作られている。

この遊歩道は両側花ミズキが植えられている。時期が来るとさぞやきれいだろうな。

この遊歩道の先は庄内川の堤防に出る。

知らなかった。庄内川にこんな立派ながあることを。

堤防の上には堤防道路があり道路の両側は桜のトンネル。

奥の方に見える高速道路は東名阪道。

堤防を左に降りると蛇池。特段の事のない池。これを過ぎると大野木という街に出るが、ここも道路の両側桜並木。

大野木を過ぎると普通の街並みになりその先に”星神社”。

参拝して少し休憩。

鳥居の前は堤防になっており、この堤防を得ると、庄内緑地公園の北入り口。

緑地に入ると桜の出迎えあり。

園内は各種ので見ごたえあり。

  

桜並木はあるが右上のような桜の林は珍しい。

緑地公園を抜けて地下鉄庄内緑地公園駅のゴール受付へ。

桜見ながらのウオーキング。贅沢。

今年は寒暖の差が激しく天候も安定しないなか、4日は前日までの予報が外れ、好天に恵まれ助かった。

次回はJR幸田・JR大府・JR土岐のうちどれにするか迷っている。