キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

年末あれこれ!(^^)!

2011-12-28 09:30:00 | 日記

先日(25日・日曜日)のPHP忘年会で今年の行事予定は全部終了

年末から正月3ヶ日に掛けて外出予定もないので、のんびり掃除や書類の整理をする積りでいた。

考えてみれば、年末の大掃除、体調体調不良もあって全く進んでいない。

26日は初雪。今冬一番の冷え込みだ。予報では最低気温-1℃、最高気温5℃。

 外は真っ白。雪が積もっている。(庭から撮った風景)

 

この雪をみて、掃除するには最悪の日だなと思いつつも、思い切って取り組む。

最初は洗面所と浴室の仕切り戸の溝にたまったゴミを取り出すこと、序に仕切り戸本体の汚れを落とした後浴室の洗い場の周辺の汚れ落としや桶・椅子等を洗う段取りにする。

取り敢えず仕切り戸を外して、溝掃除に取り掛かる。

シャワーを細めにして水を注ぎながら使い古しの歯磨きで洗ってゆくが、洗面所の床にもかかり厄介なことだ。次にドアーを一枚づつ洗い、浴室内洗面台周辺を洗う。

厄介だったのは椅子と桶の洗浄だ。長期間洗っていなかったので、汚れがこびりついてなかなか落ちない。根気よく落としてゆき、二つともこれでよいというところまで洗い落せたが、かかった時間は30分くらい。

 

この間約1時間程度だが、水を使って洗い流していたので、足元が冷えたようで少し良くなりかかっていた背中の痛みがややきつくなった感じ。

今日はここまでと自分に言い聞かせ、後は明日以降にすると決める。

火曜日(27日)。今日も最低気温ー1℃。最高気温はやや高く7℃までとの予報。

起きると女房殿より、資源ごみの年内回収最終日といわれる!今日を逃すと来年までごみを持ち越すことになる。私の担当は段ボールの解体とまとめ、雑誌のまとめ。女房殿は新聞。

大急ぎで段ボール・雑誌・新聞を指定場所へ。

そのあとがいけません。少し上体をそらしたら・・・・・・  痛たたたた・・・・。

何が起きた?しばらく動けず。少しずつ態勢立て直しするも、前かがみでも痛たたたた・・・。

椅子に腰をおろしても痛たたた・・・。何だ?何だ? 立っていられない。崩れるようにひざまずく。

先週の発症した痛みが治まったはずなのに倍の痛みで戻ってきた

年末の病院は込んでいるから、なるべく患者が少なくなる時間を見計らって出かける。

治ったと思っていた背筋痛が冷えと作業で一段と悪化した様だ。痛み緩和の点滴と処方薬をもらって帰宅。

幸い夕方には大幅に緩和する。

今朝(28日)も、やや痛みが残っているので、もう一度点滴を打ちに行く。

今日は午前中で正月休診に入るので患者は多いと思い、待ち時間の少ない時間帯を選んで出かけたが、思った以上に患者少なく早く終了。助かる。

出かける前に、この1年処方された薬が相当残っていたので、隣の薬局薬を持って行き薬剤師に有効期限を見てもらう。

私が頸動脈狭窄症発症後(ステント術受けて現在安定)いつでもどんな時でも(深夜0時でも)必ず相談になってくれる有難い調剤師がいるので、現在は他のクリニックで処方された薬でも彼のところで調剤してもらう様にしている。

そんな分けで、持参した薬の残余の期間を見てくれてどの薬も有効期間たっぷりあると判明。当面保管を継続することにした。

日中の寒さは今日で一段落のようだ。背中の痛みもほとんど解消。

 


PHP東海地区本部からアフガンへ贈り物

2011-12-25 21:30:07 | 日記

毎年PHP東海本部から社会貢献「思いやり運動」の対象団体として、わがNPO法人セーブアフガンチルドレンの会へ支援金を贈呈して頂いてきた。

今年も忘年会の儀式として贈呈式を施行するからと招待状が送られてきた。

NPO法人として、理事長・運営委員長への招待状を頂いていたが、両名とも所要が重なり、欠席する分けにはゆかないので私に出席するよう指示が出た。

義捐金贈呈式が終了したら、帰ってきてよいとの話だったが、それにしては招待状の内容が食事まで同席様の文書になっている。その時はその時と覚悟。

ところが、3日ほど前から背中が急に痛くなり、寝ていても寝返りの度に痛みが出る始末。

ひねったのか?芳しくないが、安静専一に努める。今朝の体調一段と不安定。深呼吸すると息が詰まる。

この2日ほどの体調不良が睡眠不足を招き、微熱も発症。万一風邪なら・・・・?

今冬一番の寒波も手伝って不安定を促進したと考え、午前中寝て様子を見ることにした。午後になってぐっと楽になる。なんとか役目果たせそうで一安心。

霙がチラつく中、会場に向かう。

受け付けで挨拶。すぐに会場に案内されたので、何を差し置いてもご挨拶と思い、全国会長、地区本部長、地区副本部長等々幹部の方々にご挨拶。

しかし、メインテーブルに案内され、ネームプレートがセッティングされていた。

今日は、そんなつもりではなかったと申し上げたが、料理も用意してあるのだから最後まで付き合ってもらうと、想定した事態になったが、折角の好意を無にするようなことはそれこそ失礼と素直にお受けする。

メインテーブルの方々とご挨拶を一通り済ませ、威勢のよい10人ほど女性の踊りでオープニング。

全国のご挨拶、地区本部長のご挨拶と進んで、いよいよ支援金の贈呈式となり、壇上へ促され目録の贈呈式が施行された。

   

お礼のご挨拶をさせて頂いた。

参加者80数名の忘年会で、東海地区と謳っているが、結構遠方からも参加されていた。

私の席の左隣がPHP本部の部長、右隣が犬山商工会議所会頭。

やはり両隣の方との会話が多くなるが、3時間楽しく過ごせた。

東海地区にはPHP友の会が13あるそうだ。全国では170ほどあるとのこと。

PHPという名前は昔から知っていたが、この度のことでWEB検索し意味がよくわかった。

http://www.php-fc.com/index.php

しぶりにフォーマルな装いと寒さ対策で暑かったり寒かったりと結構忙しい夜でした。

 

 


弥次喜多夫婦がやってきた

2011-12-23 18:13:33 | 日記

妹夫婦が旧東海道てくてく歩きを始めた事は知っていたが、宮(熱田神宮=名古屋着)に着くのがいつのことやらと思っていた。

箱根の石畳が大変だったとか、由比・蒲原通過とか、豊川通過とか断片的に聞いていた。

この分なら年内に宮につくかと思っていたら、先日岡崎着いたというではないか。びっくりだ。

そうして昨日(22日)名鉄本線宇頭駅をスタートしたといきなり携帯メールに連絡が入った。

確かに最近、12月22日~23日に熱田到着予定と連絡されていたのだが、週間天気予報で降雨確率60%と出たので、延期するとメールが来たのでその積りになっていた。

ところが、22日歩くことにしたと訂正メールが来ていたのを見落としてしまい、いきなり携帯メールにスタートしたと来たので、??

ちょうど図書館で作業が始まったところなので、作業終了後連絡すると返信。終了後すぐに携帯電話を入れてみる。

夫婦は私がメールを見ているものと思っているので、当然のように話してくるがこちらの方がトンチンカンな受け答え。取り敢えず今日の宿泊場所に着いたら電話をもらうことにして、その場は収める。

午後の用事も済ませ、夕方携帯メールを待つが一向に携帯ベルならず。

結局お互いに行き違いだったが、ようやく明日の予定を聞き合流場所を熱田神宮本殿前と約す。

今日(23日)は午前11時40分鳴海宿通過中のメール来る。まだ時間あり様子を見る。

午後0時40分笠寺通過とメール来る。この後の行動を携帯電話で確認。宮の渡しに寄ってから神宮に向かうとのこと。まだ1時間半かかると考えたが、こちらの電車の連絡もあまりよくないので、午後1時20分自宅出発。午後2時10分伝馬町駅到着。電話で現在地確認すると、なんと神宮南門へ向かう寸前だった。

その場にストップ掛けて、すぐに向かう。姿確認。元気そうだ。待たせなくてよかった。

先に近くにある摂社「松姤社」(まつこうじんじゃ?読みは不明)祭神ー宮簀媛(みやずひめ)ーを参拝するよう勧める。小さい神社で参拝者も見当たらないが、立派な玉垣に囲まれ、社殿の屋根もしっかりしている。

 

江戸時代の旅人は東海道から熱田神宮にお参りするときは本来なら「鈴御前神社」(すずのおんまえじんじゃ)でお清めしてから参拝していたそうだが、これからでは大変なので「松姤社」からにした旨説明。

いよいよ、神宮参拝に向かうが、その前に南門脇から八剣社(はっけんしゃ)・上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)へ向かう。

 

 参拝後、表参道を横切って清雪門(せいせつもん)へ回る。この門は開かずの門。

 http://atsutajingu.or.jp/jingu/about/keidai/30.html

信長塀→本宮参拝へ。

なんと結婚式が玉垣の内で進行中。

この間下鴨神社でも結婚式に遭遇。しかし今日はお婿さんは外国人。お婿さんの親族のうち女性は和装。

式場の案内係りの女性に、どこの国の方か尋ねるとイギリスの方だとか。彼らは宗教的に気にしないのかなぁ。でも様になってるね。

この後、神楽殿→御田神社(みたじんじゃ=五穀豊穣の神)→清水社と案内する。

時間もないので散策中に西門を出て国道19号線を渡っ先にある誓願寺という寺院は源頼朝生誕地と説明すると、本当?と疑いの眼差し。普通はそうだよね。

大まかだが案内を終えてお茶でも飲もうと名鉄熱田駅構内のスタバに。30~40分ほどあれこれ話してJR熱田駅まで案内。

時間的に制約もあり普通電車で歩き継ぐのは徐々に無理になって来たので、現在はJRジパングクラブ会員にり新幹線を利用しているそうだ。

昨日は宇頭から歩いた後前後まで歩いた後、電車を使って津島神社参拝、大須観音参拝してきたそうで元気すぎるとびっくり。本人たちはケロッとしたもの。

今日で全行程の3分の2踏破。京三条まで見えてきたようだ。ここまで2年経過したと言っている。

 

 

 


賀状作成で思うこと

2011-12-21 20:21:58 | 日記

11月末ころから、暇を見つけては年賀状の作成を続けてきた。

気がつくと今日は21日。改めてチェックし直し。一部修正。3種類の賀状出来上がる。

試しにA5用紙に印刷。何回か手直ししながら3種類とも最終決定。

今年の特徴は、全部文章の賀状にしたこと。(ほんの一部イラストあり)

結構いい賀状ができたと自己満足。

印刷に掛かり午前中に完了。

午後から、1枚づつそれぞれに一言書き入れる。明日投函予定。

退職して12年。一緒に仕事していた仲間もほとんど退職し、10年ほどは賀状のやり取りしていたが、徐々に出場数が減少してきている。

特に自分の身内が、この12年の間に兄弟2人と義母が永眠。その都度喪中欠礼状を出したりして、結局1年間のご無沙汰が賀状交換の減少原因になったようだ。

昨年は12月14日には義母が永眠し、みんなに迷惑掛からないようにと、葬儀終了後、日を置かず喪中欠礼状をだしたので、今年は2年ぶりの年賀状作成になる。

そんなこともあって、自分の気紛れも手伝ってなるべく近況を報告したいと思い、ほんの一部イラストを入れたものの、ほとんどを文章で作成した。

私は来年年男だ。今のところ元気にウオーキングできているが、次の辰歳に年男で元気でいられるかなぁぁぁ・・・・・?

 


インドの歴史Ⅱ

2011-12-20 13:26:17 | 知識

12月19日 名古屋市民大学 世界の古代史 講座開催日。

先月に続きインドのBC75年ころからAD600年ころのインド古代史。

 

相変わら来場者多い。

 

先月も書いたがインドの歴史に全く疎いため、まとめるのが大変。写真もボケてるよ。

今日の主題は”ヒンドゥー教の成立と発展”。(レジメにヒンドゥーとヒンズーがあり表記が統一されていないので都度レジメに従った)

紀元前に栄えていたマウリヤ王朝がインド北西のギリシャ人(アレキサンダー遠征で残った勢力らしい)の侵入があって、大きく衰えた。

変わってイラン系のクシャーン族の王朝が確立された。

王朝3代目が有名なカニシカ王で仏教の保護に尽くし、仏典の結集(ブッダの教えを集めた)を図り寺院・仏塔を建立、結果は大乗仏教発展の基礎を固めた。

大乗仏教の成立には、保守的な長老たちの「上座部」グループと若手の進歩的な考えの「大衆部」グループが共存していたが、のちに「大衆部」が南インドに逃れ、南インド独特のバラモン教学の思想が加えられて大乗仏教が次第に発展していったものである。

世界の三大宗教というとき、仏教・キリスト教・イスラム教だが何故大がつくのか?大は講師曰く、類平和をうたっている宗教だからだそうだ。信者数なら儒教・ヒンズー教だって多いはずだ。

ガンダーラ美術はヘレニズム文化の影響で仏像中心の仏教芸術に発展してゆく一方、大乗仏教の伝播と共中央アジア→中国・朝鮮・日本へと広がる。

AD320年ころグプタ王朝が成立。

2世チャンドラグプタの時代に最盛期を迎え北・中部インドの大部分を支配した。(アショカ王に次ぐ大統一)

文化的にもこのころインド古典文化が完成し、外部からの影響がなくなってくる。

典型は サンスクリット文学のカーリダーサ(インドのシエクスピア)の『シャクンタラー』はゲーテが一部を取り入れるほどのものであった。=初めて聞く話で???

天文学・数学では零という観念と十進法による数字の表記、円周率、無限の観念も成立した。

今我々は数字をアラビア数字と言っているが実は似て非なるもので、本来インド数字と呼ぶべきだ

なるほどアラビア数字では現代の数字から読み取れない。

ヒンズー教もこのころ成立してゆく。

開祖もなく・特定の協議もなく・聖典もない多神教でシヴァ神・ヴィシヌ神(日本に来て吉祥天)などを崇拝する。やがて仏教をしのぐインド宗教の主流になってゆく。現在インド人の83%がヒンズー教徒。

606年ハルシャ王がヴァルダナ王朝を立てて北インドを統一するが、一代で終焉する。

ハルシャ王のときヒンズー教・仏教を保護、唐から玄奘がやってくる、ササン朝ペルシャとの交流があったが王の死後、国内は分裂した。以降5世紀の間インドが分裂の時代になる。

1時間半で話すには少々無理。ヒンズー教のマヌ法典(インド人の生活指導書)、ブッダの三十二相の話、玄奘とナーランダ僧学院の話など若干触れたが、ここに書くほどの内容はなかったので付記だけしておく。

今回のインド古代史Ⅱでインドは終わり、来年の1月・2月・3月は古代ローマの時代へ。